ツッチーと呼ばれた八王子の悪徳ホスト・土田正道さんの話。

このツッチーさんは、
歌舞伎町の色んなカリスマホスト達とも、
親交があって顔が広かったホストでもある。

兎に角、滅茶苦茶な人であった噂があります。

https://friday.kodansha.co.jp/article/175471?page=1

↑フライデーの記事

ツッチーさんの名言か、
キャッチフレーズか、

「人のお金で一花咲かせ、
自分のお金は貯蓄する」

と言う言葉がありましたが、
本心だったのかもしれませんね。

でも、ホスト業界では、
ツッチーさんがヤバイ人だと、
知れ渡っていたかもしれませんが、
世間一般の認識としては、
カリスマホストでやり手の経営者
と言う認識だったと思います。

有名だから。
結果を出しているから。
そこだけを見ても、
分からない事もある。

この事件になって、
過去の諸々が世に出た。

完全犯罪を狙って遺体を溶かした「カリスマホスト殺人事件」

世には、出ていない人達の
話もある。結構、エグいやり方で、 
稼いでいた売れっ子ホストの
話も色々と耳にする事は、ありました。

この動画には、土田さんの店で
過去に働いていた経験があるホストも
出演されています。一人の独裁者が一大勢力を
築けてしまう事があるのですね。

土田さんの前の時代でも、
くらぶ○○○と言う歌舞伎町にあった、
グループ系列の親玉の悪徳ホストが、
有名だった時代もありました。

当時は、そう言う人の暴走を誰も、
止められなかったのでしょう。

動画内でゴンザレスさんがツッチーさんの事を
何度も彼は被害者ですと言われていましたが、

あの人がやって来た事を考慮すれば、
色んな人への加害者だったのですよね。

だから、酷い事件の被害者であっても、
彼がいなくなった事で、ほっと、
胸を撫で降ろしたホストも多いようです。

ツッチーさんに限らずですが、
多くの人から恨みを買っているような人が、
最後、悲惨な目に遭うニュースは、
度々、目にする事は、ありますね。

それが清算なのですかね?

でも、最後、悲惨な目に遭うだけで、
それまでの事がすべて清算されるのだろうか?
と言う疑問は、残ります。

そして、この事件の加害者は、追い詰められていた。

こうなる前に何とか出来なかったのか?とも思います。

一つ前の記事で、
毒親と子供の関係を
書きましたが、
問題の多い経営者と、
従業員の関係は、
毒親と子供の関係とも似ている
かもしれないと思いました。

城咲仁さんは、考え方がしっかりしてますね。

やっぱり、金に群がる悪い奴も寄って来る。

ホストとして売れていても危険。

いや、売れているからこそ、
そう言う誘惑も増えるし狙われる。

カリスマホストから転落するホストも結構いる。

仁さんもヤバイ経験してますね。
(でも、夜の業界では、これぐらいは、
カワイイものかもしれません。)

城咲仁さんは、お店の外で、
お客様と会わない接客だったようで、

外でお客様と日常的に会っていたホストは、
もっとヤバイ経験が色々あるようです。

愛本店は、動画内でも言われていましたが、
裏の勢力を味方に付けない事で、それ故に、
裏の勢力から狙われると言う事が多々あったそうです。
それを全力で守っていたのが愛系列を生み出した愛田武社長。

それでも、すべては、
守り切れない所もあって、
愛田社長も何度も危害を加えられたり、
お店のホストが危険な目に遭わされた事も、
結構、あったようです。

当時の歌舞伎町の
ホストクラブは、
ケツ持ちが、
いない方が危険だと、
思われていた所もある。 

バックに用心棒が、
いた方が安全で、
現役のホストほど、
愛本店やその系列店は、
身の危険があると思われていた。

城咲仁さんとローランドさんの
対談とかあると面白そうですね。

稼いでいる金額は、
ローランドさんの方が、
桁違いに多そうですけど、
ホストとして持っているモノ、
ホストとしての質は、正直、
甲乙付け難い所があると思います。

対談しなくてもお互いが、
どう思っているのか?
その考えを聞いてみたいです。

毒親脱出の専門家。川島たかあきさんの「嫌いな親との離れ方」を読んでみました。

この方もツイッターで知りました。

読書感想と私の体験

別に親が毒親であっても、
嫌いではないケースも、
あるでしょうけど、

自分の親が何か、
おかしいなぁと気付いた時には、
何で、こんな親の所に、
生まれて来たのか?と疑問に、
感じることもあるかと思います。

私も思い返してみれば、
幼少期から薄々は、
感じていました。

大人になって、
毒親のことを知って、
ほとんどすべてが、
自分の親に当てはまっていた。

あぁ、やっぱりかと言う思いと、
ショックな気持ちがありました。

と同時にスピリチュアル的なことも、
学んでいたので親も環境も自分で、
選んで生まれて来ている話も聞いていた。

それでも、何故?
何故、この親や環境を
選んで来たのか?

それも意味あっての事かもしれませんが、

それでも、やっぱり、毒親の傍にいては、
悪影響の方が圧倒的に多かったと実感しています。

私の身内も爺ちゃんを筆頭に
重度の精神病と思える人達が多かったですが、
それぞれが自分の事をまともだと思っていました。

時代背景の影響もあったと思いますが、
誰も精神科に行った事さえなかった。

毒親は、子供を不幸にさせている。
毒親は、その事に気づかない。
毒親は、分からずや。
毒親は、一方的。
毒親は、虚像。虚栄。虚勢。虚人間。
毒親は、自分の事を
まともで正しいと思っている。

毒親は、プライドだけが高くて、
中身が空っぽの事も多い。

自分の思い通りにしたいと言う、
思いが強い。強烈だったりもする。

毒親育ちの子供は、
家で安らぐ事が出来ない。

親が子供を精神的あるいは、
肉体的に痛めつけている。
この両方がセットの事もある。

別に毒親であっても、大半の人は、
子供を不幸にさせようと思って、
やっているわけではないと思いますが、
結果、不幸にさせているケースが大多数。

仮面夫婦と言う言葉がありますが、
毒親家庭は、仮面家族と言える要素も、
あるかもしれません。普通の家庭には、
当たり前のようにある愛が流れていない。

それを機能不全家族と言ったりもしますが、

毒親育ちの子供は、
子供として当たり前の事が許されない。
そのような環境で育っている事が多い。

まともな親は、子供を大事に扱う。
毒親は、子供を粗末、乱雑に扱う。

幼児虐待をしていても、
悪いとも思わず自分が正義だと思う。
それを繰り返す。だから、ニュースなどで
取り上げられる事件は氷山の一角。

そう言う事をしていても、
平気な顔をして自分は、
まともだと思っている。

毒親育ちの子供は、人間扱いされれず、
奴隷のような扱いをされる事もある。

親から人間扱いされずに育った子供が、
やがて大人になり、また繰り返す。
この連鎖を終わらせないと永遠に続いてしまう。

でも、親からの愛情がなかった分、
親に何かあったり死んだ時も悲しみもないし、
親を捨てるか捨てないかの決断になった際も、
葛藤とかも、あまりないと思う。

毒親は、自分の子供に対して、
やりたい放題、言いたい放題、
やって来たのですから、
仕返しとかそう言う事ではなくて、
もう、親の事は、一切考えず、
自分の人生を生きるのもありだと思います。

毒親家庭と言うのは、
形こそ違えど何処も、 
似たり寄ったりの所は、
ありますよね。

著者の方と私の環境も似ている。

毒親育ちは、親に心を
支配されていた。

そして毒親は、
年齢を重ねる事に、
さらに、わがままになる。

毒親は、過干渉で、
子供の心を鎖で繋いで、
奴隷のように扱う。

子供は、いつまで経っても、
親の支配下。親に、
マインドコントロールされている。

毒親は、問題がある親だから、
毒親と言うのですが毒親自身は、
自分こそ正義で子供に、
問題があると捉える。

親が親でなくて、
他人だったとしたら、
その親(人)と関わりたいと思うか?

親だから仕方なく、
関わっているのですよね?

