コバシャールさんと言う方がいま…
技術よりも人柄の方が大事と言うと
道徳論のようにも思えますし
道徳論でもあると思いますが
これこそが売上にも直結している。
技術があってもお客が
来ないと言うことはありますが
人柄が良ければ、誰かしら
その人のことを好きな人が来るのでしょう。
ちょっと、あの人の顔を見に行こうとか、
あの人と話しにこうと言うような具合に。。
その人のことを好きな人が一人になり、
二人になり、三人になり、やがて、
100人や千人になりというふうに増えて行く。
設備などが悪くてもいい。
味もそこそこでもいい。
場所が悪くても来る人はいるでしょう。
勿論、そこにお店があると言うことを
知ってもらわないと行けないので宣伝は、
必要かもしれません。その宣伝方法も、
その辺で出会った人と立ち話をするでもいい。
趣味や遊びの関係で出会った人に話をするでもいい。
人柄が気に入って貰えれば、
じゃあ、今度行ってみようと
なるかもしれない。
来てくれ来てくれは、
逆効果だと思いますけど。
お店と関係ない話をしていても、
人柄が良ければ誰かしら来てくれるでしょう。
一人が友達を連れて来ることもあるので、
一人は、一人ではない。一人の後に何人もの人がいる。
一人一人を大切にしているか?そうでないか。
運も実力のうちと言いますが、
一人一人を味方に付けた実力。
一番は、従業員の人柄。さらには、
お店にいなくても、その上の立場の人の人柄。
それが、お客様に一番、影響を与え、
売上と関係しているようです。
飲食店でなくても、
客商売でなくても、
この仕組は、同じようです。
営業マンがサボって公園などで、
誰かと話をしていたら、
それが契約に結びついたと言う話は、
昔は、よく聞きました。
まぁ、今は、時代が違う事情はありますが、
それでも、その人の人柄に興味を持たれたと言うのは、
昔も今も変わらない不変の法則だと思います。
私も人のことを言えたあれではないですが、
私の家系は、自己愛性パーソナリティ障害の家系。
父方の方は、私より上の者は、みんなそうでした。
(と言うことは、私も引き継いでいる
可能性はあるのですが。。。)
この症状は、人様に嫌われるのが常です。
怒る。怒鳴る。威張る。殴る。
愚痴不平不満。悪口。泣き言。文句。
見下す。バカにする。
幼少期の頃から父方の身内と関わると、
いつも、この状態でした。
父さんは、ワーワーワーワーと怒鳴ってばかり。
爺さんは、さらに酷い状態でした。
私が生後間もなくして父に、
容赦なく怒鳴りつけられた。
それが、はじめて父の声を聞いた時でした。
もう少し成長して、
小学生に上がるようになれば、
容赦なく暴力。小学一年生の子供を殴り倒して
勝ち誇ったように「立って来い」
と言っているような人でした。
私は、幼心にバカばかりじゃないか?
と思っていました。
怒鳴り声も相変わらずのことでした。
劣化の如く怒る。走って来て殴りかかる。
小さな子供相手に日常的にそれをやる大人達。
爺さんは、アルコール依存でもあったので、
あちこちで飲み歩いていましたが、
あちこちで出入り禁止にさせられていました。
その結果、人は、誰もが離れて行きました。
父さんの弟は、飲食店での仕事を
何十年とやりながら、この状態でした。
客前では、笑顔を振りまいていました。
しかし、客以外の身近な人達には、怒鳴りまくり、
店がはじまる前には悪口や文句を言いまくりでした。
それは、本人やお店の波動として存在し、
お客様は、それを感じ取っていたのでしょう。
その結果、客からも身内一同からも離れられました。
私は、正観さんの教えとは、
正反対の生き方の人達をよく知っている。
そして、私自身も、どちらかと言うと、
その要素を引き継いでいる部分もあると思う。
だからこそ、正反対の教えである正観さんの教えには、
とにかく惹かれた。私が実践できているか?と言えば、
そうでもないのですが、行きつ戻りつと言う感じですね。
正観さんも、恐らくは、
