愛本店ナンバーワンから芸能界へ。カリスマホスト城咲仁。実は、お父さんもカリスマだった???

もう、昔の人なので、
元カリスマホストと言うべきかもしれませんが、
愛本店のナンバーワンとして一世を風靡した人です。
当時、TVにバンバン出演されていた時期もありました。
今は、芸能人になられています。

芸能界入りのきっかけは、
タレントのベッキーさんの紹介であったそうです。
今は、彼女と同じ事務所であるサンミュージックに所属されています。

愛本店のナンバーワンなので、中々、羽振りもよかったと思いますが、
芸能界では、イマイチ、パッとせず、貧乏時代も経験して、
今は、ごく普通の生活をされているような気がします。

だけども、そのような姿を見て、
落ちぶれたと思う人もいると思いますが、
むしろ、人間的な成長をしていると思います。

ホストとして、どれほど凄くても、
芸能界では、自分の力が通用しなかった。
ナンバーワンホストとしてのプライドが、
ズタボロになるような事もあったと思う。

実際に、坂上忍さんに、みんなの前で、
お前、なにも出来ないんだよ。認めろよって事で、
怒られた事もあったそうです。その後、別室に呼ばれ、
まずは、出来ない事を受け入れろと言われたそうです。

芸能界も、ホストも、華やかな世界に見えて、
似ている部分もあるように感じられますが、
どちらにも、それぞれの大変な部分があると思います。

メディアや漫画などでは、
華やかなホストの世界を映し出されていますが、
ホストの世界と言うのは、実際は、閉鎖的な世界です。
芸能界も芸能村と言われるように、閉鎖的な部分があります。

一般の多くの人には、本当の所が伝わっていない。

城咲仁ほど、有名ではなくても、
ホストから芸能界に行った人は、意外と多くいます。
だけど、芸能界で無理だと、あきらめ、
ホストに戻って来る人も多くいるらしい。

城咲仁さん自身、ホストとしては、超一流だったけど、
ホストの仕事だけに、一流であっただけで、他の事は、
何にも出来ないんだなぁって、芸能界に入った事で、
思い知ったと言っていました。

だけど、そうやって、自分を客観的に認められると言う事は、
中々、素晴らしい事だと思います。

ホストと言っても、エグイ事をやっているホストも多いのですが、
彼は、色恋営業も、枕営業もしないクリーンなホストだったようです。
彼は、現役時代、ドンペリコールもされた事がなかったそうです。

ホストとしてクリーンな営業をしていたからこそ、
芸能界で惨めな思いをしたり、貧乏生活を経験しても、
ホスト業界に戻ると言う事をしなかったのだと思います。

ホストの世界で、あれだけ売れた人なら、
歳がいっていても、業界の内部事情が変わっていても、
本質的な事は、同じだから、ホスト業界に戻れば、
当時ほどではないにしても、割と楽に稼ぐ事は、出来ると思うんですよね。
不足分を稼ぐ為に、芸能界とホストの
二足の草鞋を履く事も出来たでしょう。

それをしなかったのは、やはり、
自分のホスト人生は、終わったと言う、
明確な線引きをされていたからでしょう。

ホストを卒業して、一皮向けて、
また、一段と、いい男になったと思います。

ホストとして、あのまま行っていたら、
お金も稼げてチヤホヤされていたと思いますが、
芸能界に行った事で視野も広くなり、謙虚になり、
人間的な成長をされたとも思います。

ホストの世界は、1年やらそこらで、
有名になる事も出来ます。
それで大金を稼ぐ人もいますが、
井の中の蛙大海を知らずと言う状態の人も多いかもしれません。

城咲仁さんのホスト時代を知っている人は、
あれだけの大口叩いたのだから、芸能界で、
もっと売れてくれとの思いがあると思います。
だけども、芸能界は、水商売ではない。
だから、売れるにも、それなりの時間もかかると思います。

そして、いつかは、芸能界でも、
大輪の花を咲かせてくれるかもしれません。

随分昔の話ですが、彼がホストをされている時、
まだ、彼がメディアにも出る前の事ですが、
当時、色んなお店のホストの
紹介動画が見られるサイトがありました。

それを見た時に、その中で、
彼の自己PR動画のようなモノに一番、惹かれました。
その数年後に、彼がメディアに出演され輝いているのを見て、
やっぱり、私の人を見る目は、
間違っていなかったと確信を得たのを覚えています。
だから、芸能界でも、いつかは、
今よりも、もっともっと、輝いて欲しいと思います。

2018年、現在のニュース情報では、
スペイン料理レストランで、
統括マネージャーとして働きながら、
芸能活動もされているとの事です。

城咲仁さんは、ホスト引退後に、
渚カヲルと言う元ホストとコンビを組んで、
漫才をやっていた時期もありました。

この、渚カヲルと言うホストは、
現在、吉本興業所属のお笑い芸人で、
ランディーヲ様と言う名前で活動されているようです。
と同時に、歌舞伎町で、BARのお店も経営されているようで、
彼の元には、必然的に、元カリスマホストなどが集まるようです。
渚カヲルさん本人には、その自覚がなくても、
色んなホストの繋ぎ役として存在していると思います。
歌舞伎町を一世風靡した、カリスマホストの
頼朝さんなども、その一人です。そんな頼朝さんも、
残念ながら昔のような勢いが感じられません。

だから、いくら、ホスト時代に輝いていても、
それは、やっぱり、過去の栄光でしかないのかもしれません。

名前を覚えていませんが、かなり古い時代のホストで、
愛本店でナンバーワンだった人で、引退後、
歌舞伎町で焼き鳥屋を開業した人がいました。
その人が言うには、ホスト時代は、夢を見ていた。
いい夢を見ていた。今は、夢から覚めて現実を見ていると、
何かのインタビューで語っていました。

その言葉が、私は、ホスト業界の、水商売の、
真実と言うか、真理であるような気がしました。

 

中華料理屋の息子

城咲仁さんのご実家が、
中華料理屋なのは、
有名な話ですが、仁さんは、
跡継ぎが嫌で家を出られたそうです。
それが今では、
親御さんとの共同でお店に、
来れない人でも食べられるように、
冷凍炒飯を開発されたそうです。

何か微笑ましいですよね。

それを受け入れてくれた親父さんも
すごく懐の深い人だと思う。

城咲仁さんは、
元カリスマホストですが、
城咲仁の親父さんは、
今も現役のカリスマ料理人だった。
死ぬ間際まで厨房に立つのかもしれない。

何にしても、城咲仁の凄さは、
この親父さん譲りだと言うことが、
よく分かる動画でした。

良き親子関係は、やはり大事。

どのような関係であっても、

芯のようなモノが伝わる。

この親父さんがホストをやっていたら、
城咲仁を越えるカリスマホストになっていた気がします。

城咲仁も苦労人だと思いますが

それを遥かに越える苦労をされている。

この親父さんは、本当に、 人間国宝のような人だと思いました。

ホストクラブの歴史と質の変化。今と昔。

今は、テレビや漫画などでも、
取り上げられる事も多いので、
ホストクラブと言う存在がある事を、
ほぼ、誰もが知っている状態だと思います。

だけど、ホストクラブの歴史は、
意外と短いです。まだ、100年も、
経っていない状態であると思います。

30年ほど前であれば、
ホストクラブは、それなりにありましたが、
まだまだ、一部の人達にしか、
知られていない存在でありました。

世間一般の多くの人は、
ホストって何?って感じでした。

初期のホスト時代。
ホストクラブは、店舗数もホストの数も少なく、
今と変わらないのは、辞める人が多かった事ぐらい?

