毒親問題。ヒプノセラピー初体験して来ました。

ヒプノセラピーを受けて来ました。

そのことは、記事の後半に書きますが、
まずは、毒親問題について触れたいと思います。

今も、毒親問題に、
結構、悩まされている人は、
多いみたいですね。

しかし、情報が増えすぎた故に、
毒親でもない親が毒親だと
思われてしまうこともあるようです。

逆に毒親の子ほど、それが普通の家庭だと
思い込んでいる人もいるようです。

↑で紹介した動画の方も、
かなり毒親問題に詳しいようなので、
幾つかの動画を拝見するのもいいでしょう。

毒親を変える事は、まず、無理です。
基本的に、一生変わらないと思います。

だから、自分自身が、
ある程度の年齢になったら
毒親を捨てるか捨てないかで、
思い悩む人も多いと思います。

本当に断ち切った方がいい毒親。
猛毒のような毒親もいる。

私の場合は、爺さんが猛毒で、
父が毒親だったと思います。

世間一般的に言えば、
父も猛毒だったかもしれません。

このように感覚が
鈍くなってしまうような所があります。

しかし、私が家を飛び出し家を離れた
時期はありましたが、結果として完全には、
断ち切らなくて良かったと思っています。

親を捨てるかどうかは、
人や環境によるので、
何とも難しい部分だと思いますが、

猛毒でなければ、何らかの連絡手段だけは、
残されておくといいような気がします。

と言うのは、先祖の加護と言うモノがあります。

親や先祖を嫌っていたら、
加護が薄くなってしまう要素も、
大なり小なり関係していると思うのです。

私も居場所を知らせず、
一切連絡していない時期が、
何年かありましたが、
その時は、私の身の回りでも、
問題が多かったような気がします。

現実問題、離れた方がいいし、
連絡を一切取らない方がいいケースもある。

もう二度と会わない方が、
いいケースもあるでしょう。

捨てるかどうかは、究極の選択。

すべてを捨てる覚悟で、
前に進むと道が開けることもある。

むしろ、どうにもならない
猛毒の親の方が捨てやすいし、

後悔などの気持ちが残らなくて
決断を決めやすいかもしれません。

中途半端な毒親ほど、
捨てるかどうかに、
迷いが生じると思います。

良い親を捨てるのは、
罰当たりかもしれませんが、

毒親を捨てるのは、
毒親の支配からの脱却です。

みにくいアヒルの子が、
白鳥になるようなことかもしれません。

毒親家系で育った私の意見としては、
一時的には、一切連絡をしない、
プチ出家もありだと思います。

出家と言っても何かの
修行をするわけではなく、
普通に生きればいい。

私は、爺さんの葬儀にも行っていません。
死ぬ直前に、一度だけ入院中の
爺さんの見舞いには、行きました。

その時の爺さんは、
会話も出来ないし管だらけの状態でしたが
自分の意思を伝えようとする事は出来ました。

体は動かないけど相変わらずの状態で、
気持ち悪いと言う感覚が私の体を襲いました。

私が小さい頃から、
長い事、関わっていましたが、
私は、ず~っと爺さんが嫌いで、
仕方なく関わっていました。

久々に会って管だらけの姿を見ても、
どうしようもない人だなぁと思いました。

毒親家庭にいたら、自分の人生を中々、
生きられないと言うことがあります。

毒親家系では、地獄の蓋を開けたような
出来事が次から次へと日常的に起きています。

親を捨てて本当に良かった。
やっと自分の人生を
生きられるようになったと言う人も、
世の中には、たくさんいます。

逆も然りで、親を捨てて
後悔する人もいると思うので、
結果、どうなるかは、分かりません。

分かりませんが、毒親と言うのは、
家系連鎖している側面もあるので、

毒親を捨てると言うのは、
家系内で続いて来た負の連鎖を
断ち切ると言う部分で、

もしかしたら功徳のことも、
あるような気がします。

完全に断ち切った後も、

世間一般的には、親と絶縁してるなんて、
ろくな奴じゃないと言う風に
見られる事もあるでしょう。

それは、しょうがないです。

まともな両親の元で育った人には、
分からないことも多い。

だけど、毒親の元で
育った人のことは、
他の人達よりも、より深く
理解できると思います。

捨てる捨てないは、別としても、
自分でお金が稼げるようになったら
とにかく毒親から離れる。

決断には、勇気と覚悟と
痛みが伴うかもしれませんが、
どうしようもない毒親だと気付いたら、
親元から離れる。これがいいですね。

少し前に記事に書いた、
まきろんさんも、
15歳の頃に施設入所と言う形で、
家を出られています。

私も家を出たのは早かったのですが、
その時は、まだ親が毒親とは、
気づいていませんでした。

昔の時代と今の時代で違うのは、情報量。
知識もそうですが、その類の相談機関も、
調べれば、色々と出てくると思います。

自分一人で決めかねている場合は、
まずは、専門家の人に相談するのもいいでしょう。

スピ系のセッションは、
一つの角度からは、
良いかもしれませんが、
毒親専門ではないですからね。

Mamica『問題が起きたらチャンネルを変えてみる。』
https://t.co/JSHYMIIP1L #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) April 7, 2021

やっぱり、この分野の事は、
この分野のプロに相談する。

金銭的に大丈夫であれば、
両方で相談するのもいいと思います。

スピ系の人のセッションを受けるなら
カルマ的なことに詳しい人を
選ぶのもいいかもしれません。

毒親の元に生まれるのは、
前世からの因果応報なのか?

前世、自分が毒親だったのなら
今世、自分が毒親の元に生まれる宿命。

少し怪しい話になりますが
前世のカルマに応じた家庭に
今世、生まれて来るようです。 https://t.co/hzP7TAkHxf— 自己愛性パーソナリティ障害まさなお観察日記 (@mojiuti) March 10, 2021

と言うのは、親子関係は、
結構、カルマが影響していることが
あると言われているからです。

ヒプノセラピー 初体験。

ヒプノセラピーの存在は、
以前から知っていましたが、
体験したことは、なかったです。

一部では、ヒプノセラピーは、
時代遅れと言うような意見もありますし、

セラピストさんや、施術所によって、
全然違うと言う意見もあるようです。

ヒプノセラピーもピンから、
キリまであると言うことでしょうか?

相性的なモノもあるのでしょう。

私は、ある程度、有名所で、
レビューなどの評判も良い所へ行って来ました。

結論的に、自己ヒーリングするのと
それほど、変わらない感じでした。

勿論、行って良かったとは思っています。
施術者の方も良い人でした。
どんなモノかも知れて良かったです。

しかし、決して安い金額ではないので、
1度のセラピーで変容を期待するのは、
難しい所だと思います。施術者の方も言っていましたが、
何度も通われることで、深まって行くそうです。

私は、取り敢えず、
この1回きりになるような気がしますが
何度も通われることで、
本当に変容を体感できる人もいることでしょう。

中には、1回目で、それを感じれる人もいるでしょう。

このような意見は、語弊を招くかもしれませんが、
ヒプノセラピーを受けようかどうか迷っている方に
多少なりとも参考になればと思い、

私の正直な感想を言うと、
う~ん。この程度のモノかと言う感じでした。
だけど、先程も言いましたが、1回では、
何が何だか分からないまま終わってしまうことも、
よくあることだと思います。

私個人としては、この程度のモノか、
と言った感じだったので何処で受けたかは、
書きませんが、受ける相手によっても違うとは、思います。

自己愛性パーソナリティ障害の迷惑爺さん。

このブログでも、部分的には、
ちょくちょく触れていた事もありましたが、
私の、もう亡くなっていますが、
父方のお父さん。私にとってのおじいちゃん。

その、おじいちゃんが、どんな人だったかを
今一度、思い出しながら紹介したいと思います。

酒飲みで、気が狂い、怒り狂い、
奇人変人であったお爺さん。

昔の時代とは言え、50代で
既に皺くちゃの顔をしていました。

実家とは、離れた県外の
アパートに住んでいたのですが、
私が生まれた時、言葉も喋れない時期から、
関わっていた事は、覚えています。

私が、2歳ぐらいだったかと思いますが、
おじいさんが烈火の如く怒り、
私の目を爪で刺していた事がありました。
その後、蹴られたかどうか分かりませんが、
私は、翌日の昼ぐらいまで、
目を覚まさなかったと思います。

翌日も体が重くて、子供心に、
何か不思議な思いをしていました。

その時から、おじいさんは、
まともな人ではないと思っていましたが、
私の両親は、しょっちゅう、
この、おじいさんの所に私を預けました。

預けたと言うか、流れとしては、おじいさんが、
来させよと言っていたような気がします。

小学生に上がる頃になっても、
決して近くとは、言えない所に住んでいるのに、
電車とバスに乗って、しょっちゅう家に来ていました。
来ない時は、来ない時で、しょっちゅう電話をしてきていました。
まともな話が出来る爺さんなら良かったのですが、
相変わらずの迷惑電話。

結局、おじいさんになるまで、
誰も関わってくれなかったか、
みんな離れていったかで、
子供と関わるしか、なかったのでしょう。
他にやる事があれば、あんなに子供に
干渉している暇など、なかったと思います。

家の方も父の借金で、
私が子供の頃から、
電話が鳴り止まない毎日。
それだけでも子供心に痛かったのに、
おまけに病気のような、おじいさん。

小学生の私に自分の自慢話ばかりをして、
私の否定、批判をしていました。
おじいさんのアパートに泊まりに行くと、
毎度、母の悪口を延々と言っていました。
しかも、毎度、毎度、同じ話。今思えば、
認知症だったのかもしれません。

同じ事ばかり言っているので、
大きな体をした猿のように見えていました。

小学生の時、私は、何故、私の父は、
あの、おじいさんが家に来る事を
許可しているんだ?と思っていました。

しかし、考えてみれば、当たり前の話で、
私にとっての、おじいさんは、父にとっての父。

今の時代でこそ、問題のある父親であれば、
捨てる事も仕方がないような理解もありますが、
昔の時代であれば、どんな親でも親は、親。
父親が、厳しいのは、当たり前。

どんな親にしても、子供を育ててくれた
絶対権威のような所がありました。

だけど、まともな親で厳しいのと、
異常者の親で厳しいのは、違います。
そのような所が見過ごされてきたような気がします。

後に分かった事ですが、
爺さんは私の父に金をせびりに、
毎週のように来ていた。

そのお金で酒を飲みに行く。
父が事業に失敗して借金して大変な時期も、
おかまいなしに毎週来て金をせびっていたようです。

私の父も相当、苦労された人だと思いますが、
その苦労の多くの元になったのは、自分の父であり、
私にとっての、お爺さんである人を
切り離さなかった事にあったと思います。

しかし、父は、お爺さんの事を
まともだと思っていたので、
私は、子供心に、あんな爺さんの事を
まともだと思っているのか?と何とも言えない思いでした。
私達、子供と母は、長い間、お爺さんに苦しめられていました。