この本の第2章では、
親が抱えている、
コンプレックスを
タイプ別に分けられてますが、
私の親、爺さん、叔父は、
皆、他者批判タイプでしたね。

弱い自分を隠し、
強さをアピールするので、
自慢話や苦労話を繰り返したり、
横柄な態度を取る傾向がある。
自分より価値が低そうな人を
見ると見下したりする。

これらは、家の外で、
自信の低さを隠している反動で、
家庭内では、支配的。

そして、タイプ別に分かれては、
いますが、殆どの毒親は、
2つ以上のコンプレックスを
抱えているそうです。

確かに他にも、
当てはまる所は、
ありました。

幼少期に愛情不足を
経験していると、
大人になってからも、
大切にされたいと言う、
承認欲求を強く抱えている。
このケースは、多いそうです。

あるタイプの親は、子供は、
親の所有物とありましたが、
毒親であれば、大概、
そう思っていると思います。

毒親は、自分は、絶対に、
正しいと言う思い込みがある。

毒親育ちの子供は、親からの支配、洗脳。
マインドコントールされている所がある。

それは、健全な親子関係では、
あり得ない事であると気付く事。

毒親は、子供に依存、
執着しているのですが、
逆に言えば、依存、執着、
させているとも言える。

幼少期の頃は、
仕方ないですが、
ある程度の歳になったら、

それらをさせない為に、
断ち切る。距離を置く。
コントロールをさせない。
その対策が必要な事もある。

親の操り人形であったら、
また、家系内で同じ事が、
繰り返される可能性も高い。

親に執着や依存をさせなくなると、
親は狂うかもしれません。しかし、
それは、ある意味、しょうがない。

それまで自分達がやって来た事の
反動が返って来たとも言えます。

多くの場合、毒親本人も、
毒親育ちだったと思う。

育ちの過程の中で、
親に人格を破壊されて来た人。

だから、私達に今、出来る事は、
未来の毒親を作り出さないこと。
勿論、自分もそうならないこと。

そして、幼児虐待は、犯罪です。
発見したら通報してください。

児童相談所虐待対応ダイヤル「189」

毒親育ちの人の中には、
親を捨てた人もいますが、

完全に捨てなくても一時的に
捨てると言う方法もあります。

それが結果的に完全に、
捨てる事になるかもしれませんが、

健全な親子関係でないのであれば、
それも仕方がない事もあるかと思います。

どうしようもない毒親から、
離れられない。捨てられない。
その理由も様々あると思いますが、 
それが自分都合の理由かどうか?
と言う問題もあります。

例えば、何かあった時に、
保証人として親がいた方がいい。
実家にいた方が家賃がかからない。
これらは、働ける年齢であれば、
自分都合の理由ですよね?

自分都合で離れられないなら、
完全に自分の責任だと思います。

絶縁していても、
その後、何らかの形で、
家族との縁が繋がる人もいます。
そのまま絶縁のままの人もいます。

こればかりは、
運に任せるしかないですが、
後で縁が繋がった人も、
その時は、もう親と一生、
会わないし関わらない覚悟であった。

その覚悟を天から見られている
と言うようなこともあると思います。

毒親は、テレビゲームで言ったら、
子供の人生のコントローラーを握っている。
自分のコントロールが効かないと怒る。

肉体的な距離が、
離れているだけでは、
まだ弱い所もあると思います。

この本の5章には、
詳しい対策法が、 
書かれてますので、
参考にされるといいでしょう。

いずれにしても、 
毒親本人は、自分の事を、
まともだと思い込んでいます。

しかし、何らかの
精神疾患を
抱えている事も多い。
重症の事もある。

その親を治療させるより、
自分が離れた方が簡単では、
あると思います。

毒親は、自分の親の影響で、
そうなっているケースが多い。

既に自分も、
人格的に破壊されている所も、
あるかもしれない。

やはり、親の症状が酷ければ、
酷いほど、一切遮断する時期は、
必要になるような気がします。

今は、相談機関も増えていますし、
昔より、毒親に関しての理解がある人も
増えていると思うので自分だけで、
決めない事も大事かもしれません。

直接的であれ、
間接的であれ、
毒親は、子供を支配、
洗脳、コントロールし、  
子供に依存している。

なので、支配させない。
依存させない為には、 
やっぱり、一度は、 
離れた方がいいと思う。

支配度や依存度が強い親なら、
連絡さえも断って居場所も、
教えない方がいい。

子供の方も鎖に繋がれた、
犬状態である事に、
気づいていない事もある。

毒親が使う心配と言う言葉は、
健全な親の心配とは違う。 
大概、自分都合の事が多い。

両親のどちららかが、
毒親で、どちらかとの関係は、
良好だったり、自分だけでは、
判断が難しい事もあると思うので、

この辺は、やはり、
専門家に相談した方が、
いいとは思います。

毒親と子供の関係は、
親と自分だけではなく、
自分の交友関係にまで、
被害が及ぶ事がある。
 
例えば結婚しているのであれば、
その妻が攻撃の対象にされたり、
自分の友達や職場の仲間が、   
攻撃されたり、兎に角、
関わっているだけで色んな所、 
色んな人に悪影響が及ぶ事がある。

毒親の常識は、
世間の非常識なので、
自分以外の人にも、
関わらせては、いけない。

毒親育ちなら分かりますよね?

親が毒親なら、 
その毒親の親。
爺さん婆さんも、
問題がある事が多い。

その毒親を育てた人ですから、
当然と言えば、当然の話です。

いずれにしても毒親関係は、 
残念ながら普通の親子関係
ではなかった。それは、
受け入れるしかないと思う。

ニュースなどで、
子殺し親殺しなどの
事件を見ると毒親関係
だったのかな?
と思う時があります。

世の中には、
お互い離れた方が良い、
親子関係もある。

育ててくれた義理がある
と感じるかもしれませんが、
親が子供を育てるのは、義務。
しなかったら育児放棄です。
 
でも、毒親育ちなら
育児放棄に思える数々の事も、
経験されて来た事だと思います。

親も自分も普通の
親子関係ではなかった。

普通の基準もそれぞれ、
違うでしょうけど、毒親関係は、
支配する側とされる側。
そのような、ある意味、
特殊な親子関係です。

長い洗脳で気づかない人も、
いるかもしれません。

気づかないまま大人になって
子を持った人が毒親です。

同じ事を繰り返しては、いけない。

毒親も時代背景的に、 
今のように情報が取れない
時代を過ごして来た人も多い。

だけど、彼等が100%悪か?
と言われれば、そうではない。

ですが、間違った多くの
価値観を信じて来てしまった
人達でもあると思います。

スピリチュアル的見解

もう一歩進んでと言いますか、
毒親問題をスピリチュアル的な、
角度からも見てみたいと思います。

善因善果。悪因悪果。因果応報。
前世など。過去の罪穢れとして、
カルマ軽減の役目を毒親がやってくれた。
そう思うと、いくらか気も楽になるかもしれない。

親ガチャと言う
言葉もありますが、

たまたまとか、
運悪くと言う事でもなくて、

そのような親の元へ、
生まれるべくして、
生まれて来たのかもしれない。

そこへ生まれる理由。
そこへ生まれる因果あった。

単純に自分が過去世で、
幼児虐待をしていたから、
今世で、そう言う親元に、
生まれて来たのかもしれない。

自分が過去世で、
毒親だったから、
今世で毒親の元に、
生まれて来たのかもしれない。

私の爺さんは、元ヤ○ザだったのですが、その人種でも、
まともな人もいれば、どうしようもない人もいる。
爺さんは、断然、後者の方だったと思います。

私もおぼろげながら自分の過去世は、
ヤ○ザの親分のような人物だったのではないか?
と思う事があります。体も大きく力任せに、
自分勝手やりたい放題やって来た。
そのような過去世があったような気がします。

だから、幼少期から暴力や罵声が日常。
鳴り止まない借金取りからの電話も日常。
私の体も大きくはならず華奢なまま。

過去世で私が逆の立場だったような気がします。

爺さんや父は、私が過去世で、
部下に置いていた人だったかもしれない。

そのような親元、
そのような環境、
そこへ生まれることが、
決まっていたのであれば、
そこには、何らかの意味が、
あったのだと思います。

↑のコスモボーイさんの動画は、
非常に興味深い話ではありますが、
ある程度、毒親問題を
乗り越えた人向けとも言えます。

自身の業の深さに気づかせる為に、
毒親の元へと生まれて来たのかもしれない。

必要以上に親を
責める必要もなければ、
自分を責める必要もない。

でも、自分の感情を抑え付けているだけなら、
まずは、徹底的に相手のせいにして、
負の感情を吐き出した方がいい事もある。
(相手に直接攻撃するのでは、ない)

先祖の未浄化霊と言う
ケースもあるそうです。

成仏されている霊は、
この世に未練がない。

成仏されていない霊は、
この世に未練もあれば、
執着もある。

子孫にすがる、頼る、
甘える、依存する。

これって、肉体を
持って生きている毒親、
そのまんまですよね?