昔のホストクラブは、
お忍びの場所と言った感じだった。

ホストも自分達は、表社会に、
いられない人間だと自覚していた。

ホストクラブは、秘密の場所。

ホストは、ヤクザではないが、
カタギでもない。裏社会の人間。

お店のナンバーワンは、
確かに凄い。だけど、
それを目指すよりも、

資金を出してくれる女性を見つけて、
昼の商売をはじめる。そうやって、
表舞台に返り咲く。そのようなホストも多かった。

まぁ、今でもホストをやって、
女性を捕まえてヒモになる人もいるようなので、
必ずしも、お店で結果を出すだけが、
道では、ないのかもしれない。

昔のホストから見たら、
今のホストは、軟弱化している。
サービスの質も下がっている。

昔と今では、客層も違えば、時代も違う。
時代の変化に合わせる部分も必要。

だけど、古き良き部分は、
もっと、残しておきたかったのが、
古き時代のホストの声かもしれません。

今は、営業時間も、早朝営業をしていたり、
営業時間もバラバラです。
風営法の関係で深夜営業が、
出きなくなったなどの事情もありますが、
一昔は、そんな事は、お構いなしに、
深夜営業が当たり前でしたし、
キャッチも当たり前に行われていました。

歌舞伎町などは、ホストのキャッチ合戦でした。

今は、見た目も、細見のジャニーズ系とか、
その辺にいる、お兄ちゃんと何ら変わらない
ホストさんも多いですが、
昔は、コワモテ系の人達が多かったです。
努力、根性、忍耐、腕力の戦国時代でした。

昔であれば、今の大半のホストは、
やっていけなかったと思います。
だけど、昔の厳しい時代は、
売れる要素のあった人を、
潰していたと言う側面もあったと思う。

今は、どこのホストクラブも、
騒がしく、ドンちゃん騒ぎを
しているような店が多いですが、
昔のホストクラブは、静かな
隠れたお店と言う感じがありました。

シャンパンコールや
ドンペリタワーなども、
ありませんでした。

だから、昔の、売れていたホストに言わせると、
今のホストクラブは、コンパの延長線上で、
あんなのは、ホストクラブではないと言う人も多いです。

昔は、社交ダンスがあったり、
年齢層も幅広く、立派なエンタテイナーであった。
今のホストクラブには、品がない。
そんな声も多く聞きます。
ホストもお客様も全体的な年齢層が下がって、
子供のお遊びのようになっている。

たしかに、ドンペリコールは、盛り上がったり、
売上を上げる為には、有効かもしれませんが、
ホストクラブの品格を下げた部分は、
否めないかもしれないと私も、思います。

しかし、どの業界でも、時の流れの影響を受ける。
時代に合わせた変革、改革は、必要です。
時代に合わない事をやっていても生き残れません。

今は、お店も増え、ホストの数も増えた。
昔とは、違う意味での戦国時代だと思います。

だけど、いい側面もあると思うのです。
昔は、結構、エグイ感じの営業の仕方を
しているホストも多かったのですが、
今は、わりと、普通に営業されている店や
ホストが増えてきたようにも思います。

一昔前に売れていたカリスマホストと呼ばれる人達は、
今、貧乏になっている人達も多い。
ホストしてどれだけ売れていても、
自分のお店を出したり、違う事業を立ち上げたりで、
一時的には、上手くいくのですが、失敗した人も多い。
そんな人達が、今、また、出戻りホストをやっている。
そんなケースも多い。

ホストで売れて調子に乗ってしまう人も多い。
ホストをやった事で人生が狂ってしまった人もいる。

だから、ホストとは、テレビや漫画で見るほど綺麗なものではない。
汚い部分が、いっぱいあるのがホストの世界であります。
そのギャップに耐えられず、辞めていく人も多い。

だけども、時代の変化として、昔と比べたら、
ホストの世界は、だいぶクリーンになってきたとは、思います。
飲むのが仕事ですが、飲めないホストも増えているそうです。

給料面の待遇や保証などは、
昔とは、比べ物にならないほど、よくなりました。
しかし、昔も今も変わらないのは、
売れなければ、貧乏で、売れたら、
高額な給料となる。

そして、多くの人達は、売れないまま去っていく。

ジゴロと言うホストの漫画は、
昔の、ホストの世界の事をよく描いているなと思う漫画です。
一説によると、この漫画のモデルとなった人は、
昔、愛本店で、人気ホストであった、千葉哲也さんであるそうです。

愛本店には、夜王のモデルになった、
流星さんが、在籍されていた時期もありました。

愛本店の創業者。ホストクラブのドン。
愛田武さんが、亡くなられたそうです。
彼の影響は、ホストの世界では、絶大でした。
愛田社長にお世話になったホスト、
愛系列で働いたことがあるホストは、数知れず。
歌舞伎町でも偉大なる存在の方でした。
ご冥福をお祈りします。

売れっ子ホストの月収。

昔は、そこそこ人気のホストでも、
100万円がいい所だった。
それ以上のホストも一部いたようですが。。

お客様が、お店で使ってくれても、
お店から引かれる金額も多かったので、

その分、裏引きと言う、
店でお金を使ってもらうよりも、
店以外でお金を使ってもらう、
ホストも多かったようです。

だから、月収で比べるなら昔と今のホストでは、
比べようがない所もありますが、一桁差で、
換算するのが丁度いいぐらいかもしれません。

昔のホストの月収100万円と、
今のホストの月収1000万円ぐらいが同じ価値。

ニュー愛のナンバーワン。伝説のホスト・零士さん。

カリスマホストの零士さんを知っていますか?
昔、よくTV出演をされていて、
メディアのパワーをバンバン使って、
自分の名前を売り込んだ方です。

このような言い方をすると、
ホストとしての実力が、
あまりにないようにも思えるかもしれませんが、
愛本店系列のニュー愛で、23歳でナンバーワンになり、
その後、12年もの間、ナンバーワンであり続けた人です。
愛本店に在籍していた時期もあるらしいです。
当時は、檀さんと言うナンバーワンホストの、
ヘルプであったらしい。

零士さんは、12年のナンバーワンの経験を得て、
独立され、ディオスと言うお店を歌舞伎町に出されました。
その後、六本木、ディオスも出されました。

零士さんがバンバン、メディアに出演するまでは、
ホストクラブと言う存在を知らない人も多く、
ホストと言う仕事がある事を世の中の多くの人は、
知らなかったような時代であります。

また、零士さんが、独立された頃も、
まだ、歌舞伎町にホストクラブの数は、
それほど、多くは、ありませんでした。

だから、零士さんは、ホストの革命児であり、
零士さんが、メディアに出演しだしてから、
ホストの認知度が高まり、
ホストと言う存在を知らしめたと思います。

また、昔は、今と違って、
10代や20代のホストっと言うのは、
少なかったそうで、社会人経験もないうちに、
ホストなんてやるものではないと言うような、
風潮もあったそうです。その流れを変えたのも、
零士さんなのかなぁと思います。

ホスト時代の初期、中期、後期と
分けるなら零士さんは、初期の終わり頃から
中期のはじめの方の人だと思います。

初期の段階だと若造が
ホストなどやるものではないと言われ、
中期の段階だとホストの寿命は短く、
23歳~25歳ぐらいで、
ホスト引退と言う流れのようなものもありました。

だけども、確かに、今は、30代から、
ホストやるなんて遅すぎるみたいな感じになっていますが、
それなりの社会人経験や人生経験を得てから、
ホストと言う道を歩む方が、もっともらしいのかもしれません。
その方が、人格的な部分では、しっかりした人が、
多くなるのではないか?とも思います。