幼少期や小学生時代の私が、
何だコイツと思うような
身内の大人達が私の爺さんであり、
父であり、父の弟でありました。

それでも私は、お爺さんは、
問題がある人だと思っていましたが、
大人になってから随分、時が経つまで、
父が毒親とは、思っていませんでした。

しかし、色んな毒親の元で育った人の話を
見たり聞いたりした時に、そんなの私の親は、
普通にやっていた事やんと思いました。

お爺さんが迷惑な存在過ぎて、
父が緩く見えていたのかもしれません。

私が生まれて言葉も喋れない時期から
怒鳴り付けるような人でした。

父は、お爺さんの子なので、
やっぱり、その血は、継いでいたのでしょう。

怒鳴る。怒る。殴る。これらは、当たり前。
そして、自分の価値観に当てはまらないと、また怒鳴り付ける。
力で、子供を支配してコントロールしようとする。

子供相手に、ワーワーワーワーと怒鳴ってばかりいました。

自分の気持ちが第一優先で子供の事を解ろうとしない。

小さな子供の相手は、面倒臭い。

私の幼少期を振り返ると、
そのような寂しい思いがいっぱい出てきました。

小さな子供相手に怒鳴ってばかりいるのは、
やっぱり、父も爺さんも自覚がないだけで、
精神病だったのではないか?と思います。

自分達が原因で家の中の
ゴタゴタが起きている事に気づかない。

そして、また誰かや
何かのせいにして
怒鳴ってばかりいる。

お爺さんも、父も怒りの塊のような所がありました。
だけど、怒りの塊は、裏を返せば、劣等感の塊です。

いつだかに、おじいさんが住む、
アパートの近所にある喫茶店に行こうとしました。
珍しく、おじいさんの機嫌が良いなと感じる日でもありました。

しかし、店に着くと、出入り禁止だと言われ、
マスターと口喧嘩がはじまりました。
そして、おじいさんの「二度とこんぞ!」と言う捨て台詞は、
覚えていますが、私は、子供心に、その方が、
マスターも嬉しいやろうなぁと思いました。

その後、喫茶店には、行きませんでしたし、
まっすぐ家に帰ったのかどうかも、
私は、覚えていません。

店員に文句を言うのは、爺さんの常識でした。
色んな所で暴言を吐いて威張り散らかしていたので、
兎に角、色んな所で、色んな人に嫌われていました。

私は、子供心にバカな爺さんだ
と思うような事が、いっぱいありました。

自己愛性パーソナリティ障害は、
人を下げる事でしか、
自分の承認欲求を満たせない。

爺さんは、典型的なこのタイプでした。

何があったかは、覚えていませんが、
市役所の人にも嫌われていました。

歩く嫌われ者と言いますか、
会う人、会う人に嫌われていました。

爺さんも婆さんも自分自身に
問題がある人でしたが、
外側のせいばかりにしていました。

お爺さんは、四六時中イライラの
電気みたいなモノが走っていて、
ささいな事で烈火の如く怒り出す事は、しょっちゅうでした。

人の事は、否定をし、自分の自慢話ばかりを話ていました。

本来であれば、一生、精神病院の中で過ごしていても、
おかしくなかった人ですが、一生、娑婆で生きた人でした。

ありのままになるのか、大袈裟になるのか分かりませんが、
十中八九の人から嫌われていた爺さんでした。

爺さんと婆さんは、私の幼少期~思春期まで、
やたら干渉して来ていましたが、
二人とも絵に描いたような怠け者で、
お爺さんは、自己愛性人格障害なので、
私は、幼心から仕方なく相手をしてやっている
みたいな思いを持ち続けていました。

出来る事なら関わりたくないのが本音でしたが、
幼い子供の時は、結局、関わるしか
選択肢がなかったように思います。

私は、幼少期の子供心に、この二人は、
どうしようもないなぁと思っていました。

おじいさんの直接の子供は、
私の父と、その弟、娘と、3人だったと思いますが、
父の弟にも、子供の時から、よく会っていました。

父の弟は、私にとっての、叔父さんになりますが、
その人も、子供心にバカな人だなぁと思っていました。

やっぱり、おじいさんに似ている所がありました。
そんなのだったので、私が小学何年生だったか覚えていませんが、
高学年では、なかったと思います。
その時に、私と殴り合いの喧嘩になりました。
叔父さんは、30歳を過ぎていたと思います。
結果的に、騒ぎに気づいた私の父が止めに入りました。

父も子供時代の私に、怒鳴りまくる人でしたが、
お爺さんと、叔父さんと比べたら、かなり、まともな人でした。

私の子供時代は、怒りと暴力が蔓延した家庭環境の中で育ちました。

その根源は、おじいさんと、
おばあさんであったと思います。

人様からも散々、嫌われた人でありました。
私を含め、お爺さんの身内である子供達からも嫌われていました。

でも、本人達は、嫌われている自覚がない。

あんな爺さんと婆さんでも、
一つぐらい良い所なかったかなと
思いを馳せてみましたが、
とにかく見つからない。
私が頑固なのかもしれませんが、
とにかく本当に一つも良い所が見つからず、
ただ、ひたすらに迷惑な存在であった。

爺さんが亡くなる少し前に病院に見舞いに行った時、
私が生まれる前の事は知りませんが、
私の知っているお爺さんの印象は、
人様から嫌われ続け、人の悪口を言い続け、
この爺さんは、一体、何の為の
人生だったのだろうか?と思いました。

この人は、誰かの役に立った事が
一度でもあるのかなぁ?
と何とも言えない気持ちになりました。

どれだけ人様に嫌われれば気が済むんだ?
と言うぐらい嫌われ続けた人でした。
それだけに生きている間も、死んだ後も、
私達、子孫に何らかの影響を及ぼしていることでしょう。

地獄に堕ちた先祖の話などを聞く事もありますが、
爺さんも婆さんも地獄にしか堕ちない生き方を
してきた人だったと思います。

おじいさんが死んで、
ようやく平和になったかと思ったのは、
大きな間違いでありました。

お爺さんは、自分の息子達もそうですが、
私の父の息子達にも影響を与えていました。

それは、自己愛性人格障害を作り上げると言う
根源としての役割になっていたと思います。

私の弟、末っ子もおじいさんの影響で、小学生の頃に、
手の付けられない自己愛性人格障害者になっていました。

その時、おじいさんは、既に他界していましたから、
最後の人格障害者を育て上げていたとも言えます。

江原啓之さんの話では、浮かばれない先祖が、
子孫に憑依するような事もあると言われていたと思います。
死後、まっすぐ天に還るような爺さんでは、なかったと思うで、
憑依もあったかもしれないなぁと思います。

地縛霊になった爺さんが
家系の子孫に憑依した。
残念ですが、これが事実のような気がします。

冷静になって考えてみれば、
小学生にしては異常すぎた。
そして爺さんと似たような所があった。
あの爺さんは、死後、十年以上も憑依と言う形で、
私達に迷惑をかけ続けていたのかもしれません。

憑依がなかったとしても、一人の人格障害者がいれば、
そこから何人かの人格障害者を作り上げてしまう。

上手くスルーできればいいのですが、
幼少期~思春期の間に、上手くスルーする事を求めるには、
無理があるでしょうし、何も分からない分、
それを素直に受け止めてしまったりで、
歪んだ人格を生み出す事もあると思います。

さらに自己愛性人格障害の人は、
やたら干渉すると言う特徴もあります。

子育てについては、各親に完全に任されていますが、
まともな親ばかりではない。問題のある親もいる。
問題のある親が問題のある子供を作り出してしまう。

そんな中でも、まともに育つ人もいると思いますが、
何も分からない子供に、それを求めるのは、酷な事だと思います。

だけども、最悪と思える親子関係、
環境の中で、まともに育つ人もいれば、
良い両親の元に生まれても、
どうしようもない人格に育つ事もある。

ある程度の年齢になったら、
すべては、自己責任なのでしょう。

子供の問題に頭を抱えている
親御さんも多いかもしれませんが、
家庭内環境に問題がなかったのか、
振り返りの意味も込めて、
そのような問題が起きている事も
あるような気がします。

私のおじいさんも、時代背景のせいもあったと思いますが、
おじいさんになるまで、あのような問題のある人が放置されていた。

だけど、おじいさんにも、その父なる人がいたでしょうから、
その父も、恐らく、問題のある人であったのでしょう。

そうやって、受け継がれて来てしまったのですね。

私は、専門家ではないので詳しい事は、分かりませんが、
子供時代に深く傷つけられたトラウマになっている事は、
自分も無意識の間に同じ事をするように
なっているのではないか?と思います。

その分野の専門家の人の話では、
人格形成は、かなり若い時期。
6歳ぐらいまでに基盤が作られ、
15歳ぐらいまでに大体、
決まるというような事を言われていたと思います。

だから、時を越えて、同じ事が繰り返される、
家系のカルマのようなモノになっているような気がします。

今、自己愛性人格障害だと言われている人は、その末裔。
本人が気づいているにしろ、しないにしろ、その人で、
その流れを終わりにするべき時が来ているような気がします。

小学生ぐらいの間に既に症状が出ている事は、多いと思いますので、
周りの目と言うのも大切になるでしょう。治療が遅れれば遅れるほど、
人格の歪みも大きくなっていくような気がします。

自己愛性人格障害が嫌いだと言うのは、簡単です。
しかし、それまで、それを見過ごしてきた。気づかなかった。
何ら対策をしてこなかった。放置してきた。
そのような、多くの人の責任と言うものも、あると思います。

おかしな思考の、おじいさん。
それより少し、まともになった父。
だけども、父も、生まれたばかりの私を怒鳴りつける人でした。
しかし、あのじいさんに育てられれば、そうなるでしょうね。

みんな女や子供や立場の弱い者には、高圧的。
だけど、本来やるべき事からは、逃げている。
稼ぐ力も、みんな、なかった。

サイコパスなどの人も、
脳に異常があるから、
そうなっていると言われています。

だから、必ずしも環境や親だけの
問題ではないかもしれませんが、
親だけに任せていたら、気づかれぬまま放置され
歳を重ねてしまう事も多いと思います。

義務教育や健康診断などの制度があるのですから
どこかで精神病などの検査を取り入れ、
あまりにも人格や精神に異常を抱えている人は、
そのような場で発見する事も必要だと思います。

だけど、スピリチュアル的な話をした場合、
敢えて憎まれ役とか悪役を買って出ていた魂もいるそうです。
その悪役を演じるには、かなり上級の人でないと演じられない。
そのような人達は、この時期に、目覚める人となるそうです。
既に他界している人で、悪役を演じていた人は、
浮遊霊などではなく、光に還っている事でしょう。

私のお爺さんも、悪役の方であったと信じたいですね。

そうではなかったとしても、すべては、
自分が選んで生まれて来た人生だと言います。
私にとって必要な学びがあったから、
あの爺さんと共に過ごした。

一つだけ運が良かったと思うのは、
あの爺さんの直接の子供ではなかった。
しょっ中、家に来ていましたが、
一緒に住んでいなかった事も運が良かったでしょう。

父も厳しかったですが、あの爺さんから、
よく、このまともな人が育ったと思える人だったと思います。
まぁ、そう思えるようになったのは、最近ですが。。。

私の家系。男系には、
人格異常者が多かったのですが、
あの爺さんと、まともに関われば、
正常の精神状態で育つ方が
不思議なぐらいだったかもしれません。
私も大なり小なり、その影響は受けているでしょう。