と言う事で先祖の関係も
あるのかな?とは思う。

そしてまた、毒親が異常者なら、
その毒親に育てられた自分も、
人格や思考に歪みがあるかもしれない。

三つ子の魂百までと言いますが、
毒親育ちの人は、自分が親になった時に、
自分がされた事と似たり寄ったりの事を、
無意識の間にやってしまうケースも多い。

なので、常に気を付けて、
自分を省みないといけないかもしれません。

親の苦手だった部分。
嫌いだった部分。癖。
それを知らず知らずのうちに、
自分も受け継いでいるかもしれない。

そう言った意味では、
人の振り見て我が振り直せ。
親を見て我が振り直せです。

↑shandaraniさんの記事になりますが、
これが一番、深い理由になるかもしれません。
↑3次元の人と4次元の人の違いも参考になります。

↑sandaraniさんの有料記事になりますが、
私が気になっていた記事でもあります。

shandaraniさんも、
すごい毒母の元で
育った人だったのですね。
もっと肝心なこともありますが、
有料記事なので、そこには、触れません。

それは、さておいて、
衝撃的だったのは、
輪廻転生の真実のようなことが、
書かれてありました。
これには、本当に驚きました。

くるまだまさのぶ改名?ナマケモノ仙人さん。

スピリチュアル界隈では、
それなりに名のある人であると、
私は、思っていますが、
スピリチュアル好きの人の中でも、
知る人ぞ知ると言う人になるかもしれません。

※私の、この記事は、結構、
端折って書いているような所もありますので、
気になった方は、ナマケモノ仙人さんの
ブログを直接、読まれた方が良いと思います。

ナマケモノ仙人さんのブログ
https://note.com/soraiki13

ナマケモノ仙人さんのブログを読ませて頂くと、
人生は、シナリオ通りと言うことを伝えられています。

近年のスピリチュアル界隈の人は、
シナリオは、あるけど変えられるとか、
自分で自由に創り出せると伝えている人も多いですが、
エゴや自我では、創り出せない。

人生は、100%決まっている。

多くの人は、それを受け入れたくない。
自我、エゴ、それを受け入れたくない。
魂、真我は、それを受け入れる。

運命、人生は、すべて決まっている。
こちら側にバトンタッチした方が、
結果、上手く行くことも多いそうです。

私の人生がすべて決まっているのなら、
誰の人生もすべて決まっている。

だから、どのような人も、
どのような事も、そのように、
演じただけの演者に過ぎない。

例えそれが、どれほど、
ヒドイことであったとしても、
相手は、演じただけ。

魂のシナリオ通りに演じただけ。

その行動、その台詞通りに演じた。

だから、どのような悪人にも極悪人にもカルマは、ない。

それがあると思わせているのが、自我、エゴ、思考。

善人の役など誰でも出来る。
悪人の役を買って出る魂の方が上級。
と言う話を思い出しました。

人生は、役の通りに、演じなければならない(スピリチュアル)

だから、現実を変える為の現実創造。
相手を変える為に何かをやると言うのは、
何だかズレているのかもしれない。

このような話は、自我やエゴは、
とても嫌がるような気もします。

自我やエゴは、そんな事は、
認めたくないのだと思う。

自我こそが本物の
自分だと信じて疑わない。

ハイヤーセルフが目覚めるって、どういうこと?

取れない強力なブロックや周波数を外す方法

悟りの境地・すべては一つの完璧性の真実

現実創造と言うのは、
実は、目覚めから遠ざかる。

現実創造と言うのは、
外側に意識が向いている。
すべては、自分の内側。

外側に意識が向いているから、
現実創造がしたいと言うことになるそうです。

悟りと、解脱と、目覚めの関係性(スピリチュアル)

外側の出来事に対しては、
川の流れのように眺める。

自分の人生に起きることは、
すべて必要だから起きている。

この人生に起こることは、すべて必要なことしか起こらない

この世は、攻略ゲームのような世界?
なのかもしれませんね。諸々の罠もある。

幻・偽物

外側に見るモノ、聴こえるモノ、
それらすべても、幻であり偽物。
神や仏や宇宙も、幻であり偽物。

すべてが造り物。ナマケモノ仙人さんの
記事を読んで、私は、造物園と思いました。

造花は、花に似て花では、ない。
この世にあるすべても、造られた、
作りモノの造物。すべてが造物。

造物園にある諸々のモノは、実に、
よく出来ていてリアルに見える幻。

これが、外側には、何も無いの、
本当の意味であるような気がします。

ナマケモノ仙人さんも、
自分の内側が本物の宇宙であり、
外側の宇宙は偽物と伝えられています。

目に見えるモノ、すべてが幻想。

本物の答えも内側にあり、
外側には、偽物の答えしかない。

本当の宇宙は、自分の胸の奥にある。

エゴから魂への政権交代

最悪は、最高?
ピンチは、チャンス?
不幸の連続こそ幸せ?

どうにもならなくなって、
エゴが降参した時に、
魂が顔を出す?

その為に思考停止になるような、
諸々の辛い事が連続して起きる事がある。

ちょっとやそっとの事では、
エゴは、抵抗する。必死に抵抗する。

その抵抗する気力も失うぐらいの事を
魂が起こしている事がある。
魂が追い込みをかけている。

何をやってもうまくいかない時(スピリチュアル)

魂的には、絶望や失望なども、
喜ばしいいことかもしれない。

私は、魂のことは、
よく分かってないですが、

冷静沈着で何があっても動じず不動。
とても静かで力強いと言う認識をしています。

簡単に「目覚める。」ことが出来る方法(スピリチュアル)(覚醒)

どのような環境であっても、

いつも謙虚で幸せで誰に対しても平等。

それが出来ないから多くの人は、
難しい人生を設定して来たのかもしれない。

謙虚なつもりであっても実は、傲慢。
そう言う癖や傾向を知っているから、
あなたや私と言う人生を
設定して来たのかもしれない。

魂は、苦しみを体験したかったと言う側面もある。

エゴが諦める。放棄する。
本当の本当にどうにもならなくなった時に、
エゴから魂に政権交代する。

ナマケモノ

ナマケモノ仙人さんの記事を読むと、
思考を怠け者にさせただけで、
行動することは、大事だと伝えられています。

だから、世間一般的な怠け者とは、違う。
そして、行動するのにも思考がブレーキを
かけている事がよくある。諸々の体験は、
大事だし目覚めに至るのも寝て起きたら、
目覚めると言うような類のモノではない。

瞑想

私は、個人的には、瞑想は、
あまり好きになれなくて、
やっていないのですが、
瞑想も、やっぱり有効なようですね。

ナマケモノ仙人さんが、
伝えている瞑想は、
形に捉われる瞑想ではなく、
一分間で一呼吸のハートに、
意識を置く瞑想のようです。

思考を使わない何もしないことのすすめ

五次元の地球での思考とは?(アセンション後)

瞑想で魂ハイヤーセルフと会話する方法

目を開けてやる瞑想の勧め(目覚め・明け渡し)

0の状態になれば、どんな状況でも楽しめる(目覚めへの基本)

スピリチュアル系の情報発信者の中でも、
カルマなど本当は、なかったと、
伝えている人は、多いです。

だけど、これをそのまま鵜呑みにするのは、
少しアレかな?と感じる所もあります。

カルマも因果応報もない。
ですが、いわゆる解脱と言うモノを
体験するまでは、カルマも、
因果応報もあると言う、
認識でいいのかもしれません。

スピリチュアルの中でも、
初級、中級、上級と分けるなら、
ナマケモノ仙人さんやshandaraniさんが、
伝えていることは、上級の部類になると思います。
だから、初級、中級のスピリチュアルが好きな方には、
毛嫌いされる所もあるような気がします。

