「障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ」を読んでみました。……………

この本の最初の方に、
B型事業所の作業賃金の低さについて、 
書かれてありましたが、

私も色んな事業所を見る中で、
雇用契約を結ばないB型事業所では、
違法ではないのですが1日8時間働いてる、
障害者の月収が2万円などだったりで、
疑問に感じる事もありました。

(厳密に言うと作業工賃なので月収ではない)

今は、A型事業所の運営が昔より、
厳しくなったので、B型事業所に、
変えた事業所も多くあります。

著者の方も、そのような疑問を感じて、
ソーシャルファームと言う所に、
目を付けたそうです。

ソーシャルファームは、
ヨーロッパが発祥のようですが、

ソーシャルファームを簡単に言えば、
障害者の仕事の現場で一般企業と、
同じように利益を上げて、

障害者にも、ちゃんと一般の人と、
同等の給料だったり、一般の人の
最低賃金と同じ時給が行き渡るような仕組みを
目指すことのようです。

実際にそのようにやっている、
レストランなどもあるようで、
B型事業所なども改良次第では、
そのようにやっていける要素を秘めている。

しかし、簡単では、ないと思います。

実際、障害者の事業所として、
喫茶店やらパン屋やらをやっている所は、
たくさんありますが、そこ止まりの事が多い。

一般のお店、一般企業と、売上的に、
同等にやっているような所は、少ない。

実際問題、障害者福祉の事業所は、
今、現在、赤字を抱えている所も多い。

会社全体の資金力などがあって、
赤字であっても問題がない所もあるようですが、

福祉事業所として大きな規模の所でも、
赤字を垂れ流して頭を抱えている所もある。

やはり、障害者の事業所も今は、
ビジネス的な観点がないと厳しい。

でも、それを目指す中で、
月収1万円だった障害者の
月収が5万円になり10万円になり、
と言うことが実際に起きている。

それは、障害者の方やその事業に、
関わる人達にとって嬉しく、
夢のある話であります。

働いているのは、障害者ですが、

障害者の事業所としてではなく、
一般の企業や一般のお店として存在すること。

障害があるなしで、どうこうではなくて、
このサービス、この商品だったらどうか?
と言った所で評価される仕組み。
でも、一般人とは、違う。メンタル部分にも、
十分に注意を払わないといけない。
それ故の問題も起きる可能性もある。

客商売であれば、お客様との
トラブルなどにも対応出来ないといけない。

あるいは、逆に障害の長所を
業務に活かすことも出来る。

最初、全然出来なくても、
やっていくうちに、
出来るようになることもある。

活かすも殺すも本人次第でもあり、
周り次第でもある。両方必要。

出来ないとか失敗したとかで、
指導者側がそこで終わりにしないことも、
大事なのかな?とも思います。

優しさ、甘さ、怠惰などが、
前面に出て、厳しさが、
抜け落ちている指導者も結構いますが、

厳しさの伝え方の問題は、
あるかもしれませんが、
厳しさと言うのも必要だと思います。
逆に厳しいだけでも、よくないですけどね。

成長の幅は、健常者に比べて遅いこともある。
それでも、兎と亀のように、ゆっくりであっても、
着実に成長して行くこともある。

また、障害者の支援者側の環境が、
ブラックな状態で、長時間労働で、
人の出入りが激しいと言う事も
色んな事業所の中であるので、
障害者をサポートする人の労働環境や、
メンタル面なども気をつけないとならない。

大木だって多勢で寄りかかるだけだったら、
倒れてしまう。大木が支援者の事もあるし、
それなりに仕事が出来る障害者の事もある。

やっぱり、全体的に調和していないと、
上手く事が運ばなかったりもする。

障害者だけで作り上げる仕事と言っても、
障害者なら誰でもいいわけでもない。

適材適所もあるし他の障害者の方に、
悪影響があるようであれば、
その辺の問題の改善もしないとならない。

世の中には、働いている従業員が、
ほとんど障害者であるのに、
一般企業や、一般人のお店に、
負けず劣らずの年商を叩き出している所もある。

そう言うモデルがあるのですから、
無理な話ではない。ですが、
障害者やサポートする人に無理ばかりさせてもいけない。

売上げばかりを追うと、
失敗した体験例も、
この本の中に書かれてありました。

金銭的には、成功したとしても、
自分達の理念などにそぐわないモノであれば、
結果、行き詰ったりするし潤っている間も、
心が苦しかったりする。

やっぱり、三方良しは、
商売の原点なのでしょう。

障害者の中には、芸術家もいる。

一つの作品でそれなりの値が付くこともある。

だったら、個人事業主で、
やればいいじゃないかとの
意見もありますが、それは、
やっぱり人による所もある。

一発の稼ぎが大きくても、
年間で見た時に、
安定してないといけない。

また、世の中には、
詐欺師などの輩も、
たくさんいる。障害者単独で動くと、
そう言う人に付け狙われる事もある。

サポートする人は、補助的な業務に、
徹しながら、そう言う事にも、
気づける人である事も重要。

ビジネス的に結構、上手くやっている所は、
障害者色を前面に出さなかったりするので、

お客様は、障害者がやっているとは、知らずに、
そのサービスを受けたり、その商品を購入している、
と言うこともあるようです。

何故、障害者色を前面に出していないか?
と言えば、障害者だから、どうのと言った、
同情を受けたりしたくないとの事情があるようです。

本の後半には、障害者の歴史が一部、
垣間見えることも書かれてありました。

昔の時代は、身体障害の人にも、
世間の目が厳しかった時代があった。

それらを変えようとして、
色んな人が動いた結果として、
今の障害者の環境がある。

今も課題は、あるかもしれませんが、
その時代と比べたら格段に良くなっている。

福祉事業は、今、結構、赤字経営の所も多い。

一昔前の福祉事業所だと助成金に頼ったりで、
そもそもの経営力がなかったりもする。

今は、助成金問題も難しくなって来ているので、
経営的視点や経営力がないと福祉事業所も、
運営が厳しくなって来ている所も多い。

だから、一般企業と同じように利益を出すことは、
大事になって来るとは、思います。

しかし、福祉事業の内容によっては、
利益を出せない所も、あったりもします。

例えば、大手企業が社会貢献の一環で、
障がい者事業をやっている所で、
障がい者事業は、ずっと赤字。

だけど、社会貢献で、
やっているので、こちらは、
赤字でも良いと言っていました。

グループ全体では、利益が出ている。
障がい者事業の赤字は、補填できる。

その会社の障がい者事業は、
そもそも利益を追求していない。

そう言う所もあるので、利益を上げるのは、
必ずの目的にしなくても良いケースもある。

「職人技に学ぶ知的障害のある子が確実に伸びる指導」を読んでみました。

職人と言えば、モノ作りの職人。
近年、障害者を職人に育てると言うような動きも、
あるので、本のタイトルから、その類のモノを
イメージしていましたが、この本で言われている、
職人は、知的障害者の指導における教育者としての職人。