みんなの嫌われ者みたいな爺さんでしたが、
その爺さんがいなければ、
父も私も、今、こうして、この世に、
肉体を持って生まれる事が出来ませんでした。

だけど、ネガティブ感情を紙に書いて
吐き出した時には、あんな、爺さんと婆さんなら、、
はじめから、居ない方がよかったと言う言葉が出てきて、
その言葉が出て来た時にスッキリした気がしました。
あれが、吐き出し効果でもあり、私の本心であったと思います。

爺さんは、自分自身に人格上の問題を抱えていました。
かなりの人格異常者でした。しかし、自分ではなく、
何でもかんでも人のせいにして、悪口を言い続けたり、
思い通りにならないと瞬間湯沸かし器のように怒り狂っていました。

私は、子供心に、この人は、自分自身に問題があるのに、
何故、外側ばかりのせいにしているのだろうか?と思っていました。

これは、今、スピリチュアルな話でよく言われている話です。

私は、随分、幼い頃に、反面教師として、
この事を教えられていたのですね。

そして、今、子育てをしている親御さんに
伝えたい事は、子供は、
子供の人格を持って生まれて来ています。
ああだ、こうだと言い過ぎず、尊重してあげる事も大切です。

それこそ船井幸雄さんの長所伸展法。
経営にも人材育成にも、使える技。
勿論、子育てにも使える技だと思います。

そして子供の人格に問題があると
思えるような事があったなら
身内に迷惑爺さんのような存在が
いなかったかどうかを振り返ってみてください。

上流の爺さんと、
下流の弟が、一家の中で、
一番、人格異常だったので、
稲福薫さんの本を読んだ時に
カルマ流しは、上流から下流に向かって行くと
書かれてあって、その通りだと思いました。

そして、間の人は、下に不調和波動を
流せるから、まだいいのですが、
最下流の者は、下へ流す事が出来ないから、
その家系のカルマが噴出する事がある。

爺さんも弟も重度の精神病だったと思いますが、
精神科にさえ行った事がありません。本来であれば、
精神病院に強制入院させなければ、
ならないような状態でした。
(恐らくは、閉鎖病棟に入院している人の中でも、
かなり重症の部類になったと思います。)

本当に、いつ事件を犯してもおかしくない状態でした。
本当に一歩間違えば、世の中を賑わすような事件を
起こしていても不思議ではない状態でした。

誰がいつ殺人者になっていても
おかしくなかったし、
誰がいつ殺されていても
おかしくなかった。

幸いにして、そのような事にはなりませんでしたが、
紙一重の状態の事は、たくさんありました。

本来であれば閉鎖病棟に入院させておく事が
妥当な状態だったと思う人が身内には何人もいました。
そして、そうしなかった故に色々な方々に多大なる
迷惑をかけ続けていたので、そのような知識もなく
娑婆で自由奔放な暮らしをさせておいた
身内一同の罪もあると思います。

世の中を騒がしたような事件を犯した人の中にも、
家庭内に重度の精神異常者を放置しておいたか、
気づかなかった故に起きた事もあるかもしれません。
その場合、本来であれば被害者であるはずの人が、
加害者になっているようなケースもあると思います。
私の両親も弟の異常性に気づくのは遅すぎました。

だから、家族だけの問題にせずに、
行政など信頼出来る機関を頼る事も必要だと思います。

精神障害者移送サービスなどもあります。
中には、悪徳な所もあるようなので、
信頼出来る所に任せる事が必要だと思います。

スピリチュアル的には、毒親の元に生まれるのも、
カルマの法則でお互いの承諾あっての事
と言われたりしますが、
確かに、そうであるのかもしれませんが、
現状、目の前に苦しい課題があるのなら、
逃げようが捨てようが解決する何かが必要でしょう。
専門家を頼らなかった故に
事件などになる事もあると思います。

家の中は、波動装置

子供時代は、結構な時間を
家の中で過ごす事も多いと思います。

それだけに、家の中の波動の影響を知らず知らずの間に
受け取っている事も多い。

私の子供時代は、迷惑爺さんの事もそうですが、
父親も雷親父のような存在で怒鳴ってばかりいました。

借金取りからの電話も収まらず家の中は、
波動を下げる要素が満載でした。

父も爺さんも怒り満載の人でした。

引き寄せの法則で言えば、
それは、次から次へと
ネガティブな事を引き寄せるでしょう。

このシンプルな仕組みを反面教師として
教える為に、私は、あのような環境の元で
生まれ育ったのかなぁとも思います。

そして、私の波動も、かなり下がっているのが
当たり前の状態になっていたと思います。

世の中には、色んな家庭環境があります。

貧しくても愛情を注いでもらった人と、
そうでなかった人。

お金持ちであっても、親や育ての親からの
愛情を感じれなかった人もいるでしょう。

家庭環境は、みんなバラバラ。

かなり波動が下がっている家庭の子供を
どこかで波動調整する事も、
これからの世の中では、
必要になってくるかもしれません。

私の父も爺ちゃんも、父の弟も私の弟も、
家庭内を監視する何らかの仕組みがあったら、
みんな逮捕されていたと思います。

それだけ家庭内の事は、世の中には、知られていません。
事件としてニュースになっている事も氷山の一角でしょう。

この記事を書きながら、ふと思い出した事がありました。

大昔に斉藤一人さんのお弟子さんの一人と言われていた
故・芦川政夫さんのイベントに行った事があるのですが、
会場には、たくさんの人が来ている中、芦川政夫さんは、
私にも声をかけてくださりました。その時に、私の顔を見て、
あなたは小さい頃から「ダメだ。ダメだ。ダメだ。
と言われて育てられて来たのではないか?」と言われて、
その時は、私も全然、その意味が分かっていなかったのですが、
だいぶ経ってから、あぁ、やっぱり、
あの人は、分かっていたんだなぁと思いました。
私は爺さんと父に否定、批判されて育ちました。
とくに爺さんは、その要素が満載でした。

あの爺さんと父の元へ生まれて来たのにも
何らかの意味があったのかもしれません。

迷惑爺さんの直接の子供は、
私の父を含め皆、ろくな事になっていません。
爺さんの直接の子供は、皆、精神病になっていたと思います。

父も爺さんも小さな子供相手に容赦がない。
本気で怒鳴りつけ殴りつける人でした。

それは、厳しいのではなく、
ただ単に重度の精神病だったからでしょう。

迷惑爺さんは、自分の子供だけではなく、
孫だけではなく、生きている間は、
多くの方々に多大な迷惑をかけ続けた人でもありました。

その迷惑爺さんを精神病院に入れなかった罪は、
残された者達にもあったのかもしれません。

お爺さんは、知能指数が低すぎたのでしょう。
それだけに周りをバカにし続け、
自分の自慢ばかりしていたのでしょう。

本当の意味では、誰からも認められなかった。
だから、深い部分では、自分の頭の悪さを
必死で隠し通そうとしていたのかもしれません。

父も爺さんも精神的に弱く
恐れや不安を抱え続けていたから
ワーワーワーワーと怒鳴ってばかりいたのでしょう。

下へ下へと流すから、どんどん、おかしくなる。
一番の人格異常だった爺さんを何とかすれば、
未然に防げた事は、たくさんあったような気がします。

爺さんが入院

私の爺さんが入院してると聞いた時、
だから、何?と思った。
あんなモンが生きようが死のうが関係ない。
本気で、そう思っていました。

私は、10代でしたが、既に実家は、
出ていたので見舞いに行くのも、
面倒だと思っていた。

長い事、入院していたのですが、
どうでもいいから、ほっといた。

身内があまりにもしつこいから
仕方なく、一回、見舞いに行った。

管だらけでしたが
そのような状態でも、
ゾンビのような感じで、
嫌悪感が生じました。
来るんじゃなかったと思った。
それほどまでに異常な人でした。

大嫌いな爺さんだったので私は葬儀にも行かなければ、
四十九日などの法要にさえ行っていません。
罰当たりと言えば罰当たりかもしれませんが、
私は、それでよかったと思っています。

しかし、ご先祖様の中には、
怒り心頭の人もいたかもしれませんね。

そして、爺さんは、
いつ死んだとか知っていましたが、
爺さんの後、1人になった婆さんは、
いつ死んだのかさえ誰も知らない。

私の父や母や身内も知らない。
(私に教えてないだけかもしれませんが。。。)

私が知る限りでは、爺さんの死後、
しばらくして誰も会っていない。

だから私達は、葬儀さえもしていないし、
最後、病気であったなら見舞いすらしていません。

この事を私も私の家族も長い事、誰も気にしなかった。
そう言えば、どうしたんやろ?みたいな感じでした。

婆さんも迷惑と言えば迷惑でしたが、爺さんほどではない。

それなのに、誰も気にしなかったと言うのは、
それだけ変わった家庭だったのではないか?と思います。

爺さんを筆頭に低級霊に
憑依された人が多かった家系でもあると思うので、
家系の霊障と言えるかもしれません。

『親孝行は人柄による件』
https://t.co/THIIvWCAo9 #アメブロ @ameba_officialより

私の爺さんも、こんな感じでしたね。
私は、葬儀には、行っていませんが、
葬式の日に酔っ払いが
乱入する大乱闘だったそうです。
酒飲んで暴れる爺さんには、
ふさわしい最期と言えば最期でした。— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) June 19, 2021

爺さんも父も父の弟も私の弟も精神病。
精神病×精神病×精神病=精神病。
爺さんは、かなり重度の精神病でしたが、
一番最後の弟も、重度の精神病でした。

何故、そのような家系に生まれて来たのか?
それも、私の人生の一つの課題なのでしょうね。

私の爺さんが生まれ変わって、
最悪な人生を歩んでいるとしたら、
しょうがないよ。あなたの前世は、 
あんなんだったのだからと、
知ってる人は、思うでしょう。

私達、一人一人もそうで、
何処かに撒いた種があるから、
それを体験しているとも言えます。

私の人生も最初から、
地獄絵図みたいな状態だったので、
何処かに蒔いた種があったのかもしれません。

『またまたコスモボーさんのインスタ~』
https://t.co/df3nPyNbH5 #アメブロ @ameba_officialより

大嫌いな人は、大好きな人?— 毛🦀@スピリチュアルブロガー思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) July 5, 2022