実は目醒めた人なんか、ほとんどいない?ズバリ言うわよ!目覚めたつもりの人達。

まず、大前提として、
私は、目覚めていません。

しかし、目覚めた気になって、
目覚めては、いない。
そう言う人も多いと思う。

スピリチュアル界隈で、
目覚めと言うワードを
よく聞くようになりましたが、
眠りの世界の中での
目覚めがあると思ってます。

鬼滅の刃の映画。
無限列車偏の中で、
夢の中で、それを現実だと、
思い込むシーンがありましたが、

目覚めていないのに、
目覚めたつもりになっている人。
眠りの世界の中で目覚めた人。
(目覚めたつもりで睡眠中)

実際には、眠ったままなので、
本人や周囲が目覚めていると、
思い込んでいるだけで、
目覚めと言う幻覚の中の眠り姫。

私の憶測でもあり、
偏見になるかもしれませんが、
並木さん辺りも、どちらかと言うと
眠り姫の方ではないか?と思っています。

スピリチュアル能力が高くても、
色んな事が視えて分かっても、
それだけでは、目覚めているとは、
言い難いと思う。こう言う人が、
今のスピリチュアル界隈には、
多いかな?と感じています。

眠り姫でありながら、
目覚めの話をしている人は、
多いような気がしています。

眠りの中で目覚めの話。
それは、もしかしたら、
さらに眠る為の話かもしれない。

5次元以上の話をする人も、
眠りの世界の中での、5次元、
6次元、7次元、…11次元など。
あくまで眠りの世界の中での次元。

その類の情報を伝えている人も、
多いのではないか?と思っています。

私がスピリチュアル系の
色んな情報に触れた中で、
目覚めているだろうなと、
思う人は、shandaraniさん。

この世は、舞台。
主人公は、自分。

これが合ってるかどうかは、
分かりませんが私は、
この考え方なのですね。

ナマケモノ仙人さんは、
目覚めと現実創造は、
真逆のモノだと言います。

人生が100%決まっていると言うと、
つまらなく捉える人も多いと思う。

だから、決まっているとしても、
知らない方が、いいのかもしれない。

でも、夢や希望を与えると言う方向性なら、
自由意志で、いくらでも運命は、
変えられる。こちらの方がいいですよね。

四柱推命などの占い師の中でも、
人の運命は、すべて決まっているとしか思えない。
と言っている人もいますが、お客様には、
それは、伝えないことも多いそうです。
さらに、ある程度の年齢にならないと、
受け入れられないだろうとも言っていました。

本当に目覚めている方なら、
見分けが付くかと思いますが、
残念ながら、私は、目覚めて、
いないので分かりません。

私も含め多くの人は、眠りの中。
寝ても覚めても夢の中。
睡眠中に見る夢。起きたら、
現実だと思ってますが、
その現実だと思っていることも夢。

この夢から覚めることが目覚め。

有名無名を問わず、
目覚めては、いない人達が、
目覚めについて語っている。

だから、目覚めの情報は、
結構、まやかしが、
多いような気がします。

(↑のリンクは、shandaraniさんの記事です。)

冬至なども、エネルギーの変化は、
あるでしょうけれど、
眠っている人達の眠っている祭り。
そう言うのもあったりします。

でも、それが楽しかったりもするので、
楽しければ、それでOKと言う要素もある。

目覚めたつもりの人の話も、
面白かったり、興味深かったり、
それなりに役に立つこともある。

眠っていようが目覚めていようが、
結局、どうでも良いと言いますか、
そもそも本当に、
目覚められる人と言うのは、
非常に少ないようなので、
目覚めたつもりになって、
人生、楽しく過せるなら、それは、
それでいいのかなぁとも思います。

でも、目覚めていないのに、
目覚めたつもりになって、
調子に乗っていると、
地獄に堕ちるわよ!

shandaraniさんの記事と、
ナマケモノ仙人さんの記事は、
矛盾する所があるので難しい所ですが、
目覚めの順位を付けるなら断トツで、
shandaraniさんかなと私は、思っています。

ズバリ!目覚めたつもりで、
目覚めていない人は、多い。
それは、夢の中のようです。

アセンションゲート。賛成派?反対派?

誰が何を選ぶのも、
個人の自由なので、
賛成、反対と言う言い方は、
語弊があるかもしれませんが、
どちらか一方の情報しか知らない人は、
それが真実だと思ってしまう側面もある。

なので、今回は、
それぞれが、どんな情報を
伝えているのかについて、
触れてみたいと思います。

賛成派

新しい地球へ移行する為の
アセンションゲートが開いている。

このゲートを通過出来る人と、
出来ない人とに分かれる。

古い地球に残る人は、
置いてきぼりになる。

アセンションする為の
準備が整った人だけが行ける。

準備が整った人に、
アセンションゲートが開き出す。

このゲートを通れない人は、
次元上昇が難しくなる。

このゲートは、
本当にアセンションしますか?
眠り続けますか?の最終確認。

ゲートを通り抜ける人も、
それぞれの状態においての
差は、ある。いずれにしても、
通り抜けたら素晴らしい夢の世界。

アセンションしないと
決めて来ている人もいるので、
そう言う人は、この話を聞く
機会がないし仮に聞いたとしても、
ピンと来ない。

大抵、この手の話をする人は、
統合や手放しの話もセットでしている。
大体、みんな同じような話をしている。

反対派

反対と言いますか、
そのようなことに、
興味がない人ですね。

今は、スピリチュアルな
情報発信者の人でも、
そう言う人は、
増えているようです。

私もそうで、どうでもいい、
と思っています。

アセンションに時期は、
関係ない。それは、
一人一人に起きるモノ、
起こすモノであって、
みんなで一斉にと言うような、
類では、ない。

スピリチュアル業界で、
有名な方が数年前から
目覚めのゲートが、
閉じると言って、
今度は、アセンションゲートが、
閉じると言って不審に思う人は、
多いようです。

私も最初の頃は、
そうなのかな?
と思っていましたが、
今は、どうなのかな?
と言う感じです。

今回が本当に最後だ、
と伝えているようなので、
来年の冬至辺りに何を言うのか、
興味は、あります。

かと言ってゲートどうのを
伝えている人達を
全否定しているのではなく、
それなりに役立つ話もされています。

ゲートは、なくとも、
宇宙のエネルギーとしての変化を
感じている人は、多い。

しかし、アセンション商法、
冬至商法とも言える金集めを
していると捉えられても仕方ない。

だけど、本人達にも、
騙すと言うような意図は、
ないと思います。
(そう言う人もいるでしょうけど。)

本人達も、
本気でそう思い込んでいる。
妄想の世界。眠りの世界。

ゲートに興味がない人の方が、
覚めているとも言える。

でも、それがあると思ってる人と、
言い争うつもりもないし、
あると思っている人達は、
それを信じればいいと思う。

アセンションゲートが、
夢物語だとして、
夢物語が現実のモノに、
なると思っている人の
邪魔をする必要もない。

いい夢見させてあげましょう。

本当にそう言うモノがあって、
私達が分かっていない、
と言う可能性だってある。

結論的にアセンションゲートは、
ある人にはあるし、
ない人には、ない。

個人の意識の中に、
アセンションゲートがある、
と言う話もあります。

個人の意識の中なら、
そうなのかな?と思う。

追記:読者のテユさんよりコメントを
頂きました。テユさんの
ご意見も参考になると思いますので、
コメント欄より、そちらの方も、
合わせて読まれると、
良いかもしれません。

一部、テユさんのコメントを
抜粋させて頂きます。


ゲート云々というよりも

人類の意識進化を促すために
ある種の方便的な話を広める、
そういった役割があるスピリチュアリストが
いるんじゃないかな?と思います。

情報が完全に正しいかどうかは重要じゃなくて
より大多数の人の意識を変容させるために
ちょっと過激でセンセーショナルで
目立つ必要性がある、そういったやり方で
変えていく役目の人が居るんだと思います

よくも悪くもゲート煽りでこれまでに無い
数多くの人が内面のワークに
着手しだしたのは事実だと思います。

般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)・仏見?

