精神障害が治った実例。

私の家系は、重度の精神病者が多かったのですが、
精神病が治ったと思える実例もあります。
それが私の弟の事です。

小学生の頃から重度の精神病か、
何らかの憑依だった可能性もありますが、
あり得ないほどの異常者でした。

何かあれば、すぐに殺してやる~。殺してやる~。
と言って暴れる状態でした。
暴れる犬を飼っているような状態でした。

そのせいで、父は、仕事を失いました。

だけど、弟の異常性に関しては、
父母も無知でしたし、
何せ、爺さんの代から、
暴力と怒鳴り声は、日常茶飯事でしたので、
それを問題だとも思っていなかったのでしょう。

しかし、その症状は、弟が20歳を過ぎても、
そのままで、さらにエスカレートしていました。

いつでも、刃物を握っている状態で、
些細な事や細かい物音が気になる状態。

暴れる犬のような状態で、
自由に出歩くので、
外でも家の中でも暴言と暴力の繰り返し。

それまで無知だった父と母も、
ようやく弟の異常性に気づきましたが、
気付いた時には、手遅れだったような状態です。

弟の異常性に気付いた3年後、
母は、癌で亡くなりました。

一日中、弟の暴言に付き合う状態だったようです。

その間に母が血を吐き倒れ、
救急車で運ばれた事が何度もあったようです。

それでも、父も気付かず、弟も自分が、
異常者だと気付かない状態でした。

母が最後に倒れ余命宣告された時に、
ようやく自分に問題があったと気づいたようです。

そして、母が死んだ時に大量の涙を流し、
それまで、一度も働きもせず家の中でゲームをやるか
暴れるかしかしなかった弟がアルバイトに行くようになりました。

今は、だいぶ穏やかになりました。

普通で考えれば、弟が母を殺したと思う人もいるでしょう。
しかし、死ぬ日は、自分で決めてきています。
どのような死に方をするのかも。だから、最後のお役目として、
自分の命と引き換えに弟の治療をしてくれたのだと思います。

母が死ななければ、
弟の異常性は、治らなかったでしょう。
人生の最期に自らの命と引き換えに
弟の異常性を治すと言う
大技をやって旅立ちました。

その前に怒りの大解放があった。

無理に許そうとしなくても、
一旦、怒りを出し切ったら、
自然と許せるようになることがある。
私の弟のことが良い例です。

普通の人や人格者も、
怒りを内在していることがある。

それを一旦、吐き出すことも、
時には、必要なことのような気がします。

その後、霊能者やスピリチュアルな専門家にも、
弟の状態を何人かに視て貰いましたが、
今は、大丈夫そうですね~と言われました。

本来であれば、小学生の時には、もう、
精神病院の閉鎖病棟に入れる事が妥当だったと思いますが、
精神科にさえ行った事がなかったです。でも、結果として、
家族は、大変でしたが、治ったと言う実例がある。

私が長い事、家に居なかったと言うのもありますが、
家族は、色々、無知だったので、そのような事に気づかず、
そのような機関を頼ると言う発想もない人達でした。

そもそも、父も、私が生まれて間もない頃から
怒鳴りつけ、歩けるようになったら暴力。
そんな人だったので、正常な思考回路ではなかったでしょうね。

弟を閉鎖病棟に放り込んでおいた方が家族は、
楽だったかもしれませんが、そうしていたら、
弟の精神病は、恐らく治る事は、なかったでしょう。

専門家を頼る事も時には、大事です。

大事だと思うのですが、
専門家の治療を一切受ける事なく、
完治したと思える実例が私の身近にあったので、
この話を紹介したいと思いました。

十数年、異常者のような状態でしたが治りました。

もしかしたら、専門家を頼っていたら、
一生、治らなかったかもしれません。

しかし、私の身内には、もう一人、
同じような症状の人がいました。
その人は、45歳を過ぎても、そのような状態で、
今は、どうしているかも分かりません。

だから、専門家を頼るか頼らないか、
一概に、どちらが良いとは、言えないですが、
事実として結果、頼らなくて良かった
と思える現実が私の目の前にあります。

さらに言えば、爺さんや父さんも、
刃物を振り回す事をしなければ、
似たり寄ったりの状態でした。

上から下へと流されるカルマ流し。

家族や家系の末端と言うのは、
その症状が出やすいのかもしれません。

逆に言えば、家族や家系のカルマの
すべてを自分一人で引き受けたからこそ、
そのような症状が露骨に出ていたのかもしれません。

もう一つ言えば、
ある能力者の方に会った時、
弟が、そのような状態だったのは、
あなた(私)が、先祖を嫌っているからだと、
お叱りを受けたことがあります。

私は、とにかく爺さんが大嫌いでした。
幼児期から爪で目を刺されたりしていました。
それ以外にも言い出したらキリがない、
あれこれがありました。嫌いすぎて、
私は爺さんの、お通夜も葬儀も、
四十九日にも行っていません。しかし、
外側には、何も無い。すべては、自己責任。

あなたが先祖を嫌っていると言われた。その時、
確かにそうだとは思いましたが、
まだ腑に落ちていなかった。
あんな爺さんなら、
嫌うしかないだろうと思っていました。

すべてが自己責任。外側には何も無い。

このことが、まだ、分かっていなかった。

100%自己責任。これを本当に
分かっているなら誰かや何かの
せいには、しないのですよね。

よく考えてみれば、弟の異常性は、
死んだ爺さんに似ていた。
そういうことだったのですよね。

だいぶ後になって、気づきましたが、
私は、爺さんの事を殺したいぐらい嫌いだった。

私は、十代の頃に爺さんや
父さんが嫌いすぎてと言うか、
重圧に耐え切れず家を飛び出しました。

もしも、私が、あのまま家にいたら、
私が弟のような状態に
なっていたかもしれなかったのですね。

家を出た事で、すっかり忘れていましたが、
弟が殺してやる~ばかり言っていたのは、
私自身が、爺さんに対して思っていた事なのですね。

だから、外側には、何も無い。
私の内側の反映だった。

幼少期~爺さんが亡くなるまで。
そして、亡くなった後にまで嫌い続けた。

私の中の、その気持ちを見事に現していた。

許す者は、許される。
私が、ゆるしていなかった。

私を叱った方も、外側には、何も無い
と言うことを強く言われていました。

すべての原因は、自分の中にある。

外側には、何も無い。
私が私を映し出している。

自分の世界のすべては、
自分の感情(周波数)であるらしい。

『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』
https://t.co/H41aOh6cux #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) April 11, 2021

別の能力者に視て貰った時は、
お爺さんも、お婆さんも、
お父さんも、お母さんも、
あまり良いエネルギー状態では、
なかったですねと言われました。

その方とは、直接会ったことはなく、
電話でしか喋っていないのですが、
死者の生きている時のエネルギー状態。
今、生きている人の今と過去のエネルギー状態。
それらが、かなり的確に分かる人でした。
(忙しい人なので名前は、教えることは、出来ません。)

爺さんも、父さんも、お婆さんも、お母さんも、
まともな、エネルギーの状態ではなかった。
そのような環境で育つ中で影響を受けた、
あれやこれやもあったと思います。

また別の人で、私は、
この方の本を読んだだけなのですが、
稲福薫さんと言う方が、
家系のカルマは、ダムのようなモノで
上流から下流に向かうと言われていました。
下へ流せる人は、まだいい。
一番最後の人は、流す所がないので、
家系内のカルマが露骨に出る事がある。

まさに、弟の症状は、この通りでありました。

怒鳴り声と暴力が蔓延した家系。
その、最後の砦が弟に来ていた。

弟は、超異常者でしたが、家系内のカルマを
一人で背負い込んだ故のことだったように思います。

私の家系は、爺さんも、父さんも、
父さんの弟も、本来であれば、
精神病院の閉鎖病棟に入院して、
生活しているのが妥当な状態でした。

家系内のカルマであれば、
仮に弟を精神病院に入院させておいたとしても、
結局、別の所で家庭内に問題が発生していた事でしょう。

このように家系のカルマと思えるモノは、
その家系の最後に打ち上げ花火のように、
ドカーンと上がる事があるのですが、
その花火が散ったら、ガラリと平和になります。

勿論、その事があったのは、
このブログをはじめる10年も前のこと。

今だったら知識や対処術も違いますし、
精神面での専門家を頼ったり、
見えない世界の専門家を
頼っていたりすると思います。

今は、時代的にも相談機関も増えています。
自分だけ、家族だけで何とかしようとせずに、
頼ることも大事だと思います。

毒親問題や心の分野の
専門家の人から聞いた意見ですが、

毒親に育てられて心の大火傷を負った人は、
育ての親と同じ状態になりやすい。

100%完全に親のような状態になる事もある。
その環境に耐えられないほど、そうなりやすい。

私の家系で言うと父が70%ぐらい。
父の弟が90%ぐらい。
私の弟は100%あったかもしれません。

思い返せば小学生の時には、もう、
爺さんの完全コピー状態になっていました。

私自身は、どうでしょう?
50%は、ないと自分では思っていますが、
それ以上あるかもしれません。

このような環境で育って0%ではないですよね。

3つ子の魂百まで。
生まれ育った環境の影響を、
その後の人生にも受けやすい。

普通の家庭のような土壌が培われていない。
どこかで、それを取り込むことも必要なようです。

カエルの子は、カエルと言いますが、
毒親に育てられた子供は、
何らかの精神病を持ちやすい。

毒親がやる事は、メチャクチャなので、
小さな子供が、それに耐え切れる
精神状態を持ち合わせていなかったりします。

そして、これが家系連鎖している。

親も家系も自分で選んでいる。
それがカルマだと言う話もありますが、
それでも、やっぱり、毒親と言うのは、
撲滅して行かなければ、ならない部分もあると思います。

子供時代だけで済むならいいのですが、
その後の人生も、ずーっと、
人格崩壊したまま生きる人もいます。

その人だけの問題なら、
まだいいのですが、
人格障害の人が、
出会う人、出会う人に、
危害を加えたりします。

カルマとして、その家を選んだとしても、
これでは、さらなるカルマを膨張させる。

この辺については、う~んと思います。

人格崩壊した人も、子供時代の、
壮絶な体験を持ったりした被害者のことが多い。

爺さんは、弱い者には、
とことん強いと言う人だったので、
私が家を出た後、一番の被害者になったのは、
恐らく、弟だったと思います。

私もそうでしたが、
四六時中、怒鳴り声と悪口ばかりを
聞いていれば、子供が家で息を抜けない。

結果として、幼き被害者が、
成長過程において、加害者になる。

この連鎖は、中々、終わらない。

昔、24時間戦えますか?
と言うCMがありましたが、
私の家系の人達は、24時間、
怒りっぱなしと言う表現が、
しっくり来るような感じでした。

この流れが最後の砦。弟に来ていた。

その前に終わらせる対策も、
何かあったような気がします。

でも、昔より色んなモノがオープンになっているので、
少なくとも昭和時代よりは、良くなっているでしょう。

そして、斉藤一人さんが提唱している
合わない人とは、会わない。

私の家系の場合は、
あからさまな殺人事件には、
なりませんでしたが、
そのような事件になった家庭も
ニュースなどでは、よくありますね。

身内同士の殺人事件。
身内同士の付き合いをしていなければ、
避けられたような事もある。

お互いが会わない。関わらない方が、
幸せな関係でいられることもある。

そして、もう一つの話として、
死後の世界は、大きく分けて、
元いた光りの世界へ
還るだけであると言う話と、
地獄や極楽が存在すると言う話があります。

↓のツイート先の記事を拝見すると、
地獄に落ちた霊が苦しくて血縁をたどって、
子孫に助けて欲しいとしばしば訴えてきます。

『地獄からの救済』
https://t.co/VbOAqKvaBV #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) June 4, 2021

それでその影響を受けて子孫が様々な
災難や病気になったりするとありますが、
因果関係からしてみると地獄に墜ちた爺さんが、
弟の症状として出ていた。そのようにも捉えられます。

まぁ、普通で考えたら、
地獄にしか行かないであろう
爺さんと婆さんでしたから、
それもあったのかもしれません。

私宅監置(したくかんち)と言う制度。

昔から、重度の精神病と思われる人は、いたそうです。
江戸時代などは、それは、狐や狸などの
憑依だと思われていた部分もあったそうです。
(私は、それは、あながち間違いではないと思います。)

1900年ぐらいには、届出を出せば、精神病者と思える人を
家の物置などに軟禁のような形にしてもいいと言う事が、
法律的に認められたそうです。

その当時は、精神病院や精神科医も少なく、
医療も今ほど発達していなかったから、
仕方がなかった事とも言われています。

1950年に法律改正され、

私宅監置は、禁止になったそうです。

私宅監置はいつから
合法化されましたか?

かつて日本では、
家族の中に精神疾患を
発症した人が現れると、
自宅の敷地内に部屋を設け、
閉じ込めることが認められていた。

「私宅監置」と呼ばれ、
明治政府が1900年の
「精神病者監護法」によって
制度化した合法的な措置だった。
「監置」の対象となる患者の
家族あるいは後見人が届け出て、
警察や保健所が監督した。


沖縄の私宅監置の歴史は?