本の中では、知的障害者の
子供の指導と言った所に、
重きを置かれているようですが、
色んな所に応用が出来ると思います。

教育者は、必ずしも学校の先生だけでなく、
モノ作りの職人の師匠だったり、
家族関係の親だったり、会社の上司だったり、
知的障害者と関わる誰もが職人になれる要素がある。

職人技とは、常に目に見える成果に繋げている。
職人技とは、何年も改善しなかった問題を改善できる。
職人技とは、高度な指導技術を持っている教師。

私は、養護学校のことは、
よく分かりませんが、
障害者のA型事業所、
B型事業所、移行支援所などのことは、
それなりに知っているつもりです。

障害者の職員さんでも、
アルバイト職員さんであれば、
障害に関する知識が皆無に近い人もいたりします。

なので、事業所に通っている障害者の方が、
色んな障害に関する知識や対応の仕方を
知っていたりもします。

有資格者の職員さんであっても、
すべての障害の知識を把握しているわけではなく、
同じ障害であっても、一人一人違う。

この障害だから、こうだと決め付けてしまうと、
それが、後々、トラブルに生じる事もある。
なので、とても難しい部分もある。

私の個人的な意見ですが、
すべてを把握するのは、
やっぱり難しいので、
知的障害なら知的障害の
専門家のようになった方が、
その障害を持つ方から重宝される
存在になると思います。

障害者の事業所も職員の
人手不足などの理由もありますが、
チームワークなので、発達障害には、
発達障害専門の人がいればいいし、
統合失調症には、統合失調症の
専門知識を持つ人がいればいいとも思う。

仮に自分一人で、すべての障害の
知識を持ったとしても、知識ばかりで、
動けない人になるような事もある。

やっぱり、決め付ける事は、危険。

ある程度、全体的なことを
把握したり、学ぶことも大切だと、
思いますが何か専門分野のことが、
あるといいように思います。

この本は、知的障害の
支援について深く書かれてあります。

障害者も支援者も適材適所。

本の中で、個別指導や個別計画について、
書かれてありましたが、同じ障害、
同じ等級であっても、能力や性格や、
育って来た環境など。その背景が、
違うことは、結構あります。

それによって指導内容も変わる。

指導者は、出来る、出来ないだけでなく、
出来ない要因も見るようにする。

3つの不足に気をつける。
・経験不足 ・情報不足 ・コミュニケーション不足

「知識が指導を阻害する」と言うことも、
書かれてありましたが、私も実際に見て来ましたが、
この失敗をやらかしてしまう指導者も多くいます。

なるべくは、やらかさない方がいいですが、
やらかしてから、指導者も障害者も共に、
改善し成長して行けることもある。

指導を修正して活ける力も大事。

知的障害の限界値のようなモノは、
あるかもしれませんが、
その限界値を決め付けないことも大事。

かと言って、もっと出来るだろうと、
無理なことをさせてないか?
と言った事に気をつけることも必要。

時間をかければ、出来るようになる事もある。
指導方法を変えれば、出来るようになる事もある。

指導者が何処まで本人の状態を把握できるか?

これを間違える指導者は、多い。
それだけ難しい問題とも言える。

子供の実態を的確に読み取れるのが職人技。

これに関しては、相手が子供でなくても、
そうだと思いますし、一般の学校でも、
生徒の状態は、一人一人違う。相手が知的障害で、
同じ等級であっても、それは、同じだと思います。

この本では、養護学校について、
書かれてありますが、
知的障害者が必ずしも、
養護学校に通っているわけでもないです。

軽度の知的障害者であれば、
本人や周りが知っているか、
知らないかは別として、
一般の学校に通っていることもあります。

昔の時代は、特にそうでした。
まぁ、昔だと本人も周囲も親も、
気づいていなかったケースも、
多かったですが。。

知的障害者の手帳を貰うには、
20歳前の経歴などのデータが、
必要になりますが20歳を過ぎてから、
知的障害者の手帳を取得した人もいる。

養護学校と一般学校では、
養護学校の方が精神的な負担などは、
軽いと思いますが、一般世界のあれこれを
知らないままになってしまう所もある。

軽度の知的障害者にとって、
どちらが良いのかは、
一概には、言えない所もある。

一般世界で生きる方が、
大変な事は、多くなるとは思いますが、
本人の状態次第では、それなりに、
体験しておくと後々、
役立つ事も増えるような気がします。

中には、そのまま一般世界で、
健常者としてやって行ける人もいるでしょう。

でも、身も心も、
ボロボロになる事もあるので、
何かあった時に相談出来る人は、
身近にいた方がいいですね。

毒親、DV、モラハラ、共依存とは?精神疾患になるのは、毒親育ちの影響?

共依存とは、簡単に言ったら、
相手を嫌いながらも何処かで、
相手に依存しているような状態。

お互いに依存し合っている。

例えば、毒親育ちであれば、
成人を過ぎているのに、
生活面などの理由から、
実家から離れないなど。

DV被害者であれば、
被害に遭いながらも、まだ、
何処かで相手の事を好きとか。

鎖を断ち切れず、
何処か繋がっている。

被害者ではあるのですが、
被害者側も依存している。

気づいているにしても、
気づいてないにしても、

ターゲットと、
被害者の関係は、
共依存の事は、
多くあるようです。

断ち切ろうにも、
断ち切る意思や力が弱い。

肉体的な距離や心の距離が、
わりと近くにあったりする。

依存関係なので、
相手がいないと、
不安になったり、
気になったりする。

共依存していると、
正常な思考や感情が働かなくなる。

なので、異常な事態に、
自分でも気づいてなかったりする。

共依存しやすい人の特徴

・毒親育ちに多い傾向があるようですが、
 自分の気持ちを押し殺し相手に合わせている。

・自分が、どうしたいかが抜け落ちている。

・人の機嫌や顔色ばかり窺う。

・言いたい事が言えない。

・自分に価値がないと思い込んでいる。

・自分は幸せになれないと思っている。

私は、単純に、
利用する関係と、
利用される関係、
とも思っています。

加害者と被害者

共依存とは、言いますが、
傍から見たら加害者と被害者の関係。

対等な関係では、ない。

追い込む方と、
追い込まれる関係。

加害者の方は、外面が、
良かったりする事もある。

そしてまた、誰かに、
依存していないと、
生きていけない、
エナジーバンパイアだったりもする。

※エナジーバンパイア
人からエネルギーを奪い取る、
吸血鬼やゾンビのような人間。

エナジーバンパイアの傍にいると、
自分のエネルギーが枯渇してしまう。

加害者は、どんどん欲求が、
エスカレートするし、
被害者は、身体的、精神的、
金銭的に弱って行く事が多い。

加害者は、優しい人や、
気の弱い人、自分より、
下の立場の人に近づいて依存する。

しかし、共依存と言う事で言えば、
お互いが、自立していない。

被害者は、恐れが多かったりで、
現状を変える為に中々、
動き出さない事が多い。
意思が弱かったりもする。

だから、依存され、
利用されているとも言える。

共依存 著者:吉岡隆

今、読みかけの本です。

この本の冒頭の方に、
こうあります。

意図的にしても、
無意識的にしても、

支配する関係と、
支配される関係。

アルコール依存者は、
お酒を辞められない。

発達障害や知的障害は、イライラしてキレやすい傾向がある???