般舟三昧経は、
大乗仏教の一つと言われています。

簡単に、どんな内容なのか?
について触れたいと思う。

般舟三昧経は、十方諸仏の中でも、
主に阿弥陀について説かれている。

三昧と言うのは、
サンスクリット語の
サマディの訳で瞑想において、 
精神状態が深まり切った状態のこと。

口で念仏を唱え、
心で阿弥陀仏を思う。
それを常に行う三味の行。

この三昧において仏を見る。

精神統一によって仏の姿を目の前に、
見ることが出来るそうです。

一念岩をも通す、
と言いますが、

心を一つに集中し、
阿弥陀仏を念ずること。

阿弥陀仏の名を
唱えることによって、
阿弥陀仏が目前に出現する。

常行三昧を行じることで、
はっきりと阿弥陀仏を
見ることができる。

念仏によって見仏となる。
見仏は、身仏でもある。

その心がひたすら、
その対象に向かって、
汚れなき心となっていること。

目の前に見えるものは、
自分の心の投影でもある。

一切世界が心のみである。

仏が見えるから凄いとか、
見えないから駄目だ、 
と言うことでもない。

自分の心、観念が、 
映し出して見せている。

心が仏を作り、
心が仏となり、
心が仏を見る。

心が仏。心が身。

心は、仏を見るが、 
心は、心を見れぬ。
心に阿弥陀を観察する。

三界唯心。三界に属する、
一切は、ただ、心のみ。

と言うことで、いくら、
仏が見たいと願っても、
自身の心の状態も関係する。

三界唯心の真理があってこそ、
修行者は、仏を見ることが出来る。

そしてまた、苦しみさえも、 
自分の心の現れとも言える。

心がすべてを創り出している。幻影。

念仏をしている瞑想中に仏が現れる。

でも、危険な要素もあると言われています。

いわゆる憑依型の仏。
偽仏が現れる事もある。

しかし、実態のない姿。

空は、夢の如し。

目に見えるものすべてが幻想。

本物か偽物か?と問うことは、
無意味なことかもしれない。

自分の心が映しているのだから、
それが偽物だろうが本物だろうが、
本人にとっては、本物。

しかしながら、仏陀も未熟な修行者が、
より深い瞑想を求める事は、
危険な事だと言われていたそうです。

無反省に幻覚を操る事は、
崖から転落するような事。

増上慢。慢心。
これには、要注意。

今回、参考になったサイト様

https://www.yamazakibennei-museum.com/bennei-kawanami.html

https://blog.goo.ne.jp/schiffberg/e/0c8e9566ab0703bf942a56e050deeb1

http://www.yamadera.info/seiten/d/hanjusan_j.htm

「仏見」とはどういう意味ですか?

自分の外に仏を求めたり、自分が仏であると考えたりすること

般舟讃(はんじゅさん)

観経等明般舟三昧行道往生讃

阿弥陀仏の行法、
阿弥陀仏の徳、
浄土往生の道を示されたもの。

聴いてみて念仏和讃にとても似ていると思いました。

http://www.yamadera.info/seiten/d/hanjusan_j.htm

https://blog.goo.ne.jp/fuji1980/e/5769199490743a5c5532153a4825674f

和讃の意味は、仏や菩薩や、
祖師、先人の徳に対して、
和語を用いて褒め称えるとあります。

般舟讃は、般舟三味経を
褒め称える讃歌。

↑この本を読んでみました。

他の教えや修行を軽んじたり、
罵ってもいけない。
また自らに、縁のある
教えのみを讃歎するでもいけない。

こう言うことに、
興味関心があって、
活動している人の中には、
自分の所は良くて、他は、
ダメだとする人も多いですが、
自分の所も良くて、他の所には、
他の所の良さがある。善導大師は、
そのように伝えていたようです。

いくら素晴らしい話が出来ても、
その人の人間性。傲慢か謙虚か。
素直か頑固か。それによって、
その人の本質が分かる。

清浄とは、自分自身の
悪業や他人に悪業を
起こさせる自らの行為。
これらすべてを
断ち切ること。

我々は、はかり知れないほどの
昔から、この三界、六道に、
沈みに沈んでいる。

阿弥陀仏は、この世における、
人々の苦しみ、苦痛の声を聞いて、

自身の苦しみにおいて、
自らがなした自らの因によって、
受けた結果である。決して、
他人を怨んでは、ならない。

そう言われたそうです。

阿弥陀仏の名号を念じることは、
罪を軽くすることでもあり、
徳を積むことでもある。

煩悩も心によって、
作り出される。

煩悩を断ち切る利剣が、
南無阿弥陀仏の名号。

心想、相好、観相。

相好も、観相によって、
衆生の心想の中に起こり、

行者の念に随って、
真金色の仏が現れる。

真金色とは、
阿弥陀如来の
金色相のこと。

一心に仏を観想すれば、

念仏行者の前に、
その姿を見せる。

念仏は、悟りへの入口。

この念仏三昧の他に、
日常的な教えとして、

愚痴の行いを断ち切り、
自らの罪や過ちを恥じよう。
他人を欺いてもならない。

理論のみでも教理のみでも救われない。
自分に納得できなければ、
怨だけを残す事になる。

そのようなことも伝えられています。

プレアデス星訪問記を読んでみました。(著者・上平剛史)

ブックオフの100円コーナーで、
手にましたが思いのほか、面白い本でした。

2009年3月に初版が発行。

今、読んでも、凄い科学的な内容も含まれています。

ざっくり話すと著者の剛史さんは、
プレアデスの宇宙太子(エンバー)と遭遇し、
宇宙船に招待される。

そこで諸々の話を聞いたり、
見せてもらったりする。

地球人類の諸悪の根源は、紙幣制度。

これを社会の基礎にしているから、
欲望を募らせ、格差や差別が出来、
物質欲のエゴを剥き出して争ったりする。

地球の紙幣制度が人類を滅亡させる原因。

だけど、紙幣制度がダメだとは、言っていない。
これを、社会の基礎にさせている事が問題。

プレアデスには、紙幣制度は、勿論、ない。

地球の紙幣制度は、エゴが育ちやすい。

プレアデスは、愛と調和の星。
地球も一部は、そうなっていますよね。

少し話は、飛びますが、プレアデス星人も、
男女間の恋愛は、あるそうです。お互いに、
好きなタイプ、嫌いなタイプもある。

地球人と違うのは、基本的に争いは、ない。
誰かに攻撃をすることもない。

誰かに危害を加えたり、争ったり、憎んだり、
恨んだりと言う事は、ないそうです。

見返りを求めない愛。
誰かが問題を起こしても、
誰も責めたりしない。

相手の責任は、自分の責任。

高度に進化した星や生命体は、
相手を祝福する感情しか沸かない。

そう考えると、
地球人は、
まだまだ波動の低い
人種になるかと思います。

でも、プレアデスでも古い時代には、
争っていた時もあるそうで進化の過程では、
そのような道を通って行くのかもしれませんね。

惑星規模でもそうですが、
個人規模でもそうですよね。
人格が大人になるほど争わない。

人間の肉体を活かしているのは、
幽体、霊体、魂。本体は、霊魂。

霊魂を浄化し、高め、魂を進化させる。
その為に人は、生きているようです。

自分の本体(霊体・魂)を進化させるには、
神我に目覚めること。この本の中では、
真我ではなく神我と書かれています。

神我は、本来、万能で誰にでも備わっている。

これを自分の意思通りに使えれば、神のようになる。

私は、サイババさんとか、
ドラゴンボールの身勝手の極意を連想しました。

この本の中でも物質化現象の話が、
出て来ますが、思考、思念の力を使っているようです。

想像により、創造させ、物質化させる。

しかし、あくまで、神としての力なので、
エゴの力で、いくら力んだ所で無理だと思います。

コツとしては、自分の心を無欲の透明な心にする。

肉体を霊化する。元々、人間は、肉体の他に、
霊体を纏っているのですが、霊体を自在に操る
と言うことが出来れば、万能になる。
地球人は、エゴが多いから殆どの人は出来ない。