私宅監置。
1900年制定の法律に基づき
精神障害者を小屋などに隔離した、
かつての国家制度です。
精神障害者を犠牲にし、
地域社会の安寧を保とうと
してきたのが日本です。
1950年に日本本土では,
禁止になったこの制度は、

沖縄ではその後,
1972年まで残りました。

沖縄では、1972年まで残ったと言われていますが、
今、これをやっていると違法であると言う事です。

だけど、私も、過去には、家庭内で重度の精神病と思える者と
一緒に過ごしていた時期がありますので、
私個人としては、正式な精神鑑定を行っているのであれば、
このような制度は、むしろ賛成でもあります。

と言うのも、重度の精神病者と思える人が、
私の身内には、何人かいました。
だけど、精神病院に行く事さえしていませんでした。

恐らく、わりと近い先祖に私宅監置されていた人が、
いたと思いますし、私の身内の何人かは、
本来であれば、閉鎖病棟に
入院させるのが妥当の状態であったと思います。

しかしながら、家族の無知と無関心により、
ごく普通に家の中にいると言う状態でした。

だけど、重度の精神病者と思える者が家の中にいれば、
家庭内は、ゴタゴタの大騒動になります。

家の中で問題を起し、外でも問題を起します。
だけど、逮捕までには、至りませんでした。

運命的に、何故か、他の人なら逮捕されたり、
精神病院に強制入院されるような時でも、
そのまま無罪放免となっていたように思います。

今の世の中でも、サイコパスや自己愛性人格障害だと
騒がれたりしている部分もありますが、
本当に周囲にとって迷惑でしかないのなら、
私宅監置のような対策も必要かもしれません。

異常者は、精神病院に預ければいいと思うかもしれませんが、
まず、精神病院に入院させるまでが大変な事であります。

症状が重いほど、精神病院に連れて行く事さえ難儀な事であります。

私の家族のように、無知だと、精神病や精神病院と言う発想が、
全然なかったりします。当時は、私を含め、目の前の事に精一杯で、
家族一同、そこまで頭が回らなかったのですね。

家が貧乏だったので、病院=お金がかかる=医療費が払えない、
と言う先入観もありました。だけど、あれだけの重症あれば、
国が大部分で金銭的な面倒もみてくれる状態だったらしいですね。

精神病院に連れ行っていれば、即入院となっていた状態だと思いますが、
ずーっと家で一緒に過ごしていました。周りは心身共にズタボロの状態で、
その人物が一家に災いをもたらしたような感じで、私宅監置と言う事が、
行われていたら、どれだけ家族が幸せだっただろうかと思います。

他の記事にも書いたと思いますが、
私の男系の親族は、何人かに一人、
かなり、症状が重度と思える精神病者がいたと思います。
下手をしたら、私の父親やお爺さんも、
そうであったかもしれません。
(父親は、それでも、だいぶ軽い方の症状だったと思います。)

病院に行っていれば、間違いなく精神障害の認定は、受けたでしょう。
私の予想では、何人かは即、閉鎖病棟に行くような状態だったと思います。

私も、その因子だか、遺伝子は、
多少なりとも、受け継いでいると思うので、
これが、カルマなのかもしれませんね。

無の精神療法の著者である
稲福薫さんの話では、苦玉関係と言う言葉で、
説明されていますが、お爺ちゃんやお父さんは、
自らの苦玉を子供に押し付ける事で、
自分の苦玉を軽減してきたとも言えます。
苦玉を押し付けられた子供は、弟など、
自分より下の立場の者に流したりします。
だから、苦玉を流せない最後の者は、
一番、苦しいし、一番おかしくなるとも言えます。

イジメなどの問題も、
このような苦玉関係で説明が付くそうです。

重度の精神病者と関わった事がない人は、
道徳的な事で、私宅監置なんてと、
思ったかもしれませんが、家族の安全、
周囲の安全と言う意味においては、
必要な事であったと思います。

重症の精神疾患は、
家系的にそうだったりもします。

例えば、自己愛性パーソナリティ障害は、
親がそれだから連鎖している事が多い。

身内間や家族間ではなくて、
まったくの外部の調査機関が調べて、
外部の場所で私宅監置を
医療的に改良したような制度なら、
逆に今でも、あった方がいいような気がします。

カルマの話。

人には、カルマがある。
カルマがあるから、
人間とも言える。

カルマが、ないと言う話も、
ありますが、厳密に言うと、
カルマの影響を、もう受けない、
と言う状態であるらしい。

残念ながら、多くの人に、
カルマは、ある。

カルマがあるから、
諸々の事を体験している、
とも言える。

毒親や親ガチャと言う言葉も、
よく聞くようになりましたが、

毒親の元へ生まれるカルマを
背負って来たとも言えます。

毒親家系も連鎖。

不幸に思える事件も、
その連鎖を終わらせる為に、
起きている事もあるかもしれない。

毒親のもとに生まれた人の使命(TOXIC PARENTS). https://t.co/v14a08syKX @YouTubeより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) May 6, 2022

自分が、やった事が、
自分に返る。因果応報。

その人の持つカルマ故に、
起きている事だったりします。

生まれながらに持ったカルマ。

背負ったカルマを知る方法 – 青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の 暮らしから得る気づき https://t.co/sWaK6Pw2E0— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) May 5, 2022

カルマは自分自身でしか解消できない https://t.co/ngd9kxeVgB— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) May 5, 2022

『shandraniさんの記事。続き。』
https://t.co/R6y0zYORgR #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) April 17, 2022

丸い玉を転がして加速するように、
カルマも、ダルマも、転がっている。

カルマが多い人、カルマが多い家系は、
自然と、そちら寄りに転がって行き、

ダルマが多い人、ダルマが多い家系は、
自然と、そちら寄りに転がって行く。

カルマを撒く人は、撒き続け、
ダルマを撒く人は、撒き続ける。

どちらにしても、気づきの合図は、ある。

気付く人、気づかない人は、いる。

気付かずに、ず~っと続ける人も、いる。

何でも噛んでもカルマにする必要は、
ないですが、カルマを撒き続けている事に、

気付かない事。知らず知らずの間に、
撒いている事は、あるでしょうね。

親が子供を病気にさせている事もある。

モラハラ加害者は、性格が強く、段々と厚かましくなり、相手への要求のレ ベルが上がります。

相手を自分の手足のように思っていて、自分の思う通りに動かないと怒ります。

モラハラ被害者は、 相手に罵られて気が滅入り、相手のどうしようもなさに途方に暮れ、絶望し、病気になります。— トラウマケア専門『こころの え』相談室 (@e98SnMZJchhlqjt) May 8, 2022

小林正観さんの名言。

過去に投げかけたモノが今、返り、

今、投げかけたモノが未来に返って来る。

返って来る時は、倍返し。

これは、今世だけのことでは、
ないのかもしれ ないですね。

前世や来世のことも含んでいる
かもしれない。カルマと言われるモノも
そうですね。一人の間で自己完結。 — 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) May 6, 2022

このような因果関係、因果応報もあったりする。

現世でカルマを解消し終わらせる為に

自分で相手と話し合い、宇宙 と話し合い

契約を交わして今ここにいる

理不尽なことをされた時は過去世で

先に自分が相手を傷つけてる

それでもカルマを消滅させる方法は

今の自分で

相手の弱さや

真逆ゆえに批判否定した価値観を

理解し終わらせる— ANRI (@anrimessage) May 7, 2022

すべては、自分が撒いた種がある。

撒いた種は、自分で刈り取らなければ、ならない。

今世、色々と大変だと言う人は、
前世で、極悪人だったのかもしれない。

しかし、輪廻転生の観点から言えば、
今世では、まだ無理だから、敢えて、

来世や来々世に先延ばししているかもしれず、
今世で、大変な人は、運が良いかもしれない。

阿頼耶識に収まっている業(カルマ)がある。

阿頼耶識と言うのは、心の蔵。

ここに収まっている業に時効は、ない。

千年、二千年前の種が眠っているかもしれず、
その種が芽を出すことがある。刈り取る為に、
芽が出たのが不運な出来事だったりもする。

この時に気づいて、感謝できたら浄化かもしれない。

勿論、中々、そんな風に思えないのが人間。

余談ですが、三重県や兵庫県の人は、
腹が立ったり、怒ったりすると、
「めっちゃ、ごう、沸いて来た!」
と言ったりしますが、この、「ごう」とは、

「業」の事かも知れず、
「種」が芽を出した結果、

と言えるかもしれませんね。

もっとも、「ごう沸いた!」と、
怒っている人は、そんな事には、
気づいていないと思いますけど。

種がなければ、芽が出ない。

どのような出来事も、
自分の撒いた種がある。

業が因となり、報となる。

仏教的には、心で撒いた業が、
一番多いと捉えられているそうです。

心の種蒔きが一番、多い。

心の中の業が、
現実と言う鏡に、
映し出されている。

現実的には、心の中が一番見えない。

それを心の外に映し出している。

肉体がなくなれば、丸見えの世界。

肉体があるから、隠れているように見える。

勿論、心の中だけでなく、
体を使ってやった事、
口を使ってやった事も業になる。

この世で悪事を働いて捕まれば、
刑務所に入りますが、それで、
カルマを解消出来たとは、言えない。

撒いた種が自分の身に降り注いだ時。
撒いた種に自分で気づいた時が解消。

因果と言いますが、因が変われば、結果が変わる。
因縁と言いますが、縁が変われば、結果が変わる。

因果が縁によって起きる事もある。

花咲爺さんのように、
因や縁によって、
結果と言う花を咲かせる。

その花の種は、自分で撒いている。

お釈迦様は、こう言われたそうです。
何者の業も、必ず自分に戻る。

どんな事も、どこへ逃げても、
自分がやった事は、
目に見えない業力となって、
すべて自分に戻る。

この業力は、肉体が滅びても終わりでは、ない。
自分の業力は、自分が相続している。

この業力は、死後の世界に現れる事もあれば、
来世で、肉体を持った時に現れる事もある。

地獄とは、自分の業力が生み出した世界。

だからこそ、良い種を
播きなさいと言う教え。
それが、仏教であるそうです。

善因善果。悪因悪果。

善の種を撒けば、善の結果。
善の種を撒いて、悪の結果が出ることは、ない。

悪の種を撒けば、悪の結果。
悪の種を撒いて、善の結果が出ることも、ない。

撒いた種は、良くも悪くも、
必ず、自分で撒いている。

今世の事にしても、
前世の事にしても、
自分で覚えていないだけで、
自分で撒いた種がある。

種があるから、自分で、
その結果を受け取っている。

ひまわりの種を撒いて、
あさがおが出ることは、ない。

柿の種を撒いて、
桜の花が咲くことは、ない。

大根の種を撒いて、
きゅうりが出て来ることも、ない。

必ず、自分が撒いた種が出て来ている。

撒いた種を見れば、
出て来るモノが分かる。

出て来たモノを見れば、
撒いた種が分かる。

なのに、私達は、
出て来たモノを見ながら、
撒いた種に気付かない事も多い。

因果応報。自業自得。

元々は、誰もに分かりやすいように
このような言葉で伝えられたと思う。

自分が撒いた種は、
自分が体験する。

自分が撒いていない種は、
自分が体験することは、ない。

カルマとダルマ

カルマを多く持って、
生まれて来た人もいれば、

ダルマを多く持って、
生まれて来た人もいる。

だから、今世だけで、
人と比べることに意味が、ない。

しかし、人を見て、
自分のカルマに、
気づくこともある。

自分の持って生まれた、
カルマに気づきなさい、
気づきなさい、と言う、
合図で見せていることも、
あるような気がします。

私達は、そこで気づかず、
通り過ぎている事も多いと思う。

あの人の人生は、
トントン拍子に行って、
羨ましいなあと思うことも、
あるかもしれませんが、

それは、ダルマの人、
なのかもしれません。

借金と貯蓄に例えると、
分かりやすいですが、

借金がある人は、
それが背負って来た錘であり、
まずは、借金を返す事。

だけど、借金がある人は、
また、借金を増やしやすく、

貯蓄がある人は、
また、貯蓄が増えやすい。

カルマは、今世で、
返し切れなかった分は、
来世に持ち越しになる。

まずは、気づくこと。

カルマが少なくなると、
自然と運も良くなる。

(プラスのカルマと、
マイナスのカルマ、
と言う表現をされることも、
ありますが、ここでは、
プラスのカルマのことを
ダルマと表記しています。)

小林正観さんは、

幼少期に厳しくされた子供は、
厳しくされた分だけ、その子供は、
攻撃性を持つようになると言われました。
幼少期に厳しくされた人ほど、
外に対して物凄い攻撃性を持つ。