これは、必ずそうだと言うわけではないです。
しかし、傾向としては、そう言う人は、多い。

まず、感情のコントロールが難しくて、
自分で制御が出来なくて暴走する事がある。

だけども、イライラしてキレやすい人は、
健常者の人の中にも、それなりにいます。

他の障害の症状の人でも、
キレやすい人は、いるし、
ヒステリックな人もいる。

自己愛性パーソナリティ障害なんか、
猛烈にイライラしやすく怒りっぽい。

なので、発達障害や、
知的障害だから、
キレやすいと言うのは、
違うのかもしれませんが、でも、やっぱり、
ある程度の共通項のようなモノは、あります。

勿論、同じ障害であっても、
まったく、当てはまらない人もいます。

それらを踏まえた上で、
発達障害や知的障害は、
キレやすいと言う話をしたいと思います。

普段、静かで大人な感じの
発達障害の女の子が、大声を出して、
泣きながら壁をボンボン蹴っ飛ばす。

そう言う光景も度々、目にした事があります。

一説では、脳の特性が関係しているとも言われています。

ADHD(注意欠如・多動症, 注意欠如・多動性障害, 注意欠陥・多動性障害)
の症状を持つ人は、自己主張が強く周りに合わせる事が苦手だったりします。

感覚過敏の発達障害の人は、光や音、
触覚などの感覚刺激に敏感な場合があります。
過度の刺激にさらされることで、
イライラが生じることがあります。

自閉症スペクトラム障害の人々は、
他人とのコミュニケーションや社会的な
相互作用に困難を抱えることがあります。
そのため、コミュニケーションの障害によって、
イライラが生じることがあります。

発達障害の人は、予測可能な環境や、
ルーティンの変化に対して適応するのが、
難しいことがあります。環境の変化や、
予期せぬ出来事によってイライラが生じることがあります。

知的障害の人は、言語の理解や表現に、
困難を抱えることがあります。
思考や感情を適切に伝えることが難しいため、
自分の欲求や感情を他人に伝えることができず、
イライラが生じることがあります。

知的障害だと、知能指数が低い影響で、
頭に血が昇りやすいもあると思います。

あとは、成長過程の中で、理不尽な事や、
抑え付けられて来た感情が多いなどもある。

障害者にしろ、健常者にしろ、
カッとなって、手を出してしまった。
そのような話もあちこちで耳にする事もあります。

その際、今の時代的に、喧嘩両成敗とは、ならず、
先に手を出した方が悪となる傾向は、あるようです。

なので、いかなる理由があろうとも、
手を出しては、いけない。

(いかなる理由とは、言いましたが、ケースバイケース。
例えば、自分以外に守られなければならない何かがあると言った場合は、
後先、考える必要がないケースもあるとは思います。)

そもそも、人は、
どのような時にキレるのか?

自分を大事にされていないと感じた時。
バカにされた時。見下された時。

相手が自分の思い通りにならない時。
相手の意思が自分の意思と違った時。
自分の思いが伝わらない時。

これらは、実際にそうなのかもしれませんが、
そう感じる自分があった。自分都合のこともあると思います。

ストレスや不安や恐怖心。
これらによってキレる事もある。

嫉妬、不満、嫌悪感。などもある。

心がズタボロに傷ついていて、
ささいな刺激でキレやすくなっている事もある。

知っている人は、知っていると思いますが、
怒りの下には、別の感情が隠れている。

寂しさ、虚しさ、悲しみ、劣等感、失望など。

怒りの下にある感情に気づいて癒す。

まずは、気づくだけでもいい。

とは、言ったものの、
発達障害や知的障害の人は、
中々、ここまで出来ない。

イライラしてキレやすいのは、
彼等の特性の一つなので、

その部分のケアが必要だと思います。

ちゃんと相手の意見を汲み取って対話する。
決め付けたり、こちら側の一方的な考え方を押し付けない。

この障害でキレやすい人は、
何か溜め込んだモノがあると、
急に暴れ出したり、物を投げ付けたり、
殴りかかってくる子もいますので、
日常的な対話が重要だったりもします。

急にキレたように見えても、
それまでに溜め込んだ諸々がある。

対話をしていないと、
それが分からないし見抜けない。

こう言うと語弊があるかもしれませんが、
障害者だけの世界に行けば、
暴れる子がいて当たり前。

特に障害者と関わる支援者、指導者の方は、
そう思っていた方がいいでしょう。

彼等は、言語能力や作業能力が低い状態であっても、
人や物事の捉え方など、非常に鋭い着眼点を
持っていることもありますので、
決め付けたり、捉え方を間違えると、
後々のトラブルの元になる事もあります。

しかし、あまりにも、
異常性を感じられる場合は、
重度の精神疾患の疑いなども考慮は、
した方がいいケースもあるでしょう。

育ての親が何かあれば、すぐに、
怒ったり暴力を振るう傾向があったと言う場合は、
その性質を受け継いでいる可能性もあります。

その際も、自分一人だけで、
判断したり決め付けるのではなく、
専門機関に繋いだ方がいいですね。

親が毒親だと子供に障害があっても気づかれない事が多い?

毒親は、思考、感情、行動が異常です。

私も生まれて間もない時期から、
父や祖父から怒鳴られてばかりいました。

世間の常識とは、かなりズレた、
家庭環境で育ちましたが、

本人達は、自分こそは、
まともで正しいと、
信じて疑わない状態でした。

親が毒親と言う地点で、
親が何らかの精神疾患と言う、
ケースも多いと思いますが、

例えば、子供が発達障害だった。
軽度知的障害だった。
境界性知能だった。

そのような場合に、
まず、気づきません。

(親の影響でその症状になった可能性もあります。)

それどころか、
子供を責めて攻撃します。
そして、子供が精神的に参る事もあります。

子供が既に精神疾患に、
なっている事もあり得ます。

でも、毒親だと、
気づかないので、
さらに攻撃を続けます。

なので、誰が気づくかと言えば、
若い時期であれば、親以外の
誰かが気づくと言うことがあります。

でも、若い時期に気づく人と、
巡り合えるのは、運が良い方だと思います。

大概、長い間、気づかれず、
それなりの歳になってから、
自分で気づくか、誰かが気づくか。

それまでは、かなりの
生き辛さを感じて生きていたりします。

毒親の特徴4つ
子どもへの過干渉・過保護
子どもの放置・無関心
子どもへの心理攻撃・呪縛
子どもへの暴力

chatGPTの意見

毒親の影響は障害者になる可能性を
高めることがあります。

毒親の影響により、子供は身体的または
感情的虐待、無視、または適切な愛情や
支持を欠いた状況にさらされることがあります。

これにより、子供の身体的な発達や
心理的な健康に悪影響が及ぶ可能性があります。

例えば、慢性的なストレスやトラウマは、
神経系や免疫系に長期的な悪影響を与えることがあります。

また、感情的な虐待や無視は、
子供の自尊心や社会的な発達に悪影響を及ぼすことがあります。

毒親の存在や環境は、子供の身体的または
精神的な障害のリスクを増加させる要因となります。
具体的な障害の例としては、うつ病、不安障害、
トラウマ後ストレス障害(PTSD)、反社会的行動、
自己傷害などがあります。