霊的進化すると、これらは、可能になる。

そう言えば、ヒマラヤ聖者の生活探求
と言う本の中でも同じような話がありましたね。

テレパシーは、心と心の対話。
時間や距離も関係ない。
感情や心がそのまま入って来る。

当然と言えば当然なのかもしれませんが、
プレアデスの科学技術は、かなり発達している。

それも調和して動くシステムとして機能している。
医学も進化しているので地球で言う所の障害児と言う人は、
生まれないような仕組みであるそうです。

手足がなくなっても再生できる医療。

学校教育は、中身こそ違いますが、
プレアデスでも共同生活の中で、
学んでいるようです。学問の知識よりも、
心の問題を重要視している。

そして、地球と同じ部分は、
それぞれの得意分野を伸ばすと言うこと。

船井幸雄さんの長所伸展法に似てると思います。

既に地球より遥かに進んだ技術が、
プレアデスには、ある。
それらを地球に提供するには、
地球人の心の在り方が大事。

プレアデスからしてみれば、
地球人は、まだまだ心の在り方が幼稚。

今、プレアデスの技術を提供しても、
おかしな方向に使われるし使いこなせない。
使えたとしても戦争の道具に使われる危険もある。

だから、アドバイスはしても、
技術の提供は、出来ないそうです。

心の在り方が変われば、
生き方が変わる。
一人一人がそうなって、
やがて社会全体が変わる。

また、プレアデスでも、
養殖の魚を食べることは、
あるそうですが、
肉を食べることは、ない。

それには、理由があって、
魚は、進化の段階で、
自分より霊格が上の存在に、
食させることで昇華される。

小林正観さんが、
政木和三さんの逸話として同じような、
話をされていたことがありました。

一方で、魚以外の四足動物などは、
それなりの霊格があるので、
殺戮された際に人間に恨みの
感情を持つことがある。

今は、スピリチュアル好きの人には、
肉を食べなくなった人も多いですが、

世の中の多くの人は、肉を食べている。
焼肉屋などは、それで生計を立てていますし、
いきなり、みんながみんな辞めてしまうと、
困る人も出て来るわけで、徐々にと言う所ですかね。

私も滅多に食べませんが、
近所の仲の良いおじさんが、
焼肉屋を経営しているので、たまには、
そこに行って肉を食べることもあります。

そして、人間同士でも、
霊格の高い低いはあるでしょうから、
無理に、みんながみんなに辞めろと、
言うのは、酷なことかもしれない。

地球の今の問題は、紙幣制度を
軸にしている事。競争社会。
学校教育もそうなっている。

プレアデスでは、
愛の奉仕活動がベースになっている。

宇宙船が光よりも速く動く技術もある。
そもそも、宇宙船とは、そう言うモノ。

プレアデスの科学技術は、
自然の中から取り入れたモノも多い。

剛史さんは、プレアデス星人から、
愛の重要性を学びましたが、
地球へ帰ってから自分の母親からも、
愛の重要性について聞かされました。

愛溢れる母親でした。

潜在意識と現実の話。潜在意識が現実?

顕在意識より潜在意識の
影響が大きいのは、有名な話。

潜在意識は、無意識領域とも言われます。

潜在意識には、
時間の概念がない。

相手と自分の区別が付かない。

外側には、何も無いとか、
自分一人の世界とか、
鏡の世界だとか言いますが、
すべては、潜在意識の反映。

かと言って顕在意識が、
どうでもいいわけではなく、
顕在意識と潜在意識で、
一つの意識。

一言で、自分の現実は、
自分の潜在意識で創り出した結果。

だけど、生まれる前に既に潜在意識に、
刻まれていると言いますか、
抱えて来たモノもあるようです。

それが過去世から持ち越したエネルギーだったり、
今世の設定であったり、課題だったり、
カルマと呼ばれるモノだったりするようです。

カルマは、ないと言う話もありますが、
なかったとしても、あると仮定した方が、
気づきが得やすくなることもあると思います。

潜在意識の書き換えセッションなども、
あるようですが、潜在意識の書き換えを
自分以外の人にやって貰うことは出来ない
と言う人もいます。

誰かに自分の潜在意識をいじる事は出来ない。

私もどちらかと言うと、
そうだと思っています。

しかし、書き換えを
誰かにやって貰うことは、出来なくても、
潜在意識のリーディングが出来る人は多い。

そう言う人に見て貰うことで、
何らかの気付きがあることもある。

潜在意識の書き換えセッションと言うモノが、
あくまで本人に気付きを促して、
本人が書き換えると言うモノであるなら、
それも意味があるのかもしれません。

ただ、私個人としては、
セッションをやったり、
スピリチュアルティーチャーなどの
活動をされている人の多くは、
何か中途半端な理解の人も多いかな?
と言う印象もあります。

潜在意識は、潜む。潜る。
普段は、気づきずらい意識。

顕在意識は、自覚できる意識。

現実は、潜在意識の反映で、
自分で創り出している。

かと言って何があっても、
黙って耐えれぱいい、
と言うものでもなくて、

伝えるべきことは、
伝えればいいし、
許せない人や事を無理して、
許そうとしなくてもいい。

斎藤一人さんが言っていた、
許せない自分を許します。
この言葉も深いですね。

また、幼少期における、
両親との関係性も重要のようです。
最悪な親だったとしても、
イメージの世界で書き換えが可能。

どのような出来事も、
とてもそうと思えなくても、
根底には、愛しかない。

外側や内側と言うのは、
分かりやすく伝える為の例えであって、
すべては、自分の内側で起きている。

外側に誰も居ないのだったら、
すべては、自分。自作自演。

何処まで行っても自分。私一人の世界。

誰かや何かも本当は、いない。

自分のフィルターを通して、
自分以外の人がいるように見えている。

この世は、幻想。幻。マーヤ。

スピリチュアルな話でよく言われる、
鏡に映し出された現実は、結果。

映し出された人や事を
いじっても、何も変わらない。

そこを変えよう変えようと
もがいても、もがいても、変わらない。

だから、鏡の元である自分を観よう。

他人と言う自分が映し出されている。

自分の中にそれがある。

人の振り見て我が振り直せは、
こう言う所から生まれた、
諺なのではないか?と思う。

↑shandaraniさんのブログ記事の潜在意識話。

これが究極の話であるように思います。

憑依って本当にあるの?人は、幽霊の影響を受けている?

