合気道と言えば、塩田剛三さん。…
塩田剛三さんは、
身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体型で、
あんな小さな人が、あんなに強いとは、
信じられないと当時、ケネディ大統領の、
ボディーガードをやっていた身長190で、
体重は、100キロを超えると言う屈強な男が、
塩田剛三さんの力を試してみたら、
あっけなく屈強なボディーガードが、
塩田さんの力でねじ伏せられてしまったと言う話は有名です。
私も、塩田さんの演武の動画などを見た事があります。
あれは、ヤラセだと思われても仕方がないと思いますが、
色んな逸話が、あれは、ヤラセではなく真実であった事を物語っています。
そして、あの強さの秘訣は、何だ?と言う事になった時に、
自然と一体の為せる技と言う結論で、まとめられたりもしています。
塩田剛三さんの名言。
命令してはいけない。威張ってもいけない。
しかし、妥協しても、いけない。
調和すればいい。
殺気だって立ち向かう人は、
宇宙と調和している人には、
勝てないと思います。
そして、こんな逸話もあります。
塩田さんの弟子が、塩田さんに、
合気道で一番、強い技は、何ですか?と質問した。
そしたら、塩田さんは、こう答えた。
「それは、自分を殺しに来た相手と友達になる事だ」と。
だから、やっぱり、強さの秘訣と言うのは、
技もそうですが、心技体と言われるように、
心の器の広さ、強さが、塩田さんをあのような強さにまで
導いたのではないか?と私は、思います。
事実かどうかは、私は、知りませんが、
あの極真空手の大山倍達さんも、
塩田剛三さんには、一目置いていたそうです。
それでは、本題の植芝盛平さんについてです。
植芝盛平さんは、合気道の開祖の人であります。
塩田さんが、身長154cmで小柄であったと言われていますが、
植芝さんも、身長156㎝と背丈は、低かったそうです。
植芝さんの逸話は、6人、同時に、
25メートルと言う至近距離から、
ピストルの弾を撃ってもらい、
一瞬にして、瞬間移動のような事をして、
ピストルを撃とうした人の後ろに立ち、
ピストルを取り上げたと言う話があります。
その光景を塩田剛三さんも、目の前で見ていたそうです。
塩田さんが、植芝先生に、どうやったのか?と聞いたら、
ピストルの弾も人の動きも、見えると言う事であったそうです。
ピストルの弾は、スローモーションのように見えたらしい。
しかし、人を撃とうと言う気持ちが、まったくなく、
ただ、ただ、当てようする人の弾なら当たるとも言っていたそうです。
だから、植芝先生は、人の心を読む達人でもあったと思います。
それだけに、自分の弟子達には、
「合気道をやる者は、遠くアメリカの心までわからねばならぬ」
と言われたそうです。
晩年、病弱になってからも、
弟子達を軽く投げ飛ばすぐらいの事は、出来たらしい。
植芝先生と言えば、ピストルの弾が当たらなかった事ばかりが、
有名になっていますが、雨にも当たらなかったらしい。
大雨で、演武の舞台が外にある時、先生が、演武を始めたら、
その舞台だけが晴れて、雨に当たらなかったそうです。
雨に濡れない話は、旅行作家の小林正観さんもそうでしたので、
私は、特に驚きませんが、それも、
普通で考えたら、あり得ない事でしょう。
だけど、普段から、宇宙と調和した生き方をしている人には、
そのような現象が日常的に起きるようです。
どの武術でもそうだと思うのですが、
相手は、人であります。だから、人の心がよく分からないと、
本当の意味での、強さは、得られないとも思います。
心技体。心が重要。今の武道は、それを忘れている人が多い気もする。
心技体の達人が、植芝盛平さんや塩田剛三さんであったのでしょう。
だから、今でも、お二人の逸話は、色んな所で語り継がれています。
https://t.co/zVdKypIKxV— 毛🦀@思考の治療院 南無阿弥陀仏 (@3b48For6hcCrT4J) September 27, 2023
お二人共、合気道の魅力について、
相手を被害者にも、
加害者にもしない事だと言っています。
それは、心技体の「心」の技。
一番、重要な技だから、
心技体の最初に「心」が、
あるのかもしれません。
しかし、それが出来るのは、お二人のような達人にならないと、
中々、難しい事でもあると思います。