私の身内は、
自己愛性パーソナリティ障害が多かったので
この話は、その通りだなぁと思いました。

三つ子の魂百まで。

三つにもならない子供に
キツく当たったり怒鳴りつけたりすると
やがて、とんでもない事になる傾向があるようです。

三つ子の魂百までは、
本人もそうですが、

育ての親のカルマも、
凄い事になっているのかもしれません。

自己愛性パーソナリティ障害になった人は、
家族以外の人達にも迷惑をかける傾向があります。

親が原因で、子供がその症状になったのであれば、
親の責任重大。連載的に色んな人達に迷惑をかけた、
そのカルマが積もり積もるかもしれない。

そして、勿論、三歳を過ぎたなら、
過剰に厳しく育ててもいい、
と言う話でもないです。

私達は、今世だけでも、
知らず知らずの間に、
カルマを積んでいる事は、
多いのかもしれません。

人の振り見て我が振り直せ。

問題のある人。問題が多いと思える人は、
それを見せてくれているのかもしれません。

魂ルート

魂ルートは、大阪駅から東京駅までの
各駅停車のバスや電車のようなモノで、
私を決まったルートへ運んでいる。

この列車が導く先は、
楽しい事ばかりでは、ない。

辛い事、苦しい事、大変な事、
それらの駅にも予定通りに導く。

私達は、頭で、ああじゃない、
こうじゃない、こんなはずでは、
と思ったりしますが、タマシイは、
肉体のタクシー。

恐らく、魂ルートから、
外れることは、ない。

魂にタマタマは、ない。

すべては、予定通り、計画通り。

相手がいる事であれば、
お互いの魂同士で、
生前に打ち合わせ済み。
それが因縁や因果関係かもしれません。

因果なら因果解消するまで終わらない。
今世だけで終わらない可能性もある。

出来ることなら今世で解消したい所ですが、
カルマがあるから、それを体験しているとも言える。

カルマメイト。

カロリーメイトと言うお菓子のような
食べ物がありますが(栄養満点らしいですね)
カルマメイトと言う人間関係があります。

カルマメイトは、嫌な役目をしたり
されたりと言う関係にあるようです。

カルマ解消の為に起きている事なので、
それは、ある意味、当然の事とも言えます。

私達は、今世だけでなく、色んな
過去世を持って生まれて来ています。

私達、人間は、過去世の事など
殆ど忘れていますが、
魂は、色んな事を覚えているようです。

カルマゼロで生まれて来る人など殆ど存在せず、
大概の人は、大なり小なりのカルマを
背負って生まれて来ているようです。

とは言っても、最近の若い人は、
カルマゼロに近い状態で生まれて来ている人も
結構、存在しているらしいです。

逆に言えば、昭和生まれや
平成前期までの人であれば、
それなりに大きなカルマを
持って生まれてきてる人も多い。

そのカルマを昇華する為の相手が
カルマメイトと呼ばれる人達です。

この関係を因縁と呼んだりもします。

過去世で自分がした事と同じ事をされる。
あるいは、違う事をされる。
どちらにしても苦しい体験です。

苦しく辛い体験ですが、
過去世で自分がした事を
逆の立場で体験しています。

魂レベルでは、生まれ出る前に、
それを体験する事を自らの意思で
志願して来た事もあるようです。

親子関係。
夫婦関係。
兄弟姉妹関係。
親戚関係。

離れる事が難しい関係ほど、
カルマも深いと言う事が、
よくあるようです。

カルマを昇華する為の相手なので
あり得ないほどの嫌な事を
やったり言ったりします。

仮に、この世で殺されたとしても
肉体を卒業なのですから、
宇宙視点で見れば、おめでとうございます
と言う事でもあると思うのですが、
人間的視点で見れば、
とてもそんな風には思えません。

だけども、魂同士では承諾済みのこと
だったりもするようです。

残された者は、許せないとか、
恨み悔やみ悲しみなど色んな感情が出ると思います。
人間ですから、それも当然のことです。

恨む者と恨まれる者。
憎む者と憎まれる者。
騙す者と騙される者。
殴る者と殴られる者。
殺す者と殺される者。
裏切る者と裏切られる者。
悪口や暴言を言う者と聞かされる者。

難易度が高い嫌な出来事ほど
大きなカルマの昇華だったりもするようです。

個人のカルマもあれば、
家系のカルマもあります。

そのカルマを断ち切り終わらせる為には、
深い気づきが必要だったりします。

縁起の法則と言われるモノもあります。
これは、良い意味で使われる事の方が多いと思いますが
殴り殴られも、殺す殺されも縁起の中で起きている。
そのようなご縁がなければ、そうならない。

だけども、カルマメイトだからと言って
必ずしも、それに立ち向かわなければ、
ならないわけでもない。必ずしも、
それに耐えなければ、ならないわけでも、ない。

その相手から、離れたり、
逃げたりしては、
いけないわけでは、ない。

現実問題、身内であっても、
もう、離れた方がいい相手もいる事でしょう。

その関係を卒業する時期が来たら、
自分の中の深い部分では、何らかの
合図が来ている事があるものです。

その合図に気づかない人も多いようですが。。。

また、嫌な事をする相手、
すべてがカルマメイトではないと思いますが、
簡単には、離れられない関係ほど
カルマメイトである可能性は、高いようです。

高いですが、自分一人では、
昇華できないから相手がいる。
その相手も本来は、感謝すべき相手です。
(これは、難易度が高いと思います。)

喧嘩の真っ最中に相手に感謝できたら
完全なる悟り人です。なので、それは、
時が経ってから、気づければ、
良いことだと思います。

今、真っ最中の人も、必ずしも、
耐えなければ、ならないわけでは、ない。
逃げては、いけないわけでも、ない。

離れても逃げてもいいのですが、
その体験を通して自分自身が
何かに気づかなければ、
状況や人が変わるだけで、
しばらく経ったら、
また似たり寄ったりの人と出会って、
また似たり寄ったりの事を繰り返します。

そのカルマを昇華していなければ、
そのカルマを持って歩いているようなモノで、
それは、ある意味、必然的な事だと言えます。

過去世ではなく、今世の因果応報で、
そうなっている事もあると思いますが、
来世に持ち越さず、今世で返って来ているのは、
ある意味、幸せな事だと思います。

聖書の中に、
奪う者は、奪われる。
許す者は、許される。
与える者は、与えられる。
と言う一文があるようですが、
これは、今世の事でもあり、
過去世の事を含めての事でもあるのですね。

何が原因で起きているのか?
分からない事も多いと思います。
そんな時は、ホ・オポノポノがお薦めです。
(勿論、他の方法でも構いません。)

許せない相手を許せた時に消滅するカルマもある。

冨士金弥生さんは、
歌うように、踊るように、唱えるように、
ホ・オポノポノの「ごめんなさい」を
繰り返し言う事でクリアリング
出来るモノは、多いと言います。

現実は、結果の世界ですから、
現実を何とかしようとすればするほど、
ズレが生じる事もあるでしょう。

色んな事は、意識が、記憶が、現実と言う名の
スクリーンに投影しているだけのようです。

原因の世界は、目には、見えない世界に在ります。

現実が動き出す前に見えない世界の
エネルギーが動いています。

近年のサイキッカーな人達は、
それすらも見える人が結構いるようです。

時には、そのような人を
頼るのも一つの手では、あると思います。

まさか?嘘?本当?世の中のほとんどの人は、地獄に墜ちる?

あくまでも、一説の話です。

細木数子さんの名台詞。
地獄へ墜ちるわよ!ぐらいに、
軽く読み流して頂けたらと思います。

世の中の多くの人は、地獄のような場所から来て、
カルマ解消の為に生まれて人間をやっているのですが、
カルマ解消どころか、カルマの上積みをして、
また地獄へと戻って行くと言う話があります。

カルマの上積みをしてしまう理由も、
カルマがあるからこそ、そのカルマが邪魔をして、
中々、カルマ解消の道に進めない。

だから、カルマが膨れ上がってしまう事も、
仕方がない部分はあるのですが、
これだと永久に悪循環でもあります。

逆に、カルマが良い人は、
一時、悪い道へ進んだかに見えても、
その後、カルマ解消の道へ転じやすい。

良い方へ転ぶか、悪い方へ転ぶか、
それも、元々、持って生まれた、
カルマの為せる業かもしれません。

プラスのカルマとマイナスのカルマ。
プラスのカルマは、天や宇宙への貯金や貯徳。
マイナスのカルマは、借金のようなモノ。

プラスのカルマを積んで行くことで、
災い転じて福と為すようなことが起きる。

船井幸雄さんは、この世は、
カルマを刈り取る為の
刈る間だと言いました。

やっぱり普通に生きているだけでは、
中々、カルマは、刈り取れないのかもしれない。

最近は、死後の世界に興味を持つ人も増えていますが、
地獄など存在しないと言う話も多くあります。
(それが真実か偽かは、私には、分かりません。)

その一方で昔から言い伝えられている、
地獄や極楽が存在すると言う話もあります。

死後の世界の世界観が、
二極化している感じでしょうか?

しかし、例えば、幽霊などの話も、
この世の一部に存在している霊の世界と、
本当の死後の世界に存在している霊の世界があると聞きます。

肉体をなくした後、私達は、
エネルギー体として存在するようですが、
私自身、何となく生まれ出る前に、
低いエネルギー状態の中で、
ずっと漂っていたと言うか、
留まっていたような気がしています。

それは、地獄と言うよりは、
同じエネルギー状態で、身動きさえ出来ずに、
ずっと、長い間、そこに留まっていたような感じです。

それは、私の勘違いや、
気のせいと言う事もあると思いますが、
実際、私は、そのような家庭の元へと生まれました。

それは、私のエネルギーと
家系や親のエネルギーが、
引き合ったと言うことでもあるようです。

生まれて間もない言葉も喋れない時期から、
父親から容赦なく怒鳴りつけられるなど。

それが、人生のスタートで幼少期から、
数々の地獄のようなことがありました。

だから、肉体を持っての無間地獄を
繰り返している状態だったのかもしれない。

近年のスピリチュアルな世界で言われている、

死後は、光りの元へ還るだけ。
素晴らしい世界しか存在しない。

と言う話も、一つの真実では、あるのでしょうけど、
私の体験を踏まえても、そうではない世界も、
幾つか存在しているような気がします。

だけど、死後の世界は、
ポジティブしか存在しないと言う話も、
私は、その世界も面白そうだし、
その類の話も好きです。

本当にそうだったら、それはそれで、
素晴らしいことだと思います。

しかし、もしも、そうでなかったら。。。

と言うこともあるので、
やっぱり、両方知っておいた方が、
いいのかもしれないと思う。

仮に死後の世界がポジティブしか存在しなくても、
また肉体を持って生まれる時には、やっぱり、
前世のカルマなどは、影響していると私は、思います。

死後、地獄で苦しむか。
死後、転生して人間として苦しむか。

いずれにしても、どんな形であれ、
自分の撒いた種は、刈り取らなければ、
ならない時が来ると思います。

他にも人生は、役者のようなモノで、
それぞれの人が、その人生の中で、
その役を演じ切って、
死んで行くだけだと言う話もあります。

あの世には、善悪の概念が、
存在しないと言う話もありますが、
この世には、善悪と言う概念が存在しています。

この世は、仮想現実。仮の世で、
ゲームの中の世界とも言われています。

覚者のような人は、
私達は、そもそも生まれてもいないし、
死ぬこともないと言います。

そうした側面もあるのでしょうけど、
肉体視点で見れば、この世を去る時に善も悪も、
すべてが、リセットされてチャラになる
と言うようなことは、ほとんどの場合は、
ないような気がします。

そして、この世にも、あの世にも、
万人に共通の真実もあれば、
人それぞれの真実もあると思います。

しかし、私が、ふと思ったのは、
ほぼ、誰もが、一時的に行く世界。

そこへ行った後に、地獄や極楽と言う、
それぞれの段階の世界へと
分かれて行くのかもしれないと思いました。

あるいは、死後、一切苦しむことがなくても、
次の転生で大いに苦しむということがある。

自殺者について

自殺者や事故に遭った人は、
肉体の死を受け入れられずに、
この世に留まっている事があると言われています。

また、この世への未練や執着が強い人も、
幽霊となって、この世に留まる事がある。

だから、そのような人達にこそ、
残された者達が、あの世へ還れるように導く、
お役目があるのかもしれません。

しかし、非二元(ノンデュアリティ)で有名な
大和田菜穂さんは、自殺者について、
こう言われていました。

自殺は、今から逃れたいエネルギー。
それは、次へと向かうエネルギーでもある。

生死を越えた視点から見えれば、
誰も生まれていないし死んでいない。

この世の視点で見るほど、
深刻な問題ではないと言われています。

その視点で見れば、
自殺さえも起きていない。

すべてのことに良いも悪いもなく、
すべてのことが完璧な流れの中で起きている。

すべては、同時に起きているし、
すべては、同時に起きていない。

近年のスピリチュアルで有名な方達は、
このような捉え方をされている人も多いですね。

大きな視点では、すべては、全自動で動いている。
と言うことも、色んな人が伝えられています。

すべては、幻想。私も、幻想。

しかし、そうではないと言う話もありますので、
そのまんま鵜呑みにするのも違うかもしれません。

地獄も極楽も存在しない? 「あの世の社会見学」を読んでみました。

最近のスピリチュアルな死後の世界は、
こちらの世界観の話が多いような気がします。

それが事実か否かは、分かりませんが、
一つの真実としては、面白い内容だったと思います。

漫画なので読みやすくもあります。

あの世の社会科見学/安斎かなえ

posted with カエレバ

bookfan PayPayモール店

著者  安斎かなえ
協力者 流光七奈(りゅうこうなな)

流光七奈さんは、霊能者で、
この漫画の主人公のようです。

流光七奈さんのHP

流光七奈さんは、
旦那様を亡くされているのですが、
亡くなった旦那様とテレパシー?で、
時折、通信されているそうです。

流行七奈さんは、あの世には、
地獄も、極楽も、ないと言います。

亡くなった旦那様の話だと、
この世と似たりよったりの生活が、
あの世でもあると言うことです。

だけど、その世界は、
あくまで、転生する前の
控室のような感じらしいです。
(転生が終わっている人は、また別世界。)

転生前の、その世界には、
この世と似たような作りの街が存在し、
家や飲食店なども存在するようですが、

この世と違うのは、棲み分けが、
しっかりされていて、
同じ波長同士の人としか会わない。

そして、あの世では、
パッと思い浮かべたモノが出現する。

しかし、まず、ご自分の
死を受け入れた人しか、
あの世には、旅立てない。

自分の死を受け入れられない人は、
幽霊となって、この世に留まる事になる。
この世への未練や執着。
この世への思いが重いと旅立てない。

そのような霊が、この世には、
いっぱいいるそうです。

また、幽霊同士も波長が合わないと、
すぐ近くに幽霊がいても、お互いが見えない。

流光七奈さんは、あの世が視えるそうですが、
あの世のすべてが視えるわけでは、ないそうです。

流光七奈さんも、
亡くなった旦那様がいる、あの世の世界は、
あの世の一部の話と言われていました。

だから、あの世の一部の世界では、
地獄も極楽も存在しない
と言う解釈もできるかもしれません。。

精神病は、家系のカルマである事も多い?