だけども、どっちがいいかとは、言えませんし、
30歳を過ぎてからだと若さや体力を武器には使えなくなる。
しかし、昔は、30代から始めるホストもそれなりにいたわけで、
その流れと可能性は、やっぱり、残しておいた方が、
よかったのかもしれないとも思います。

今も、30代からホストを始める人もいますが、
そのような人は、少数だと思いますし、
30代以上で、未経験でホストを始めるのは、
今の時代には、敷居が高くなっていると思います。

楽天市場Amazonby カエレバ

零士さんの話に戻りますが、
私も当時、よく零士さんの出演している
TV番組を拝見しましたが、めちゃくちゃ明るくて、
面白い人だなぁと思っていました。

何かのインタビューで語っていましたが、
当時、お店から貰っていた給料は、月に1000万円。
毎日のチップ総額は、それ以上であったらしい。
その当時と言うのは、まだ、シャンパンコールも、
ドンペリコールもない時代であったと思います。
ホストの認知度も、ホスト遊びをする人も、
今より、全然、少ない。
その時代に、それだけの給料を貰えると言うのは、
売上は、どれほどあったのか?想像を絶すると思います。

だけども、昔のホストの一つのメリットは、
バブリー時代を経験したと言う側面もあります。
しかし、昔は、今の厳しさの非ではないぐらい、
ホストの世界は、厳しい所であったと聞きます。

零士さんも、見た目や雰囲気では、
分かりづらいですが、
元、暴走族であったらしい。
だから、根性も、あったのでしょうし、
ヤンキー上がりが多い
ホストの世界に上手く、なじめたのでしょう。

昔、零士さんが、書いた本を読ませて頂きましたが、
中々、面白いものでありました。

しかし、本を読んで感じたのですが、
零士さんは、色恋営業をしていたのではないか?と思いました。
別に、ホストの世界では、
それが、当たり前であった部分もあるのかもしれませんが、
その世界に、携わった事がない人間から見ると、
少々、エグイかなぁと感じる部分もあります。

そして、カリスマホストが、
現役を引退して、ホストの世界にいても、
イマイチ、パッとしないホストも多い中で、
今でも、その名を知らしめている零士さんは、
やっぱり、さすがだと思います。
芸能界とのパイプが太い事でも、有名なホストです。

私は、零士さんには、
お会いした事はありませんが、
過去にナンバーワンホストだった人や、
ナンバーワンホステスだった人に、
お会いした際に感じたのは、
必ずしも、人格や人間性が、
素晴らしい人達ばかりではないと言う事です。

特に、昔の水商売は、
かなりエグイ要素もありました。
今の事は、分かりませんが、
ナンバーワンと言うのは、
一番売り上げが多い人がなる事は、
昔も今も、同じです。

その目的を達成する為に、
手段を選ばない人がいると言うのも、
ある意味、仕方がない事かもしれません。

むしろ、水商売の世界でナンバーワンである人より、
その辺にいる、普通の人達の方が、
人格やら人間性が素晴らしいと思える人は、
たくさんいました。

勿論、水商売の世界で、
ナンバーワンになると言う事は、
過酷な中で競争すると言う、
それは、大変な事だと思います。
それだけに、綺麗な心を持ったまま、
ナンバーワンになったり、あり続けると言う事の、
難しさもあるのかもしれません。

だけど、昔より、今の時代の方が、
心が綺麗なままで売上を上げている、
ホストさんや、ホステスさんが、
増えているような気もします。

まぁ、気がするだけで、
実際の所は、分かりません。

ホストとして凄くても、
引退して会社をやったりして順調に見えても、
10年後、20年後を見た時に、
残念な結果になっている元ホストも多い。
そんな中で、10年後も20年後も
成功者であり続ける零士さんは、
やっぱり、さすがと言うべきホストだと思います。

また、零士さんは、独立が、ご法度の時代に、
独立したと語っていましたが、
あの当時、既に何店舗も歌舞伎町には、
ホストクラブがありました。

だから、ある一定のルートを通してなら、
独立が可能だったと思いますが、
そのルートの許可と言うのは、
中々、降りなかった事だと思います。

ホストクラブが少ない時代は、
お店を増やされては、
自分の店の客が他店に奪われるなどの事情も
今より大きかった部分もあると思いますし、
零士さんが、ご法度だったと言うのは、
その辺の問題があったような気がします。

昔のホストクラブは、
ナンバーワンになった後に、
今みたいに独立と言う流れは、
やりずらかったのだと思います。

とくに愛系列のホストの独立には、
厳しかったものがあるのかもしれません。

零士さんが独立した時は、
30歳を過ぎていたと思うのですが、
零士さんが全盛期の頃は、
若いホストが当たり前の時代になっていたので、
独立するしないは、別として、
25歳ぐらいで引退を考えるホストが多かったそうです。

また、零士さんの話の中で、
この人、まともだなぁと思ったのは、
同じ一円を稼ぐにも、夜の仕事で稼いだ一円は、
昼の仕事で稼ぐ一円よりも遥かに簡単に稼げる一円。
その事を分からず昼の仕事をやっても上手く行かない。
そんなような話をされていました。

歌舞伎町で多数のカリスマホストを生み出した。トップダンディーと言うホストクラブ。

トップダンディーと言うお店があります。
TVなどにも、度々、登場したりします。
一つのお店ではなく、グループ系列のお店が、
歌舞伎町には、いくつもあります。

過去には、カリスマホストの流星さんや、
頼朝さん、真樹京介さんや、鶴見一沙さん、
信虎さん、吾郎さん、天海丸さんなど、数々の、
有名ホストが在籍していました。
現在も、トップダンディーグループで、
活躍しているホストの方もいます。

トップダンディーアイオスと言うお店がありますが、
そこは、ホストの年齢層が高めであるそうです。

シャンパンタワーやドンペリコールの、
発祥のお店とも言われているトップダンディー。
これで、売上を上げれるようになった側面もありますが、
昔のホストから言わせると、これが、
ホストのサービスの低下の始まりであったとの声もあります。

昔の歌舞伎町、昔のホストは、
アウトロー色が濃かった要素もある。

双方の言い分も分かりますが、
やっぱり、時代は、変化しているので、
今の時代には、今の時代のホストが必要だし、
今の時代に合わせたサービスが必要であると思う。

だけど、古き良き部分も残し伝えていく事も大事だと思います。
トップダンディーに行った事がある女性の話だと、
昔は、満席で入れない事も、よくあったとの事です。

元愛本店のナンバーワンであった、あの愛沢光さんも、
トップダンディーグループの系列店で活躍されているそうです。
DOLCE1 (ドルチェワン)と言うお店の経営者と言う事になるのでしょうか?