しかし、すべての毒親の子供が
障害者になるわけではありません。

子供の個人的な強さや抵抗力、
適切なサポートの提供、他の支えの存在など、
さまざまな要素が組み合わさることにより、
子供は毒親の影響を克服することができる場合もあります。

重要なことは、障害者であろうとなかろうと、
子供たちが適切なケア、愛情、サポートを
受ける権利があるということです。
専門家やサポートグループの助けを
求めることが重要であり、
適切な支援を受けることで
子供たちは回復や成長の道を歩むことができます。

毒親と障害者の関係には、
いくつかのパターンが存在します。

毒親とは、子供に対して身体的、感情的、
または精神的な虐待や無視を行う親のことを指します。

障害者は、身体的な障害、知的な障害、
発達障害などさまざまな形態の障害を持つ人を指します。

毒親と障害者の関係では、以下のような問題が起こる可能性があります:

虐待や無視:毒親は、障害を持つ子供に対して
差別的な態度をとることがあります。

彼らは子供の障害を理由に虐待したり、
無視したりすることがあります。

このような状況では、子供の身体的、感情的、
または精神的な健康に深刻な影響を及ぼす可能性があります。

自己否定感:毒親は、障害を持つ子供に対して
否定的なメッセージを送ることがあります。

彼らは子供に対して「君は価値がない」
「君は普通の人とは違う」といった言葉を
浴びせることがあります。このような状況では、
子供は自己否定感を抱き、自己価値を低く見積もる可能性があります。

サポートの欠如:毒親は、障害を持つ子供に必要な
サポートやケアを提供することができない場合があります。

彼らは子供のニーズを無視し、適切な医療や教育の
機会を提供しないことがあります。これにより、
子供の発達や福祉に大きな悪影響を与える可能性があります。

依存関係の悪化:毒親と障害者の関係では、
依存関係が不健全な形で発展することがあります。

毒親は子供を制御し、彼らの障害を利用して
自分の欲望を満たそうとする場合があります。

子供は毒親に対して依存し、自己主張や独立を
十分に発展させることができないかもしれません。

親が気づいていたとしても、
毒親であれば、追い込みを
かけるような事もあるようです。

肉体的にも精神的にも、
成長が止まる事もあるようです。

一例として極端な低身長や
極端な痩せすぎなど。
(必ずしも毒親の影響とは言えない所もある。)

そして、毒親育ちの人は、
親以外の人間関係でも、
苦労しやすい傾向がある。

イジメの被害者や加害者に
なりやすいと言う傾向もあるようです。

イジメられる側であれば、
家では、親にイジメられ、
学校では、誰かにイジメられ、
かなり苦しい状況だと思います。

イジメる側であっても、
家庭環境の苦しさ故に、
そうしてしまう人もいる。

親子関係は、すべての人間関係の軸。はじまり。

そもそも、毒親と言うのは、
親自身に治療の必要性がある事が、
多いと思うのですが、自分こそは、
正常で正義で間違っていない。

そして、自分以外の誰かや、
何かが悪いとする傾向があるので、
親自身が治療を受けると言う事も、
滅多にない事だと思う。

毒親育ちは、親から無条件の愛を受けていない。
毒親育ちは、親からの条件付の愛が当たり前。

なので、障害は、なくても、
愛されて育った人達とは、何かが、
違って来てしまう部分は、ある。

一説では、毒親は、
発達障害と言う話もありますが、
そのようなケースもあるとは、思いますが、
そうではないケースも多いと思います。

しかし、私が色んな障害者の方から
育ちの環境を聞く中で、発達障害や、
軽度の知的障害の人は、毒親育ちの人が、
多いと言う印象は、受けました。

また、毒親育ちだから、
どうのこうのと言った所で、
毒親育ちの事実は、
どうにも変えられないので、

障害者であっても、
障害者でなくても、

毒親育ちの事実を受け入れながら、
いかに自分を変化させて行くか。

それも一つの課題だと思います。

専門家の治療を受けるのもありですが、
色んな事情があって、中々、それが、
出来ないと言う事もあると思います。

でも、今は、色んな情報もありますので、
その中から自分が出来る事からやって行く。

毒親あるあるですが、
ささいな事が許せない。
ささいな事ですぐ怒る。
そのような思考パターンがあります。

自分は、親と同じような、
思考パターンにならないように気を付けるなど。

毒親を反面教師に出来る事は、
たくさんありますよね?

毒親は、精神性が幼稚ですが、
これも、反面教師で、自分の
精神性を高める事も出来る。

深い部分に刻まれている事もあるでしょうから
すべてを改善する事は、難しくても、
出来る事は、色々あると思います。

毒親育ちの治療には、
共同生活と言うのも、
それなりの効果を発揮することが、
あるらしいですね。

私も治療目的ではないですが、
運命の流れの中で色んな大人達と、
共同生活する事になって、

自分の親や家庭環が、いかに、
異常だったかに気づかされました。

あとは、毒親の親は、さらに毒親だったりします。
そのような親元、生活環境の元で育った結果。
親ばかりを責めるのも、また、違う。

その親、その環境でなければ、
ならなかった理由があるのかもしれない。

そして、とても、シンプルな、
意見になりますが、毒親体験は、
毒親がいなかったら体験出来ない。

毒親とは、何か?を
体験しているから、よく分かる。

愛され育ちや、
普通の親元で育ったら、
決して体験出来なかった、
数々の貴重な体験をしたとも言える。

とは言ったものの、
毒親の元にいれば、
肉体的にも精神的にも、

ズタボロになっている事がありますので、
何処かで治癒する必要があったり、

それなりの毒親対策と言うのも、
必要になると思います。

私の父、叔父は、爺さんが死ぬまで、
爺さんの奴隷であり、支配下の中にいました。

爺さんが死ぬ頃には、既に中年。

決して幸せそうには、思えず、
怒りと、イライラと、悪口や暴力は、
しっかり受け継いでいました。

父方の方は、狂った人格障害だらけでした。

家庭内で怒りとイライラと暴力の連続。
一歩間違えば、本当にヤバい事件になっていても、
おかしくない事が何度もありました。

なので、親を捨てる問題にしても、
時には、捨てた方が、
良いケースもあると思っています。

親を責めても、
親を変えようと思っても、
毒親であれば、まず、無理です。

自分がどうするかだけです。

【障害者雇用】健常者から見た障害者は、どのように映っているのか???