毒親育ちになるのでしょうけど、
大学生の頃に父親から家を
追い出されています。
結果、それが功を奏して、
作家の道が開かれ、その後、
何年後か、何十年後かは、分かりませんが、
追い出した父親とも仲良くなったそうです。
だから、離れる方が結果、
良くなることもある。
(そうでない人もいると思います。)
正観さんは、文才もあったので、
原稿を書いて送れば、それで、
生活費を稼ぐことが出来たそうです。
そう考えると彼の人生のシナリオは、
中々、良いモノだったのではないか?と思います。
小林正観さんが発見した、
宇宙の法則は、たくさんあるようですが、
もっとも有名なのは、トイレ掃除の話。
ありがとうの奇跡の話。人生のシナリオの話。
この三つになると思います。
ありがとうの奇跡も、
トイレ掃除も、やろうと思えば、
今すぐに、はじめることが出来ます。
恨まない、憎まない。呪わない。
掃除。笑い。感謝。
嬉しい。楽しい。幸せ。
ニコニコと楽しそうに仕事する』(小林 正観)第2525号|TOMAコンサルタンツグループ https://t.co/2WRMDloQuPニコニコと楽しそうに仕事する』(小林-正観)第2/
>一般的には、技術を磨くと
お客さんが来ると思われていますが、
技術があっても人柄が荒(あら)いと
人はやってきません— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) June 9, 2021
これらも行きつ戻りつは、
するかもしれませんが、
やろうと思えば、すぐにでも、
取りかかれることだと思います。
では、人生のシナリオの話は、どうでしょう?
これは、受け入れられない人も多いような気がします。
何せ、あの小林正観さんでさえ、
最後の最後まで抵抗し続けたモノであったようです。
運命は、自分の力で、
いくらでも切り開いていける。
ある時期までは、正観さんも、
そう思っていたようです。
人生のシナリオの話は、
小林正観さんの話の中でも究極奥義。
だから、受け入れられる人だけが、
受け入れればいいのだと思います。
私も、一応は、受け入れているつもりですが、
心の底から受け入れているかどうかは、怪しい所です。
あの時、ああしておけばよかった。
こうしておけば、よかった。
と言うことは、一切ない。
そこしか選択の道は、なかった。
魂の全自動選択機。
私の魂がシナリオライター。
魂がそうなるように仕向け、
私が、そのように行動した。
思考では、とても理解できない方向へ、
導くこともある。だけど、魂にとっては、
それが最善のルート。決められたルートだった。
一人一人が役者。
私達が現実だと思っている舞台の役者。
自分も相手も、
魂のシナリオ通りに演じたに過ぎない。
あれやこれやと、
色んな思いや感情は、
あったかもしれません。
ですが、それがシナリオ通り。
最善の道であった。
すべてがシナリオとして、
決まっているのですが、
私達には、自由意志があるので、
楽しむ時には、楽しみ。
苦しむ時には、苦しむ。
魂は、時に理解不能な方へと、
連れて行くこともある。
必ず体験しなくては、ならないことには、
必ず導かれるようになっている。
電車やバスの運転手さんは、
停車駅でない所には、止まりません。
決まった停車駅で止まります。
大阪行きの新幹線が、
今日は、そんな気分じゃないからと、
まったく別の所へ行ってしまわない。
ハワイ行きの飛行機が、
気が変わったと言って、
沖縄に行ったりしない。
私達は、自分が運転手の
つもりでいたりしますが、
実は、乗客で、魂が運転手。
人生の運転手ではなく乗客だったようです。
人生の運転手である魂は、
その人にとっての
最善のルートを進んでいる。
運転手である魂は、
私の体の中にいて運んでいる。
魂が停車駅として、
地獄の一丁目を用意していることもある。
だけど、その人にとって、
その停車駅が必ず必要だから用意している。
ジェットコースターのように、
急上昇もあれば、急下降もある。