そう言えば、昔、ジゴロって言うホストの漫画が、
何かの雑誌に連載されていて、私は、床屋に行く度に、
その漫画を読んでいて、のめり込んだのを覚えています。
今でも、単行本として、発売されているそうです。

しかも、この漫画の主人公は、上杉と言う人なのですが、
この、モデルとなったのが、昔、愛本店に長年在籍して、
近年まで、お爺ちゃんホストとして活躍されていた、
千葉哲也さんであるらしい。
愛田社長と同じぐらいの年代の方だったと思います。
千葉さんも昔は、カリスマホストとして有名であったらしいです。

今は、トップダンディーの他にも、AIRグループなど、
色んなホストのチェーン店があるようですが、
今でも、老舗的なグループチェーンで最も有名で力も大きいのは、
やっぱり、トップダンディーではないか?と思います。

トップダンディーは、あれだけのグループの規模の大きさを持ちながら、
現在も、ホスト業界に君臨されていると言う事は、
経営的な側面で言っても、非常に、
学ぶ事が多いのではないか?と思います。

カリスマホストが独立して、お店を出しても、
あっと言う間に潰れてしまう事も多い歌舞伎町。
そこで、あれだけの巨大勢力を抱えて、
今日まで続いていると言う現実。

グループの規模や歴史と言う背景を合わせて言えば、
トップダンディーは、ホストの頂点のグループであるかもしれません。

しかし、しかし、規模が大きすぎて、
サービスの質が下の方まで行き届かないと言うような、
デメリットもあるのかもしれません。

カリスマホストをたくさん生み出しているのも、
トップダンディーの特徴と言えるかもしれません。

その昔、トップダンディーでも、かなり力のあった
流星さんや頼朝さんは、一時は、独立され、
歌舞伎町に、フェイズ(流星さんの店)と
竜宮城(頼朝さんの店)がありましたが、
どちらとも既に閉店されています。

だから、プレイヤーとして凄くても、
経営能力は、別物と言えるかもしれません。

日向吾郎×流星[THE対談 Vol.02]https://t.co/3UWdjaPdjJ— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) October 26, 2021

トップダンディーに限らず、
ホストとして年間何千万と稼いでいた人が、
独立してお店を出しても、一年持たなかったと言う類の話は、
結構、ザラにあると聞いた事もあります。

高見翔さん

トップダンディーの経営者は、
高見翔さんと言う方のようで高見会長と呼ばれています。

トップダンディーだけではなく、
グループダンディーと呼ばれるように、

多数のホストクラブの経営に成功されているようです。

業界の老舗と呼ばれた愛本店も経営に行き詰まり、
今は、グループダンディーの管轄のようになっているそうですし、
歌舞伎町のホストクラブの経営者としては、長きに渡って、
一番成功している人と言っても過言では、ないかもしれません。

カリスマホスト鉄平さんとキューティー鈴木さん。

知っている人は、知っている有名な話ですが、
元女子プロレスラーのキューティー鈴木さんは、
当時、歌舞伎町で一世風靡した
カリスマホストの鉄平さんと結婚されました。

鉄平さんは、カリスマホストとして活躍した後は、
歌舞伎町にお店を出されていました。

だけど、ホストとしては、一流。
ホストクラブの経営者としては、三流と言われていました。

と言うのは、お店を持たれた時に、
他店でクビになるようなホストを
クビにせずに雇っていたと言う理由があったそうです。

だけど、鉄平さんは、心がピュアな子を雇いたい、
育てたいと言う思いがあったようです。

しかし、それが、お客様の苦情の元にもなったようです。

私は、鉄平さんの事をよく知らないので分かりませんが、
私の勘で恐らく、お店の若い子に厳しくする事が
苦手な人だったような気がします。

昔、ホスホスだったか、何の雑誌だったか覚えていませんが、
ホスト関連の雑誌で、鉄平さんが霊能者の女性と対談されていて、
死ぬ時は、北斗の拳のラオウのように我が生涯に一片の悔いなし
と言って死んで行きたいですねと語っていました。

その時も、霊能者の方は、30代で、
こんなに落ち着いている人は、見た事がないと鉄平さんに感心しながらも、
お店の若い子には、もっと・・・と言う事を言われていたように思います。

それはさておき、鉄平さんは、格闘技にも精通されていたようで、
格闘技のジムを経営された事もあったようです。
ホスト時代も、当時、話題を呼んだ、
「ホストボンバイエ」と言うホストの
格闘技イベントの主催もされていたそうです。

色んな経緯を経た鉄平さんは、現在は、病院の事務長をされているそうです。

キューティー鈴木さんとは、格闘技と言う共通項があったのですね。
キューティー鈴木さんも飲食店を経営されていた事もあるようで、
そちらの共通項もあるのですね。

勿論、鉄平さんのホスト時代にお店にも行かれた事は、あるようですが、
ホストクラブで豪遊するようなお金は、持っておらず、
1時間の来店で切り上げると言う事を5年ぐらい続けていたそうです。

キューティー鈴木さんは、現在、二児の母。
キューティー鈴木の名付け親は、秋元康さんであったようです。
アップル鈴木やキウイ鈴木なども候補に挙がっていたそうです。

キューティー鈴木さんの名前は、女子プロ時代からも、
よく聞いていましたが、女子プロレスラーとしての強さなどは、
私は、知りません。なので、今回、少し調べてみましたが、
デビュー当初は、弱かった。
その後、徐々に力を付けていきましたが、
どちらかと言うと顔とスタイルで人気になった
アイドルレスラーの色が濃い人だったようですね。

勿論、顔とスタイルだけで人気になれるほど、
女子プロレスの世界も甘くは、ないでしょう。

昭和の女子プロレスは、悪役系で強い女性と、
強さを備えながらもルックスにも恵まれた女性が、
結構、多くいたように思います。
それが女子プロレスを盛り上げた理由だったかもしれませんね。

アウトローのカリスマ・瓜田純士と言う男。

アウトローのカリスマと呼ばれた男。
ネットの世界でも、
彼の名前を知っている人は、多い。
だけど、彼自身は、ネット世界の住人では、ない。
むしろ、リアル世界の人であると思う。

顔面にタトゥー。過去の経歴。
それが、純粋なファンにしろ、アンチファンにしろ、
多くの人を魅了するのでしょう。

彼自身は、関東連合ではないですが、
若かりし頃は、周りに関東連合関係者も多かったそうで、
六本木フラワー事件の主犯者である、
見立真一容疑者(現在も指名手配で逃走中)との接点もあったそうです。
見立氏や松嶋氏は、瓜田さんの一つ上の先輩と言う事になるらしい。
その時の様子は、瓜田さんの書かれた本を読まれると分かります。

瓜田さんは、プロレスラーの前田日明さんが主催されている、
アウトサイダーと言う格闘技イベントで、
戦ったりもしていましたが、問題を起こして出入り禁止になる。
だけど、最近、アウトサイダー側から、オファーがあり、
瓜田純士に勝ったら、10万円と言うイベントが打たれたそうです。
結果は、残念ながら負けであったようですが、
それだけ、彼と言う男が、公の場に登場すると、人が見るし、会場が湧く。
瓜田純士と言う男には、とてつもないネームバリューがある。

ボクシングの亀田さんが、強いだけでは、プロではない。
客を呼べてこそ、プロだと言うような事を言っていましたが、
それと同じで、瓜田さんの存在が、人を呼ぶ。

しかし、これだけのネームバリューがある男なのに、
それを使って、上手く金儲けに利用すると言う事を、
プライドがあるからなのか、やらないようだ。
それを捨てれば、彼は、ネットのパワーを使って、
彼自身のネームバリューを使って、
簡単に金儲けが出来るような気がする。

周りも、彼のネームバリューが凄い事は、知っているはず。
彼が、それほど、お金を持っていない事も知っているはずです。
だから、瓜田さんも、そのようなアドバイスは、たくさん受けていると思う。
それでも、そのような事をやらないと言う事は、
やっぱり、彼には、彼なりのポリシーがあるのでしょう。

そして、それが、瓜田純士と言う男の持つ魅力なのかもしれない。
だけど、瓜田純士が金儲けに走っても、ガッカリとは、しないと思う。

追記:先日、ふわっち配信をされていましたが、よく花火が上がっていました。
   知名度がある人なので、今後も定期的に配信されるのであれば、  
   結構な稼ぎになると思います。

某掲示板などでは、バカにしたり、叩いたりする人も多いですが、
叩く人達は、瓜田純士と言う男ほど、根性も度胸もないのは、言うまでもない。
瓜田純士は、ネットでしか叩けない人とは、違う。
リアルで、立ち向かっていく勇気と度胸がある。
凶暴性も、危険性もある。何をしでかすか分からない恐ろしさがある。