障害者と言っても色んな人がいます。
だから、一概に障害者だからどう?とは、
言えない部分は、あるのですが、

上手くやれている人は、
やれていると思いますが、

健常者と障害者では、
生まれ育った環境や、
価値観などが違う事もある。

障害者は、健常者として生きられないし、
健常者は、障害者として生きられない。

人生の半ばから、
障害者となる人もいますが、
健常者と障害者の間には、
壁一枚ある感じですね。

それが薄い壁だったり、
分厚い壁だったりは、しますが、
それを双方で壊して行く作業は、
必要な時もあるかもしれません。

精神障害と知的障害は、
健常者の方からしてみると、
関わりずらい傾向は、あるようです。

障害者にしても、
障害者扱いして欲しい人もいれば、
障害者扱いして欲しくない人もいるので、

中々、お互いの折り合いを付けるのが、
難しい所もあるかもしれません。

障害者を嫌がる人もいますが、
障害者歓迎と言う人もいます。

障害者関係なく、人として、
どうか?と言う所もあります。

障害者同士の集まりの話し合いの中で、
「健常者の人から嫌われて当たり前」
そのような意見に頷いている人も多い。

でも、これは、障害者の方が言うから、
同じ状況や、そのような体験をした人から、
納得されるのであって、健常者の人から、
障害者の方に、これを言われると傷つくと思います。

問題

障害者を雇用した事で、
仕事上のトラブルが増える事がある。
余計な仕事が増える事もある。
人間関係のトラブルが増える事もある。
色んな誤解が生じる事もある。

お互いにストレスを抱えやすい事もある。
お互いに不安を抱えやすい事もある。

知的や精神の人だと、
任せられる業務が少ないなどの問題もある。

接し方、関わり方の難しさや、
意思疎通の難しさなどがある。

他には、障害の症状によって、
休みが多くなる事もある。
仕事を全然、覚えない人もいる。

また、障害者側の意見としては、
賃金が安い。出来る仕事が限られている。

イジメがある。差別がある。

そうではない場合でも、
傍から見るとそう見える事もある。

本当にある事もあるでしょう。

逆に厳しく出来ないなどもある。

と言った所で、障害者雇用には、
それなりの問題もあるし、
理解の難しさもあったりする。

面倒事が増えるのは、
ある意味、当然で、
それを踏まえての、
障害者雇用になるのかもしれません。

勿論、障害者雇用をしていても、
それらをまったく、
感じない事もあると思います。

でも、実際問題、
障害者を雇い入れるメリットが、
何処にあるんだ?と思っている人は、
多いような気は、します。

あとは、一つの企業の中で、
障害者が何人ぐらい働いているか?

1人や2人だと障害者側の
肩身が狭いなどもあるようです。

メリット

障害者雇用をするデメリットは、
探せば、たくさん出て来ますが、

逆に、障害者雇用するメリットは、
どんなことがあるのでしょうか?

まず、私が真っ先に思いついたのは、
企業は、障害者を雇い入れた事で、
助成金を受け取ることができる。

だけど、それ目当ての企業も、
あると言われていたりもします。

障害者を雇用する事で、
企業のイメージアップが図られる。

今回も、chatGPTに聞いてみました。

障がい者雇用には多くのメリットがあります。
以下にいくつかの主なメリットを挙げます。

多様性と包括性の促進: 障がい者雇用は、
多様な人材を組織に取り入れることを可能にし、
企業や組織の包括性を高めます。

障がい者を雇用することで、
異なる視点や経験を持つ人々が参加し、
創造性や革新力が向上する可能性があります。

社会貢献と評判の向上: 障がい者雇用は
社会的責任の一環として捉えられ、
企業や組織の評判を向上させることがあります。

社会的な貢献や包括的な雇用政策を実践することで、
顧客やパートナーからの支持を得ることができます。

技能と能力の活用: 障がい者は、
さまざまな能力やスキルを持っています。

彼らの個々の特性に基づいて適切な職務や
役割を割り当てることで、組織は彼らの
技能と能力を活用することができます。

障がい者の雇用により、
生産性や効率性の向上を図ることも可能です。

法的要件の遵守: 多くの国や地域では、
障がい者の雇用に関する法的な要件が存在します。

これらの法的要件を遵守することは、
企業や組織が法的トラブルを回避するために重要です。

チームのモラールと幸福度の向上:
障がい者の雇用により、チームのモラールと
幸福度が向上することがあります。

障がい者の雇用は、他の従業員に対しても
包括性や共感の文化を醸成し、
働きやすい環境を作り出すことができます。

これらのメリットにより、
障がい者雇用は企業や組織にとって
非常に有益な取り組みとなります。

ただし、障がい者雇用には課題や
ハードルも存在する場合があります。

それらを克服するためには、
適切なサポートや配慮を提供することが重要です。

障害者差別解消法

障害者差別解消法は、障害者に対する差別を防止し、
平等な権利と機会を保障するために導入された法律です。
以下に、一般的な障害者差別解消法の目的や内容を説明します。

障害者に対する差別を防止する:
障害の有無に関わらず、すべての人が平等な権利と
機会を持つことを保証します。障害に基づく
差別や不利益な取り扱いを禁止します。

障害者の社会参加を促進する:
障害者が社会的に活動し、仕事や教育、
公共サービスへのアクセスなどの機会を
享受できるように支援します。

障害者の権利を保護する:
障害者の人権を尊重し、
彼らがフルパートナーとして
社会に参加できるように擁護します。

直接差別の禁止: 障害者を直接的に
差別する行為や規定を禁止します。

障害者に対する不利な取り扱いや
拒絶は違法とされます。

間接差別の禁止: 障害者に対して
一般的な条件や要件が適用された場合、
彼らに不利な結果をもたらすような場合にも
差別とみなされることがあります。

合理的配慮の義務: 障害者が職場や学校、
公共の場所で適切なサポートや配慮を
受けられるようにするため、
雇用主や提供者は合理的な配慮をする義務があります。

合理的な配慮は、障害者が同等な条件で
参加できるように調整や調節を行うことを意味します。

仲介人の提供: 障害者が権利を行使するための
支援を受けるため、仲介人の提供や情報の
提供が行われる場合があります。

障害者差別解消法は、障害者の権利を保護し、
社会的な包摂を促進するために重要な法律です。

障害者雇用促進法と
障害者差別解消法の違い

私は、障害者雇用促進法と、
障害者差別解消法の違いが、
イマイチよく分からないので、
これについても、chatGPTに聞いてみました。

障害者雇用促進法と障害者差別解消法は、
日本の法律において障害者の雇用や
差別解消に関連する法律ですが、
目的や内容においていくつかの違いがあります。

目的の違い:

障害者雇用促進法(昭和43年法律第123号)は、
障害者の雇用を促進することを主眼としています。

具体的には、障害者の就職や職場への定着を支援し、
雇用機会の確保を図ることを目的としています。

障害者差別解消法(平成13年法律第61号)は、
障害者に対する差別を解消し、

社会参加や平等な機会を確保することを目的としています。
この法律は、障害者に対する差別を禁止し、
差別行為の救済手続きを設けることで、
障害者の権利保護を図ることを目指しています。

適用範囲の違い:

障害者雇用促進法は、主に雇用に関連する規定が含まれています。
雇用主(企業や団体)が障害者を雇用する際の義務や制度、
雇用の推進に関する支援策などが定められています。

障害者差別解消法は、障害者に対する差別を解消するための法律です。
差別行為の禁止や差別解消のための手続き、
差別の被害者に対する救済措置などが含まれています。

法的性質の違い:

障害者雇用促進法は、雇用に関する制度や措置を定めた法律であり、
雇用主に対して具体的な義務を課しています。
違反した場合には、罰則や制裁が科せられることがあります。

障害者差別解消法は、差別の禁止や解消手続きを定めた法律であり、
差別を受けた障害者が救済を求めるための手段を提供しています。

しかし、これらの法律は、
障害者側には、都合が良くても、
健常者側に不利な事もあるような気もしました。

障害者に対する過剰な配慮。
甘やかしなどもある。

そうすると健常者の方達から、
不満の声が上がる事もある。

障害者側も調子に乗る事がある。

だから、行き過ぎた、
過剰配慮も問題なのですよね。

【コミュ障】コミュニケーション障害は、障がい者になる???