これも、あくまで一説の話ではありますが、
精神病は、家系のカルマである事も
多いと言う話があります。

まず、私の家系の事ですが、
父親系の方は、どうも、
精神病のカルマが流れていたと思います。

私のお爺ちゃんは、自分の自慢話をよくし、
自分以外の人の事は、常に否定したり批判したり、
馬鹿にしたりする傾向がありました。

私は、子供時代、このお爺さんは、
なんで、こうも、おかしいのだろうか?
と思っていました。

そして、それから十数年経ち、
お父さんの弟。私にとっての
叔父さんになるわけですが、
その叔父さんと、しばらく関わった時も、
やっぱり、なんで、この人は、
こうも、おかしいのだろうか?と思いました。

それから、また数年後。
今度は、私の弟ですが、
その時、弟は、まだ小学生だったのですが、
なんで、こうも、おかしいのだろうか?と
思うような言動や行動を繰り返していました。

父親は、おめでたい事に、
父の高収入の仕事を奪ったのも、
母親が過去に何度も倒れ、
救急車で病院に運ばれたのも、母親を結果的に、
死に至らしめたのも、弟が、
その張本人であった事に気づいていません。
小学生の頃に、既に手遅れだと思えるぐらいの
症状を抱えていたのですが、両親の鈍感力と言いますか、
小学生の間に精神病院に預けておく事が出来れば、
一家の被害も少なくて済んだような気がします。

ダイレクトに関わった時には、
露骨に分かったのですが、
時折、関わる程度の時でも、
う~んと思えるような事が結構、ありました。

お爺さん、お婆さん、
親族と言う事に関しても、
父親系の方は、どうも、
異常があったとしか思えませんでした。

一方で、母親系の方は、
結構、まともで、良い人が多かったです。

しかし、毒父や毒爺と長年、
生活を共に出来るのは、
分かりずらい毒親だったかもしれません。

私と縁が濃かったのは、父親系の方でした。
お爺さんが、やたら干渉してくると言う事情もありました。

まぁ、毒親は過干渉と言う事もあります。

今、思えば、あれがカルマ流しだったのかもしれません。

私は、遺伝にも、細胞遺伝と、
環境遺伝の両方があると思っていますが、
最近の研究では、RBM12遺伝子と言うモノに、
短縮型変異と言うモノがある事を発見できたそうです。

その遺伝子を持っていても、
発病しない人もいるようですが、
何らかの、きっかけで発病すると、
精神病となるようです。

先程、例に上げた私の身内は、
3人とも、腫れ物に触るような感じの
異常者だったと思います。

本来であれば、措置入院が妥当であったと思います。
しかし、周囲の認識不足や知識不足など諸々の事情もあって、
そうはならず、家庭内でも、家庭外でも、
諸々の問題を起こしていました。

だけども、私を含め、他の者達にも、
大なり小なり、そのような遺伝は、
流れているのかもしれません。

だから、今後の課題としては、薬などの開発により、
この遺伝子の消滅をどうするか?と言う事になるようです。

環境だけでなく、体の中に
眠っている遺伝子として、
精神病になる事もある。

どれほど、良い環境の中にいても、
どれほどの愛情を持って育てていても、
時には、遺伝子によって、
異常者のようになってしまうこともあると言う事です。

勿論、それを誘発する外部要因もあったとは、思いますが、
それは、非常にささいな事が原因になったりもするようです。

しかし、今、このような事が分かってきたので、
薬になるのか、どのような治療になるのかは、
まだ分かりませんが、
このような遺伝子を除去する事が出来る流れが、
今後、始まっていくのかもしれません。

だけども、それが家系のカルマとして
遺伝子情報に仕組まれていた事だったとしたら、
それを除去するのは、どうだろうか?と言う疑問も残ります。

そして、今、悩みの種になる人が家の中にいる場合、
そのような事を経験した私からのアドバイスですが、
テープレコーダーなどに録音するなどして、とにかく証拠を
なるべく、たくさん残しておく事が必要だと思います。

環境的遺伝

精神疾患の親などに育てられた結果として、
精神疾患になると言う事もあります。

一説では、細胞遺伝よりも、
こちらの環境遺伝の方が多いと言う話も聞きます。

私も、子供時代、他の家と、こうも違うかと思い、
色々とショックを受けた事もありました。

怒鳴り声と暴力が蔓延した家庭で、
借金取りからの電話も鳴り止まない。

似たような境遇で過ごした人もいると思いますが、
やっぱり、子供なりに苦しかったのを覚えていますし、
思い出そうにも思い出せない事も多いです。

親が気づかぬ間に、子供を病気にしている事があります。
精神疾患になりやすい環境と言うものもあるようです。

小さな子供相手に怒鳴りまくり、
暴力を振るっていたら、やっぱり、
悪影響は、受けていると思います。

子供が既に病気になっていると気づかずに、
責めて攻撃して、どんどん症状を
悪化させている傾向があります。
自分が絶対正義で間違っていない。
その癖、自分の原因や問題には気付かない。

勿論、同じような境遇の中で、
そうなる人とならない人がいますが、
子供時代に家庭で息抜く場がなかったり、
苦しい状況が続いたりと、
その影響をモロに受けてしまった中で、
精神病になる事もあると思います。

体も小さく幼き時のショックは、
本人が気づいているか、
気づいていないかは、別として、
大人になってからも、
引きずっている事が多いそうです。

そして、環境によって、
精神病になっているのなら、
成人を過ぎている人であれば、
環境を変えると言うのも一つの方法です。
(だけど、精神病の状態にもよるでしょうから
医師とも相談してください。)

あるいは、一時的な事であれば、
旅をしたりでリフレッシュする事も一つの方法です。

家庭因縁

この話は、私には、事実かどうかは、
分かりませんが、一応、このような話もあります。

家庭因縁とは、私の先祖に苦しめられた者達の
怨念などの恨みによって、その子孫である私達に、
諸々の病や災いなどで報いると言う事であるそうです。

それが、人やお金のトラブル。
精神病や霊障となって
現れると言う話も聞いた事があります。

私の父母も、ある程度の歳になってから、
あまりにも家の中のゴタゴタが多いから、
この家は、呪われているのではないか?と言っていました。

それも、私を含め、恨みを持たれる家系に生れると言う
カルマを持って生まれたと言う要素もあると思います。

私のお爺さんだけの事を思っても、
かなり人様から恨みを買った人だったと思うので、
やっぱり、その先祖と言えば、
結構、恨まれて来た要素があるのかもしれないです。

怨念と言う言葉がありますが、
私達の先祖に苦しめられた人達の思いが
念として残っているのかもしれません。

カルマと言うのは、家系内で、
繰り返しやすい要素もある。

自己愛性パーソナリティ障害は、
私の家系に多かったのですが、

一生、その症状だと気づかずに、
死んで行く事もあると思います。

そのような過去世が自分にあって、
今世で、そう言う人が多い家系に生まれる。
あるいは、そう言う人と出会う機会が多い。

そう言う事もあるような気がします。

話は、変わりますが、
随分前に一度だけお会いした、
霊が見えると言ってた男性(霊能者ではない。)の話では、
御魂には、筋肉と言う意味もあるので、
健康な人であれば、運動したり、筋力を付ける事で弱い霊は、
跳ね飛ばせると言うような事を言っていました。

それが、事実かどうかは、別として、
確かに、体を鍛える事で、
多少なりとも精神力もアップすると思いますし、
体も丈夫になる事だと思います。
運は、動より生ずるとも言います。
だから、体を動かす事で運が開ける事もあるのでしょう。

土地の影響

大なり小なり土地の影響と言うのもあるようです。
イヤシロチやケガレチと言ったりもします。

埋炭などの方法によって、
ケガレチをイヤシロチに変える事も可能のようです。

イヤシロチとは・・・

パワースポットと呼ばれる場所の多くは、
恐らく、イヤシロチであるでしょう。

心霊スポットと呼ばれるような場所は、
どうですかね?本当に呪われたような場所であれば、
ケガレチである可能性が高いのかもしれません。

金銭的な余裕があるのであれば、
あまりにも、おかしな事ばかりが続出している家であれば、
引越しも検討してみるのも一つの方法だと思います。

仏教を語る仏教系ユーチューバー?菊谷隆太(きくたにりゅうた)さん。

ユーチューブで、
仏教に学ぶ幸福論チャンネルを
運営されている菊谷隆太さんと言う方がいます。

仏教に学ぶ幸福論チャンネル

私は、ユーチューブで仏教を語っても、
それほど見る人は、いないだろうな
と思っていたのですが、菊谷隆太さんの
ユーチューブチャンネルは、登録者数が
3万人以上いられるようです。

いくつかの動画を拝見させて頂きましたが、
簡潔に分かりやすい説明をされています。

仏教系の解説は、
素人が見たり聞いたりしても、
分かりずらいモノも多いのですが、
これは、素人にも分かりやすい。

菊谷隆太さん自身は、
かなり専門的な知識を持ちながらも、
伝える時は、難しくならないように
伝えられている。分野こそ違いますが、
伝え方や分かりやすさと言う点で、
中田敦彦さんのユーチューブにも
似ていると思いました。

歎異抄の謎

歎異抄は、親鸞さんの弟子の
唯円さんが親鸞さんが語られた教えを
書き残した書だと言われています。

この歎異抄は、今は、
普通に世に出回っていますが、

菊谷隆太さんの話によると、歎異抄は、
120年位前までは、世に出ることもなく、
封印されていたと言われます。

何故、封印されていたかと言えば、
蓮如上人と言う方が仏縁の浅い人には、
披見させては、ならない。

誰も彼もに見せたり読ませたりするのは、
色々と誤解を招いたり危険なことになる
恐れを察知して、封印させたそうです。

親鸞さんの教えを、
よく分かっている人だけが、
読めるようにと配慮したそうです。

今は、歎異抄は、誰もが手に出来、
誰もが読めるようになっていますが、
残念ながら蓮如上人が恐れていたように、
誤解を生んでいることも多いそうです。

悪人正機

仏教的視点では、
心・口・身・
この中で心を
もっとも重視する。

心の中で思ったこと。
これが、もっとも重要。

親鸞聖人は、心の中を徹底的に観れば、
どんな人も悪人だと言われたそうです。

すべての人間は、悪に汚れ穢れている。

心の隅々まで見れば、どんな人でも、
ビックリするほど、汚れている。

そのことに気づくこと。

心の中で思った、
ささいなことから大きなことまで。

相手の考えていることも、
自分の考えていることも、
すべて筒抜けで分かったら、

グチャグチャでドロドロの世になる。

表から見たら素晴らしい心の持ち主。
人格者と思える人もたくさんいる。

だけど、その人の心のすべてを見たら、
恐らくは、どんな人も悪人である。

そして、自分の心の中も汚れている。

親鸞聖人は、すべての人は、
悪人であると言われた。

善人と言うのは、
自分の心が綺麗で清らかだと、
うぬぼれている人。

心の中に塵一つ、
埃一つない人など存在しない。

正信偈

正信偈は、親鸞聖人が書かれたそうです。
菊谷隆太さんは、正信偈は、
お経ではないと言います。

親鸞聖人の教えのすべてが詰まっているのは、
教行信証ですが、この教行信証の中に、
正信偈があるそうです。

教行信証の内容を凝縮して、
短い詩にされたモノが、
正信偈になるそうです。

膨大なモノを凝縮し短くしたモノ。

正信偈の正信は、読んで字の如く、
正しい信心のこと。
正しい信心の詩。

信心が重要。

だけど、いつか崩れる信心では、
結果として自分が苦しむことになる。
だからこそ、正しい信心が大事。

他力

世間一般的に他力本願と言うと
悪い意味で捉えられていることが多いですが、
元々は、他力と言うのは、仏教の言葉であったそうです。

他力と言うのは、そもそも人の力では、ない。

他力と言うのは、如来の本願力。

如来の本願力とは、阿弥陀如来、阿弥陀仏の本願の力。

だから、人の力の及ばぬ所の力になると思います。

人知を超えた阿弥陀仏の力。

阿弥陀仏の力とは無明の闇を破る力。
だから、他力のことを光明とも言う。

そして、絶対の幸福にする力。

そのような他力によって救われる。

龍樹菩薩

1900年ほど前に
インドの南の方で仏教を伝えられた方に
龍樹(りゅうじゅ)さんと言う方がおられたそうです。

インドでは、小釈迦とも呼ばれているそうです。

お釈迦様は、ゴータマ・シッダールタ
小釈迦様は、ナーガルジュナ

ここでは、龍樹さんと呼ばせて頂きますが、
龍樹さんは、大乗無上法。阿弥陀仏の本願を
広く伝えられた方であるそうです。

スピリチュアル的解釈

私は、仏教よりは、
今流行のスピリチュアルの方が詳しいのですが、
仏教も、スピリチュアルも、最終的結論は、
一緒なのかもしれないとも思います。

それぞれの歩む過程や時期、
時間は、違うのですが、
川に流れる水が海に辿り着くように、
最終的には、一つの場所へ辿り着く。

例えば、チャネリングなどでも、
外側の宇宙と繋がっているように見えて、
実際は、自分の内面宇宙と繋がってチャネリングする。

仏教で言われている釈迦如来も阿弥陀仏も、
外側にいる、その存在達のように思えますが、
自分の心の奥底に存在している
釈迦如来、阿弥陀仏に繋がって、
その他力の力に救われる。