彼は、リアルで暴れまわる人であった。
アルコールを飲み過ぎていた時期もあった。
薬物に手を染めた時期もあった。
某掲示板では、彼に関するスレは、人気があった。
ネットや雑誌の取材でも、
彼へのインタビューは、多かったように思います。

だけど、最近は、結構、丸くなったとも聞く。
だから、出禁にした、
アウトサイダー側からオファーがあったのでしょう。
その様子がユーチューブにあって、拝見しましたが、
瓜田さんも、昔と比べて、一回り体も大きくなっていて、
前田さんが喜んでいる感じでした。
10年ぶりの再会で、二人共、懐かしく嬉しそうでした。

何かのインタビューで、
昔は、無茶やって、おかしな事やって、
嫌われたりした時期もあったと本人が自分自身で、
語っていた事もありました。

彼の強い個性は、異色の魅力だから、
完全に、おとなしくなってしまうと、
物足りなく感じるファンも多いかもしれませんが、
今は、昔と比べて、大人の魅力が出てきたようにも思います。
だけど、いつキレるか分からない危険性は、今も健在だと思います。
それが、彼の魅力なのだから、それは、それでいいのでしょう。

最近の瓜田さんの動画などを見ると
自分の弱さを認め、それを語っていたりします。
これも大人になった証拠でしょうし、
こう言う所が本当の強さなのではないか?と言う気がします。

追記。

今、瓜田さんは、
アウトロー系ユーチューバーと言う
ジャンルであれば、トップクラスの人気で、
朝倉未来さん達とも繋がって、
より多くの人達に、
良い意味で認められたと思います。

ブレイキングダウン出場などでさらに人気出ましたね。

瓜田さん。息子さんがいたのですね。

血は、繋がってないそうですが、
何処となく純士さんにも似てるような。

喧嘩最強・芸能人・昭和時代・喧嘩が強いと言われた有名人。

ヤンキーや不良の世界では、
喧嘩の強さを競ったりもします。

だけども、実際には、
本当に強い奴って言うのは、稀だと思います。

今の時代は、朝倉未来とか、
そうなるでしょうけど、昭和生まれ、
昭和世代を対象にしたいと思います。

よく喧嘩で誰にも負けた事がない
と言う人がいますが、
自分が勝てる相手しか選んでいない
と言うような人もいます。

悪人の世界は、卑怯者も多いですから
素手の喧嘩なのに武器を使う奴とか色々います。

喧嘩には、ルールがないのだから、
それも仕方がない部分はあるのかもしれませんが、
汚い手段を使う奴も多い。

素手の喧嘩にしても、
大概は、お山の大将レベルで、
噂だけが一人歩きして、
大して強くもない奴が、
強いと言う噂になっていたりもします。

中には、滅茶苦茶に弱い奴さえ、
強いと言う噂が一人歩きする事さえあります。
噂と言うのは、勝手に話が大きくなってしまう部分があるので、
それも仕方がない事かもしれませんが、
本当に喧嘩が強い奴は、少数しかいないのは、事実でしょう。

喧嘩最強と言っても、日本最強、世界最強を決めるのであれば、
井の中の蛙であった事を知る者が大多数であるでしょう。

コイツとコイツが戦ったら、
絶対、アイツが勝ったけど、
交える事がなかったとか、
悪運のような要素もある。

そんな中で、芸能人(芸能人以外も含む)の中でも、
私が本当に喧嘩が強いと思う人を紹介したいと思います。
私が本当に強いと思う人は、プロレスラーレベルの人と、
喧嘩が出来そうな人と言う事です。

安岡力也

まず、もう亡くなっていますが、安岡力也さん。
体が大きかった事もありますが、プロレスラーの、
ブッチャーを殴り倒したなどの逸話もあります。
でも、息子さんの話だと、ブッチャーに会ったら殺されると言って、
その後、しばらくは、身を潜めていたそうです。

中学時代は、相手が50人ぐらいの喧嘩でも圧勝だったそうです。
芸能界に入ってからも、内田裕也さんの
用心棒のような役目をして本職の方から、
体を張って守ったなどの逸話もあります。

少林寺拳法と言う映画に出演された際には、
少林寺の魅力にはまり、その後、8段ぐらいまで取られたとか。

宇梶剛士

元ブラックエンペラーの総長と言う事は、
誰もが知っている事だと思いますし、
喧嘩の強さも、語り継がれています。

だけど、私が、彼の事を凄いなと思ったのは、
30歳を境に、怒る事をピタリと辞めたと言う逸話の方です。
30かそこらで、中々、ピタリと辞めるまでの事は、出来ないと思ます。
勿論、何か、よほどの事があれば、怒る事もあるかもしれませんが、
怒る事は、損な事だと分かっているからそこ、ピタリと辞めたのだと思います。
だからこそ、静かなるドンのような感じで、
今でも、威厳を放たれているのだと思います。

彼自身は、暴走族の総長をやっていた事は、
随分昔の話なので、もう、どうでもいい事だと思うのですが、
メディアには、それを求められ、自分が当時の事を語って、
喜んでくれる人がいるならと言う思いで、
バラエティなどでも、当時の事を語っているのだと思います。

前田日明

冒頭にプロレスラーレベルの人と
喧嘩が出来そうな人とあげましたが、
前田さんは、プロレスラーであります。

だけども、不良として、
高校時代からヤクザと喧嘩したりと言った逸話があります。

一説では、高校時代は、
まだ、70キロぐらいしか、
体重がなかったそうです。

その時代に大相撲の大関か何かに、
ケンカを挑もうとした事もあったとか。

他にも米兵5人をボコボコにしたと言う事実かどうか、
確証は取れないのですが、そんな噂もあります。

だけど、私が思うに、色んな情報を考慮して、
昔から、体も大きかったでしょうし、喧嘩もすれば、
強かったのでしょうけど、それほどには、
喧嘩をした経験がないように思います。
だから、本当に強い奴は、
喧嘩などしないと言う事が当てはまると思います。

しかし、今でも人を威嚇する要素が見受けられるのは、
少し、大人気ないなぁと感じる事もあります。

今は、アウトサイダーと言う格闘技イベントを開催して、
色んな不良の更生の場になっているのかどうかは、知りませんが、
不良やらヤンキーの間では、人気の格闘イベントとなっているようです。

赤井英和

この人の喧嘩の強さも、有名すぎるほど、有名です。
でも、どちらかと言うと正義の不良であったようで、
自分の高校の生徒がカツアゲにあったと聞けば、
一緒に行って反撃したと言う心温まるエピソードもあります。
自分より立場の弱い者には、手を出さず、
むしろ、助けるような役目をされていたらしい。

だけど、不良を見れば、闘争心が湧くのか、
喧嘩をしたくなって、実際に喧嘩をしていたそうです。

渡辺二郎

ボクシングの
渡辺二郎さんも、
ボクシングをはじめる前から
地元では、喧嘩の強さで、
有名だったそうです。

しかも、あの時代に大卒。

何かの番組に出られた際、
一番強いのは、やっぱり、
ベビー級だと言いました。

その後、失うモノが、
何もない奴が一番強い、
と言いました。

まだ、裏社会に足を
踏み入れる前の事です。

前兆は、あったのですよね。

素手の喧嘩が、
どれほど強くても、
武器を使う奴だって、
いっぱいいる。

裏社会の住人なら、
時には、拳銃だって使う奴もいる。
強さが仇になる事もあると思う。

でも、渡辺二郎さんも、
ボクシングで元世界チャンピオンの
経歴を持ちながら暴力団になるとは、
異色の経歴ですよね。最近は、
暴力団から足を洗ったとの情報を見ました。