元々は、コミュ障は、障害の
症状として使われる言葉だったようですが、

近年は、障害には、当てはまらないような状態でも、
コミュ障と言う言葉が普及して分かりずらくなっているようです。

だから、障害に当てはまる人もいれば、
障害に当てはまらない人もいる。(←今は、こちらの方が多いのかも?)

障害になるにしろ、ならないにしろ、
コミュ障の人は、自分でもそれを感じている事は、多いですよね。

参考までに私も、
ネットのコミュ障テストをやってみました。

↑う~ん。当たっていると思います。

コミュニケーション障害は、
さまざまな要因によって、
引き起こされる可能性があります。

一部の人は、遺伝的な要因や
脳の発達上の問題によって、
コミュニケーションスキルが、
制限されている場合があります。

また、トラウマや不安障害などの
精神的な要因によっても、
コミュニケーションに困難を抱えることがあります。

コミュ障の特徴としては、
以下のようなものが挙げられます。

  • 社交的な場面での緊張感や不安感が強い
  • 相手との目を合わせることが難しい
  • 自分の感情や意見をうまく表現できない
  • 適切なタイミングで発言できない
  • 非言語的なコミュニケーション(身振りや表情など)が苦手
  • ただし、コミュ障と診断されるためには、専門家による評価が必要です。

コミュニケーションは、大事だと言いますが、
私は、必ずしも、そうとも思っていません。

と言うのは、コミュニケーションがなくとも、
伝わる部分も結構あったりもするからです。

それも、非言語コミュニケーションで、
コミュニケーションの一つでは、ありますけど。

障害者の事業所に行くと、
そう言う人は、たくさんいます。

身体的な障害で喋れない人もいれば、
精神的な障害で喋れない人もいます。

でも、それでも、伝わる部分と言うのは、
いっぱいある。障害者の事業所だから、
と言うのも、ありますけどね。

普通の世界では、通じない所も多い。

しかし、今の時代は、コミュニケーションを
それほど必要としない仕事もそれなりには、ある。

コミュ障には、別の障害の絡みでなっている事も多い。

知的障害

発達障害

自閉スペクトラム症(ASD)

注意欠如・多動症(ADHD)

学習障害(LD)

この他にも何らかの障害の
影響でそうなっている事もあるそうです。

家庭環境、幼少期の体験、トラウマなどが影響している事もある。

精神科医の中でも知っている人は、知っているけど、
知らない人は、知らない事ですが、毒親育ちの後遺症と言う事もある。

非言語コミュニケーションによって、
通じ合える所もありますが、
誰が相手でもと言うふうには、ならない所もある。

言語を使ったコミュニケーション不足によって、
誤解や勘違いなど、問題が生じる事もある。

だから、よく、コミュニケーションは、
大事と言われる所ですよね。

コミュ障の治療方法は、主に、
心理療法やカウンセリングになるようですが、
症状に個人差がありますので治療方法も異なるようです。

しかし、この症状だからと言って、
必ずしも、治療を受けなれば、ならないわけではないですし、
実際問題として、治療を受けていない人も多い。

でも、本人は、困っていなくて、
周りが困惑していたり、

本人が困惑していて、
周りは、何とも思っていなかったり、
ケースバイケースだったりします。

障害者雇用。企業側が一番欲しがるのは、身体障害者?

これは、障害者の世界に詳しい人からしたら、
当たり前の話になりますが、身体障害者、
知的障害者、精神障害者の中で、企業側が、
一番、欲しがるのは、身体障害の人になります。

仕事内容によっては、身体の人が、
逆に無理と言うケースもありますが、

そうでない職場においては、
身体的な問題を除けば、健常者と、
変わらない能力がある身体障害者を欲しがります。

まぁ、精神障害の人も、
能力的には、高い人も結構いますが、
精神障害だと、昔ほどではないにしても、
何か怖いようなイメージもあると思う。

精神や知的になると、
会社も周りも、
どう対応したら良いのか、
分からない所もあったり、
最初から嫌悪感を持っていたり、

そもそも、どんな症状なのか、
分かりずらかったりで、
扱いずらい所があったりします。

それに、実際問題として、
知的や精神の障害の人を雇い入れた事で、
周囲の方の肉体的及び精神的な心労が増える事もある。

だったら、いない方がいいよね、
と思う人もいたりもする。

常時雇用している労働者数が100人を
超える事業主で障害者雇用率を未達成の場合は、
法定雇用障害者数に不足する障害者数に応じて、
1人につき月額5万円の障害者雇用納付金を納付していただきます。

と言うような問題もあって、仕方なく、
障がい者雇用をしている企業もあったりします。

身体障害の人は、身体的な障害を除けば、
健常者と変わらない。配慮するのは、
身体的な配慮のみになります。

知的や精神の障害になると、
関わる人は、その辺で、
面倒に思う事もあると思います。

能力以外にも基本的に、
精神や知的の障害者は、五体満足。
身体障害は、五体不満足。

身体障害の方が、
優遇されるのは、ある意味、
当然のことでもあります。

でも、これは、あくまで、
身体障害の症状のみの人の話で、

身体障害と精神障害の合併症、
身体障害と知的障害の合併症の人もいます。

昔と比べたら多くの企業が、
障害者雇用をしていますが、

知的や精神の障害者の雇用が、
近年増えたのに対して、
身体障害の雇用は、昔からあります。

だから、それなりの配慮の仕方や、
準備が整っている企業もある。

逆にバリアフリーなどの
設備が整ってなく不自由を感じたなどの
身体障害の方の声も聞く事もあります。

バリアフリーがあっても、車椅子や松葉杖の人は、
ちょっとした段差などが、動きずらい事があるのですが、
ちょっとした段差は、そのまんまにしてある事もあります。

私も障害者の事業所で、
松葉杖の人が何度も転んで倒れた場面に、
遭遇した事もありますし、身体障害の人は、
周りの動きによって本人の身体的負担がかかる事もあります。

だから、バリアフリーだけで安全だと思ってもいけない。

通勤問題

車椅子の方の通勤問題として、
電車やバスなどの公共交通機関で、
通われている方は、運転手さんに、
乗り降りの介助をしてもらったりで、
本人も周りも大変になる事もあります。

本人の体の負担だけでなく、
心理的な負担。混雑時などで、
周りに迷惑をかけているのではないか?
などの気持ちで辛くなる事も、
あったりするようです。

また、車椅子の人を
お構いなしに押し退けて前に前に、
行こうとする人が結構いるなどの
声を聞く事もあります。

リモートワークで、
働いてる人もいますが、
身体障害の人、みんながみんな、
それが出来るわけでは、ない。

地方だと車椅子の方の多くが、
車通勤をされていますが、
もしも、事故などに遭った際は、
健常者よりも肉体的負担が、
大きくなるなどの危険性もあります。

身体障害の方は、通勤だけでも、
凄く大変な思いをされている。

逆に健常者の人から、
通勤ラッシュ時に、
朝の忙しい時間帯に、ああ言う人は、
邪魔だと言う声を聞く事もあります。

だから、両方の声を聞いて、
通勤時間帯をズラすとか、

例えば、午前中は、リモートワークで、
昼からの出勤が出来るようにするとか、

お互いの折り合いが付く所、
お互いの負担が大きくならない所で、
上手くやれる所は、やるのがいいですよね。

幼児虐待をされて育った子供は、大人になっても後遺症が残る事がある?