↑のコスモボーイさんの話も、とても好きです。

また、少し話は、
変わりますが、毒親育ちでも、
それぞれの親や環境は、違う。

一概には、言えませんが、
親を捨てる事が今世の一つの
課題として設定して生まれて来ている
こともあるようです。

とても、そうは思えないなら、
その人にとっては、違うのでしょう。

私の家系で言えば、
父は、爺さんが亡くなるまで、
爺さんの奴隷。叔父も、父も、
人格障害になっていた。

身内関係の多くの人も
迷惑をしていた。

毒親を捨てる事は、
家系の負の連鎖を
断ち切る事でもあると思う。

毒親と何十年と関わっても、
結局、ろくな事は、ない。
ぐだぐだ言ってる暇があったら、
黙って捨てるか逃げるかしよう。

しかし、毒親と言っても、
皆、共通では、ないので、
それぞれの家庭事情、家系事情に、
よる所は、あります。

一説では、毒親=パーソナリティ障害。
と言う話もあって、毒親育ちの人の多くも、
自己愛性パーソナリティ障害の家系で育っているそうです。

黒歴史。30代、40代の女性100人に聞きました。人生で一番恥ずかしかった体験談。

恥ずかしい体験談集

今回は、外注さんに、 30代、40代の女性の方が人生で、 一番恥ずかしかった体験を集めてもらいました。

※この記事は、まだ途中なので、
100人分は、集っていません。

アマチュア無線やカメラが 趣味だと言っていた当時の彼。 かなりのお金を使っているのは、知っていましたが 彼の好きな事ならしょうがないと思っていました。 しかし、アマチュア無線やカメラは、表面上で 実際は、盗聴器や小型の盗撮カメラなどを 大量に購入していた事が発覚。ショックでした。 勿論、その彼とは、お別れしました。 (40代女性・既婚・会社員)

私の恥ずかしかった話ではないですが 人の不幸は密の味だったと言うか見ている こっちまで恥ずかしさが伝わって来た事。 色々ありますが、もしも、 自分だったらと思うとゾッとします。 (40代女性・既婚・会社経営)

小学生の時の修学旅行でオネショした事。 保健室の先生の巡回で機転を利かせて貰い 周りが寝ている中、別室に移動。 朝起きた同室の子達には、 夜中に具合が悪くなったので別室で 様子を見る事にしたと伝えてくれたようです。 保健の先生からは、私の他にも 2、3人いたから大丈夫。 心配ないと言う言葉を聞いて少し安心。 でも、大人になった今思うと 保健の先生の優しい嘘だったのかな?と思います。 (40代女性・既婚)

現在も進行形で恥ずかしい事ですが 実は、この歳で男性経験がありません。 その事を必死に隠しているのですが 周りに気づかれないかとヒヤヒヤしています。 (40代女性・未婚・会社員)

高校生の頃、体育の時間に 女子同士でジャージのズボンを下げ合う イタズラが流行っていました。 ジャージを履く季節は、 下にハーフパンツも履いているから 見られても一応は安全なのですが 体育祭の練習が終わって運動場から校舎に戻る途中。 後から明るい声で○○(私の名前)を呼びながら 凄い勢いで下げてきた友達。 いつもとは違うと一瞬で感じました。 私のジャージもハーフパンツも その下のパンツも全部一緒にズリ下がって 運動場でお尻丸出しになりました。 周りには、男子もいっぱいいました。 下げた友達も慌てて上げようとしたみたいで 私も自分で上げようとした手が絡み合い余計に お尻丸出しの時間が長引きました。 今思い出しても恥ずかしい。 (30代女性・既婚)

小中と体育の時は、ブルマでした。 中学生になると恥ずかしかったですね。 昭和時代の体育教師は厳しかったので 動けば暖かくなると言う理由で真冬の 大雪が降る中もブルマ。私より一学年下の子の時に 何か問題が起きたようでジャージOKになりました。 (40代女性・既婚)

中学生時代の事です。 田舎町の木造校舎。 全校集会などの行事の後は、 女子トイレが混雑していました。 特に冬場は、その傾向があって したくても、次の休み時間まで 我慢する女子も、それなりにいました。 私も、その中の1人でした。 次の休み時間も混雑していて そのまた次の休み時間も 混雑している時がありました。 次こそはしないとヤバイ感じになっていました。 授業中に何らかの理由を付けて 席を立つ事も頭によぎりましたが 内気な私は、次の休み時間まで耐える事を選びました。 1分が物凄く長く感じて苦しい。 早く楽になりたいと思って だいぶ時間が経過した後、 かなり苦しくなっていたので 少しだけお腹の力を抜いた その瞬間、生温かい感触と長い苦しみから やっと楽になれたと言う解放感があったのも束の間、 足元には大きな水溜り。ハッ!と我に返りました。 私は、中学3年生にもなってクラス全員の前で おしっこを漏らしてしまいました。 周りの視線。ざわめき。自分の顔から 血の気が引いて行くのが分かりました。 恥ずかし過ぎて気絶して倒れそうなぐらいでした。 もう学校には行けないと思いましたが 複雑な家庭事情があったので翌日、 勇気を振り絞って行きました。 有難い事に誰も、その事には触れずに とても優しくしてくれました。 でも、そこは女子。裏では、 色々言ってたみたいでした。それでも イジメられなかったのが不幸中の幸いでした。 (40代女性・既婚)

私は、何故か冬場になるとオナラが出やすい体質です。 事務職で周りに数十人の男女がいる中、ずっと我慢していた。 ある日の事。会社では何とか我慢できて早く家に帰って 出そうと思っていました。しかし、帰り道の駅の階段を 登っている最中に思いっ切り大きな音でやってしまいました。 恥ずかしさのあまり一目散に、その場から逃げ出しました。 (40代女性・未婚・事務職)

昔付き合っていた彼が お風呂前に私のお尻を左右に広げて鼻を埋めて お尻の臭いを嗅いできたり 赤ちゃんのお尻拭きでお尻を拭いてきたり かなりの変態だったと思いますが 恋愛経験が少ない私は、 恥ずかしながらも無抵抗だった。 (30代女性・主婦)

彼氏との初デートの時のことです。 遊園地へ二人で行き、乗ったことのない アトラクションにウキウキしながら二人で乗り込みました。 その時、薄暗い乗り場でわたしは どこから伸びているのかわからないパイプで頭部を強打。 ごーんという重低音が辺りに響き渡りました。 彼氏の目の前で超恥ずかしかったです。 ちなみに、彼もわたしにだけ恥をかかせまいと、 近くにあった椅子に自分の頭をぶつけてくれてました。

掃除をさぼっていた男子を、 「ちゃんと掃除しなよ!」と怒ったら、 その子は双子でさぼった方じゃなかったので、 あとでめちゃめちゃ謝りました。

小学生のころ、わたしは夏休みの宿題の 水彩画を絵の上手な姉に描いてもらい、 先生に提出しました。もちろん自分が描いたということにして。 それからしばらくして、先生に呼ばれました。 なんと、わたしの提出した絵が、 県で最優秀賞を受賞したというのです。 たくさんのひとからおめでとうと祝福していもら、 県庁まで行って表彰を受けました。 穴があったら入りたいとは、このことでした。

20人くらいの集団で「いっせーの!」で じゃんけんをして、わたしひとり負けたことです。

好きなひとと出かけ、張り切っておしゃれしていきました。 二人で座って写真を撮って、とっても楽しく過ごせました。 後日、写真を現像して見てみると わたしのミニスカートがめくれあがってパンツが見えて しまっていました。恥ずかしすぎて、 その写真を彼に見せることができませんでした。

スーパーで、母を見かけたので 後ろから抱きついてみると、 まったくの赤の他人でした。

車をバックで駐車場に入れる際、 まだ初心者の私がまごまごしていたら、 通りすがりのインド人に めちゃくちゃ丁寧に誘導されたことです。

育休もそこそこに職場復帰したわたしは、 まだ母乳が出ていたため、 会社の更衣室でこっそり搾乳をしていました。 その現場を同僚(女性)に見られてしまい、 顔から火が出る思いでした。

バレーボール部の万年補欠部員だったわたしは、 エースアタッカーがアタックの 練習をする手伝いをよくやらされていました。 彼女がアタックを打ち、それをわたしたち補欠が 何層にもブロックをするというものです。 わたしは張り切ってやっていると着地に失敗し、 体がふらついたためネットに 手を伸ばし、支えて転倒をまぬがれました。 が、ネットを突いたわたしの手は、 エースアタッカーの胸を押していたのです。 わたしはとっさに気づかぬふりをしましたが、 アタッカーは妙な表情をしていたのと、 身に覚えのある柔らかさを 思い出すと今でも変な汗が出ます。

高校生だった頃、ちょっと尖っていたわたしは 先生にもそっけない態度を取っていました。 しかし、そんなときでもやたら 親切にしてくれる先生がいて、 なにかと目にかけてくれていました。 当時、わたしはそんなふうにされることも 照れくさくて恥ずかしかったので、 つんつんした態度をしていました。 ある日、職員室に呼ばれていつになく真剣な話 (今後どうするんだみたいな話)をされ、 わたしはブスッとした顔をしていましたが、 突然わたしのおなかがぎゅううううっと鳴り響きました。 先生は気づかぬふりで話を続けていましたし、 わたしも知らんぷりをしていました。 が、やっぱり可笑しいのか、先生が噴き出しました。 本当に恥ずかしくて余計にイライラしてしまった自分を、 今では恥ずかしいなぁと思います。

トイレで大をしていたが、トイレットペーパーが 無いことに気づき、外の人に助けを求めたことがある。

遠距離恋愛をしていた頃、 久々に彼が帰ってくるので なにかプレゼントをしようと考えました。 いつも身に着けてくれるものがいいな、 あっ、パンツなんてどうだろう。 おしゃれなパンツだったらきっと気に入ってくれるはず。 そう考えて選んだパンツを持って、 私は彼に会いに行きました。 プレゼントを渡したあと、 いつもならどこかへでかけるのですが その時の彼はじっとして動きません。 「俺と、別れて欲しい」 突然のことに、わたしは言葉が出ませんでした。 え?なんで?どういうこと? 混乱して、やっと出た言葉は 「やっぱりね、そうだと思ってた」 強がりだったのでしょう、 わたしも理由も聞かずすんなりうなづきました。 「これ、最後のプレゼントありがとう」 帰っていく彼を見つめ、別れを予想すらしてなかった わたしがあげた最後のプレゼントがパンツだったなんて、 といまだに恥ずかしいやらおかしいやらで もやもやします。プレゼントを見た彼も、 どういう顔をしていたのでしょうか。

彼からのプロポーズ。「結婚してくれ」 と言われたが、そのときわたしは 急な腹痛でそれどころではなかった。 頭の中はトイレでいっぱいだった。 すまない。(結婚したけど)

授業中、先生を「お母さん」 と呼んだことがあります。

昔見た時代劇で、松方弘樹扮する 悪いお殿様が倒れている罪人の背中に向かって 立ち小便をするシーンが、 わたしの初恋となってしまったことです。

父親と同じ名前の 彼氏と付き合ったことがある。  色々と恥ずかしかった。

地元で吹奏楽OBたちの演奏会に、 司会を頼まれ張り切っていたわたし。 打ち合わせもしっかりし、 本番が始まるとわたしの声とスムーズな進行で 場内は熱気を帯びてきました。 わたしも、高揚を抑えつつなんとか 佳境で盛り上げようと思った瞬間、 予想もしなかったところで 言い間違えをしてしまったのです。 わたしは恥ずかしさと 自分の不甲斐なさに思わず 「チッ」と舌打ちをしてしまいました。 場内はパッと現実に戻ったような空気に。 コンマスが小声で「舌打ちしちゃだめ」 と言ったシーンを思い出すと、 膝が震えてくるようです。

