一念帰命の行・南無阿弥陀仏

一念帰命とは、疑いの心無く、阿弥陀如来に、
帰依し、信順する事であるらしいのですが、
その一念帰命の行と言うものがあります。

現在は、釈迦の死後から、
約2500年経つと言われていますが、
2500年続いている儀式があるらしい。

それが、一念帰命の行と呼ばれるものである。
一念帰命の行とは、何か?
一言で言えば、南無阿弥陀仏の行であるらしい。

南無阿弥陀仏とか、南無妙法蓮華経などは、
特に珍しい事もなく、色んな所で唱えられているし、
お墓にも、南無阿弥陀仏と書いてある所は、多い。

だけど、2500年続く行を受ける事に、
何らかの意味があるらしい。
それは、魂の儀式であるそうです。

釈迦から始まり、法然上人、蓮如上人、明如上人、
親鸞聖人など、色々な人を伝わり今に至るそうです。

明如上人から、明治天皇にも、
この行が受け継がれたと言う逸話もあるらしい。

こんな話だけを聞くと、とても、怪しそうで、
宗教ではないか?と思いますが、
どうやら、それも違うようで、そのような類のものと
一緒にされない為に、今は、密かに、
ひっそり、続けられているらしい。

秘密裏に行われて来た事から
秘事法門とも呼ばれているようです。

その行を受ける為には、善智識と呼ばれる人に、
遇う事が出来なければ、行を授かる事が出来ないそうです。

だから、縁がないと、中々、そのような者と遇う事もなく、
遇う事は、また、難しいともされています。

今の世の中、間違ったものや、怪しいものも多い中、
そのような類のものは、敬遠される傾向にもあります。
だから、今の時代に、遇う事は、余計に難しいのでしょう。

だけど、その行と言うのは、非常に簡単で、
拍子抜けしてしまようなもので、
遇った後も、信じられない人も多いようです。
だけど、遇う事が難しいと言われている中で、
遇えた事は、奇跡であると思います。

しかしながら、このような類のものを利用した、
偽物の儀式などもあるそうなので、
本家本元の行を受けれる事は、稀であり、
限られた人であるのが、現状のようであります。

だけども、縁がある人は、必ず、
出遭う事が出来ると思います。
それは、運命でもあるように思います。

限られた人とは言いましても、
それなりの人数の人が
今日に至るまで行を受けています。

普及の為かは、分かりませんが、
本家本元から別れていった、
枝葉のような所もあるそうで、
今も、全国のあちこちで、この行は、
行われては、いるそうです。

拍子抜けするような行なので、
その時は、よく分からなかった
と言う人も多いと思います。

頭を三回打ち付け、
魂の中にエネルギーを
頂くと言う、見た目だけでは、
本当に拍子抜けする行です。

今、これを読んでいる人の中で、
あの時の、あれは、これだったのか?と
思い出す人も多いかもしれません。
確認したい人は、その時に、
縁が遇った人に聞いてみるといいかと思います。

最後に南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の簡単な違いですが、
まず、言葉が違います。それは、当然ですが、
南無妙法蓮華経は、
妙法蓮華経という経を信じる事。

南無阿弥陀仏とは、
阿弥陀という仏を、命を、信じる事。

そして、南無の意味が帰命。
帰命とは、命懸けで、
仏の教えを信じる事であるらしい。

だから、どちらを信じるのも個人の自由ですし、
個人的には、両方信じてもいいと思っています。

そして、一念帰命の行には、お金がかかりません。
まぁ、当日、お気持ち代は、奉納しますが、
それは、気持ちなので、千円であってもいい。
何万円も、何十万円も請求する所ではない。

また、宗教ではないので、
儀式が終わった後に、勧誘などもしません。
似たり寄ったりの怪しいものかは、
この辺で判断するとよいでしょう。

人は、何故か、高額なお布施を取るような所の方が、
御利益があるように感じてしまう部分もありますが、
この行の良い所は、人知れず、密かにひっそり、
目立たない場所で今日まで続けられて来た事だと思います。

私もこの儀式を受けていますが、
その感想としては、特に何も感じませんでした。

これらから受けられる方も、
本当に拍子抜けするような行ですし、
儀式の間も、儀式を受けた後も、
何も感じないかもしれませんが、
この儀式に遇う事を法に遇うと言います。

この法に遇う事で過去世や現世の一切の業、
一切の罪が消えるとも言われています。

それを信じるも信じぬも自分次第だと思います。

一応、私の知っている所では、年に二回ほど、
この儀式が開催されています。

この法に遇う人が救われて、
法に遭わない人は、救われないと言う教えは、
どうも、私の中で、ひっかかっている事でもありました。

しかし、遇って救われるのであれば、
因果が消滅するのであれば、
何も考えずに、その時は、すべてを一旦、忘れて、
取り敢えずは、受けてみるのもいいかもしれません。

信じる者は、救われると言います。
信じた事が、現実化すると言います。

お経が流れるお坊さん 我が家のお坊さん 般若心経 浄土宗西本願寺 浄土宗東本願寺 読経の練習にも 全長約25cm

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すごく参考になるブログ記事を見つけました。
仏凡一体の信心獲得の行者

浄土真宗の他力本願と言う教え。
これは、私も間違って解釈していましたし、
多くの方もそうだと思います。

『南無阿弥陀仏』
https://t.co/pcHQtdZkNq #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) January 8, 2022

上記リンク先の
花岡修平さんのブログ記事を拝見して、
私も、ようやく腑に落ちたような気がします。
(二段リンクなのでネット慣れしていない方には、
分かりずらいかもしれません。)

これを簡潔に言う難しさがありますが、
他力本願は、すべてをおまかせする。

全知全能の神におまかせする。

人事を尽くして天命を待つ。
そのような意味合いが濃いのかもしれません。

本願念仏の真意

浄土宗には、「日課念仏」と言う、
念仏行があるそうで、念仏を繰り返し、
唱えることを日課にする。これを
徳川家康もやっていたそうです。

投稿者:

sayuriyoukonaoko

アメブロ https://ameblo.jp/supirizumu/

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