これは、私もそうなのですが、
恐らくは、虐待されて育った多くの人が、
そうなのではないか?と思っています。

幼児虐待されて育つと後遺症のようなモノが残ったり、
幼少期に親や祖父などからされた暴力や暴言などが、
フラッシュバックする事があったりします。

他所の家庭事情までは、分かりませんが、
家族の中に一人、幼児虐待する人がいれば、
身内の中に何人か同じような事をする人がいたりします。

そのような家庭では、虐待以外にも、
地獄の蓋を開けたような出来事が、
次から次へと起きていたりもします。

幼児虐待をする親は、
それを日常的にしています。

と言った所で、世の中の
家庭内問題故に起きる事件と言うのは、
氷山の一角であるような気もしています。

子供の頃は、違和感を感じつつも、
他所の家庭事情を知らないから、
親から言われた事を鵜呑みにしている事もある。

幼児虐待によって精神疾患や発達障害。
知的障害になる事もあるそうです。

知的障害かどうかの検査の際に、
脳に異常がないか調べたり、
小さな時に頭を強く打ったなどの事は、
なかったのか?などの
聞き取り調査があると聞きます。

幼児虐待が日常的にあれば、
親の暴力によって、脳に、
異常が出る事もあるでしょう。
ショックにもなるでしょう。

家系内で、親から子へ、また親から子へと、
繰り返されて来ているケースも多いようです。

いずれにしても、力の叶わない幼少期に、
大人から虐待を受けると言うのは、
衝撃やショックやストレスなどを受ける。

そして、虐待されて育った子供も、
思考や人格が歪んだ状態で大人になっている事がある。

女性にDVをする男も世の中には、
結構、いるようですが、彼等も、
幼児虐待されて育った結果として、
そのような思考や行動パターンが、
染み付いている可能性もあるかもしれないですよね。

自分は、それはしないつもりであっても、

無意識に染み込んだモノがあるような気がします。

心理学的にも、人格の軸となる部分は、
15歳ぐらいまでに形成されていると言います。

幼少期に必要なのは、
人から愛されていると言う実感。
人から必要とされていると言う実感。

これが結構、重要なようですが、
機能不全家族などでは、これとは、逆。

親からの愛情を感じれずに育っている。

虐待のストレスによって、
認知機能の発達が阻害され、
知的障害・学習障害のような様相を示していくことがありますし、
記憶や情動を適切に制御する力が損なわれ、
落ち着きのなさや多動傾向・衝動的な 傾向を示したり、
フラッシュバックや夜驚、ぼんやりしたり記憶が
欠落するといったような解離症状を示すこともあります。

ネグレクトなどにより、
栄養や感覚刺激の不足・日常的な世話の欠如による、
生活年令にそぐわない極端な発育障害や認知能力の
遅れが生じることがあります。 虐待された体験が
ふいにわきあがるフラッシュバックや夜驚、
ぼんやりし たり記憶が欠落するといった解離状態、
情緒不安定などの精神症状を呈することがあります。

毒親育ち、虐待育ちの結果として、
障害者になった人は、それなりにいると思う。

しかし、昔の時代であれば、
障害者認定されなかった人も、

今の時代は、精神疾患や発達障害、
軽度知的障害と発見されるので、
運が良いと言える側面もある。

一説によると、鬱病やパニック障害、
アルコール依存、過食症、
それらも、幼児虐待されて、
育った結果としてなる事もあるようです。

毒親は、人格異常者ですが、
毒親本人は、自分は、まともで、
自分こそが正義。自分の考えと違うと許せない。

毒親が子供に暴力を振るったり、
幼児虐待をするのは、彼等の正義。

だけど、正義だと思いつつも、
何処かで子供に泣かれたり、
騒がれる事を恐れている。

なので近所などに知られないように、
それをやっている事も多いと思う。

今は、児童虐待通報189もあります。

児童相談所虐待対応ダイヤル「189」について

  1. 虐待かもと思った時などに、
  2. すぐに児童相談所に通告・相談ができる全国共通の電話番号です。
  3. 「児童相談所虐待対応ダイヤル「189」」に
  4. かけるとお近くの児童相談所につながります。
  5. 通告・相談は、匿名で行うこともでき、
  6. 通告・相談をした人、その内容に関する秘密は 守られます。

児相に保護されたらどうなる?

一時保護の期間が過ぎると、

子どもは保護者の元に戻されるケースが多いです。 
しかし、家庭の状況によっては施設への入所、
里親への委託といった措置がとられる可能性もあります。

毒親育ちと言うのは、
ある意味、幸せになれない症候群。

マインド的な部分で、
そのような家庭環境で育った自分は、
幸せには、なれない。なっては、いけない。

意識的か、無意識的か、
自分で自分にブレーキを
かけている事もある。

毒親は、子供を暴力、暴言で支配する。
やたら過干渉で、子供のやる事に手を出し口を出す。

鎖に繋がれた犬状態。いや、今の時代、
犬の方が良い暮らしをしていたりします。

毒親にとって、自分の子供は、
自分の思い通りになる奴隷のようなモノで、
何とか自分の思い通りにしようとする傾向があります。

かと言って、親の思い通りになって育ったら、
完全に親の奴隷として一生を棒に振るような人生もある。

毒親の元にいる事で病気になったり、
その他の問題が生じる事もあります。

だから、親や家庭環境によっては、
親を捨てるのもありだし、それはしなくても、
それなりに距離を取ったり何らかの対策が必要な事もある。

虐待する親がいれば、
その家系内に人格上の問題を
抱えた人達が何人もいたりもしますので、
逃げるが勝ちと言う事もあります。

幼児虐待をされて育った人は、
私も含め親からの愛を受けて育っていない。
それ故の後遺症は、背負って生きる事になる。

それは、悪影響かもしれませんが、
同じような境遇で育った人の事が、
よく分かったりで、プラスに思えたり、
プラスに転じる事が出来る側面もある。

だから、終わってみれば、
必ずしも不幸な体験だったとも限らない。

自分が親から大事にされなかった分、
人を大事にすると言う事も出来る。
(言葉にするのは、簡単だけど難しい。)

毒親も、育ての親から大事にされずに、
育ったから毒親になった傾向もある。

弱い犬ほど、よく吠えると言いますが、
毒親は、精神状態が非常に弱く、
すぐに暴力や暴言で訴える。

毒親育ちは、精神、脳、神経、 
などを破壊されて来た部分は、
大なり小なりある。

そう言う人達の治療と、
そう言う親元で育つ子供達の保護は、
何らかの形で必要だと思います。

人間は、怒られたり、怒鳴られ続けると、どうなるのか???