ゆったりした川の流れのこともある。
魂ルートに、たまたまは、ない。
魂は、自動運転のタクシー。
自動なので変更は、不可能。
と思っていた方がスムーズに
流れるかな?と思います。
私は、魂の乗客なのだから、
次は、こう来たかと、
受け入れて行くだけなのですね。
正観さんではなかったと思いますが、
1分1秒の狂いもなく、すべてが、
正確に決まっていると言っていた人もいました。
私も、人生の中で、2度、3度と、
そのような証拠と思えるような、
体験をしたこともあります。
自分の人生と言う長編映画。
自分の魂は、その映画を誰よりも観ることを望んだ。
自分の魂は、体験する前に、すべてを知っている。
知らないのは、人間である私だけです。
魂から言わせれば、何かあって、
ああじゃない。こうじゃないと、
バタバタしている人間を見て、
そうなるようにしか、なっていないのに、
何を騒いでいるんだ?と言うことでしょうか。
一人一人の人生が完璧に、
すべて決まっているのなら、
いつ何処で、誰が、何をしていてもいい。
そして、自分の人生に何が起きてもいい。
どう思ってもいいのですが、
一人一人の人生が100%決まっている。
私も、あなたも、その通りに行動したにすぎない。
この話を受け入れたつもりでも、
まだ、人生の中で思考や感情がブレることもある。
シナリオの話は、受け入れたくない人も、
過去は、シナリオ通りであったと思うと
悔いが残らないかもしれません。
まったく残らないかと言えば、
そうでもないのですが。。。
しかし、そうなるようにしかなっていなかった。
生まれてから死ぬまでの
シナリオを全部、書いてるの。自分で。
だから、評価、評論しなくていいの。
シナリオには、良い悪いがない。
(あくまで、魂目線です。)
人間目線では、大いに苦しんだりする事もあります。
目の前に楽しいことが起きて、
楽しいと言うのは、人生の達人からすると初級。
誰もが喜ばないことに感謝できる人は、中級者。
病気だとか事故だとか人間関係のトラブルだとか、
艱難辛苦だとか言うことに、嬉しい、楽しい、幸せ、
さらに、そこに、両手を合わせて感謝できる人を
人生の達人の上級者と言うそうです。
すべてシナリオ通りだとしても、
その時、どう思うか?どう感じるか?は、
自分で選べるモノだと思います。
すべては、決まっているのですが、
遊びの部分として自由意志があります。
自由意志があると言うことは、
すべてのすべてが自由と言うことです。
すべてのすべてが自由でありながら、
すべてのすべてが決まっている。
色んなスピリチュアルな情報がありますが、
自由意志の話の方が多いかもしれません。
身も蓋もない話ですが、
どのパラレルワールドに
行くのかも決まっている。
選択肢が無数にあるように思える一本道。
それだと夢がないと思う人も多いので、
パラレルワールドは、自分で選べる
と言うことにしておいた方が
楽しいかもしれません。
正観さんも、自由意志の話も、
結構、されています。
されていますが、
すべて決まっている上での自由意志。
そう思う心があっただけです。
あれも決まっていて、
これも決まっていてと、
そんな話ばかりをしていたら、
とてもつまらない人になると思いますが、
自由意志の話も結構されているから面白い。
人生は、すべて決まっている話。
私は、結構、好きなのですが、
これを言い訳に使っていることも多い。
自由意志の方も大切です。
むしろ、何でもかんでも、
シナリオのせいにするよりは、
自由意志の方が大事な事も
あるかもしれないと思いました。
いつ何処で何をして、
どうなるかまで、
完璧に決まっている。
それは、事実かもしれませんが、
そんな話ばかりをしていたら、
聞く方も嫌になってしまうと思います。
正観さんは、シナリオの話もよくされていましたが
自由意志の話も、よくされていました。
だから、正観さんの元には、人が集りました。