そんなような気がしました。

スピリチュアルな話では、
地球の次元上昇に伴い
霊界、幽界と言うモノは、
消滅しつつあると言います。

しかし、地獄、極楽は、自分の中にある。
死後、自分の良心が裁くことになると言います。

内側の反映が外側と言いますが、
外側に見える宇宙と同じモノが、
私達の体の中にも存在しているそうです。
外側の宇宙を大宇宙とするなら、
内側の宇宙を小宇宙として例えられています。

仏教で言われる所の覚者の人達は、
確かに凄いと思います。しかし、人は、誰もが皆、
そのような悟りの境地を得られると伝えていたと思う。

仏教でも、スピリチュアルでも、
伝え方の差こそあれ、覚者が
伝えていること、伝えたいことは、
最終的には、同じ一つの真実のような気がします。

だけども、あくまでも最終的。
道半ばには、真実ではない偽者。紛いもの。
これらが、たくさんあるのも、
見えない世界の危険な所だと思います。

毒親漫画?タコピーの原罪を読んでみました。

私のブログに、よくコメントを
くださるテユさんに、
この漫画を教えて頂きました。

読むのが、だいぶ遅くなりましたが、
この漫画は、ネット上でも、
結構、話題になっているようですね。

今は、昔のように毒親の元で育つ人は、
少ないような気がしていたのですが、

この漫画が人気出ると言うことは、
今でも毒親育ちの人も多いのですかね?

『タコピーの原罪』しずかは男を破滅させる悪女なのか? 鬱漫画が打ち砕くファム・ファタル幻想 https://t.co/pnZSBtr7F0 @realsound_bより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) March 15, 2022

主人公の名前が、
「しずかちゃん」であることや、
「ハッピーカメラ」と言うアイテムが
出て来る所を見ると多少なりとも、
ドラえもんを意識されていたかもしれませんね。

ルーツ

他の記事には、書いていますが、
私は、毒親育ちです。幼少期から、
怒鳴り声と暴力が蔓延した家系で育ちました。

しかし、子供時代から、そのような大人達の
人間観察をすることが出来たのは、今でも、
役立っていることがあるような気がします。

まず、ルーツ。父方の兄弟は、ほぼ、
みんな人格が崩壊していました。

私が知っている限りのルーツは、祖父で、
典型的な自己愛性パーソナリティ障害。

私が知っている、はじまりのルーツは、ここで、
ここから何人もの自己愛性パーソナリティ障害が
家系に連鎖したと言う感じです。

IQ0(ゼロ)と言うのは、
あり得ないらしいですが、
爺さんを一言で表現するなら
IQ0(ゼロ)の精神病の
お猿さんと言う感じでした。
基本的に言葉は、通じません。

IQ0(ゼロ)のお猿さんに
育てられた子供達の人格も、
崩壊していました。

本当に人間に育てられていない
と言う感じだったのですよね。

しかし、爺さんにも、
育ての親がいたでしょうから、
その人が、どんな人だったかは、
私は、知らない。

祖父以前から連鎖していたのか?
祖父からはじまったのか?

恐らくは、カエルの子は、カエルで、
長い間、家系連鎖していたのでしょう。

そして、私の爺さん。
祖父には、婆さんがいました。
一緒に暮らしていて、いつも、
行動を共にしていました。

婆さん。私にとっての祖母ですが、
婆さんのことは、このブログでも、
あまり書いたことが、なかったような気がします。

婆さんは、一言で言えば、究極の怠け者。

私は、小学生時代に、この婆さんの母。
私にとっての曾祖母になりますが、
この人にも何度か会いました。

曾祖母も、究極の怠け者でした。

私は、当時、小学生でしたが、
婆さんの怠け者のルーツは、
ここかと思いました。

父方の方は、かなり問題を抱えていました。
母方の方は、わりと普通の人達が多かった。

父方の方は、幼児や女、
子供に烈火の如く怒るのが日常。
暴力も日常。威張り散らす。
自分の自慢話が止まらない。

愚痴、泣き言、不平、不満、悪口、文句。
これらを念仏のように言い続けたのが、
祖父と祖母と叔父でした。

私から見た祖父と祖母は、一言で言えば「恥」
恥の塊なのですが、本人達は、この「恥」を
もっとも嫌いました。プライドだけは、高い。

プライドだけは、高いですが劣等感の塊。

アザラシと言う動物がいますが
ハジサラシと言う名前を付けて、
動物園の檻の中に入れておいた方が
良かったのではないか?と思ってました。

プライドの高さと恥と言うものは、
関係しているそうで、
プライドだけが高い故に、ささいな事で
怒ってばかりいたのでしょう。

五戒と貪・瞋・痴の三毒で、
出来上がっていたような人達でした。

悪口。文句。否定。批判。
暴力。暴言。罵詈雑言。

これらが家の中の日常でした。

そして、ルーツと言う話に戻りますが、
家系連鎖すると言うことは、

その大元があるわけですよね?

輪廻転生の観点から見ると、
大元が過去世の自分だったかもしれず、

そう考えると、自分がやったことが、
返って来たとも言えます。

この考え方は、中々、
受け入れ難い所も多いと思います。

でも、この考え方を採用するなら、
毒親の元へ生まれて来たのは、
過去世の自分が原因と言うことになります。

そっくり、そのまま返ってきたのか?
倍返しなのかは、分かりませんが、

連鎖と言うことは、
何処かで断ち切らない限り、
また連鎖。終わらない大連鎖。

と言うことで、断ち切る為に、
毒親の元へ生まれて来た。

かもしれないのですよね。

原罪。最初に自分が犯した罪。

例えば、現世でも罪を犯した人が、
刑務所に入って懲役何年とか服役します。

過去世の自分の懲役が、
毒親の元へ生まれること。

このように捉えることも出来ますよね?

しかしながら、本当の所は、
どうなっているのか?
私には、分かりません。

でも、もう一度、ルーツと言う所を辿ると
異常者の親元に生まれ育つ中で、

正常な人格で育つ事は、
難しいのかもしれないですね。と言う事で、
私も、気をつけなければ、ならないでしょう。

少し話がズレますが、
因果も、カルマも、
前世の報いも何も無い。
と言う話があります。

では、何があるのか?
と言えば、自分の中に持っている、
観念や自我やエゴ。

それに気付く為、
それを手放す為に起きている。

原罪・・・それは、
自我&エゴの炙り出しかもしれない。

でも、私の人生の最初から
地獄のような感じだったので、
二元の世界。幻想世界の私には、

前世から持ち越したカルマのような
モノは、あるのかもしれません。

『毒親』
https://t.co/LFqQOJygOr #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) April 15, 2022

自己愛性パーソナリティ障害

爺さんといい、
叔父さんと言い、
この症状の人は、

私の家系に多かったので、
日常的に見て、関わって、
どんな状態か知っていますし、

家系以外の、この症状の人とも、
何人か関わって、程度の差こそあれ、
大体パターンは、同じだと思いました。

相手を自分の思い通りにしたい。
その強烈な思いがあるのですが、

そうならない事が多いので、
烈火の如く怒り出したりします。

壊れたラジカセのように
同じ事ばかりを繰り返し言います。

日下由紀恵『自己愛性パーソナリティ』
https://t.co/ev4oZd3ofV #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) March 25, 2022

自我の極みと言うか、
自我の崩壊と言うか、
分かりやすい人が多いです。

しかし、自我の極み、
自我の崩壊であるならば、
自我が外れて真我になるかもしれず、

家系連鎖で行き着く所まで行くと、
いい事かもしれないとも思う。

但し、そうなるまでに、
メチャクチャ大変。

事件絡みの事も起きるかもしれないし、
いつ起きてもおかしくない状態でした。

でも、世の中では、実際に事件に
なっている家庭もたくさんある。

そう思うと紙一重の所で守られていた
かもしれないと思います。

建物でも破壊して再生する。
家系連鎖も一度、破綻する。

そして、祖父も祖母も叔父も、
晩年は、ろくな事になっていなかった。

でも、その中の一部かもしれませんが、
途中から気づいて改善する人もいますし、

自分で、この症状かもしれないと、
思える人達は、結構、まともです。

自己愛性パーソナリティ障害については、
調べれば、たくさんの情報が出てきますので、
ここでは、手短に書きますが、

視野が狭い。偏見。許容量が狭い。
自分だけには、非常に甘い、その癖
人には、非常なぐらいに厳しくなる。

小さい子供だろうが
女だろうが容赦しない。

すべてが自分都合。
すぐに怒る。
自分に過剰に甘い。
人には過剰に厳しい。
過剰反応する。
同じ事ばかりを話す。
自慢話が多い。
自己責任がない。
恨み事。泣き言が多い。

程度の差と言いますか、
個人差は、ありますが、
大体、似たり寄ったりの
パターンの人が多いです。

自己愛性パーソナリティ障害になる
理由の一つとしては、
幼少期においての心の傷が深いと、 
そうなりやすいようなので、

今、子育てしている人や、
これから、される人には、
気を付けて頂きたいですね。

とは言っても、普通の親なら、
まず、しないでしょうけどね。

そう言う事が、
分からないのが毒親です。

毒親

毒親の傾向としては、

子供を、利用、支配、
コントロールしようとする。

思い通りにならないと、
怒鳴ったり暴力を振るう。

自分が絶対正義で、
他が間違っていると決め付ける。

アダルトチルドレンを生む機能不全家族の特徴|子供に与える影響とは – オンラインカウンセリングのcotree(コトリー) https://t.co/Km4pa58vbb— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) March 29, 2022

愛のない家庭。

機能不全家族と言ったりもしますが、
仮に、その子供が後に、
犯罪等を犯すような事があったとして、

成人を過ぎたら、
親に責任はないと、
言われたりもしますが、
こう言う経緯があれば、

親に責任がないとは、
言い切れない所は、
ありますよね。

私も十代で家を出た後、
色んな大人達と関わる中で、
これが普通の大人だ。

自分の血の繋がった家族が、
いかに異常だったかを
気づかされたような気がします。  

そして、血の繋がった家族が、
偽と言うか、仮の家族で、

外の大人達の方が、
本当の家族なのでは?と、
思えるような体験もしました。

基本的に毒親は、
過干渉の事が多いと思います。

いつまでも親に干渉されていた、
父や叔父が狂ったような人格に、
なっていたのも無理がない、
事だったのかもしれませんね。

そう考えると、わりと早い段階で、
家を出ることになった私は、
ラッキーだったかもしれない。

毒親は、親が子供を
不幸にしている事に気づかない。

だから、私は、
親を捨てる事も、
あまり、悪い事だとは、
思わないのですよね。

親に育てられた恩義は、
あるかもしれませんが、
親に散々、迷惑をかけられた代償で、
相殺と言いますか毒親度合いにもよりますが
親元にいたら不幸にしかならない。
不幸の連鎖と言う家庭もある。

この辺は、健全な親元で育った人には、
分からない人も多いかもしれません。

私の家系は、
自己愛性パーソナリティ障害の
連鎖でしたが、毒親と言うのは、

何らかの精神病の可能性が、
高いのではないか?とも思います。

しかしながら、本人達は、
自分の事を正常だと思ってますので、
何らかの強制力がないと精神科に足を
運ぶ事さえないと思います。

近年は、女性のDV被害の相談機関は、
それなりにあるようですが、子供が、
虐待等の被害に遭っている際に、
子供自らでSOSを出せる場所が、
公には、ないですよね?

仮にあったとして、
子供自らで、
どうこうと言うのは、
難しいでしょうから、
家族以外の介入が必要でしょうね。

毒親家庭の中に、
監視カメラでもあったら、
普通に犯罪レベルの事が、
行われているでしょうから。

本人達は、それが普通なので、
中々、気付かれない。

タコピーの原罪のような漫画が
人気が出ると言うことも、
何らかの改善策に繋がる
かもしれないと言う気がします。

カルマ

原罪とは、イコールで、
カルマと言えるかもしれません。

私は、スピリチュアルな学びを
はじめた当初、カルマは、
あると思っていました。  

次に、カルマなどない、
と言う説が出て来て、
こっちかもしれないと思いました。

そして、最近は、やっぱり、
カルマは、あるのかな?