一晩で露出狂を連続して 二人も見たことです。

小さいころ、親戚たちが集まる場があり、 子どもたちだけで遊んでいました。 みんなでかくれんぼをしていたら、 鬼であるわたしの履いていた ズボンに穴が開いていて、 パンツが見えていたことが発覚。 死ぬほど恥ずかしかったです。

小学生の時、すごく仲の悪かった女子の 髪の毛を一本入手して、友人とふたりで 紙に包んで燃やした。呪いのつもりだったが、 その友人がしっかり日記に書き、 次の日先生に呼び出されて本気で心配された。

電車の席で居眠りして隣に座っていた 見ず知らずの男性に抱き着くようにして 眠っていた事。(30代。未婚。)

父が待ち時間が苦手な人で レストランに行っても、病院に行っても まだか、まだかと急き立て怒り、 お店の人に文句を言う人だったので 子供時代から父と一緒に、そう言う所へ出かけるのは、 苦痛だし恥ずかしかった。(40代。既婚。)

海外の絶叫系の乗り物に乗った時に 恐怖のあまりおしっこを漏らした事。 私じゃなくて彼氏が(笑) (30代。未婚。)

大学時代にピンク系のお店で アルバイトしていた時に 先生がお客さんで来て気まずかったです。 (30代。会社員。)

貧乳で貧尻の私。若い頃は、 それが良いと言われてたけど この歳になると周りの若い子達より 華奢なのは、何か恥ずかしいと言うか みっともなく思います。 (40代。既婚。)

私の恥ずかしかった体験は、 私一人で墓場まで持って行く覚悟です。 (40代。自営業。)

スカートにトイレットペーパーを
尻尾のように巻き付けて気付かずに
平然な顔して歩いていた事。
(40代。既婚)

初Tバックを履いたら
T部分に汚れが。。(30代)

彼が学生時代、悪でヤンキーだったと
昔の武勇伝を語ってました。
薄々、嘘だと気づいてたど
実はイジメらっ子だった事実を
彼の昔をよく知る人から聞いた時。
ってか昔の悪さ自慢する男多いよね。
聞かされる方は、うんざりって事に気づいて欲しい。

当時、陰キャのような感じだった
男友達から聞いた話です。
中学校の時の帰り道、
本屋さんに立ち寄ったら
学校のヤンキーの先輩(中3女性)の
自転車があったので本屋の中に
いると思っていたそうです。
彼は、当時、中1。

本屋さんの外に段差のある
和式トイレがあって
開けたら、何とその先輩が
大きい方をしている真っ最中だったようで。
一瞬だけど、お互い気づいたそうです。

鍵を閉め忘れた人も悪いけど
男友達も、ヤバイと思ったそう。
翌日、怒られるかなと
思っていたようですが
その女性と目が合うと
彼女の方が恥ずかしそうに
うつむいていたそうです。

彼にとっては、
一安心だったようですが
相手の女性は、ヤンキーとは言え、
心は、乙女だったようです。

海外移住で年金生活は可能なのか?

海外に移住すると、
国民保険の加入義務は、なくなるそうですが、
海外に移住して国民年金を受け取ることが出来るのでしょうか?

日本国民ではないのだから貰えないような気もしますが
過去に払って来た分があるので、どうやら貰えるらしいですね。

勿論、受給要件を満たしていることは、条件ですが、
他にも色々と細かい規約のような事もあるので、
年金受給者の誰もが可能と言う訳ではないようですが。。。

インド、タイ、ミャンマー、ネパール、
などの国は、物価が安いと言われています。

日本の国民年金では、持ち家等がないと生活が厳しい。

賃貸のアパートなどでは、よっぽど家賃が安かったりしないと、
中々、厳しい側面もあります。だから、今後、海外に移住して、
年金生活をする高齢者の方が増えるかもしれません。

日本で厳しい生活を強いられている人が、
海外移住で遊んで暮らせる。見方を変えると面白いですね。

しかし、高齢になってから、
海外に移住すると言うのは、
金銭面以外で抵抗がある人も多いかもしれません。

慣れ親しんだ日本を離れ生活環境も大きく変わる。

いざ、行ったは、いいけど、
海外生活が合わず、
日本に舞い戻ることも、
あるかもしれない。

物価が安くても、日本より治安が、
悪かったりする事もあるので、
お金を盗まれたりとか、
そう言った事にも気を付けないといけない。

それぞれの国の法律などもありますから、
その辺でも問題が生じることもあるかもしれない。

でも、老後に海外移住を希望する人は、
実際に増えているそうですね。

また、障がい者が貰っている障害者年金でも、
海外移住しても貰えるらしいです。これに関しては、
20歳前の障害か20歳後の障害かが関係してくるようです。

どのような障がいかにもよると思いますが、
障がい者年金の受給者であれば、若くても、
海外移住で年金生活も可能となるようです。

幾つかの専門家の意見が書かれたサイトをリンクします。

海外在住でも受け取ることができる日本の公的年金

障害年金って海外に移住しても受給できますか?
移住後の障害年金は?
海外在住者が知っているとお得な年金情報

障害者年金について、海外移住した場合はどうなるの??

また難しい話になって来そうなので、
ここから先は、外注の方に記事をお願いしました。

ではここからは外注より
「海外移住で年金生活は、可能なのか」をご説明します。

日本に住んでいる限りは、
現役の頃と同じ生活水準を維持するのは難しいようですね。

そこで、物価が安く日本人でも住みやすいと言われている
地域への海外移住を選択肢のひとつにするひとが増えています。

リタイア後の主な収入源となる年金。
これはきちんと納めていればどこであってももらえます。

年金を請求する権利と、
それを受給する権利はきちんと確保されています。
安心しましたか?

さて実務のお話ですが、まず移住するときに
「年金の支払いを受ける者に関する事項」という届け出をします。

その内容は、住所変更と振り込み口座番号を届け出るというものです。
これより先に、年金を受け取る銀行口座を用意しておく必要があります。

次に、「租税条約に関する届出書」を提出します。
日本で年金を受け取るとき、年金のうち老齢年金は課税対象になります。

反対に、非課税となるのは障害年金や遺族年金です。
課税対象となる老齢年金を受け取る場合、
所得とみなされるため所得税が引かれて口座に入金されます。
このような制度は海外でもあり、海外で受け取る場合にも適用されます。

つまり、二重に課税される場合があるのです。

それを防ぐために、租税条約を結んでいる国に移住するときに
「租税条約に関する届出書」を出すことになっています。

そして、日本でも海外でも必要な手続きが「現況届」です。
毎年、誕生月の時点で自身の現況を届け出ることにより、
自分が生きていて年金を受給する権利を有していることを
確認してもらうためのものです。

前述の障害年金についてですが、
こちらも老齢年金と同じで海外でも受け取ることができます。

ただし、それは20歳になってきちんと
年金保険料を納付していたひとが持つ受給権です。

20歳より前に障害を負った場合、
年金を受給する権利はありません。納付をしていないからです。

だからといって20歳前に障害者となったら
国からの金銭的な救済がないわけではなく、
そのようなケースでも障害年金を受け取る制度はあります。

しかし、これは生活保護的な側面があるため、
受給するための審査はとても厳しいのです。

そのため、この場合の障害年金は受給者が
海外移住をすれば当然ストップするのです。

さて、移住先にはどのようなところを
選べばいいかが気になるところですね。

できれば、今の生活と似た環境で
暮らしたいと、誰もが思います。

一時の海外生活ではありません。

これからの人生を過ごす場所です。
真剣に考える必要があります。

「社会保障協定」という制度を知っておくことも大切です。
これは、別々の国同士で違う年金制度について、

それぞれの国での年金加入期間を加算できるというものです。
現在、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・オーストラリアなどの
16ヵ国と協定を結んでいます。これらの国へ移住する場合、

年金受給年齢に満たない場合でも
移住後に年金を納付すれば受給年齢に到達後、
きちんと年金を受け取れます。

ただし、このような手続きは言葉や習慣の違いもあるため、
日本国内でできる限り済ませておく方がいいでしょう。

住みやすさでいえば、まずアジア圏を思い浮かべる人も多いはずです。
近隣の国々には馴染みが深く、文化の交流も盛んです。

微笑みの国タイは、毎月10万円程度のお金があれば、
日本での30万円相当の暮らしができると言われています。

日本食にも困ることなく、国民の97%が仏教徒なので
風習や信仰も親しみやすいでしょう。インドネシアにも、
暑さをうまく凌げて過ごしやすいバンドンというところがあります。

オランダ人が多く暮らしていた歴史があるので西洋化されているようです。

フィリピンも、少し郊外に住めば20万円ほどの年金で
プール付きのコンドミニアムに住むことができます。
もちろんメイドを雇い入れ、家事などはすべてメイド任せです。

日本人が多く住む地域では、日本人向けサービスも充実しています。
     
反対に、ヨーロッパやオーストラリアは、
日本人には人気の国ですが移住条件が厳しいのです。

年間所得の下限が高く、
数千万円程度の資産を保有しているか、
その国の不動産や国債を
一定額購入することを条件としているところが多いです。

これでは、「日本での年金生活が大変なので
物価の安い海外で暮らす」という目的に当てはまりません。

それぞれの移住先には、リタイアメントビザの
獲得のための条件があります。事前に調べて、
自分の年金や資産がその要件を満たしているかを
確認しておきたいところです。

また、言葉や食生活なども現地に馴染む努力はある程度必要です。
家に閉じこもらずに新しい土地での生活を楽しむ余裕を持って、
海外移住を考えるべきでしょう。「日本での年金生活が苦しい」という理由だけでは、
どこへ行っても充実した日々を過ごすことは難しいのです。

ですから、自分の知らないことを知り、それを面白く感じるように
気持ちを前向きに過ごすことがなによりも大切ですね。

リチャード・クレイダーマンとは、どんな人?代表曲は?