花形敬

随分、昔の人ではありますが、
今でも、その喧嘩の強さが語り継がれる花形敬さん。
漫画の花山薫のモデルは、この花形敬さんだったとも言われています。

しかし、残念と言うべきか、花山薫を知っていても、
花形敬さんを知らない人が多い。
だけど、漫画で描く、花山薫さんのように、
やっぱり、体も大きく喧嘩も強かったらしい。

花形敬さんは、渋谷の安藤組の組員でした。
安藤昇さんも、めちゃくちゃに喧嘩が強いと言われていましたし、
安藤昇さんの友達の、加納貢さんも、
それ以上に強いと言う噂はありました。
(加納貢さんも、象さんパンチと言われるパンチで、
プロレスラーをぶっ飛ばしたなどの逸話があります。)
花形敬さんの強さは、加納貢さんと同じか、
それ以上であったと予想します。
プロレスラーの力道山に詫びを入れさせたとの逸話もあります。

ただ、本当に喧嘩最強を決めるのであれば、
花形敬さんと加納貢さんの戦いをして欲しかったとも思います。

加納貢さんのエピソードもたくさんありますが、
私が個人的に好きなエピソードは、

学生時代に道端で雲を突き抜くような
背の高い大男に喧嘩を売られ、
加納貢さんは、内心、
このまま謝ってしまった方が早いんじゃないか
と思っていると体が先に動いて、その大男を
投げ飛ばしてしまったそうです。

その時、その力に自分自身でも驚いたそうです。

恐らく、加納貢さんは、潜在意識の力を
使いこなしていたのではないか?と思います。

花形敬さんの話に戻りますが、花形敬さんは、
当時の、国士舘の番長、石井福造(後の石井会会長)を、
中学時代に、向かい合っただけで、
詫びを入れさせたとの逸話もあります。

加納貢さんや安藤昇さんの名前を上げたので、
ついでに、もう一人、その時代に、
喧嘩が強いと言われた人を紹介します。
その人の名は、万年東一。

はじめて、安藤昇さんが万年東一さんと出会った時、
その威圧感に圧倒されたと何かの本の中で語っていました。
安藤昇さんの先輩になる人ですが、
この人の喧嘩の強さも有名だったそうです。

真樹日佐夫

この方も、もう亡くなっていますが、
極真空手の大山倍達の一番弟子になるかどうかは、知りませんが、
空手家で、自分の道場も開き、喧嘩の強さも有名であった人です。
漫画家の梶原一騎の弟でもあります。

だけど、自分で話を大きくしてしまう癖があったとも言われています。
だから、強いには、強かったのでしょうけど、
信憑性には、少し欠ける部分もあります。

酒に酔って暴れる外人のプロレスラーを二人がかりで、
取り押さえたなどの逸話や、
30人近いヤクザに囲まれ勝利したと言う逸話。
他にも諸々の逸話があります。

花形敬とタイマンを張って引き分けたとの逸話もありますが、
これは、どうも、信憑性が薄いとの情報もあります。
むしろ、引き分けよりも、花形敬には、負けたと言う話であった方が、
より、信憑性を増したような気もします。

北芝健

元刑事として、一時は、TVにも出演されていましたし、
彼の半生を漫画にした本なども発売されています。

子供の頃から喧嘩の強さは、一級品であったそうです。
自分のおじいちゃんに、護身術か何かを叩きこまれいたそうです。

そして、だんだん、不良やらと喧嘩する機会が増え、
その癖は、警察になった後も、抜けなかったそうです。
だけど、当時の警察学校は、ヤクザと喧嘩をすれば褒められたそうです。
だから、北芝健さんにとって、警察と言う仕事は、
楽しくて仕方がない職業であったそうです。

一歩間違ったら自分も不良の世界に
足を踏み入れていたかもしれないと語っていましたが、
彼の中に眠る正義感が、そうはさせなかったのでしょう。
正義の鬼として、警察で、その力を発揮されました。

刑事の世界は、ヤクザなどを相手にするのだから、
喧嘩の強さも、それなりに必要な側面があるそうです。

今は、横浜の芸能事務所で元プロレスラーの大仁田厚さんと、
同じ事務所に所属されていたように思います。

小沢仁志

この方の喧嘩の強さも有名です。昔、ワルだった事も有名です。
数々のスタントを自分でこなすと言う事で、根性もあると思います。
プロレスラーと喧嘩が出来そうに思える人物と言う事で、
少し、微妙なラインであるとは、思いますが、
それを言えば、赤井英和さんも、そうだと思うし、
小沢仁志さんなら、いざ、喧嘩となれば、
プロレスラーが相手でも、
根性で乗り切って行くような気がしました。

小沢仁志さんと宇梶剛士さんが、
何かで揉めて、絶縁状態にあり、
間に誰かが入って、その後、
和解した話があります。

その話、自体は、有名のようですが、
そもそも、何故、揉めたのか?

その辺の情報を調べてみましたが、
私には、分かりませんでした。

例えば、喧嘩して、
小沢さんが勝っていたなら、
小沢さんは、かなり上位になると思う。

そもそも、この二人は、
色んな芸能界のアウトローの人が集る店で、
一緒に飲んでいたそうですね。

星野勘太郎

伝説のプロレスラーと呼ばれた人に、
星野勘太郎(ほしの かんたろう)さんと言う方がいます。
67歳の時に肺炎で亡くなられましたが数々の伝説は、
今も語り継がれています。

どんな伝説かと言えば、レスラーになる前は、
喧嘩ばかりしている暴れん坊だった事です。
高校時代は、ボクシングもやっていたそうですが、
外での喧嘩も数知れず。口より先に手が出る人だったようです。

後にプロレスラーになるような人ですから、
そりゃ、強かったはずだと思います。

だけども、プロレスラーになってからも
その暴走ぶりは、止まらず、リング外でも、
後輩レスラーや敵対するレスラーを
ボコボコにしたりなんて事もあったそうです。

星野勘太郎さんは、身長が170センチと
プロレスラーにしては、低めなのですが、
身長190センチ以上ある前田日明さんを
ボコボコにしようと前田日明さんの
控室にまで乗り込んで行った事もあるらしい。
彼には、20センチの身長差など関係なかったのでしょう。

ビートたけし

この人も本職の人相手に
喧嘩する事がしょっちゅうだったそうです。

たけし軍団の人は、暴れる、
たけしさんを止める役目
だったと語られてました。

https://sikoutiryou.com/?p=99

でも、たけしさんは、そう言う経験が、
映画制作に活かされていると思います。

【まとめ】

今回、例に挙げたのは、体が大きい人達になりますが、
喧嘩の強い人には、小柄な人、ガリガリな人もいます。
以前、紹介した合気道の達人も、小柄な人です。
合気道の達人・植芝盛平(うえしばもりへい)

https://sikoutiryou.com/?p=226

そして、また、霊の憑依によって、喧嘩が強くなる人もいます。
戦国時代やらかに活躍した武将の霊が乗り移ったりで、
喧嘩には、強くなりますが、悪霊の憑依なので、
自分や家族などの人生が、
滅茶苦茶に破壊されたりもします。

合気道の植芝盛平さんのような感じだと、
正義の指導霊のようなモノが付くと思います。

私が思うに、喧嘩の強さとは、
肉体だけでなく、霊体の動きも、
関係しているように思います。

まぁ、基本的に、喧嘩などは、よほどの事情がない限り、
しないに越した事はないと思います。

今の時代は、喧嘩したら、
すぐに捕まってしまいますからね。

美化された悪人の世界。硬派や任侠など現実世界には、ほとんどない?