肉体もカルマと言う説が、
わりと正しいかも?
と言う気がしています。

親も環境も自分で選んで、
生まれて来ると言う話があります。
 
だとしたら、何故、わざわざ、
毒親を選んだのか?

ネガティブを体験したかったから、
と言う話もありますが、
カルマの解消と言う方が、どうも、
しっくり来るような気がします。

私は、地獄絵図のような、
環境で育ちましたが、
世の中には、もっと酷い環境で育った人も、
たくさんいると思います。

私も含めカルマ解消であったなら、
肉体を持って、この世と言う名の
地獄に生まれ落ちた。

幼少期などは、自分で、
そこから逃げ出す事は、
まず、出来ないでしょうから、
強制的にカルマの解消を
している事もあるのかもしれません。

故.船井幸雄さんは、
この世は、カルマを
刈り取る為の
刈る間と言いました。

そして、仕事を通じて、
人様のお役に立つことが、
カルマ解消の道とも、
言っていたような気がします。

小林正観さんは、
理不尽に思える現象が起きた時、
五戒を言うかどうか?を試されている
と言っていたような気がします。

人格の試験と言う話でしたよね。
何度か来て、最後は、理不尽度、
100%の試験が来る。

かと言って、これをクリアしても、
カルマがなくなった訳では、
ないと思います。

だけど、理不尽度100%の試験で、
五戒を言わなかったら、
ある程度、大きな、
カルマの軽減には、
なっているような気がします。

カルマは自分自身でしか解消できない https://t.co/ngd9kwXSeB— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) April 14, 2022


木村藤子さんの話だと、
今世のカルマを来世に持ち越しになると
3倍返しになるそうです。

毒親の元へ生まれる事が、
因果応報なら、
仕方がない所もありますよね。

宇宙的に善悪は、
ないと言いますが、
人間的には、善悪の
概念があるのですから、 
やっぱり、自分がやった事は、
遅かれ早かれ、
自分に返って来るのでしょう。

種が撒かれて芽が出て、
花が咲く。桃栗三年柿八年。
忘れた頃に返って来る。

私の身内に限って言えば、因果応報は、
晩年に返って来たと言う感じですね。

暴れる体力がなくなり、
怒鳴る気力がなくなった頃に、
自分がやって来た事が返って来た。

それで清算が終わりなら、
まだ良いと思いますが、
来世に持ち越しの部分も、
あるのかもしれません。

毒親の元へ生まれる事が、
カルマなら、そこでまた、
おかしな事にもなりやすい。

カルマ精算の為に生まれて、
また、カルマを増やしてしまう。

そのような可能性もあると思います。

だから、毒親の元へ生まれる
カルマの精算方法は、結構、
難しいような気もします。

私の人間観察の結果としても、
毒親育ちで、おかしくなった人は、
何か低級霊に憑依されているのかなぁ?
と言う感じの人も多かったです。

かと言って前世等の因果応報であるなら、
前世などに、ろくな事をやって来ていない
証拠でもあると思うのですよね。

家系内、家庭内の
カルマとは、上から下へと、
同じ事の繰り返しでも、
あると思います。

だから、気づいた人が、
何処かで辞めて行く。

頭では、そう思っていても、
何処かで根付いている事も、
多いので難しい事とは思います。

また、生まれ落ちた環境によって、
カルマとダルマは、
決まっているような気がします。

毒親の元に生まれ落ちる事が、
カルマなら、とても良い親元に、
生まれ落ちた人は、
ダルマかもしれません。

でも、前世から持ち越したカルマを
背負うと言うことは、ないらしい???

では、何故、毒親の元に生まれる?

タコピーの原罪

毒親問題について、
色々、考えさせられる漫画でした。

タコピーと言うキャラクターも
面白かったですね。

しかし、タコピーは、
友好的な宇宙人でしたが、
今、チャネリングなどで、
宇宙人と繋がる人も多いみたいですけど、

よろしくない宇宙人も、
結構いるらしいので、
その辺の小話もしたいと思います。

プレアデス星人やアンドロメダ星人など、
色々いるみたいですけど、この星人なら、
良いとか、そう言う事ではなくて、

日本人の中にも良い人もいれば、
悪い人もいる。詐欺師もいるし泥棒もいるし、
凶悪犯もいる。宇宙人も同じだと思います。

あからさまに最初からダークな、
エネルギーを放っている宇宙人も、
いるそうですが、詐欺師のように、

優しく誠実そうに見せかけて、
近づいてくる宇宙人もいるようなので、
その辺は、注意が必要だと思いますよね。

詐欺師は、私は、詐欺師ですと言って、
近づいて来ません。安心させ、信頼させて、
騙くらかすのが常套手段です。

宇宙人とコンタクトが取れたと
浮かれてばかりだと、そう言う罠に、
嵌ってしまう危険も、一応あると言う事ですね。

話は、戻りますが、
宇宙的には、善悪の概念は、
ないのかもしれませんが、

善悪のメガネで見れば、
毒親の元に生まれ落ちた、
その地点で不幸人生の、
はじまりですよね?

毒親と言うのは、
親が子供を不幸にさせている。

大概は、どうしようもない、
親だと思います。

では、何故、どうしようもない、
親の元へ生まれて来たのでしょう?

そこに原罪があるかもしれません。

それだけ昇華させる種がある、
と言うことかもしれません。

↓最近、このブログが好きで、
過去記事に遡って、
読ませて頂いている最中です。

『内観も面白そうですね。』
https://t.co/pl223H5L8i #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) April 5, 2022

今までのスピリチュアル概念が、
変わったような気がします。 

かと言って、これが、
すべて正しいと思うのは、
まだ早いとも思っています。

それは、さておいて、
毒親の元に生まれ落ちた人は、
健全な親元で育った人達よりも、

幼少期から辛く大変な人生を
歩んで来た人が大多数だと思うので、
それを何らかの形で活かせると、
いいですよね。

しかしながら、
私も、これまでに、
色んな毒親育ちの人と、
会って来ましたが、
皆、中々、普通の人生を歩めない。

だから、まずは、
そこからですよね。

人生の最初の基盤が、
グラグラだったのですから、

酷な言い方かもしれませんが、
健全な親元で育った人が、
ゼロからのスタートだとしたら、
毒親育ちは、マイナスからのスタート。

そのマイナスは、
カルマと言えるかもしれません。

毒親の元へ生まれる事。
それこそが、
カルマかもしれないのですが、

幼少期に、そんな事は、
分からないでしょう。

カルマだとしたら、これ程、
分かりやすい事もない。

だから、まず、ゼロスタートに立つ。

親元を離れた所で、
何らかの形で土台の影響は、
受けているでしょう。

それこそ、本当に思考の治療から、
して行かないといけないかもしれませんね。

私自身も子供時代に楽しいとか、
幸せだったと言うような事は、
あまり、なかったような気がします。

一つ例えるなら、
私の身内の人格崩壊者達は、
何か問題が起きれば、
何でもかんでも人のせいにしていました。

でも、原因は、一目瞭然で、
本人のせいでしかない。
自分で責任を負いたくないから、
誰かのせいにする習慣になっていました。

そう言うのを見せられていた訳でもあります。
反面教師にして人のせいには、しないこと。

こう言うのが幾つもある訳で、
毒親育ちと言うのは、
そう言う学びも多いと思います。

ハッピーカメラを
私の人生と照らし合わせると、

小学生の低学年の頃、 
父に顔が腫れ上がるほど殴られ
翌日、学校の先生が心配して
家に電話をして来た事があった。

幼稚園になったか、
なってないかの頃、
爺さんに爪で目をえぐられ、
その後、蹴られたか何かで気絶した。

兎に角、子供に暴力が、
当たり前の家でした。

だから、もしかしたら、
何度も同じような人生の中で、
父や爺さんに殺されていて、

今回は、101回目ぐらいで、
生き残れたパターン
なのかもしれない。

ハッピーカメラは、
反則のような気もしますが、

ハッピーカメラのように
何度も似たり寄ったりの人生を
やり直しているのかもしれない。

もしかしたら、私達は、
生まれ変わり、死に変りの中で、
似たり寄ったりの人生を何度も何度も、
繰り返しているのかもしれませんね。

前世でクリア出来なかった課題を、
今世に組み込んで来たのかもしれません。

しかし、毒親は、子供の肉体も精神も破壊する。

人格異常者と言うのは、子供の頃に、
もう、原型が出来上がっているのかもしれない。
そんな気もしました。子供にとっては、辛すぎる。

味方が誰もいない。誰も助けてくれない。
これが、毒親育ちの子供の叫び声だと思う。

ハッピーカメラの故障。
まりなちゃんの死。
殺人隠蔽。この辺から、
子供らしくない事になって来ました。

だけど、子供だから出来ないだけで、
その思いを、そのまま現実に出来た。
と言う事でもあると思います。

毒親家庭では、親だったり、
誰かだったり、自分にとって、
邪魔な存在がいる。

そして、この辺から異次元の
漫画らしくなって来ましたが、

それぞれの毒親事情が、
分かるようになっている。

毒親と言うのは、
条件付の愛である事も多い。

まりなちゃんとタコピーが入れ替わった。

しかし、まりなちゃんの母親は、
まりなちゃんではないと気付いた。

まりなちゃんの死。

ネタバレになるので、
手短に書きますが、

しずかちゃんは、
いくら辛かったとは言え、
何か能天気な気がしましたし、
恐ろしくもありました。

一方で間接的に関わった
東君の方が思い詰めていた。

そして、タコピーも、
ハッピー星の掟を破り、
記憶をなくしていた。

ある時、その記憶が甦った。

でも、人間もそうですよね。

生まれた時には、ほとんどの人は、
記憶をなくして生まれているので、
何の為に生まれて来たのか分からない。

複雑な展開になって難しくも感じましたが
最後のタコピーは、カッコ良かったです。

親を捨てて幸せになる人。親を捨てて不幸になる人。

捨てる神あれば、拾う神ありと言いますが、
親に捨てられた子供もいれば、親を捨てた子供もいます。

今回は、親を捨てた子供について話たいと思います。

私は、基本的に、毒親であれば、
捨ててもいいと思っています。
むしろ、どうにもならない毒親なら
捨てた方がいいとさえ思っています。
(私もどちらかと言うと、こちら寄りの
環境だったのでそう思うのかもしれません。)

親を捨てた事で、ようやく自分の人生を歩みはじめ、
幸せになったと言う人達の話もたくさん聞きました。

私の爺さんも、毒親(毒爺)で、自分の子供や
孫にやたらと干渉し過ぎる迷惑爺さんでした。

みんなからエネルギーを奪い続ける
エナジーバンパイアでもありました。
死の直前まで、皆に多大な迷惑をかけ続けた人でした。
多くの方々に嫌われ続けた人でありました。

あの爺さんを切り離したり精神病院に入れたり、
爺さんとは、遠く離れた場所に住んだりしていれば、
父や母や私達も悪影響をそれほどには、受けずに済んだと思います。

恐らくは、爺さんの悪影響で
精神異常者とも言える状態の者が
何人も出来上がっていました。

距離が近すぎるが故にゴタゴタが起きる事もあります。

父の父は、爺さん。その先祖を辿って行けば、
大元の神にまで辿り着く。だから、どんなに
出来の悪い爺さんでも感謝した方がいいのかもしれませんが、
感謝の仕様がない時は、無理に感謝しなくてもいいと思います。

私も未だに爺さんには、感謝の気持ちが沸きません。
ゴミかゴキブリかぐらいにしか思えません。

親や環境は、自分が選んで生まれて来たと言います。

しかし、毒親とずっと関わり続ける事までは、
選んでいないかもしれません。

だから、自分の環境を整える事も大切です。

いつまでも毒親の支配下にいたら、
圧倒的に悪影響の方が多くなります。
私も身近で見て来たから、よく分かるつもりです。

基本的に毒親は、過干渉である事が多い。

それでは、いつまで経っても
自分の人生を生きる事が出来ません。

完全に断ち切るのか。距離を置くのかは、
個人の状況や考え方などによって違うでしょうけれど、
成人して自分の力で稼いでいるのなら、
毒親からは、離れた方がいい。
(私は未成年の時に離れました。)

その距離も遠ければ遠いほどいい。
だけど、毒親であればあるほど、
子供が自分の傍から離れる事に大反対します。
過干渉なので関わり過ぎるのもありますが、
深層心理的には、自分が困るからです。
自分の思い通りにコントールしたいと言う
強烈な思いがあるからです。
(毒親本人は、その事に気づいていません。)

本物の毒親だと思っているなら、
もう二度と会わないつもりで、
もう二度と家には、帰らない覚悟を決めて
出られるのもありだと思います。

毒親を断ち切った人達は、
それぐらいの覚悟を決められています。

そして、世の中には、
血は繋がっていなくても、
実の親子より縁が深い人達との
出会いが待っている事もあります。
血の繋がりだけが唯一絶対のモノでは、ない。

それなりに良い環境。良い両親の元で生まれ育った人は、
親を捨てるなど、あり得ない。親不孝者。ろくでなし。
そのように思うかもしれません。確かに、そうかもしれませんが、
毒親の支配下に置かれている状態では、人生を棒に振ります。

親の人生を生きるのか?