私、あまり音楽を聴く習慣がないので、
リチャード・クレイダーマンの名前も知らなければ、
曲も知らなかったのですが、今回、聴いてみて、
どこかで聴いたような曲が多かったです。

しかも、心地良い曲が多い。

今回、ざっくり聴いてみて、
私が良いなぁと思った曲は、

渚のアデリーヌ

午後の旅立ち

レディ・ディー

愛のオルゴール

星のセレナーデ

リストの愛の夢

栄光の40年 [ リチャード・クレイダーマン ]

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だけど、普段、音楽を聴かない私は、
クレイダーマンと言う名前を最初に、
聞いた時、スパイダーマンの仲間かと思っていました。

曲名もクッキーなどの
お菓子の名前のようで、
アニメを連想しました。

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少し調べたら滅茶苦茶に有名な人らしいですね。

この記事は、私が書くよりも、詳しい人に、
おまかせした方が良いと思い外注にしました。

それでは、これより先は、外注記事になります。

リチャード・クレイダーマンは、1953年生まれ、
2022年現在68歳のフランスのピアニストです。

本名はフィリップ・ロベール・ルイ・パジェスと言います。

彼は、パリ郊外のロマンヴィルで生まれ、
音楽教師をしている父の影響で
5歳の時に自然とピアノを弾き始め、楽譜を覚えます。

12歳で世界有数の音楽学校である、
パリ国立高等音楽・舞踊学校(コンセルヴァトワール)に入学。
16歳の時に首席で卒業しました。在学中も天才と称されます。

その後ロックに傾倒。
一流のミュージシャンの
バックバンドとして経験を積んでいました。

音楽センスが豊かな若きピアニストということで、
デビューのきっかけとなる、プロデューサー兼作曲家
オリビエ・トゥッサンとポール・ドゥ・センヌヴィルが、
ニュー・イージーリスニング・ミュージック“くつろぎながら、
楽しめる軽音楽“の波を作ろうとピアノスターを探していました。

当時はディスコ音楽が全盛となっており、音楽が過激に走って行く時代の中、
あえてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴えるものとなり、
芸名も「リチャード・クレイダーマン」、
デビュー曲も「渚のアデリーヌ」と既に決まっていたといわれています。

プロデューサー兼作曲家のオリヴィエ・トゥッサンは彼について、
「ソロのピアニストを探していて、
その中から、彼があらゆる意味において我々と一緒に
仕事が出来るピアニストだと思った。私が求めていた優しさを伝える何かを持っていた。

今のようにスターというか「いい顔」ではなかった(笑)

しかし、彼はカリスマ的な何かを持っていて、内に秘めている
冷静だけれども、強い炎があるような気がする。」
と言っています。

「渚のアデリーヌ」は38カ国で2200万枚のセールスを記録した。
それ以来、インストゥルメンタルの分野における
世界的なアーティストの一人となりました。
この話を聞き、当時のビクター音楽産業がデルファン社と
リチャード・クレイダーマンに関する日本での独占販売契約を締結しました。

渚のアデリーヌは「アデリーヌ」は
作曲者のポール・ドゥ・センヌヴィルの次女の名前です。
この曲が完成した時、生まれたばかりの娘、アデリーヌに捧げました。

デビュー当時はピアノのテクニック、音楽性、
そして容姿のいずれにおいても優れていた為、
「ピアノの貴公子」とも呼ばれました。

また、毎年世界各国で300日前後の
コンサートをしていることを受け、
ギネスブックに「世界で最も
成功したピアニスト」として認定されています。

日本では、1980年に初のコンサートを開き、
「ニュー・イージーリスニング・ミュージック」
として注目されるようになりました。

初来日以来、毎年日本でコンサートを行うほか、
全世界通して年300日はコンサートをしています。

日本では、その名を初めて広めたのは
以外にも「渚のアデリーヌ」ではなく、

1981年のシーボン化粧品の
コマーシャルで流れた
「愛のコンチェルト」であり、
このコマーシャルは当時頻繁に流れました。

たとえ曲のタイトルを知らなくても曲を
聴けば誰でもわかるような曲となりました。

2011年に起きた東日本大震災で
他のアーティストが予定していた公演を
見送られましたが、
彼は予定どおり来日公演を行い、
その翌年にも被災地を訪れ、
公演を行ったことでも有名です。

日本のテレビ番組へも出演しています。
NHK教育の「趣味悠々」の枠で1998年1月8日から4月2日に放送された
「リチャードクレイダーマンのピアノレッスン」で講師として、
彼の代表曲を毎回登場する生徒にレッスンを行っています。
また、これも日本では誰でも知っている「徹子の部屋」にも出演した経験もあります。
近年のリチャード・クレイダーマンは、
今でも毎日2時間くらい練習しており、

新しい曲を習得する際は1日に

4時間から6時間練習する時もあるといいます。
「渚のアデリーヌ」は彼自身も一番好きな曲と言っています。

彼が尊敬するミュージシャンは
ほとんどジャズ・ミュージシャン。
ハービー・ハンコック、チック・コリア、
ジョー・サンプル、フランス人のミシェル・ペトルチアーニ、
アメリカ人のブライアン・カルバートソン
が大好きとインタビューで答えています。

リチャード・クレイダーマンのお人柄については、
才能にも容姿にも恵まれつつも、
とてもシャイな性格で、物静かな性格です。

休日も出歩くことは滅多になく、本来はインドア派。

お仕事以外はあまり外出されないそうです。
自宅でピアノを弾いたり、音楽を聴いたり
読書をして過ごすことが多いとのことです。

ピアノを集めるのがご趣味で
自宅にたくさんのピアノがあり、
日本製のものもあります。

また、外出する時も運転手付きの
立派な車ではありません、

愛車のBMW自ら運転するか、
友人とバスや地下鉄に乗って出かけるような日常です。

楽屋で用意される飲食物も
シャンパンやキャビアなどの豪華で
贅沢な食べ物ではなく、
サンドイッチとミネラル・ウォーターと
リンゴがあれば充分ですと答えています。
お酒やたばこも一切、嗜みません。
まさに、ピアノのため、
音楽の為に生まれてきたような人です。

彼の代表曲からも、美しいメインメロディーと
シンプルでわかりやすい曲。
また、誰でもどこかで聞いたことがあるといった曲のため、
いつかピアノで弾いてみたいと思われる方も多いでしょう。

また、華やかで魅力的なメロディーが弾き映えするので、
発表会でも人気の曲となっています。

代表曲の「渚のアデリーヌ」については、
ピアノを習っている子どもで「ブルグミュラー」
というピアノ教本を弾けるぐらいの
レベルでしたら、弾くにはそこまで難しい曲ではありません。

大人で、ピアノ練習にブランクがある方や、
これからピアノを習ってみたいと思われる方でも、
弾けるようになる曲です。

しかも、「何か弾いて」と言われたときにも
誰もが耳にしたことがあるような曲です。
弾き手にとっても、聴き手にとっても楽しめるような曲ばかりです。

音楽は人を感動させる力があります。
多くの人を魅きつけた、
リチャード・クレイダーマンの曲は後の世代にも
引き継がれることでしょう。

ミスチル桜井さんのインスピレーション。

ミスチルの桜井さんは、
歌詞も曲も、ほとんどが、
インスピレーションで降ってくるそうで、
曲作りで苦労した事は、ないと言います。

それ以外では、色々、苦労されていると思いますが・・・。

自分で考えてやっていたら、
中々、あれだけ多くの名曲は作り出せなかったでしょう。
桜井さんは、きっと宇宙と繋がっている人だと思います。
だから、インスピレーションで宇宙から音源と歌詞を取り、
それをこの世で再現するのが彼のお役目なのだと思います。

桜井さん自身も、何かのインタビューで、
どれだけ自我を取り除くか、
自然に近づくかを行う事で、
曲が降って来ると語っていました。

これって、宇宙と繋がるチャネラーや、
スピリチュアルな人達が語っている事と、
共通している事だと思います。

桜井さんの作った曲。
ミスチルの曲は、宇宙の曲であり、
だから多くの人が共感し数々の名曲が生まれたのでしょう。
桜井さんにとって曲作りは、井戸から湧き出る、
湧き水のようにインスピレーションが、
湧いて出て来るものであるそうです。
歌詞も自分でも思いもしなかったモノが、
湧き出て来る事があると語っていました。

眠っている時に、歌詞が思い浮かび、
起きてメモして、また寝てと言う事もあったとか。
でも、これも、スピリチュアルな本などを読むと、
枕元にメモ帳を置いて、寝起きなどに、
夢で見た事やインスピレーションが湧いたことを、
メモ帳にメモした方が良いと書かれていたりもしていて、
やっぱり、桜井さんは、スピリチュアルな要素が、
濃い人なのかなぁと思います。

また、桜井さんの体に関してですが、
昔は、結構、華奢であったような
イメージがあった桜井さんですが、
最近は、ジムなどに通ったりして、
体がガッチリしてきた印象があります。

小脳梗塞で倒れられた事もあって、
以前より、筋トレは、控えめにしているそうですが、
それでも、やっぱり、相当なトレーニング量であるとの噂です。

だけど、桜井さん曰く、
元々、太りやすい体質であるらしく、
昔は、ダイエットで痩せていたそうです。

今は、太りやすい体質を活かして、
バルクアップをしている感じでしょうか?
だけど、野外ライブなどで、あれだけ動いて、
歌っていれば、消費エネルギーは、
相当なモノでしょうから、
ダイエットをする必要など、
そもそも、なかったような気もします。

年齢も、1970年3月8日生まれの48歳らしいですが、
いつまでも、若々しく見えますね。
福山雅治さんなんかも同じぐらいの歳だったと思いますが、
自分のやりたい事を仕事にしている人と言うのは、
若さを保っている人達が多いですね。
勿論、そう魅せる為の陰の努力もされている事だと思います。

他のミュージシャンの方達もミスチルの桜井さんの事を、
あれだけの逸材は、中々いないと多くの方が認めているようです。
だから、桜井さんは、やっぱりスピリチュアルなお役目がある人で、
スピリチュアルなメロディーを世の中に提供しているのだと思います。

レンタルフレンド?家事代行?クライアントパートナーズ「女性だけの便利屋繁盛記」を読んでみた。

このようなサービスを行っている会社があることは、
以前から知っていましたが、もう今は、
勢力が衰えているような気がしていたのですが、
逆に今、勢いに乗っている所もあるようです。

ラファエルさんの動画を見たら、
それも、そのはずだと思いました。

クライアントパートナーズ

スタッフが全員、心理学などを学んでいる。
それは、基礎勉強のようなことで、
他にも色んなことを学んで、その道を極める。

凄いプロ集団だと思いました。

しかし、探偵と一緒で同業者が多数います。
中には、どうしようもない会社もあるようです。

ご利用する際には、どの会社を選ぶかが重要です。

まったく同じサービス内容でも、
サービスの質が全然違うと言うことがあります。

クライアントパートナーズさんは、
同業他社の中でも、かなり評判が良いとの噂です。

また、人気が出てくる会社や商品には、
よくある話ですが、会社名や商品名を
真似て人気を取ろうとする類似のモノも増えます。

例えば、会社名が微妙に違ったり、
まったく同じ会社名で株式会社や
有限会社の部分が違ったり、
色んな方法で似せて来ます。

表側であるパッケージをどれだけ似せても、
中身であるサービスの質が劣っているなら、
それは、まったくの別物です。

はじめて利用する際には、
そこも気をつけなければなりません。

しかし、類似のように見えて、
正規の代理店と言うこともあります。

↓こちらは、本部に確認させて頂きました。
↓正規の代理店様のようです。

クライアントパートナーズ名古屋店

女性だけの便利屋繁盛記

女性だけの便利屋繁盛記 心の隙間を埋める女たち/安倍真紀

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この本を読んでみました。

本の見開きページに従業員と
代表の方の写真がありますが美女が多い。

ラファエルさんの動画に
出演されていた人も美女達でした。

これも一つの戦略なのでしょうか?