まず、この世に留まり、
この世を彷徨っている、
幽霊と言うのは、基本的には、
波動の低い存在です。

視るには、低い周波数に、
波動を合わせる必要があるようです。

だから、そう言う存在を日常的に、
視ている霊能者の中には、
表情が暗くて重いような人もいます。

名前は、出しませんが、
昔、TV番組等で、
有名になった霊能者の中にも、
いましたよね。

霊能者の方の話を聞くと、
霊を見る為のスイッチのようなモノがあって、
ONとOFFを自由に切り替えているそうです。

視ようと思えば、視えるし、
視たくないと思えば、視えない。

そして、幽霊が見えなくても、
私達には、五感があるので、
感じると言う事もあります。

今回もDaiFitさんの話を
参考にさせて頂きますが、
パラレルワールドの視点では、
幽霊がいる世界もあれば、幽霊が、
いない世界もあるそうです。

予言などに関しても、
それが当たっているパラレルもあれば、
それとは、違うパラレルもある。

過去と今も繋がっていない。
自分で引っ張って繋げている。
自分で過去の出来事を今に、
連結させている。

あの時、ああで、こうで、
あんな事があって、あの人が、
どうたらこうたら、と言うのは、
大概、今と過去を繋げている。

思考は、過去や未来に、
飛びますが、体は、
いつも、いつでも、
今ここにしかいない。

そうは言っても、
過去が気になって、
仕方がない。
過去の思考が自然に、
沸いて来る。

長年の癖が定着しているから、
すぐには、変えれないかもしれない。

あるいは、
どうしようもない、
悲惨な出来事に、
遭遇した人ほど、
その出来事の理由が知りたい、
と思うのは、当然のこと。

ですが、
霊能者にしろ、
占い師にしろ、
視えるから、
当たるからと言って、
凄いわけではないので、

その人の日常、人格、人間性、
言葉使い、感情の使い方などを
よく見てください。

ネガティブ寄りな人なら、
同じような霊の類が寄って来る。

低級霊でも、よく視えたり、
よく当たると言う事は、出来る。

そして、霊能者関係なく、
ネガティブな感情を四六時中、
放って、ネガティブな言葉を
四六時中、言っている人も、
低級霊などに憑依されやすい。

脅したり、不安にさせたり、
傲慢だったりの霊能者は、問題外。

先祖がどうたらこうたら、
と言うのは、昔から、 
霊能者がよく使う言葉てすが、
それは、違うと言う話もある。

私も、違うと思っていたのですが、

いつだかに宇宙語の
伝授を受けた際に、 
私の潜在意識の
リーディングをしてもらい、

その方から、
外側には、何も無い。
家庭内のゴタゴタは、
あなたが先祖を嫌っているからだ。  

そう言われました。

これだけの文だと、
相手の人は、
インチキ霊能者だとか、
思うかもしれませんが、
その方は、霊能者では、ないです。
脅しでもなかったと思います。
  
実際に、私の家庭内は、
かなりのゴタゴタがありました。

父方の爺さん婆さんは、
私にやたら干渉していましたが、
私は、幼い頃から大嫌いでした。

そのような話を一言もしてないのに、
潜在意識を視たら分かったようです。

宇宙語の伝授を受けに行ったので、 
このような話をするとも思いませんでした。

先祖の祟りとは、 
違うのですが、先祖の
DNAは、流れている。
流れようとしている。

先祖を嫌っていれば、
それが逆流する。

しかも、先祖と言うのは、
爺さん、婆さんだけでなく、
遡れば、たくさんの人がいる。

スピリチュアルな話では、
身内関係で大嫌いな人ほど、
肉体を脱いだ後は、
実は、仲良しと言う話も、
よく聞いたりします。

爺さんも、婆さんも、
どうしようもない人でしたが、
そう言う役目があったのでしょうか?

その潜在意識が視れる方が言ったことは、
私が爺さんの事を嫌っている事も、
当たっていた。その結果、DNA絡みで、
弟が精神異常者になっていた。

それは、分かったのですが、
爺さんが異常者だったと言う所までは、
視えていなかったようなので、

何故、爺さんは、あそこまで異常だったのか?
そして、そのような家系に私が生まれた意味。
私と、どのような因果関係にあったのか?

霊能者の方に視て貰う機会があったら、
この辺のことを聞いてみたいとも思う。

しかし、先祖が、
どうたらこうたらでと、
理由を付けて騙そうとする霊能者や、
本人がそう思い込んでいる霊能者も、
多いので気を付けてください。

これだけの文章を見たら、
私も騙されているだろ?
と思う方もいると思いますが、
騙されては、なかったと思う。

金額の問題ではないですが、
その時に使ったお金は、
1万円ぐらいだったはずです。 

あれから数年経ちますが、 
何かを買ってくれとか、 
何の勧誘もない。
あれ以来、会っても、いない。

相手の方に、
騙そうとする意図は、
まったくなかった。
インチキでも、ない。

だから、先祖関係が、
まったく関係ないとは、 
言えない要素もある。

大嫌いだった爺さんが、
死んだ後も身内関係の
ゴタゴタは、続いていました。

私のように先祖嫌いな人は、
ホ・オポノポノも、
一つの方法だと思います。

幼少期の体験や、
過去のトラウマなども、
思考と関係しているようで、
ネガティブ感情も出やすい。

毒親問題のスピリチュアル的な話は、
momoyoさんの動画も参考になります。

時に霊能者の力を借りないと、 
解決しない問題もあると思う。

家系的な事は、中々、
分かりずらい事もある。

祟りは、なくとも、
祟りのように思える事が、
起きる事もある。

霊能者を選ぶ必要は
ありますが、霊能者は、
自分で気づけない所の
アドバイスをしてくれる専門家。  

自分だけでは、
気づけない所を教えてくれる。
依存は、禁物ですが、自分が、 
腑に落ちる答えをくれることも、
あるでしょう。

ソマヴェディック

私のブログによくコメントを
くださるテユさんから、
ソマヴェディックと言う商品があって、
人気も高いと言うことを教えて頂きました。

少し調べた所、肉体、空間の
ネガティブなエネルギーを浄化して、
ヒーリング効果もある商品のようです。

パワーストーンブームがありましたが、
今、ソマヴェティックブームに、
なりつつあるようです。

と言っても私は、使ったことがないので、
実際に使用されたことがある方は、
感想を教えて頂けると幸いです。

仮に効果がなかったとしても、
インテリアとしてオシャレな見た目ですよね。

憑依

今、インドのakikoさんの
本を読んでいる所ですが、
憑依について少しだけ、
触れらていました。

エネルギーが低い霊体は、
この世にたくさんいる。
 
エネルギーが下がっている人も、
そのような霊体の憑依を受けやすい。

幼児虐待とか暴力暴言、
こう言うのも憑依が、
関係している事があるようです。

憑依は、霊体が、
くっついてエネルギーを
吸い取っている状態
でもあるようです。

憑依された人間は、
問題に問題を重ねる。

随分昔に、高橋信次さんの
本を読んだ時も憑依される側にも、
原因は、あるのだけど憑依されたら、
理性が利かなくなるので、
頭も体も心も乗っ取られ、
霊の操り人形と化すとあった。

つまりは、鬼滅の刃の
鬼のような状態。
 
だから、言葉も通じないし、
何か言えば、すぐキレる。

周波数。エネルギー。
私の家系で言えば、
とても低い周波数領域にいた。
それが日常だった。

人は、自分自身に不足を
感じている人ほど人に対して、
攻撃的になるようです。

父や爺さんや叔父や弟は、
まさにそれで四六時中、
誰かを攻撃して、怒って、
威張って、殴って、
悪口や文句が止まらない。

憑依されていたとしか、
思えない状態だった。

私の個人的な解釈ですが、
無意識領域の事も、
関係しているように思います。

自分が憑依されていなくても、
家族や周りに、そう言う人が、
いる事は、あるかもしれません。

私の爺さん婆さんも低級霊に
憑依されていたような人達でしたが、
肉体が亡くなっても、くっついていた、
霊は、残る。そして同じような
周波数の者にくっつく。

そう言う人達が多い家系だったので、
家系自体の周波数領域も低くなっていたと思う。

対策の一つとしては、
自分自身の周波数を高める。

ある程度の年齢になったら、
親兄弟身内であっても、
そう言う人達から距離を置いたり、
場合によっては、断ち切る。

その他の方法としては、
霊能者や、その分野の
専門家を頼ると言うことに、
なって来ると思うので、
やっぱり霊能者も必要では、
あると思います。

今風のスピリチュアルで言えば、
家庭内や家系内のゴタゴタは、
それだけ手放すモノを抱えてきた。
だから、手放しましょうと言うことになる。

↑shandaraniさんの記事には、
答えが書かれてありました。

幽霊も宇宙人も、
本当の本当のところは、
・・・らしいです。

普通のサラリーマン?ツイッターで有名なスピリチュアル情報発信者。DaiFitさん。

この方もツイッターで知りました。
ラジオ放送もやっているようで、
何度か聴いたことがありますが、
スピリチュアル的な深くて、
イイ話をされていました。

相手の人格さえも自分が創り上げている。
ネガティブな問題も、すべて自分の中の問題。

かと言って嫌な相手と無理して、
合わせても調和から外れているので、
嫌な人や合わない人からは、
優しく、そっと離れる事が望ましい。

斉藤一人さんも、合わない人とは、
会わないと言うことを言われていました。

会わないは、遭わない。なのかもしれません。

嫌な人から離れる方が良い波動になる。

心や意識は、外に向けるのではなくて、
内側に向ける。自己を心の中心に置く。

自分の感情をコントロール出来ないと、
その感情に呑み込まれてしまう。

私の個人的な主観を入れますが、
この感情のコントロールが、
効かなくなった状態は、
憑依のはじまりでもあると思っています。

自己愛性パーソナリティ障害の人が、
私の身内に多かったですが、
いつも自分で自分の感情に振り回されていました。

そして、四六時中イライラしていれば、
結果、それに見合った現実を引き寄せる。

家庭内の波動の影響もあるので、
毒親育ちの私としては、
毒親育ちの人は、親元から離れた時から、
ようやくスタートと言うような気もします。

感情のコントロールが出来ないと波動も落ちる。

いい状態の波動を安定させると良い。

自分が出した波動が返って来る。

言霊も波動なので、それなりの効果は、ある。
自分の細胞や体内の水分に響き渡る。振動する。

感情も見えない水のようなエネルギー。
感情は現実を創る波動の素。

エゴの周波数は、低いし重い。
エゴは、何処まで行ってもエゴ。

エゴは、自我、怒り、
自分の中の正義、
常識、捉われ、価値観など。

善悪で分けているのは、自分の持っている、
正義や常識や価値観があるから。(これがエゴ)