自分の人生を生きるのか?

長いこと、毒親の元にいると気づかない間に、
自分自身がおかしくなっていたり、
感覚が麻痺していたりで、毒親の元にいながら、
毒親だとも気づかなくなっている事もあります。

私の父も他界した迷惑爺さんと同じぐらいの歳になりましたが、
私から見て、決して良い人生を歩んで来たとは、思えない。

自分の家庭を持った後も長いこと、爺さんの支配下。
爺さんが死ぬ直前まで爺さんの監視下の元にいた感じで、
母や私達も、多大なる迷惑ばかりをかけられていました。

その影響で、あり得ないほどの人格異常者が育ち、
結果的に爺さんの死後も、その悪影響がありました。
自分の子供である人格異常者のせいで、
父も高収入の仕事を失ったりで苦しむ事になった。

自分の子供である人格異常者に母も苦しめられ、
父よりも先に、この世を去る事になりました。

これも私の家庭の氷山の一角の出来事です。

しかし、爺さんは、明らかな異常者でしたが、
父がフェイクと言うか父も重度の
精神病だったのではないか?とも思います。
父の弟も明らかな異常者でした。

そのような家庭を間近で見て来たので、
私は、毒親の元を離れる事をお薦めします。

毒親の元を離れた時からが人生の折り返し地点。
人生立て直しの再スタートであると思います。

冨士金弥生さんは、毒親問題は、
霊障の事もあると言われていたと思います。

私の家系も低級霊に
憑依されたような人が多かった感じなので、
やっぱり、霊障だったのかなぁとも思います。

そもそも家系そのものが重症とも言える
精神異常者の家系でした。
だから、霊障と言う家系のカルマもあったのでしょう。

良い親を捨てた人達

世の中には、毒親とは真逆の
良い両親を持ちながら、
それぞれの理由で、親を捨てざるを
得ない状態になった人もいます。

アウトロー的な生き方を続けた結果、
そうなった人もいます。

良い親なら片親であれ、両親であれ、子供がいつ何処で
何をしていても心配されている事だと思うので、
どんな形であれ、連絡したり
顔を出したりはして欲しいと思います。

良い親を捨てた人は、必ずではないですが、
自分自身も、また何処かで誰かに
捨てられるような体験をされている事もあるようです。

それは、信頼していた人や大切に思っていた人に
裏切られると言う形だったりもするようです。

親を捨てた代償や因果応報で
そうなったのかは分かりませんが、
人間の心には、良心があります。
良い親を持った人ほど、親を捨てた時に、
自分の良心が痛むのでしょう。
その良心が自分自身を裁き、
自分に罪や罰を与えて
解消させているのかもしれません。

良心は、イコールで両親。そんな気がしています。
ひらがなにしてもカタカナにしても同じです。
良心=両親。「りょうしん」「リョウシン」。

良い両親を裏切ったから自分も裏切られる。

単純で簡潔な見方になりますが、
毒親を捨てた人は、幸せになり、
良親を捨てた人は、不幸になる。

このような傾向になりやすいようです。

だからこそ、良親を捨てた人は、両親への
深い反省と感謝の心が大切になると思います。
(これは、毒親を捨てた人にも言える事だと思います。)

例えば、勘当されていたにせよ、
電話なり手紙など出したりして、
反省や感謝の思いを送るのでもいいと思います。
可能であれば、やっぱり会いに
行かれるのが一番いいと思います。

両親を大事にしない人は、
どこかで自分が大事にされない事になります。

電話も手紙も会いに行くのも無理。
そうだとしても感謝や反省の気持ち。
その心は、見られていることでしょう。

良い親を捨てるしか選択の道がなかった。
連絡の取りようもない。既に他界している。
だとしたら、良い親を捨てた分、
色んな人達を大切にする事が、
その人の生きる道だと思います。

宇宙的には、善もなければ、悪もないと言います。
しかし、私達の心は、善悪を判断しているのでしょう。
だから、罪悪感などを感じたりします。

神も仏も罰や罰を与えない。
与えるとしたら自分の良心が与えている。

外側には、何も無い。すべては、
自分の内側の反映としての現実世界です。

私の心が、その周波数を持っていたから、
その現実を映し出したようです。
すべての現実は、
100%自分自身で創り出している。

だから、自分の目の前に、
どれほど心が醜いと思える人が現れたとしても、
その周波数を私の心が持っていたと言う事になります。

私の事で言えば、迷惑爺さんも、
私の心の周波数で
映し出していた人であったと言う事です。

私がその周波数を持ち続けていれば、
人を変え、場所を変え、
似たり寄ったりの人が私の前に現れる。

私の人生を振り返った時に、
精神異常者や自己愛性人格障害の人と出会う事が
やたら多かったなぁと思います。

私自身が精神異常者や自己愛性人格障害と言う
周波数を持って生まれて来たのでしょう。

私が生まれて間もなく既に、
そのような地獄絵図だったので
その周波数はカルマと言えるかもしれません。

死んだら地獄に堕ちると言ったりしますが、
むしろ、転生後に強制的か自主的かは、
分かりませんが地獄のような環境を
選ぶ事もあるのかもしれないなと思います。

私の今回の生まれた育った環境は、
どちらかと言えば地獄のような家系だったので、
私自身が前世などの罪穢れによって、親や家系を
選んで生まれて来たと言えるかもしれません。

DVなどの被害に遭われる女性も、
何度もそのような男に引っ掛かると
聞いた事がありますが、自分の心に
そのような周波数を持っているからでしょう。

だから、一番の解決策は、自分の心を替えること。

人の振り見て我が振り直せと言いますが、
自分の心の中に、その周波数を持っているのに、
人を責めたり、人のせいばかりにしていれば、
一向に、その事に気づけません。

周波数は、意識プラスエネルギーだと言います。

周波数=意識+エネルギー

しかし、毒親の元にいながら心を替える事は、
簡単ではないと思いますので、やっぱり、
毒親の元からは離れて立て直す事を私は、お薦めします。

毒親の元を離れた後も一度は、
スピリチュアル的な信頼できる方に
波動やオーラの修復などを
して貰うのもいいかもしれません。
と言うのは、毒親の元で育った人は、
自分で気づいてない部分でも色々、
傷ついていたり問題を抱えてる事もあると思うからです。

毒親の子は、毒親になると
言ったような事を繰り返さない為にも
人生の何処かで、そのような機会を
設けた方がいいような気がします。

幼少期のトラウマとなっている
ケースも結構あるようです。

毒親と精神病

私の憶測でもありますが、無の精神療法の著者である、
稲福薫さんの苦玉説とも共通していることでもあります。
毒親の元で生まれ育った人は、結構な確率で精神病になっている。

と言うのも、毒親の元で育っていると
子供として当たり前の生き方が出来なかったりする事も多い。

毒親であればあるほど一方的なので、
子供が精神病になっている事にも気づきません。
気づいた時には、既に手遅れとも
思えるような状態になっていたりします。

そして、毒親は、毒親の親が
重症とも言える精神病だったりもします。
環境的か遺伝的かで受け継がれてしまったのでしょうね。
だけど、本人達は、それも気づきません。
自分が絶対正義で、他が間違っていると決めつけます。

毒親と言うのは、自分が原因とは、
決して認めず気づかない傾向にあります。

子供のせいや母親のせい。他人のせい。
自分以外の誰かのせいにし続けます。
だけど、一番の問題であるのが自分自身です。

この悪循環で子供の症状は、どんどん悪化します。

毒親に限った事ではないですが、特に毒親は、
子供をコントロールしたいと言う節があります。

毒親が発信源となり家庭内の
ゴタゴタが起きている事もあります。

私の場合は、父と爺さんのWパンチでしたが、
爺さんが迷惑過ぎて、ある時期まで、
父がまともだと思っていましたが、
父も、私が生後間もなくして、まだ言葉も喋れない時期から
怒鳴りつけてばかりいて、小学生に上がるようになれば、
すぐに暴力が当たり前。爺さんは、私が幼稚園になるかならないか
ぐらいの頃から暴力を振るっていた人でした。

昔、渡る世間は鬼ばかり
と言うTVドラマがありましたが、
私の家系は、気がついたら、
精神病者ばかりになっていました。

DVD)渡る世間は鬼ばかり パート1 BOX III〈4枚組〉 (STDS-5023S)

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親が重度の精神病だとしても、
親を治すのが先か
自分を治すのが先かとなり、
毒親の治療をするよりも
自分の治療をする方が簡単だとも思います。

本来であれば、毒親からは、
一刻も早く切り離し治療を受けた方が
いいと思うのですが、今までの多く方の無知により
このような事が放置されていたとも思います。

結局、早い話は、毒親の傍からは、
離れましょうと言う事になります。

ある程度、物心がついて誰かに相談した場合も、
親は、子供の事が心配で言っているだけだよと
促される事も多いかもしれませんが、その人達は、
家庭内の事を細かく観察している訳でもないでしょう?
だから、ある程度の年齢になったら、自分が毒親だと
信じて疑わないのなら、そう思った時が吉日。

毒親からは、離れましょうと私は、言いたい。
家庭の状況や個人の考え方にもよりますが、
必ずしも捨てる必要はないと思います。
離れて暮らすだけでも緩和されたり
解決する事もあると思います。

その際、なるべく距離が遠ければ
遠いほどいいと思います。
近くだと県外であっても、
私の迷惑爺さんのように
毎週のように来たりするからです。

本当の毒親は、
子供の人生に介入し過ぎるので、
やっぱり、どうしようもない
毒親だと思った時には、
捨てる覚悟も必要かもしれません。

悩みに悩んだ末に決断したなら、
親を捨てた後は、振り返らないこと。

新天地で今だけに生きること。

そして気休めかもしれませんが、
毒親の元で育ったのは、
厄払いの前払いのようなもので、
その後の色んな災いから身を守る為に
敢えて、そのような環境に身を置いていた。
そのような事もあるのかもしれません。

どれだけ嫌ってもいいですが、
DNAや遺伝子と言う部分では、
両親や先祖からのモノを受け継いでいるので、
嫌えば嫌うほど自分の人生に
影響を及ぼすのもまた事実です。

私が宇宙語のセッションを
受けた時の話ですが、私の家庭内の問題は、
あなたが先祖を嫌っているからだと言われました。
(その人は、不思議な能力の持ち主でした。)

私は、爺さんが嫌いでした。
爺さんは、随分前に、
あの世に旅立っているので、
もう関係ないと思っていました。

しかし、遺伝子の部分では、
今も影響していた。爺さん以外の家族に、
その影響がモロに出ていました。

両親は、良心とも言われるように、
どれほど嫌いであっても、
親に捨てられたとしても、
心の何処かで繋がっている部分もある。

親子関係と、その他の人間関係も、
まったく無関係に見えますが、
何処か繋がっている部分もあるのでしょう。

捨ててもいいのですが、
捨てた後も遺伝子やDNAレベルで、
何処かで繋がっている。先祖は、
嫌わない方が身の為です。

親を嫌っても先祖を嫌わず。

親も祖父母も先祖かもしれませんが
近い関係の人が嫌いでしょうがない場合は、
その上の直接的には、関わりがなかった
ご先祖様に感謝しましょう。

説得の心理技術

また、父親がどうしようもない人で、
母親が良い人である場合などもあると思います。

その際は、連絡だけは、たまに入れるとか、
何か出来る事があると思います。

だから、毒親問題は、かなり難しい
テーマかもしれないと思います。

日本人の知らなかったフリーエージェント起業術

捨てる捨てないで悩んで、
最終的に捨てると言う決断をした場合、
その後、どうやって生きるかが問題だと思います。

親を捨てた後、どうしようもない生き方をしていれば、
遅かれ早かれ、どうしようもない結果となるでしょう。

親を捨てた後、誠実で周りの人を大切に生きていれば、
それも、そのような結果が待っていると思います。

毒親の度合いにもよりますが、
毒親は、ゴミ親です。
ゴミは、捨ててもいいんです。

そこに罪悪感を持つ必要もないです。

捨てる神あれば、拾う神あり。

大切に扱ったものが残る。
親に大切にされて来なかった。
愛されて来なかったと感じるなら、
捨てられるのは、親の因果応報です。

親が子供を大切にして来なかった結果です。

自分の人生を生きてください。

捨てるのも、捨てないのも自由。

毒親の方が捨てやすいとは、思います。

魂レベルでは、その為に、
毒親をやってくれていたのかもしれない。

良い親を捨てようか迷っている人も、

あの、お釈迦様だって何もかも捨てて出家された。

すべてを捨てる。
捨て身になると言うのは、
人生の局面と言うか崖っぷちでは、
必要な時もあるかもしれませんね。

親が迷惑でしかないなら捨てればいい。

だけど、親を捨てるのは、捨て去るのは、
悪い事だと思う概念や罪悪感も、
一緒に捨て去らないと、
後々、苦しく思う事もあるかもしれません。

私も親を捨てる決断に迫られた事が、
過去に何度かあったのですが、色んな経緯があって、
結果として、捨てなかった。

そして、あの時、
何で捨てなかったのだろうと、
思った事も何度もあります。

まぁ、捨てていたら捨てていたで、
何で捨てたのだろうと思ったかもしれません。

捨てるか、捨てないかは、一大決心。

両親身内、すべてが毒なら捨てやすいでしょうけど、
母親が良い親で父親が毒親とか。色んなパターンがある。

結果、捨てた方が良かった。
捨てなかった方が良かった。

後から、そう思う事もあるかもしれない。

歳が若いうちは、分からないし気付かない事も多い。
私の親は、どう考えても異常者だった。
親を捨てた人生も面白かったかもなと思っています。

毒親でも、良い所もあったでしょう。
しかし、捨てると言う決断の時には、
それが仇となる。心を鬼にした決断。
迷いを吹っ切る。すべて捨て去る。

ゴミのような親は、ゴミ箱に。

そうした時に、新たな出会い、
新たな仲間が出来たりすることもある。

そして、捨てれないと言うのは、
結局、自分の事を考えている。

何かあった時に帰れる家があるとか、
どうしようもなくなった時に頼れるとか。
何か自分にとってのメリットを考えている。

絶対ではないですが、それもある。

捨てるなら、それも捨てないと、捨て切れない。

毒親も捨てやすくする為に嫌われ役を
演じてくれたのかもしれないとも思う。

捨てる捨てないは、別として、
毒親の元からは、離れた方が、

気づく事や分かる事が多い。
可能であれば、居場所も連絡先も、
教えない方がいい。毒親と言うのは、 
それほど危険な存在です。
過干渉な事も多いので子供の人生に、
介入し過ぎる所があります。