この影響について、
chatGPTに聞いてみました。

人間は怒鳴られ続けられると、
さまざまな身体的および心理的な影響を
受ける可能性があります。

以下に一般的な影響をいくつか挙げますが、
個人によって異なる場合もあります。

ストレスと不安: 怒鳴り声や攻撃的な態度に
晒されることは、人々に大きなストレスを
引き起こす可能性があります。怒鳴られ続けることにより、
不安感や恐怖感が増大し、常に緊張した状態になることがあります。

自尊心の低下: 怒鳴られ続けることは、
被害者の自尊心に深刻なダメージを与えることがあります。

攻撃的な言葉や行動によって、
自己価値感が低下し、
自信を喪失することがあります。

パフォーマンスの低下: 怒鳴り声や威圧的な態度が続く環境では、
集中力や創造力が低下し、仕事や学業のパフォーマンスに
悪影響を及ぼすことがあります。ストレスの増加によって、
注意力が散漫になったり、ミスを起こしやすくなったりすることがあります。

対人関係の悪化: 怒鳴られ続けることは、家族や友人、
同僚との関係にも悪影響を及ぼす可能性があります。
被害者は、他の人々との信頼やコミュニケーションに対する
壁を感じることがあります。また、攻撃的な行動を
模倣するリスクもあります。

心身の健康問題: 長期間にわたって
怒鳴られ続けることは、心身の健康にも
悪影響を及ぼす可能性があります。
慢性的なストレスは、高血圧、心臓病、睡眠障害、
うつ病などの健康問題を引き起こすリスクを増加させることがあります。

怒鳴られ続ける状況にある場合、
できる限り早く安全な環境に避難し、
サポートを求めることが重要です。

 

他の記事でも書いた通り、私の親や祖父などは、
自己愛性パーソナリティ障害の症状があったので、
そのような親元、家庭環境で育つと、
ほぼ、すべてが当てはまりますね。

障害者と健常者の恋愛や結婚について。障害が結婚の障害になる事もある?

人生の半ばから何らかの障害を負う人もいれば、
はじめから障害者の人もいます。

世の中には、健常者と障害者の恋愛や結婚もあります。

相手に障害があろがなかろうが、
関係ないとの意見もありますが、

健常者と障害者。ここだけを見れば、
健常者の人がプラスだとしたら障害者は、マイナス。

マイナスと言う表現は、よくないかもしれませんが、
健常者同士の恋愛や結婚と比べた時に、相手側の人は、
やはり、それなりのリスクも背負う事になります。

身体障害と健常者であれば、
健常者の方は、介護的な役割を担う事になったり、

精神障害or知的障害と健常者であれば、
健常者の方は、保護者的な役割を担う事もあります。

このバランスの観点から言えば、
障害者側の人がそれを覆す何かを
持っていないと同じ土俵に立てない。

例えば、経済力だったり、技術だったり、
人柄だったり、相手にとって何か、
プラス要素のモノがそれなりにないと難しい。

とは、言ったものの、女性のヒモのような
存在になっている障害者男性も、それなりにいます。

私の周囲でも障害者と健常者で結婚してる人や、
障害者同士で結婚している人もいますが、
障害者側に経済力がないケースも多い。

基本的に多くの障害者には、
社会的地位や経済力がない。
いや、ない人が多い傾向がある。

なので金銭的に相手に助けてもらうと言うか、
依存しているようなケースもあります。

(支え合うケースもあります。)

相手に対して、障害者側の人が、
それだけのモノを持っているから、
バランスが取れているのかもしれませんけれど、

第三者目線で見た時に、
相手の方が大変に思えたりする事もあります。

ヒモとは、違いますが、
芸能界に乙武洋匡さんと言う方がいます。

車椅子と言うハンディキャップを持ちながらも、
非常に、女性にモテる人で、以前、
複数の女性と関係を持ち離婚したとの
報道を見た事があります。

5股不倫との報道でした。

やっている事は、どうしようもないですが、
車椅子と言うハンディを持ちながら活動的で、
健常者と比べてもマイナスではなくて、
プラスの要素が多い人だと思います。

でも、正直な話、障害者と健常者の恋愛や結婚と言うのは、
健常者同士よりも大変な事は、多くなると思います。

今回も、chatGPTに質問してみました。

障害者と健常者の恋愛は、
多様な形で存在しています。
恋愛は人間の感情や絆を基にした関係であり、
障害の有無に関係なく、個人同士の相互の
魅力や感情のつながりによって成り立ちます。

障害者と健常者の恋愛は、
お互いの異なる経験や背景から
生まれる多様性を通じて、
お互いに理解し合い、
助け合うことが求められる場合もあります。
恋愛関係では、互いの個性や強み、
弱みを受け入れることが重要です。

障害者のパートナーが持つ障害について、
理解し尊重することが大切です。

また、恋愛関係においては、
コミュニケーションと相互の
サポートが重要な要素です。
障害者が持つ特定のニーズや制約がある場合、
パートナーはそれを理解し、
協力することが求められます。

コミュニケーションの方法や
スタイルが異なる場合もありますので、
お互いの意思疎通を図るために、
オープンで包容力のある対話が必要です。

障害者と健常者の恋愛においては、
社会の偏見や差別といった困難にも
直面することがあります。しかし、
真の愛や理解を持ったパートナーは、
お互いの違いを乗り越え、
共に幸せな関係を築くことができます。

互いに支え合い、尊重し合いながら、
困難を乗り越えることができる
強い絆を築くことができます。

最後に、障害者と健常者の恋愛は、
個別の状況や人々の経験によって異なるものです。

一般的な考え方やアドバイスを提供することはできますが、
具体的な関係においては、それぞれの個人の
感情や状況に基づいた適切な判断が重要です。

そもそも、障害者と健常者では、
育ちも違えば、価値観も違う事もある。

そこに、どれだけ寄り添えるかと言う問題もある。

パートナーが人生の半ばで障害者になる事もありますが、
最初から相手が障害者だと恋愛対象にならない人もいます。

また、障害者側は、
相手に好意を抱いていても、
自分に障害がある事で引け目を
感じる事もあったりするようです。

だから、最初の気持ちの
部分での難しさもあると思います。

本人達が良くても、
周囲が反対したり不安に思ったり、
心配したりと言う事もあるようです。

健常者の方で障害者の方に恋愛感情を持つ人は、
優しくて思いやりがあって人格者の人が多いのかな?
と言う印象がありますね。

あと、もう一つ、
障害者と一緒になる健常者は、
普通そうに見えて、
深いトラウマや劣等感があったり、
結構、それまでの人生の中で、
大変な人生を歩んで来た人も多い、
傾向があるような気もします。

それは、障がい者側にも、
言えることで、その辺で、
共鳴した人もいると思います。

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