人生は過去も未来も最初から全て決められているのか?|ヨーペイ@落ちこぼれ卒🌈毎日note 427日目🌈 @yopeimiyagawa #note #自己紹介 https://t.co/YV6s2Ip169— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) May 12, 2021
過去に投げかけたモノが返って来る。
返って来る時には、倍返し。
自分一人で自己完結。
幸福と言う現象もなければ、
不幸と言う現象もない。
だけど、幸福と言う現象は、ある。
願いや望みを叶えるコツは、
そうならなくてもいいけどと一旦、
本当にそうならなくてもいいと思うこと。
そうならくてもいいけど、
そうなったら嬉しい。楽しい。幸せ。
でも、そうならなくてもいいけどね。
私達は、ついつい願いや望みに対して、
そうなって欲しいと力んでしまうのですが、
そうならなくてもいいと、執着や我欲、
力を抜かないと超能力が使えない。
力んでいる間は、水に浮かべない。
そうなって欲しい。
そうならなければ嫌だ。
絶対に、そうなれ。
これらは、執着。
この執着が逆に、
願いや望みを遠ざけているようです。
今と言うのは、過去の集積である。
運とは、人が運んでいる。
運んでいる人は、運んでいますよ
とは、言わない。一人一人を本当に、
大切にしている人は、
必ず良い運命を手にすることが出来る。
逆に言えば、運の悪い人は、
目の前に現れた人を見過ごしていたり、
大切に思っていなかったりします。
一人一人を大切にしない人に好運は、来ない。
過去を追うな。過去は、過ぎ去ったモノ。
昨日の人も明日の人も抱きしめることは、出来ない。
今、目の前にいる人しか抱きしめることは、出来ない。
明日と言う日は、永久に来ない。
今日寝て起きたら、今日なんです。
今と言う時の中に過去も未来もある。
だから、今に生きると言うことが一番いいのですね。
私は、過去を追いかけたことがあります。
しかし、過去は、幻影。過去は、蜃気楼でした。
追えば追うほど、時の流れを感じます。
過去は、過ぎ去ったモノで、
今ココには、存在しません。
『理不尽度100%の出来事。人格の試験。』
⇒ https://t.co/BJIS6vdXEE #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) May 6, 2021
決定盤 恋するドラマ主題歌 TRUE LOVE/CD/PCCK-20172
posted with カエレバ
思い返してみれば、
私は、多くの人が体験しないであろう
喜ばしい奇跡的なことを小林正観さんを
知る前から、かなり体験して来たように思うのですが、
それを喜ばしいことや奇跡だと捉えていなかった。
よくあることだと流していた。
そこに全然、気づいていなかった。
小林正観さんを知る5年ぐらい前に、
私にも、人格の試験は、来ていました。
私の体験だと、
理不尽度が高いようなことが、
立て続けに起きて最後にドカーンと
来る感じだと思います。
その時は、頼まれ事だとは、知りませんでしたが、
ちょうど、頼まれごとが来ていた。
それは、最悪とも言えるような頼まれごとだった。
理不尽度100%と思えるようなことがあった。
それから、数ヶ月したら奇跡体験がはじまった。
しかし、理不尽度100%の試験には、
失敗しました。
その乗り越えたつもりの後の
数ヶ月間は、あり得ないほどの
奇跡が連発して起きていた。
だから惜しかったのですが、
一時的な体験として
元通りになりました。いや、
元より墜ちたと思います。その時は。。
五戒を言っている人に、
理不尽なことは、起きない。
五戒を言わなくなった人に、
理不尽なことが、起きる。
最後は、理不尽度100%の試験。
それを笑顔で乗り越えられるか試されている。
これに合格すると、
どうなるか?と言うことを私は、
一時的な体験として知っている。
スーパーマリオがスターで
光っている感じと言えば、
分かりやすいでしょうか?
