与える者は、さらに与えられ、
奪う者は、さらに奪われる。
私の学生時代の知人に、
これを絵に描いたような二人がいました。
その二人は、友達関係にありました。
この対照的な二人は、
最高の人間観察の
材料になったと思います。
与える者と奪う者が、
一緒にいたら、
すべて吸い取られて
しまうのではないか?
と疑問に思う人も
いるかもしれませんが、
その辺は、しっかり、
線引きをされていたようです。
もっとも、そうでなければ、
波動が違い過ぎて一緒に、
いる事さえ出来なかったでしょう。
今は、疎遠になっているようですが。。
当時、この二人は、友達関係だったので、
与える者は、彼と遊びに行く際には、
レジャー費から飯代から何まで全部、
当たり前のように出してあげていたようです。
でも、それを嫌がっている様子もなければ、
愚痴や文句や不満を言う事もなかった。
それを当然の事のように、やり続けていました。
与える彼は、当時から、
スピリチュアルな事に興味も関心もなく、
その類の情報も知らない感じでしたが、
スピリチュアルな生き方を自然体でやっていました。
一方で、奪う彼は、
与える彼に、飯代から何まで全部、
出して貰っているのに、
裏では、彼の悪口、陰口、
不満を言い続けていました。
口を開けば、人の悪口か、自分の自慢話。
そんなんなので、彼の周りからは、
どんどん人が離れて行きました。
しかし、与える彼とは、
結構、長い間、友達関係にあったようです。
与える彼も、奪う彼に、
裏で悪口、陰口を言われている事は、
知っていたのですが、どうせまた、
俺の悪口言ってたんやろ~と明るく、
笑い飛ばせるような人でした。
当時から波動状態がブレずに、
良い感じでした。私も彼と、
過ごした時期がありますが、
日常的な呼吸が深かった感じです。
ハイヤーセルフの呼吸だったのかもしれません。
奪う彼と何故、いつまでも、
一緒にいるのか不思議でしたが、
奪う彼の事さえも、それほどには、
悪く思っていなかったように感じます。
また、奪う彼にしてみれば、
与える彼に、くっついていれば、
全部、彼に、お金を出して貰える。
だから、依存か寄生をしていたのでしょう。
いつも、誰かのお金を当てにしていました。
与える彼も、奪う彼に、
そのまま現金を渡すような事は、
していなかったようなので、
その辺の線引きは、
ちゃんとされていたようです。
でも、これは、一歩間違えば、
奪う者に吸い取られ、一緒に、
転落してしまう可能性もある。
だから、与える相手も、ある程度は、
選ばないといけないと思いますが、
与える彼は、何か大きな力に、
守られていたような気もします。
与える彼は、今、
とても裕福になったそうです。
奪う彼は、今、、
無職で諸々の事で、
苦しんでいるそうです。
人間観察の結果として、
与えるモノが受け取るモノ、
と言うことを証明してくれた彼。
奪うモノが受け取るモノ、
と言うことを証明してくれた彼。
人間観察として、これほど露骨に、
分かりやすい二人を見ることになった私も、
最高の材料を頂いたと思います。
与える者は、豊かになり、
奪う者は、貧しくなる。
一概には、言えませんが、
心の豊かさが先にあると、
豊かになり、心の貧しさが、
先にあると貧しくなる傾向も、
あるのかもしれません。
奪い続けた彼も、
何処かで何かに、
気付く事があるかもしれません。
地獄の底の底は、
天国だったと言う話もあります。
与える彼は、内面が豊かだったので、
外界に反映したとも言えます。
貧しいと、せかせかしたりで、
内面が整わなかったりもします。
それが外界に反映するので、
いつまで経っても同じ現状だったり、
さらに悪くなったりもします。
順番は、逆のこともある。
外ばかり見ても変わらない。
でも、内面とは言っても、
私は、彼等の内面までは、
見れないですから、あくまで、
外側だけを見た結果ですが、
与え続けた人が豊かになり、
奪い続けた人が貧しくなった。
お釈迦様が貧しい人ほど、
喜捨をしないさいと伝えた、
と言う逸話がありますよね。
喜捨と言う字も面白い。
喜んで捨てると書きます。
不満に思いながらとか、
見返りを求めて与えるのは、
喜んでいないので、喜捨には、
ならないのかもしれません。
キリストは、与える者は、
さらに与えられ、奪う者は、
さらに奪われると伝えたそうです。
見返りを求めずに、
与えたエネルギーが、
そのまま自分に返って来る。
さらに言えば、相手が存在しなくても、
自分が発したエネルギーが自分に返る。
自分発信。自分受信。
豊かな波動を出し続けている人が豊かになり、
貧しい波動を出し続けている人が貧しくなる。
だけど、豊かさとか、貧しいとかは、
必ずしも、金銭のことでも、ない。
お札は、ただの紙切れに、
価値を乗せたモノ。
コインもそうですよね。
千円札の原価は、約17円。
壱万円札の原価は、約24円。
500玉の原価は、約20円。
そんな感じであるそうです。
ただ、まぁ、奪い続けた男は、
与え続けた男が豊かになって行くのを見て、
惨めな気持ちになっていたのではないか?
と言うような気がします。