しかし、シニア部門で、
おばあちゃんなどもいるようです。

まず、この本を読みはじめて、
最初に感じたことは、
クライアントパートナーズさんは、
心の便利屋であると言うこと。

それぞれが、その分野を極めたプロの集団。

カウンセラー的な要素で
心に寄り添うお仕事のようです。

カウンセラーと違うのは、
外に出て行動もすると言うこと。

だけど、世間一般的な便利屋のように
引越しの手伝いとか、草むしりなどの
仕事の依頼は、まず来ないそうです。

それも、当然と言えば当然かもしれません。

心の便利の仕事も多岐に渡る。

依頼者の方も様々でしょう。

依頼を受けて、
どのスタッフが
適任かを判断する。

本の中の一部を抜粋させて頂きますが、
このような一文が書かれてありました。

仏教には、こんな話がある。

言葉を発しなくてもわかるのが仏の世界。

言葉が通じるのが人間界。 言葉が通じないのが畜生界。

心の便利屋さんである、
クライアントパートナーズさんの
お仕事は、スピリチュアルな
仕事とも言えるかもしれませんね。

心と心を繋ぐお仕事をされている。

だから、従業員採用の基準も、
人の気持ちが分かる人を
第一優先で採用しているそうです。

著者でもあり代表でもある
安倍真紀さんが、便利屋を
立ち上げようと思い立った、
きっかけも「心」だったと言います。

心が失われている時代に、
心のサービスを提供したら
絶対に成功すると言う
自信は、あったようです。

最初は、自分一人で
便利をやっていたそうです。

しかも、ネットの時代に、
敢えてアナログで宣伝をする。

その行動力も勿論ですが、
その、やり方も凄いなと思いました。

一つ一つの依頼を
死ぬ気で、こなしていたそうです。

ただ、本の内容に関して言えば、
はじめの方が凄かっただけに、
その後は、こんなことがありました
と言う事例を紹介していただけなので、
少しだけ残念にも思いました。

もっとも、事例を紹介するから、
どんな活動をされているか
分かるのですけどね。

かなり難易度が高いと思える
仕事の依頼もあるようです。

それを見事にこなすのが、
クライアントパートナーズさん。

海外では、エリートの人がストレス対策の為に、
セラピストを雇うのは、普通のことなのに、
日本だと、心の問題を放置されていることも多い。

そのセラピスト的な役目も担っているようです。

日本では、稼ぐ金額の有無を問わず、
心がズタボロでも放置され過ぎな所がある。

その心の穴を埋めるのが
クライアントパートナーズさんの
お仕事であるようです。

素晴らしい仕事だと思いました。

カウンセラーなどを頼るのは、
そのような機関を
利用したことがない者にとっては、
最初に行くまでの敷居が高い。

その点、便利屋は、
利用者側からしてみれば、
気軽に頼みやすいと言うメリットもある。

私の父も爺さんも問題の多い人でした。
と言うことは、私も、その可能性がある。

機会があれば、利用してみたいですね。

本の最後に、私にとっては、
衝撃的な言葉がありました。

もし親みたいになりたくないと 思った時には、

すごく困難な 人生を歩むことになる。 何故なら、

やっていること、物事の捉え方のすべては、

親から引き継いでいるのだから。

私も爺ちゃんの事が大嫌いでしたが、
爺ちゃんも自分の爺さんか、
自分の父になる人かは、分かりませんが、
恐らくは、大嫌いだったのでしょう。

そして、私の父も、恐らくは、
自分の父である爺さんのことが
嫌いであったと思います。

親嫌いが繰り返されていた。

そう言えば、親が好きな人は、
周りからの評価は、ともかくとして、
わりと人生が上手く行く傾向がある
と私自身、このブログの
どこかで書いていました。

しかし、まだ、本当の意味では、
私自身、分かっていないのでしょうね。

親以外でも仕事にしろ人生にしろ
師に惚れるから身に付くことも多い。

さとりのホ・オポノポノを読んでみました。

さとりのホ・オポノポノ 手放すほどに豊かになれる楽園ハワイの魔法 /ヒカルランド/マベル・カッツ

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気になったので、
この本を読んでみました。
先日、読んだ、まきろんさんの
本とも共通項がありました。

アマゾンレビューにも、
賛否両論の意見があるので、
合う人もいれば、
合わない人もいると思います。

ホ・オポノポノは、
私も中途半端にやったつもりではいますが、
効果の程は、未だに実感していません。
しかし、多くの方が、
ホ・オポノポノの効果を言われているので、
これは、確かで簡単なツールだと思っています。

自分を愛すると愛してくれる人々が寄って来る。

外側の世界をコントロール
しようとすることは、無意味。

Mamica『お金を稼いでなくても価値はある。』
https://t.co/MuwlxHiYbK #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) April 3, 2021

ホ・オポノポノの大前提として、
すべての原因は、自分にあるとされています。

現実に起きる、
どのような問題も、
自分の潜在意識が、
過去の記憶を再生している。

DVDでも映画でも、
ビデオテープでも、
中身のフィルムがなければ、
再生されない。再生しても何も映らない。

私達の現実も、そんな感じらしいです。

目の前の現実は、
過去の記憶が再生されている。

だから、それを、
ひたすらクリーニングするのが、
ホ・オポノポノ。

少し、この本の内容から外れますが、
故・川田薫さんは、ありがとう。
ごめんなさい。あいしてるよ。
ゆるしてください。この言葉を、
それぞれ単独で続けて唱える。

それは、頭の中でも
心の中でもいいのですが、
例えば、「ごめんなさい」なら、
それを、ひたすら、繰り返し唱える。

今度は、「ありがとう」を繰り返し唱える。
「あいしてるよ」を繰り返し唱える。
「ゆるしてください」を繰り返し唱える。

そのやり方を薦めていました。

冨士金弥生さんは、「ごめんなさい」を
繰り返し唱えると過去のクリアリングが出来るので、
まずは、「ごめんなさい」を繰り返し唱えるのが
良いと言うようなことを言われていました。

外側には、問題は、一切、存在しない。

すべてが自己責任。

あの人が悪い。この人が悪い。
と人間は、ついついやってしまいがちですが、
それらも、すべて自分の記憶の再生。

すべて自己責任ですが、
罪悪感を持つ必要は、ない。

外側の世界には、誰も、いない。

私の記憶が再生されている。
大元のフィルムをクリーニングする。

自分の中にすべてが在ると言うことを
頭ではなく、ハートで理解するようにする。

自分が変わると、周りのすべてが変わる。

潜在意識の過去の記憶とは、
過去世や祖先の記憶のすべて。

だから、原因を探っても分からない。

現実の出来事の殆どが過去の記憶の再生。

ネガティブな記憶を山ほど抱えている。

それを、ひたすらクリーニング。

クリーニングすべきことを
山ほど抱えているので、
すぐに効果が実感できなくて当然です。

人は、関係ないんです。
すべて、自分の記憶に対する反応です。

それぞれの人が、
それぞれの自分の記憶によって、
コントロールされている。

何か問題が起きた時も、
100%自分に責任がある。

この本を読みながら、
私がホ・オポノポノをやったつもりになって、
イマイチ効果を実感できなかったのは、
100%自己責任と言う部分が、
弱かったからかなぁと思いました。

自分の中の何かが、
その問題を引き寄せた。

同じような問題が繰り返し起きるのは、
分かりやすい記憶であると思います。

その記憶があるからリピート再生されている。

私達は、記憶や固定観念に、
支配されている事がよくある。

だけど、クリーングする時に、
どの記憶が消去されているかは、
知らなくてもいいし分かるモノでも、ない。
膨大なデータの中の何かが消去されている。

クリーニングを続けることで、
過去の支配から脱却できる。
その支配から卒業できる。

頭の中で歌を歌うように、
繰り返しクリーニング。

顕在意識の記憶もあれば、
潜在意識の記憶もある。

一人一人が、そうなのですから、
世界は、記憶で動いているとも言える。

パソコンのプログラムと、
人間の記憶は、似たようなモノ。

その記憶があるから、
その通りに動いている。

随分前に読んだ夢枕獏さんの
「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」と言う本の
一箇所に、記憶があるから人間なんだと言うような
一文がありましたが、人間は、記憶で出来ている。

過去のどうにもならないような記憶に
アクセスして感情が暴発する事もある。

怒ってばかりいる人も、
その記憶が、そうさせている。

人格障害の問題も世の中の一部では、
言われていますが、それを引き起こす、
記憶が消去できていないから、
その人は、その記憶によって感情が引き起こされ、
その結果としての言動や行動パターンになっている。

だから、ヒューレン博士が
ホ・オポノポノで精神病者の患者を
治療することなく治した
と言うことが起きるのでしょう。

感情も再生されたプログラムなのですが、
感情は、極めて強力なプログラム。

感情に振り回されるような
こともあるのですが、
その感情を選択し続けるか、
手放すかを決めているのも自分。

外側の現実の世界の現象は、
私の記憶の一部の再生。

それを、あの人が、この人が、
あの出来事が、ああでこうで、
どうのこうのとやっていれば、
一向に問題は、解決しないと思います。

外側の世界には、誰も居ない。

誰も何もしていないんです。

私の記憶が再生されているだけです。

映画館でフィルムが上映されているのと同じです。
(最近は、デジタル上映らしいですが。。)

肉体があるのでリアルに感じます。
危害を加えられれば怪我をするし、
事故や病気で死ぬ事もありますが、
それも記憶通りに再生されている。

避けられようのない事は、
魂で、決めて来た事もあるかもしれませんが、
クリーニングで改善されることもある。

あらゆる出来事は、
私の記憶によって
生み出してる産物です。

だから、すべてが自己責任なのです。

また、「ごめんなさい」と「許してください」は、
否定的に感じる方もいると思いますので、
その時は、「ありがとう」「愛してるよ」
「大好きだよ」の三つでいいと思います。

私も、どちらかと言うと、
こちら寄りの考えです。

ホ・オポノポノは、アセンションの為の最終ツール?