そこで調子乗ったり、
五戒を言ったりして、
元に戻らないことも、
その後のお試しだと思います。
私が小林正観さんの教えに出会ったのは、
28歳になった頃に、池袋のジュンク堂に立ち寄り、
立ち読みしたのが、
正観さんの本との最初の出会いでした。
(厳密に言うと座り読み出来る椅子が
設置してあったので座り読みでした。)
何となくそうしたとか、
たまたま、そこに入ったとか、
たまたま、そこを通った。
たまたま、その本を手にした。
たまたま、そこに座った。これらも、
守護霊さんの導きのことが多いらしいです。
何かが起きる前。誰かと出会う前。
気づきの合図が来ていることもありますね。
(その時は、合図だと気付かないことが多いですが。。)
半年前。数ヶ月前、あるいは、前日に、
何らかの合図が来ていることが、よくあります。
それは、意外なことだったりもします。
人は、出会うべくして出会っている。
そして、会う予定の人も決まっている。
人生の次の展開として、
このような合図が来ています。
小さな合図なら、たくさん来ていると思いますが、
私達は、気付かずに見過ごしていることも、
多いような気がします。私は、大きな合図が、
たくさん来ていても見過ごしていました。
記憶を呼び覚ますのには、
何かしらの、きっかけのある合図があります。
人生の次の展開にも、前もって、
ちゃんと合図が来ていたりします。
私達は、それを見過ごしている。
私は、時間差で記憶が甦ることがあるのですが、
その数ヶ月前だったり、半年前だったりに、
必ずと言っていいほど、その記憶を呼び覚ます為の
合図が来ていたことが多い。
その時は、気付かないのですが。。。
明日、初対面で出会う人を、
その前日に見かけていることも多い。
これは、私だけでなく、誰もに、
そのような合図が来ていると思います。
気付かずに通り過ぎている人も多いでしょう。
だからこそ、自分が得をする
損得勘定があった方がいいと正観さんは、言いました。
実践を続けることは、損得の得にもなり、人徳の徳にもなる。
大変な時こそ、ありがとうの言葉を言ったりの、
実践を続けた方が緩和したり、
好転したりと言うことがあるのですが、
大変な時期には、中々、言えなかったりすることもある。
それもシナリオ通りなのでしょうけど、
正観さんの教えも、実践を続けるか、
辞めてしまうかは、運命の別れ道。
小林正観さんの教えに触れることは、
まだ、はじまりに過ぎない。
それでも、何らかの形で、
正観さんの教えに触れることが出来た人は、
中々、運が良い方だと思います。
正観さんは、有名な人ですが、
世の中の半数以上の人は、
恐らく、小林正観と言う
名前さえ知らないと思う。
私も28歳になるまで知らなかった。
それもシナリオなのですが、
シナリオの話は、受け入れられる人だけが、
受け入れればいいことだと思う。
誰かに分からせる必要など、ない。
自分の価値観を押し付けたり、
その価値観の中に、
引きずり込まなくてもいい。
それに、このようなことを
何にも知らなくても、凄い人格者とか、
何十年経ってもブレずに変わらない人が、
自分の周りにもいたりするのではないでしょうか?
このようなことを学んだが故に傲慢になったり、
知ったつもりになったりと言うことも、
一つの罠だったりします。何も知らなくても、
実践者である人が身近な所にいたりします。
だけど、何か大変な事や辛い事があった時は、
これも自分で書いたシナリオだ。これでいいのだ。
そう思えたらいいですよね。
人生も行動も台詞も決まっている。
過去に投げかけたモノが返って来る。
返って来る時は、倍返しなのですが、
それも含めて、すべて決まっている。
とてもそうは、思えないようになっている。
だから、受け入れるには、難易度が高い。
人生は最初から決まっている!その理由をお話しします https://t.co/FigVyqNDh1— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) May 12, 2021
シンプルだけど奥が深い小林正観さんの教え。
私は、まだまだ分かっていなかったと
思わされることも多い。
正観さんの情報でも、
私の人間観察の結果でも、
人に喜ばれる人は、神がほっとかない。
また、声帯を震わせての、ありがとうは、
環境や時間的に難しい人もいると思うので、
私は、個人的に、ホ・オポノポノも良いと思っています。
過去のすべてが決まっていたとしても、
そこに罪悪感だったり、あるいは、恨みだったり、
イライラだったり、悲しみだったりを感じるなら、
それをクリーニングで消去する。
以前、別記事に書いた、
「さとりのホ・オポノポノ」と言う本には、
現実に起きている事は、
祖先の記憶が再生されていることもあるので、
いくら理由探し、原因探しをしても、
分からないこともあると伝えられていました。
『外側には、何も無い』
⇒ https://t.co/hVRiKWiQ38 #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) May 12, 2021
ホ・オポノポノの大前提。外側には、何も無い。
ひたすら自分の記憶をクリーニング。
過去、現在、未来もクリーニングできる。
人類皆兄弟。心の奥底では、皆、繋がっている。
私一人をクリーニングする事は、
私以外の問題解決になったりもするのですね。
ホ・オポノポノと言えば、インナーチャイルドや
ウニヒピリと言う言葉も、よく聞きますが、
これは、自分の中にいる小さな子供と言う
意味合いだったと思います。
ある人に聞きましたら、それとは別になるのか、
一緒なのか、よく分かりませんが、子供時代の自分。
子供時代の自分に話かけることも効果的であるらしい。
子供時代の自分に、優しく語りかける。
子供時代の自分に何て声をかけますか?