映画やドラマ、漫画などの世界では、
ヤンキーや不良、ヤクザの世界などが結構、
美化されて描かれている事も多い。

リアルな世界の悪人は、

少し離れた距離や、
遠くから見ると、
カッコ良く見えても、

身近にいると、
カッコ悪い事だらけ。
それが多くの悪人の正体。

硬派と呼ばれるような、
カッコイイ悪人は、ほとんど、
いないのが実情であります。

卑怯で卑劣で怠け者だったり、
甘ったれだったり、見た目だけ、
格好だけ、口ばっかり。

大概が、そんなのばっかりのようです。

テレビや映画などで美化された、
カッコイイ悪人は、非常に、少数である。

メディアの影響で、悪人は、
カッコイイなどのイメージを
抱く人達も多いかと思います。

確かに、実際にカッコイイ悪人もいる。
芸能人の宇梶さんだって巨大暴走族の総長だった。
過去に暴走族をやっていた芸能人や、
更生して、ビジネスで成功した人も多い。

それも、また事実でありますが、
みんながみんな、カッコイイ生き方を
してきたわけじゃない。
ずーっと相変わらず、どうしようもないような、
生き方を繰り返している人も多い。

十中八九までは、見た目だけ、恰好だけ。
実際は、心が弱く臆病で、根性もなく、
楽な方に流され、自分に甘いだけ。
こんなのが、やたら多いのが、
実際の悪人の世界であります。

ピンチになれば、真っ先に逃げ出すような輩が、
やたら多いのが、実際の悪人の世界。

カッコイイ悪人が1割と、
カッコ悪い悪人が9割で、
成り立っているような世界。

同じ事をやっているように見えても、
いかにもと言う見た目に見えても、
硬派な悪人とダメ悪人は、
心や精神力が全然違う。

悪人の事を知らない人ほど、
悪人へ対する勝手な先入観で見ている人が多い。

本物の悪人は、本物の優しさを持っていますが、
偽物の悪人は、偽物の優しさで近づいて来る。

テレビや映画などで美化された悪人は、
実際にいると思いますが、悪人の世界でも、
あのような人達は、少数しか存在していなのが実情です。

昔、カメレオンと言う漫画がありましたが、
あの主人公に、矢沢栄作と言うキャラが出てきます。
ヤンキーとか、暴走族とか、ヤクザとか、半グレなど。
それらの人種の殆どの人は、あんな感じであったと思います。

やたら、過去の武勇伝を語る人も、
そんな感じだった人が多いと思う。
ハッタリだけが凄い。そんな輩が多い。

だからこそ、本物の悪人は、カッコ良く、
テレビや映画などにしても、人気が出るのでしょう。

しかし、悪人が、みんなそうだと思うのは、大間違いであります。
大多数の悪人は、どうしようもないダメ人間が多いです。

強きをくじき弱きを助けるどころか、

弱い者には、強く、やたら威張る。

後者の方が圧倒的に多い世界。

何処まで行っても、
弱肉強食の世界。

刑事の方などは、悪人の事をよく知っている。
悪人の弱さを知っている事が多い。
悪人の世界にいた人も、知っている。

しかし、一般人の多くは、知らない人が多い。

学校の先生などでは、まず、分からない人の方が多い。

そこへ、テレビや漫画などで、
美化して描いた悪人の世界は、
ある意味、洗脳かもしれない。

悪人がダメとは、言いませんが、
本当の本当に心が弱い人が多い。

見た目が、いくら強そうに見えようが、
怖そうに見えようが、喧嘩が強かろうが、
メンタルの部分。心が打たれ弱い。
滅茶苦茶に心が弱い。だから楽な方に流される。
性根が腐って、どうしようもない奴もいる。

そして、自分自身にも甘い。
口と態度だけは、凄い。
そんな人が非常に多いのが悪人の世界。

だけど、私は、悪人がダメだと言っているわけではない。
そこで、見たり体験したりして、学ぶ事も多いと思います。

美化して描く悪人の世界があるなら、
カメレオンの漫画みたいに、ダメ悪人の世界を、
もっと、メディアで取り上げてもいいと思う。

美化して描いた悪人の世界も真実かもしれませんが、
弱い悪人が多いというのも真実です。

悪人の中には、頭の中身が幼稚な人も多い。

実際に境界知能や軽度知的の人も、
それなりにいると思います。
悪の誘惑へ流されたとも言えます。

腕っぷしの強さなども、噂だけが一人歩きして、
話が大きくなっている事もあります。
武勇伝の8割と、悪人の8割は、偽物です。

よくケンカで負けた事がない。
そう言う台詞も聞きますが、
大抵の人は、自分より強い奴と、
会っていないだけ。あるいは、
そう言う相手を選んでいただけ。

必ず勝てる相手ばかりを選び、
強いと噂になる奴までいる。

街のヤンキーの大半は、
こんなのばっかりです。
昔の悪さ自慢を語る奴もそう。

身長二メートル。体重120キロ。
ほとんどの喧嘩自慢は、
この体格を前にしたら戦意喪失する。

だから、大概は、
お山の大将や井の中の蛙で、
その中で俺は、強いとか、
喧嘩負けなしと言っているに過ぎない。

悪人の世界は、知れば知るほど、
どうしようもない事が、多いです。
だから、基本的に悪の道は、
邪道であると思っていた方がいいでしょう。

でも、家庭事情等、
仕方がない部分もあった人もいる。

悪人の世界は、どうしようもない奴と、
そうでない人が同じような、
扱いをされている所がある。

昔、悪かった振る男。
これもよくいます。

大概は、中途半端だったり、
実際は、真面目だったり、
あるいは、優等生だったり。

優等生だったなら、
それに自信を持てば、
いいと思うのですが。。。

ヤンキー。ヤクザ。半グレ。
これらの人種の中にも、

境界知能。軽度知的障害。
統合失調症。鬱病。
自己愛性パーソナリティ障害。
反社会性パーソナリティ障害。

これらの人がいるようです。
いや、そう言う人が、
集りやすいのかもしれない。

でも、それは、必ずしも、
悪いわけではなくて、
そこで本物の愛を知ったとか。
そこで本物の家族だと思ったとか。

その世界の住人しか分からない、
良さがあったりもするようです。

昔の時代であれば、
弱気を助け強気を挫くような、
本当の任侠道。本物の極道がいた。
面倒見の良い人達がいたようです。

まぁ、突き詰めると、
毒親育ちが多いと言う、
結論に至るのかもしれません。

合気道の藤平光一。王貞治の一本足打法開発の裏には、この男がいた。

合気道と言えば、塩田剛三さん。植芝盛平さん。
お二人が有名ですが、藤平光一さんと言う方も有名だったのですね。

藤平光一さんは、植芝盛平さんの所で合気道を学び、
大学卒業後は、陸軍に入り中国へ派遣される。
帰国後は、中村天風さんの所で心や気について学んだそうです。
その事が功を奏したのか、合気道でも10段になられました。

心身統一合氣道会

プロ野球の王貞治さんや長嶋茂雄さんも、
藤平光一さんから、氣の使い方について
指導を受けた事があるそうです。

二人共、プロ野球の世界で、
気の使い方を活かす為であり、
本格的に合気道を学んだわけではない。

王貞治さんについては、改善すべき所が、色々あったようですが、
長嶋茂雄さんは、既に、非常に良い氣の使い方をされていたようで、
指導すべき事は、何もなかったと藤平光一さんは、言っていたそうです。
長島さんは、最初から自然体であった。

