非二元。ノンデュアリティ。
非二元についての話なので、
これを知らない人には、
どうでもいい話になります。
現実は、自分で創っていると言いますが
創っていない説もあります。 非二元では、こう言います。
すべてが、全自動で勝手に起きている。 誰も何もしていない。
自分が、やったつもりになっている。 私も、いない。 ?
すべてが全自動で起きている。
起きるべきことが起きている。
誰も何もしていない。私は、いない。
確かに、それは、事実なのかもしれません。
事実かもしれませんが、
私達は、今ここに居ると言う前提で、
現実の中に生きています。
それを解った上で自分に戻ってくる。
非二元に、どっぷりな状態は、
自分から離れたままになって、
自分に戻って来ていない。
非二元は、道半ば。
あたかも、非二元が悟りの、
最終到達地点だと解釈するのは、
どうやら違うようですね。
非二元は、悟りの入口。
それぐらい初歩の初歩なことのようです。
非二元。ノンデュアリティと言う夢の中。
夢から覚めてからが、悟りへの道の続き。
勿論、非二元がダメなわけでは、ない。
道半ばや入口と言うことは、
この道を経過して、
進んで行くと言うことですね。
だけど、非二元が最終地点だと、
思い込むのは、大きな間違いであるようです。
悟りと言う山があるとしたら、
山の入口にあるのが非二元。
それを8合目や頂上に来たと言うような
勘違いが、スピリチュアル業界の中でも、
結構、起きているような気がします。
私も非二元の話を夢中で聞いたり、
読んだりしたこともありますが、
ここが最終地点だと思い込んでしまうような
罠があったかなぁと今なら思います。
このことに気づくことは、
結構、重要な気がしました。
実際に、ノンデュアリティと言う迷宮に
迷い込んでいる人は、たくさんいるようです。
非二元を否定しているのでは、ない。
非二元は、非二元で素晴らしい。
素晴らしいのですが、そこが到達点では、ない。
また、一説では、非二元は、
行き着く所まで行った人が、
解れば、いいことで、本来は、
知る必要もなかったと言う話もあります。
非二元、ノンデュアリティ、人生のシナリオ。
これらは、スピリチュアルの学びの中で、
こう言うモノがあると知って、最終的には、
こう言うことだったのかと知るようなこと。