ありがとう。ごめんね。ゆるしてね。あいしてるよ。
これ以外の言葉もかけてあげましょう。
辛かったね。苦しかったね。大変だったね。
よく頑張ったね。よく耐えたね。ありがとう。
君がいたから、今の私がいるんだよ。ありがとうね。
子供時代の自分に優しく、
一生懸命、話しかけてあげてください。
声帯を震わせての、ありがとうは、
常識を逸脱するぐらいの回数が必要だと思います。
それをやることで、宇宙とのリズムが合って、
不思議なシンクロをしたりで、
その効果としか思えないことが起きます。
だけど、時間がかかりすぎるので、
私も今は、やっていません。
無職やニートの方は、やってみると、
いいことあるかもしれませんよ。
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句。
これらの五戒を言わないことと、
威張らない。怒鳴らない。怒らないこと。
恨まない。憎まない。呪わない。
私は、これとは、真逆の
オールパーフェクトの
家系を選んで生まれて来ました。
私も、潜在的に影響を受けている部分は、
あると思いますが、人間観察として、五戒を言い続け、
威張って、怒鳴って、殴ってを日常的にやっている
大人達の日常を幼い頃から、じ~っと見て来たのですね。
結果、家庭内は、いつも、ろくな事がない。
争いだらけ。トラブルだらけ。中々、平和な時がない。
そんな時が、ずーっと繰り返されていました。
言った言葉と行為が現象を作る。
私が生れてから家を出るまでの十数年。
怒鳴り声を聞かなかった日は、恐らく、
一度も、なかったような気がします。
爺さんや婆さんは、四六時中、
人の悪口を念仏のように
ずーっと言っているような人でした。
私は、この分野のプロではないので、
あくまで個人的な憶測でしかないのですが、
自閉症や場面緘黙症は、親や家庭環境の影響で、
子供が頑なに心を閉ざしてしまうようなことが、
あったからではないか?と言う気がしています。
一概に、これが正しいとは、言えませんが、
そのような要素もあると思います。
怒鳴り声と暴力と五戒が蔓延した家系。
何処かで辞めない限り同じ事の繰り返し。
私も似ている部分は、
あるかもしれませんが、
少なくとも育ての親や、
育ての祖父のようには、
なっていない。これだけでも、
良かったと思います。
正観さんのお父さんも、
かなり厳しかったそうですが、
そう言う要素も、やっぱり、
必要だったのかもしれませんね。
私は、作家ではないですが、
こうしてブログ記事を書いています。
これも共通項になるかもしれません。
そして、私の人間観察の結果として、
問題を抱えている家庭ほど、
問題を抱えている個人ほど、
それを第三者などの外には、
中々、相談しないと言う事があります。
外の世界には、その問題を
簡単に解決へと導いてくれる人がいたり、
自分達よりも波動が高い領域にいる人がいるので、
どこに原因があるか、すぐに分かったりします。
相談相手や相談機関などを
見極める必要はありますが、
自分だけ。自分達だけの狭い世界で、
モノを考えるより、広い視点や、
高い視点で物事を見れる人達が居る。
もっとも、私の家系も一部を除いて、
今は、だいぶ平和になりました。
これは、何かをしたから、
平和になったのではなく、
ただ、時の流れが解決しました。
ちなみに一部と言うのは、
どこでどうされているか分からない身内もいるので。
その人達も、今は、平和になっているかもしれません。
で、何が問題なのですか?
別の視点の見方としては、
すべては、魂の演技。
この世は、魂の演劇。
『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』
⇒ https://t.co/H41aOh6cux #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) April 11, 2021
一人一人が、その役を演じている。
だから、悪役の方が、
魂レベルが上級のこともあるようです。
生まれ変わりの回数が多いほど、
修羅場の数も増えるらしい。
理不尽度の高い現象が起きる。
その時に五戒を言わないか試されている。
逆に生まれ変わりの回数が少ない人ほど、
何でもないような事でも五戒を言う。
修羅場でも何でもない事を修羅場だと思っている。
だから、生まれ変わりの回数が多い人は、
宇宙から試されていることも、
多いのかもしれませんね。