肉体を持って既にアセンションしたと
言われている光子さんと言う方が、
ホ・オポノポノは、アセンションする為の
最終ツールだと言われています。

今日、明日で結果が出ると言うモノではないですが、
これを2ヶ月ぐらい本気でやって
何かが変わったと言う人達の色んな話も聞いていたので、
私も、この機会にやってみようと思いました。

勿論、これまでにも、やってみた事はあるのですが、
三日坊主どころか、三分坊主のウルトラマンでした。

統合ワークなどもやっていたのですが、
やったつもりになった感じと言いますか、
イメージも上手くできず、ちょこっとやって、
結局、これもまた、3分坊主で終わっていました。
ホ・オポノポノも一つの統合ワークだと思いますので、
今度こそ続けてみようと思い、今現在は、継続中であります。

ありがとう。
ごめんなさい。
ゆるしてください。
あいしてます。

この言葉を頭の中で繰り返し唱える事で、
潜在意識のクリーニングがされると言われています。
潜在意識の中のメモリーをクリアにする。

潜在意識の中の情報が自分の意識を動かしている。
色んな記憶が再生されている。
ホ・オポノポノは、このメモリーの消去の為に行う。

100%自分に原因があると言う前提で、
このメモリーの消去を行う。

ホ・オポノポノは、
カルマなど色んなモノを溶かして行く。

自我を溶かし真我に繋がる事も出来る。

インナー・チャイルドの癒しも出来る。

クリーニングで私の闇を消す事が出来る。

ホ・オポノポノは、悟りへ至る道である。

ホ・オポノポノは、空や無に還る道である。

これらの効果が得られるホ・オポノポノは、万能かもしれません。
だからこそ、光子さんもアセンションに至る最終ツールと
言われているのかもしれません。
光子さんが最終ツールと伝えているのですが、
光子さんは、ホ・オポノポノの創始者であるモーナさんから、
メッセージで、そう伝えられたそうです。

微妙ですが、私は、以下の言葉の方が、
やりやすさを感じました。

ありがとう。
ごめんね。
ゆるしてね。
あいしてるよ。

統合ワークでもゼロポイントと言う事が言われていますが、
ホ・オポノポノをやっていると自然と
そちらに導かれて行くような気がしました。

だけども、ホ・オポノポノも合う合わないなどもあるようで、
人によっては、怒り狂ったり、イライラが収まらなかったり、
何か爆発しそうな感情が襲うと言う事もあるようです。

しかし、それらは、私も最初の頃は、その症状が出ていたので、
その時は、しばらく休むか、統合ワークにすると言う事にしました。
結局、その時は、何をするにも中途半端だったのですが、
今の所は、ホ・オポノポノに落ち着いています。

最初の頃は、家の中でやっているとイライラが収まらないので、
日中に太陽や自然を見ながら頭の中で繰り返し唱えていました。
夜は、外の風景、夜空や月などを見ながらやっていました。
仕事中にも頭の中で唱えている事がありました。

だんだん、頭の中で唱える時間が増えて行きました。

機械的に唱えているだけだと、
何事も中途半端な私は、またすぐに
やらなくなってしまうので、
リズムを刻んで曲風にしたりお経風にしたりで、
頭の中でホ・オポノポノを唱えました。
これは、意外と楽しくなるので
波動的には、良いのかもしれません。

しかし、相変わらず怠け者の私は、
またすぐにやらなくなってしまうので、
そんな時は、夜に蝋燭を立てて、蝋燭の炎が消えるまで
(10分~15分位の間)だけでも、やったりしました。
蝋燭の炎を見ると言うのは、ホ・オポノポノ以外の効果もあるようです。
以前、保江邦夫さんの本を読ませて頂いた時に、
暗闇の中で蝋燭の炎をぼーっと眺めていると
自我を消す効果があると言うような事を言われていたと思います。

ホ・オポノポノをやっていると、私を含め、
イライラしてしまう人も多いようですが、
人や出来事に対して唱えるわけではないと言うこと。
あくまで、自分の中のメモリーに対して唱える。
ここが分かると、イライラする事も減って行きます。

減っては行きますが、唱えている時に、
過去の色々を思い出したりして、
イライラする事は、あります。

イライラし過ぎる時は、先に、怒りの解放。
吐き出しが必要な場合もあるかもしれません。
(吐き出しについては、アメブロをされている
天寿(寿虎)さんの記事を読まれるといいと思います。)

爆破ワークもいいかもしれません。

爆破ワーク

嫌な人が思い浮かんで仕方ない時には、
箱に入れて爆破させる統合ワーク。

これも並木良和さんが
提唱していた方法だったと思いますが、
イメージで木箱を用意して重たい周波数を形にして入れる。
人でも何でも入れていい。嫌な人ごと入れてもいい。
(嫌な人ごと爆破しても、その人に影響が出るわけではない。)

その木箱に蓋をして木箱の下にダイナマイトを置いて、
導火線に火をつけて木箱ごと爆破させる。
飛び散った破片は、金色の粒子になった事をイメージして、
元の高い周波数に変換。その金色の粒子を
深呼吸しながら自分の体に入れる。

少し内容が違ったかもしれませんが、
こんな感じの方法だったと思います。
思い出すだけでもイライラする人や、
憎くて憎くて仕方がない人。
そのような人が思い浮かぶ時には、
この方法が(も?)お薦めだと思います。

ホ・オポノポノの話に戻りますが、思い出も、ただの映像。
自分が体験した事でも客観的に見ると言いますか、
自分が体験した事を自分ではないような視点で見る。
自分は幻想で本当の自分は別の所にいるような視点で見る。
例えが良いのか悪いのか分かりませんが自分離れする。
そのような癖付けをする事でもイライラが減って行きます。

私も本来、見た目とは裏腹に
四六時中イライラしているような者ですから、
自分自身を客観的に見れないと、
とてもじゃないですが
ホ・オポノポノなど出来ない状態でした。

外をクリーニングするのは、ズレ。
外(人)を変えようとするのも、ズレ。
誰かや何かを許しますとか、ごめんなさいと思うのもズレ。
それがズレだと分かって唱えていると、
そのズレも、段々、修正されて行くような気がします。

現実は、バーチャル。現実は、夢。

ただ、ひたすらに、
自分の中のメモリーをクリーニングする。

また、あくまで一説の話になると思いますが、
順番も、どう言う順番でもいいし、
カルマ解消には、ごめんなさいと、
あいしてるだけでもいいと言う話もあります。
取り敢えずは、どれか一つだけでもいいそうです。

辛く苦しい現実ばかりが映し出されるなら、
まずは、ひたすら、ごめんさいが、いいらしい。

まだ、実感として何かを
感じたわけではないですが、
何か進展がありましたら、
この記事の続きに書きたいと思います。

霊能力の話

霊能力の力が凄くても、
それが人格と比例するわけでは、ない。

霊能力が凄くても、その人が、
霊的に高いわけでも、ない。

霊や神と名の付く世界は、
ピンからキリまである。

何処と繋がるかは、
受け手である人間の要素によって決まる。

だから、人間的に、
う~んと思うような人の
霊能力が、どれほど凄くても、
その人が繋がっている先は、やっぱり、
そう言う所なのだと思う。

見えるとか、当たるに、
惑わされては、いけない。

天照大御神のエネルギー??十言の神咒(とことのかじり)を読んでみました。

この本も、このブログの
読者様から教えて頂きました。

十言神呪(とことのかじり)/石黒豊信

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ネットオフ ヤフー店

十言とは、十の言葉。

 ア・マ・テ・ラ・ス・オ・ホ・ミ・カ・ミィ~
(1・2・3・4・5・6・7・8・9・10)

最後は、ミィ~と伸ばすようですね。

十言の神咒とは、十の神歌のことであるそうです。

そして、10回繰り返して唱えるといいらしい。
(30分ぐらい唱えると良いと言う説もある。)

一つ一つの言霊の中に神が宿っている。
一つ一つの言霊の中に神の歌が込められている。

十言の神咒の咒の字は、
呪の旧字体のようですが、
咒う(のろう)、咒い(まじない)、
咒う(まじなう)などの意味があるそうです。

十言の神咒の咒は、神の咒い(まじない)

悪いモノを祓う咒(しゅ)でもある。

そう言えば、般若心経にも
呪が付く言葉が多く使われていますよね。

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪

能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪

即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦

呪いと言う文字は、ネガティブな認識で
捉えてしまう事も多いですが、
本来は、そのようなネガティブな意味合いでは、
なかったのかもしれないですね。

丸山修寛先生の解説

本を読む前に丸山先生のユーチューブを見てみました。

クスリ絵で有名な丸山修寛先生は、
立体カバラと言う商品を製作されていたようですが、
それと、十言の神咒がリンクすることに気づかされた。

それも何かに導かれるようにして導かれ、
十言の神咒の本の中に求めていた答えが書かれてあって、
随分と驚いたと話されていました。

難しい説明は、何だか難しくて、よく分かりませんでしたが、
内面宇宙が外面宇宙。外側にあるモノは、内側にもある。
そのような原理として働いている。

十言の神咒の平面図と、
生命の樹の平面図が一致したそうです。

一霊四魂

荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)
幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)

私達は、神の分魂でもある。

中心に、直魂(なおい)と呼ばれる魂があって、
それが、一霊と呼ばれるモノ。

そこから、荒魂、和魂、幸魂、奇魂へと、
それぞれに繋がっている。

ですが、四魂には、過去世の
カルマなども溜まっているそうです。

だからこその、十言の神咒。

フタフタカムユケ

フタフタカムユケと言う言葉。
祓い言葉で、この言霊の効果は、
凄いと言われていました。

私なりの解釈では、
フタフタカムユケは、
幽体や霊体の周りに、
くっつけている埃や汚れや穢れを
取り除く言霊だと思いました。

丸山先生は、フタフタカムユケは、
カタカムナウタヒの
ミスマルの珠の蓋を取る役目
と言うようなことを言われていました。

一霊四魂の中の直魂(なおい)に、
ミスマルの珠がある。

一霊四魂の所で四魂には、
カルマなどが溜まっていると書きましたが、
フタフタカムユケは、それらを取り除き、
業因縁が抜けて行く。業因縁がぬけて行くと、
一霊四魂の一霊である直魂に繋がるそうです。

読書感想

丸山先生の解説を見てから、
この本を読みはじめたので、
正直、はじめの方から、
丸山先生の話より、
難しく感じる部分がありました。

だから、十言の神咒を、
より深く知りたい方でなければ、
丸山先生の説明を
聞くだけでも十分かもしれません。

この本の著者は、
石黒豊信さんと言う方ですが、
十言の神咒を授かったのは、
門田博治さんと言う方であったようです。

門田先生は、十言の神咒については、
多くを語らず、21世紀になれば、
分かるというようなことを
言われていたそうです。

一番最初の図では、
「あまてらすおほみかみ」の音の響きを
神霊界、幽界、現象界の三つに分けられ、
ぞれぞれの意味が書かれてありました。

最後にミィと音を伸ばすのは、
一番最初のアに帰り循環する為。

肉体の中に霊的なモノが存在し、
さらに、その奥には、神の性、
仏の性が存在している。

私達には、神や仏と同じ
エネルギーが体の奥にある。

人間が、この世に誕生する意味。
その一つは、業因縁の消去。

人間は、業因縁に動かされ、
生きている。だけど肉体の中に、
本当の自分が存在している。

人間には、元々、十言の神咒の
正しい組立てが備わっている。

しかし、人間によって、
その組立ては、違うようです。

人間の進化の過程は、
人間界である現象界を卒業し、
幽界を卒業し、神霊界へ昇り、
さらに上津彼方へ昇ることとあります。

肉体と言う壁を
取り除くことによって、
己の本質が現れる。

人間の体は、小宇宙で、
外側の宇宙と同じモノが、
私達の体の内側にもある。

十言の神咒も、
外界を示す組立てと、
内界を示す組立てが対応していて、
それが一霊四魂に影響を与えている。

丸山先生の解説に、
フタフタカムユケは、
ミスマルの珠の蓋を開けるとありましたが、
この本を読むと、その蓋は、簡単には、
開かないと書かれてあります。

この蓋が開くことをタマヒラキと言うそうです。

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