宇宙的には、現象があるだけ。

そこでジャッジしたり、怒りを持ったり、
戦いの波動を持ったりしない。

それが調和して生きると言うこと。

精神病のほとんどは、調和から、
外れているだけで病気では、ないらしい。

心と体は、リンクしている。

体の不調は、心から来ている事もある。

怒りは、精神にも、
脳にも腰にも、
ダメージを与える。

エゴの愛と宇宙の愛は、違う。

宇宙の愛に善悪は、ない。
すべてを手放すと、
自分が宇宙の愛となる。

戦いや怒りは、エゴ。
不安、心配、恐れもエゴ。
ジャッジもエゴ。

私達は、たくさんのエゴを抱えている。

今は、エゴではない愛の世界に移行する人と、
相変わらずエゴの世界で生きる人達の別れ道。

ポジティブもネガティブもない世界。
そこが0(ゼロ)地点。調和の世界。

感情を天秤にかけたら、
中心にいるような状態で、
中道と言いますかブレないし傾かない。

中心の0地点は、穏やかさ、静けさ、愛、調和。

外側の出来事に一喜一憂しない。

なるべく、ここにいるようにすると良い。

調和していると心に余裕が出来る。

意識が現実化する?

自分で意識したモノやコトが現実化する。

自分が信じているコトも、
それに意識を向けている。

信じているコト。それを確信しているコト。
それは、人それぞれ違う。
だから、信実は、人の数だけある。

私の信実と、あなたの信実は、違う。

誰が何を信じるのも自由。

否定、批判、支配、
正しさを追求するのは、違う。

外側には、問題は、無い。

自分の心が問題を創り出し、
自分の意識が常に現実化している。

感情

感情に振り回されるのは、
エゴに振り回されている。

自分で自分の感情を管理する。

誰かや何かのせいでは、ない。
自分の捉え方で感情を使っている。

すべては、自分自身の責任。

怒らせる人は、いない。

自分がそう捉えて意味付けをしている。

自分の感情を管理すると言うのは、
イコールで人生を管理出来ている。

人間的に大人と言いますか、
人格者ほど、これが出来ている。

自分の感情をコントロール出来ないと、
感情に振り回される。感情の主人は、自分。

すぐにイライラしたり、
怒ってばかり。愚痴や悪口や、
文句ばかり言っていれば、
その深みに嵌まる。

結果、調和とは、無縁になる。

そして、そう言う人との関係も、
なるべくは、断ち切っておいた方がいい。

あなたを粗末に扱ったり、
大事にしない人からも、
そっと離れてください。

離れる時も争ったりせずに、
優しく離れた方がいいそうです。

肉体的に離れられない関係であれば、
心だけでも、離れるようにする。

すべては、自分で創り出しているのですが、
波動的に立て直す為にも臨機応変に。。。

自分の感情=波動。
これが現実を創り出している。

外側の人や出来事に捉われると、
感情がブレたりする。

相手では、ない。自分の波動。

一人一地球

周波数や波動が合っているから、
色々な人が存在しているのですが、

自分の周りにいる人達は、
存在していない。
実在していない。

存在しているように見えている。

存在しているけど存在していない。

意識を向けたモノが存在する。

振動数によって現れたり消えたりする。

自分以外の人は、いるようでいて、いない。

いると言えば、いるし、いないと言えば、いない。

結局、すべて自分。自分1人しか、いない。

だから、人生は、幻想だとか、
外側には、何も無いとか、
この世は、空の世界だとか、
仮の世だと言ったりする。

人生のストーリーやシナリオもある。

出来事や人は、自分で設定していたりもする。

一人一人が創造主。一人一人が神。

分離しているから、その力を発揮出来ない。

それが、三次元的な生き方。

だけど、神としての自分を思い出せば、
そこから抜け出せる。本来、
自分の意識、思考、感情(波動)で、
自由に現実を創り出せる。

考え過ぎないこと。
自分の意識したことが現実化する。
感性、ハートが大切。
波動は、軽い方が良い。

色即是空の色

宇宙的には、出来事に善悪は、ない。
あらゆる出来事は、ただの現象である。

人間には、喜怒哀楽と言う感情がある。
それが色。色を付けて見ている。

意味付け、捉え方。それが色。

人生は、自分の思い通りになっている?

思い通りになっていない。
思い通りになっている。

どちらも、その通りになっている。

思い通りになっている。
その波動が現実化。

思い通りになっていない。
その波動が現実化。

「思い」の波動が現実化。

だから、どちらも、
思い通りになっている。

思考、感情、それが現実化。

思い通りにならない。ならない。
と思えば、思うほど、現実化する。

逆も然りで、思い通りになっていると、
思えば、思うほど、現実化する。

人生に不満が多いほど、
その思いが強化されるので、
結局、自分が損をする。

なぜ、そう思うのか?

ひとつは、物事の捉え方。

同じ出来事でも、
運が良いと思う人がいれば、
運が悪いと思う人がいる。

現象は、中立。

捉え方次第で、
その後の展開が違う。

感情は、増幅されるので、
イライラとか怒りを、
たくさん抱えていれば、
そのような波動になる。

自由意志と言うのは、
どのような思いを持つかも自由。
どのような捉え方をするかも自由。

すべては、本人の思い通りになっている。
本人が発した波動通りになっている。

だから、すべては、
本人の思い通りになっている。

いやいや、そんな事は、ない。
思い通りになんかには、なっていない。
と言う人も、その思い通りになっている。

出会い

出会いと別れは、
必ず意味があって、
すべてが必然で、
すべて必要だから、
出会っている。

偶然的な出会いは、ない。
すべてが、必然。

必要な人が必要な時に現われる。

どんな嫌な人も、
自分の人生に必要だから現われる。

必要でない人は、自分の人生に登場しない。

ですが、お役目が終わったら消えることがある。

相手と対峙しているように見えて、
自分と向き合っている。

エゴとは、何か?

善とか悪とか、
良いとか悪いとか
正義と悪とか、
上とか下とか、
許すも許さないも、ない。

そうやって分けるのは、すべてエゴ。

分けるのは、分離。調和していない。

宇宙的には、善悪は、ない。

心の中に善悪を分ける基準があれば、
自分の心が分断し人間関係が分断する。

善悪は、人間が作った物差し。

しかし、善悪は、なくても、
波動が高い、低いは、ある。
波動が軽い、重いも、ある。

ジャッジして分けない方が、
波動が高いし軽い状態。

善悪と言う視点をなしにして、
愛と調和で生きることが、
五次元世界の生き方。

自己責任

自分の身に起きることは、
すべてのすべてが自己責任。

だから、相手のせいと言う事は、ない。

相手と言うのは、外側。
相手のせいにしていれば、
そのループから抜けられない。

すべては、自分が創りあげている世界。

自分の思考で、自分の捉え方で、
自分の心で、自分の感情で、
創り出した世界。

被害者も加害者も、いない。
善も悪も、ない。だけど、
エゴが創り出した世界には、
それは、ある。

すべては、自己責任。
すべては、自分が選んだ。

誰かや何かのせいにするのは、
安易で簡単な事。

自分の身に起きる事、
すべてを受け入れる。

受け入れると言う事は、
すべてが愛であったと知ること。

どんなに大変な事も、
悲しい事も、理不尽な事も、
そう言う捉え方が、
本当に出来るようになった時、
本当の愛を知ることが出来る。

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