合気道の達人に、そう言わせたのだから、
長島茂雄さんも、さすがですね。

王貞治さんも、荒川博さんと言う、
その業界では、かなり凄いと呼ばれるコーチのもとで
指導を受けていたのですが、その荒川さんが、
藤平光一さんの道場に連れて行ったと言います。

王貞治さんは、右足に力が入りすぎるので、
藤平光一さんは、荒川コーチに、
何故、直してあげないのか?と、
問いかけた所、王の癖なのでどうしようもない、
と答えられたそうですが、その後、
右足を上げて打つと言う指導になった。

普通は、片足を上げて打つなど、
遊びの野球ならよいかもしれませんが、
プロ野球のピッチャーの球を片足で打つなど
バランスも崩れるだろうし、
かなり難易度が高かったと思いますが、

それをこなせるようになった王さんもさすがです。

氣は、すべての原点である。

だから、あらゆるスポーツにも応用する事が出来る。

私は、色んな武道がある中で、
極めたら合気道が最強なのではないか?と思っています。
(極められた人は、非常に少数かもしれませんが・・・。)

と言うのは、空手にしても、柔道にしても、
ボクシングにしても、他の格闘技にしても、
結構、体重差、身長差、筋肉量などが影響していると思うからです。

それに対して、本物の合気道は、気の力、宇宙と調和した力を使うからです。

怒りや憎しみで立ち向かって行く者は、
合気道の達人の前では、手も足も出ないと思います。

相手の力を利用して、相手を倒す。
だから、どれほど、自分より腕力が強い者が襲ってきても大丈夫なそうです。
何故なら、その力自慢の方の相手は、己自身の力。そこへ合気道の達人が、
ちょいと力を加えると倒れる。このような事が出来たのが、
合気道の開祖である、植芝盛平さんや塩田剛三さんであったそうです。

しかし、その後、彼等のような人物が現れたと言う話を聞かないので、
合気道を極めると言うのも、想像を絶するほど大変な事なのかもしれません。

また、合気道の流れは、大東流柔術と言うモノにあったと聞きます。
大東流柔術を分かりやすく体系化したものが合気道になるそうです。

今回は、藤平光一さんの「氣の呼吸法」
と言う本を読ませて頂きました。

氣の呼吸法 全身に酸素を送り治癒力を高める 幻冬舎文庫/藤平光一【著】

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合氣道とは、心と身体を、一つに合一すべきもの。

呼吸は、人間、誰もがしている。

呼吸を変えれば、人生を変える事が出来る。

色んな呼吸法がありますが、
何秒で吸って、何秒止めて、何秒で吐くとか、
お腹をふくらませたり、へこませたりと言った、
難しい事は、一切、必要がないと藤平さんは、言います。

息を吐き出せば、また、自然に入ってくる。
自然にまかせた呼吸をする。

自然にまかせた呼吸の方が長続きする。

この本では、その自然の呼吸法について書かれてあります。

その為に重要となるのが、
臍下丹田(広い意味での下腹部)になるそうです。

合気道の開祖で達人・植芝盛平(うえしばもりへい)さん。

私は、合気道の達人と言えば、
塩田剛三さんだと思っていましたが、
合気道の開祖と言われる、
植芝盛平(うえしばもりへい)と言う方の方が、
塩田剛三さんより、遥かに凄いと言う話を
合気道をやっている方から聞きました。

植芝盛平さんと塩田剛三さんは、
10歳ほど歳が離れていました。
植芝さんが70歳の頃、
塩田さんは60歳。
植芝さんは、塩田さんの師匠でもあったので、
塩田さんも植芝さんの指導を受けていたそうです。

植芝盛平さんが、どれほど、凄い人だったかは、
まず、塩田剛三さんの話からした方が、
分かりやすいと思います。

塩田剛三

塩田剛三さんは、
身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体型で、
あんな小さな人が、あんなに強いとは、
信じられないと当時、ケネディ大統領の、
ボディーガードをやっていた身長190で、
体重は、100キロを超えると言う屈強な男が、
塩田剛三さんの力を試してみたら、
あっけなく屈強なボディーガードが、
塩田さんの力でねじ伏せられてしまったと言う話は有名です。

私も、塩田さんの演武の動画などを見た事があります。
あれは、ヤラセだと思われても仕方がないと思いますが、
色んな逸話が、あれは、ヤラセではなく真実であった事を物語っています。

そして、あの強さの秘訣は、何だ?と言う事になった時に、
自然と一体の為せる技と言う結論で、まとめられたりもしています。

塩田剛三さんの名言。
命令してはいけない。威張ってもいけない。
しかし、妥協しても、いけない。
調和すればいい。

殺気だって立ち向かう人は、
宇宙と調和している人には、
勝てないと思います。

そして、こんな逸話もあります。
塩田さんの弟子が、塩田さんに、
合気道で一番、強い技は、何ですか?と質問した。
そしたら、塩田さんは、こう答えた。
「それは、自分を殺しに来た相手と友達になる事だ」と。

だから、やっぱり、強さの秘訣と言うのは、
技もそうですが、心技体と言われるように、
心の器の広さ、強さが、塩田さんをあのような強さにまで
導いたのではないか?と私は、思います。

事実かどうかは、私は、知りませんが、
あの極真空手の大山倍達さんも、
塩田剛三さんには、一目置いていたそうです。

植芝盛平

それでは、本題の植芝盛平さんについてです。
植芝盛平さんは、合気道の開祖の人であります。

塩田さんが、身長154cmで小柄であったと言われていますが、
植芝さんも、身長156㎝と背丈は、低かったそうです。

植芝さんの逸話は、6人、同時に、
25メートルと言う至近距離から、
ピストルの弾を撃ってもらい、
一瞬にして、瞬間移動のような事をして、
ピストルを撃とうした人の後ろに立ち、
ピストルを取り上げたと言う話があります。
その光景を塩田剛三さんも、目の前で見ていたそうです。
塩田さんが、植芝先生に、どうやったのか?と聞いたら、
ピストルの弾も人の動きも、見えると言う事であったそうです。
ピストルの弾は、スローモーションのように見えたらしい。

しかし、人を撃とうと言う気持ちが、まったくなく、
ただ、ただ、当てようする人の弾なら当たるとも言っていたそうです。
だから、植芝先生は、人の心を読む達人でもあったと思います。

それだけに、自分の弟子達には、
「合気道をやる者は、遠くアメリカの心までわからねばならぬ」
と言われたそうです。

晩年、病弱になってからも、
弟子達を軽く投げ飛ばすぐらいの事は、出来たらしい。

植芝先生と言えば、ピストルの弾が当たらなかった事ばかりが、
有名になっていますが、雨にも当たらなかったらしい。
大雨で、演武の舞台が外にある時、先生が、演武を始めたら、
その舞台だけが晴れて、雨に当たらなかったそうです。

雨に濡れない話は、旅行作家の小林正観さんもそうでしたので、
私は、特に驚きませんが、それも、
普通で考えたら、あり得ない事でしょう。
だけど、普段から、宇宙と調和した生き方をしている人には、
そのような現象が日常的に起きるようです。

どの武術でもそうだと思うのですが、
相手は、人であります。だから、人の心がよく分からないと、
本当の意味での、強さは、得られないとも思います。

心技体。心が重要。今の武道は、それを忘れている人が多い気もする。
心技体の達人が、植芝盛平さんや塩田剛三さんであったのでしょう。
だから、今でも、お二人の逸話は、色んな所で語り継がれています。

お二人共、合気道の魅力について、
相手を被害者にも、
加害者にもしない事だと言っています。

それは、心技体の「心」の技。

一番、重要な技だから、
心技体の最初に「心」が、
あるのかもしれません。

しかし、それが出来るのは、お二人のような達人にならないと、
中々、難しい事でもあると思います。

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