カルマ抜き。カルマの精算。

スピリチュアルな話では、 
カルマなどないとか、
ネガティブを体験したくて、
その周波数を背負って、
生まれて来たと言う話もあります。

それも、一理はあると思いますが、
私は、どちらかと言うと、
カルマの話の方が正しいのではないか?
と思っています。

しかし、ネガティブな周波数を
背負って生まれて来た。
それも間違いでは、ないと思います。

例えば、100キロの重さを
背負って来た。その重さをカルマと
捉えるなら似てるかもしれません。

カルマの話と違うのは、
ネガティブが分からないから、
ネガティブを体験したくてと言う話。

カルマは、因果応報。
善因善果。悪因悪果。

生まれ変わり死に変わりの中で、
たくさんの業を積んで来ている。

例えば、戦時中や戦国時代の
過去生なら争いや戦いが日常。

今の時代でも、オレオレ詐欺やら、
その他の詐欺やらボッタクリやら、
闇金やら人を苦しめる職業がある。

生まれた時から親が、
ヤクザだった人もいる。

自分も覚えてないだけで、
過去世においては、
それに近い仕事を
やっていた事もあるかもしれない。

人の振り見て我が振り、
直せと言いますが、
我がカルマに気づけ、
でもあると思います。

人には、それぞれのシナリオ、
ストーリがーある。

悪人も、その道を通らないと、
体験出来なかった事や学べなかった事などもある訳で、
今は、その人にとって必要だから、
その道を歩んでいるとも言える。

普通に生きている人には、分からない、
気づきや学びや出会いもあると思う。

何故か昔から、貧困とか毒親とか、
障がい者とか、悪人の世界の人の方が、
理解が深い人がいたりもするものです。

話を戻しますが私自身も生まれて間もなくして、
地獄絵図のような環境。今思えば、
家を見ただけで結構なカルマを
背負って来たと分かる家だった気がします。

毒爺も毒親も私のカルマ抜き。
幼少期から壮絶でした。

許せない気持ちもありましたが、
私のカルマ抜きの為の悪役なら、
私が分かっていなかった。

カルマとは、人に与えた、
苦しみや悲しみの総量だと思う。

過去世において私が精神異常者で、
迷惑をかけていた事もあるかもしれない。

今世でも、
知らず知らずの間に、
カルマを積んでいるかもしれず、
だからこそ、人知れずにやる、
陰徳なども大事。

例えるなら、
目に見えないトラックに、
徳も業も積んでいる。

メチャクチャに運が良い人は、
恐らくは、徳が多い。
前世から持って来た徳分の
こともあるのでしょう。

人を苦しめたり悲しませた精算は、
それなりに大変な苦痛を伴うと思う。

そうでもしないとカルマが抜けない。

今、スピリチュアル業界で、
一部の人がやっている統合ワークで、
外れると言うのは、どうかな?とは、
思っていますが、私は、統合ワークを
やったことがないので、あくまでも、
私の先入観です。でも、すべて自分。

自分が映し出しているかどうかは、
別として、何かあった時に、
あの人が、この人がと、
相手のせいにしない。

そこは、共感します。

また、カルマの精算だったかは、
分かりませんが、不幸のあとの、
幸福と言うのも事実だと思います。
不幸の総量と幸福の総量が同じ。

南風さんの、この動画も参考になりました。
ネガティブ現象は、ジャンプアップ。

何でも噛んでもカルマと言う訳ではなく、
エネルギーや波動の結果としての事もあるでしょう。

投稿者:

sayuriyoukonaoko

アメブロ https://ameblo.jp/supirizumu/

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