そして、離れて、ようやく、
いかに、自分の親が異常だったか、
気づかされる事も多い。

親元にいる時は、それが、
あまりにも当たり前過ぎて、
気づかない事もある。

思考停止している所もある。

肉体的、身体的に破壊された部分もあるでしょう。

だから、毒親の傍から離れる事は、治癒でもある。

そして、親も、
捨てられたりした時に、 
ようやく気づく人もいるでしょう。

気づかない人の方が、
多いかもしれませんが。。

自己愛性パーソナリティ障害の迷惑爺さん。

このブログでも、部分的には、
ちょくちょく触れていた事もありましたが、
私の、もう亡くなっていますが、
父方のお父さん。私にとってのおじいちゃん。

その、おじいちゃんが、どんな人だったかを
今一度、思い出しながら紹介したいと思います。

酒飲みで、気が狂い、怒り狂い、
奇人変人であったお爺さん。

昔の時代とは言え、50代で
既に皺くちゃの顔をしていました。

実家とは、離れた県外の
アパートに住んでいたのですが、
私が生まれた時、言葉も喋れない時期から、
関わっていた事は、覚えています。

私が、2歳ぐらいだったかと思いますが、
おじいさんが烈火の如く怒り、
私の目を爪で刺していた事がありました。
その後、蹴られたかどうか分かりませんが、
私は、翌日の昼ぐらいまで、
目を覚まさなかったと思います。

翌日も体が重くて、子供心に、
何か不思議な思いをしていました。

その時から、おじいさんは、
まともな人ではないと思っていましたが、
私の両親は、しょっちゅう、
この、おじいさんの所に私を預けました。

預けたと言うか、流れとしては、おじいさんが、
来させよと言っていたような気がします。

小学生に上がる頃になっても、
決して近くとは、言えない所に住んでいるのに、
電車とバスに乗って、しょっちゅう家に来ていました。
来ない時は、来ない時で、しょっちゅう電話をしてきていました。
まともな話が出来る爺さんなら良かったのですが、
相変わらずの迷惑電話。

結局、おじいさんになるまで、
誰も関わってくれなかったか、
みんな離れていったかで、
子供と関わるしか、なかったのでしょう。
他にやる事があれば、あんなに子供に
干渉している暇など、なかったと思います。

家の方も父の借金で、
私が子供の頃から、
電話が鳴り止まない毎日。
それだけでも子供心に痛かったのに、
おまけに病気のような、おじいさん。

小学生の私に自分の自慢話ばかりをして、
私の否定、批判をしていました。
おじいさんのアパートに泊まりに行くと、
毎度、母の悪口を延々と言っていました。
しかも、毎度、毎度、同じ話。今思えば、
認知症だったのかもしれません。

同じ事ばかり言っているので、
大きな体をした猿のように見えていました。

小学生の時、私は、何故、私の父は、
あの、おじいさんが家に来る事を
許可しているんだ?と思っていました。

しかし、考えてみれば、当たり前の話で、
私にとっての、おじいさんは、父にとっての父。

今の時代でこそ、問題のある父親であれば、
捨てる事も仕方がないような理解もありますが、
昔の時代であれば、どんな親でも親は、親。
父親が、厳しいのは、当たり前。

どんな親にしても、子供を育ててくれた
絶対権威のような所がありました。

だけど、まともな親で厳しいのと、
異常者の親で厳しいのは、違います。
そのような所が見過ごされてきたような気がします。

後に分かった事ですが、
爺さんは私の父に金をせびりに、
毎週のように来ていた。

そのお金で酒を飲みに行く。
父が事業に失敗して借金して大変な時期も、
おかまいなしに毎週来て金をせびっていたようです。

私の父も相当、苦労された人だと思いますが、
その苦労の多くの元になったのは、自分の父であり、
私にとっての、お爺さんである人を
切り離さなかった事にあったと思います。

しかし、父は、お爺さんの事を
まともだと思っていたので、
私は、子供心に、あんな爺さんの事を
まともだと思っているのか?と何とも言えない思いでした。
私達、子供と母は、長い間、お爺さんに苦しめられていました。

幼少期や小学生時代の私が、
何だコイツと思うような
身内の大人達が私の爺さんであり、
父であり、父の弟でありました。

それでも私は、お爺さんは、
問題がある人だと思っていましたが、
大人になってから随分、時が経つまで、
父が毒親とは、思っていませんでした。

しかし、色んな毒親の元で育った人の話を
見たり聞いたりした時に、そんなの私の親は、
普通にやっていた事やんと思いました。

お爺さんが迷惑な存在過ぎて、
父が緩く見えていたのかもしれません。

私が生まれて言葉も喋れない時期から
怒鳴り付けるような人でした。

父は、お爺さんの子なので、
やっぱり、その血は、継いでいたのでしょう。

怒鳴る。怒る。殴る。これらは、当たり前。
そして、自分の価値観に当てはまらないと、また怒鳴り付ける。
力で、子供を支配してコントロールしようとする。

子供相手に、ワーワーワーワーと怒鳴ってばかりいました。

自分の気持ちが第一優先で子供の事を解ろうとしない。

小さな子供の相手は、面倒臭い。

私の幼少期を振り返ると、
そのような寂しい思いがいっぱい出てきました。

小さな子供相手に怒鳴ってばかりいるのは、
やっぱり、父も爺さんも自覚がないだけで、
精神病だったのではないか?と思います。

自分達が原因で家の中の
ゴタゴタが起きている事に気づかない。

そして、また誰かや
何かのせいにして
怒鳴ってばかりいる。

お爺さんも、父も怒りの塊のような所がありました。
だけど、怒りの塊は、裏を返せば、劣等感の塊です。

いつだかに、おじいさんが住む、
アパートの近所にある喫茶店に行こうとしました。
珍しく、おじいさんの機嫌が良いなと感じる日でもありました。

しかし、店に着くと、出入り禁止だと言われ、
マスターと口喧嘩がはじまりました。
そして、おじいさんの「二度とこんぞ!」と言う捨て台詞は、
覚えていますが、私は、子供心に、その方が、
マスターも嬉しいやろうなぁと思いました。

その後、喫茶店には、行きませんでしたし、
まっすぐ家に帰ったのかどうかも、
私は、覚えていません。

店員に文句を言うのは、爺さんの常識でした。
色んな所で暴言を吐いて威張り散らかしていたので、
兎に角、色んな所で、色んな人に嫌われていました。

私は、子供心にバカな爺さんだ
と思うような事が、いっぱいありました。

自己愛性パーソナリティ障害は、
人を下げる事でしか、
自分の承認欲求を満たせない。

爺さんは、典型的なこのタイプでした。

何があったかは、覚えていませんが、
市役所の人にも嫌われていました。

歩く嫌われ者と言いますか、
会う人、会う人に嫌われていました。

爺さんも婆さんも自分自身に
問題がある人でしたが、
外側のせいばかりにしていました。

お爺さんは、四六時中イライラの
電気みたいなモノが走っていて、
ささいな事で烈火の如く怒り出す事は、しょっちゅうでした。

人の事は、否定をし、自分の自慢話ばかりを話ていました。

本来であれば、一生、精神病院の中で過ごしていても、
おかしくなかった人ですが、一生、娑婆で生きた人でした。

ありのままになるのか、大袈裟になるのか分かりませんが、
十中八九の人から嫌われていた爺さんでした。

爺さんと婆さんは、私の幼少期~思春期まで、
やたら干渉して来ていましたが、
二人とも絵に描いたような怠け者で、
お爺さんは、自己愛性人格障害なので、
私は、幼心から仕方なく相手をしてやっている
みたいな思いを持ち続けていました。

出来る事なら関わりたくないのが本音でしたが、
幼い子供の時は、結局、関わるしか
選択肢がなかったように思います。

私は、幼少期の子供心に、この二人は、
どうしようもないなぁと思っていました。

おじいさんの直接の子供は、
私の父と、その弟、娘と、3人だったと思いますが、
父の弟にも、子供の時から、よく会っていました。

父の弟は、私にとっての、叔父さんになりますが、
その人も、子供心にバカな人だなぁと思っていました。

やっぱり、おじいさんに似ている所がありました。
そんなのだったので、私が小学何年生だったか覚えていませんが、
高学年では、なかったと思います。
その時に、私と殴り合いの喧嘩になりました。
叔父さんは、30歳を過ぎていたと思います。
結果的に、騒ぎに気づいた私の父が止めに入りました。

父も子供時代の私に、怒鳴りまくる人でしたが、
お爺さんと、叔父さんと比べたら、かなり、まともな人でした。

私の子供時代は、怒りと暴力が蔓延した家庭環境の中で育ちました。

その根源は、おじいさんと、
おばあさんであったと思います。

人様からも散々、嫌われた人でありました。
私を含め、お爺さんの身内である子供達からも嫌われていました。

でも、本人達は、嫌われている自覚がない。

あんな爺さんと婆さんでも、
一つぐらい良い所なかったかなと
思いを馳せてみましたが、
とにかく見つからない。
私が頑固なのかもしれませんが、
とにかく本当に一つも良い所が見つからず、
ただ、ひたすらに迷惑な存在であった。

爺さんが亡くなる少し前に病院に見舞いに行った時、
私が生まれる前の事は知りませんが、
私の知っているお爺さんの印象は、
人様から嫌われ続け、人の悪口を言い続け、
この爺さんは、一体、何の為の
人生だったのだろうか?と思いました。

この人は、誰かの役に立った事が
一度でもあるのかなぁ?
と何とも言えない気持ちになりました。

どれだけ人様に嫌われれば気が済むんだ?
と言うぐらい嫌われ続けた人でした。
それだけに生きている間も、死んだ後も、
私達、子孫に何らかの影響を及ぼしていることでしょう。

地獄に堕ちた先祖の話などを聞く事もありますが、
爺さんも婆さんも地獄にしか堕ちない生き方を
してきた人だったと思います。

おじいさんが死んで、
ようやく平和になったかと思ったのは、
大きな間違いでありました。

お爺さんは、自分の息子達もそうですが、
私の父の息子達にも影響を与えていました。

それは、自己愛性人格障害を作り上げると言う
根源としての役割になっていたと思います。

私の弟、末っ子もおじいさんの影響で、小学生の頃に、
手の付けられない自己愛性人格障害者になっていました。

その時、おじいさんは、既に他界していましたから、
最後の人格障害者を育て上げていたとも言えます。

江原啓之さんの話では、浮かばれない先祖が、
子孫に憑依するような事もあると言われていたと思います。
死後、まっすぐ天に還るような爺さんでは、なかったと思うで、
憑依もあったかもしれないなぁと思います。

地縛霊になった爺さんが
家系の子孫に憑依した。
残念ですが、これが事実のような気がします。

冷静になって考えてみれば、
小学生にしては異常すぎた。
そして爺さんと似たような所があった。
あの爺さんは、死後、十年以上も憑依と言う形で、
私達に迷惑をかけ続けていたのかもしれません。

憑依がなかったとしても、一人の人格障害者がいれば、
そこから何人かの人格障害者を作り上げてしまう。

上手くスルーできればいいのですが、
幼少期~思春期の間に、上手くスルーする事を求めるには、
無理があるでしょうし、何も分からない分、
それを素直に受け止めてしまったりで、
歪んだ人格を生み出す事もあると思います。

さらに自己愛性人格障害の人は、
やたら干渉すると言う特徴もあります。

子育てについては、各親に完全に任されていますが、
まともな親ばかりではない。問題のある親もいる。
問題のある親が問題のある子供を作り出してしまう。

そんな中でも、まともに育つ人もいると思いますが、
何も分からない子供に、それを求めるのは、酷な事だと思います。

だけども、最悪と思える親子関係、
環境の中で、まともに育つ人もいれば、
良い両親の元に生まれても、
どうしようもない人格に育つ事もある。

ある程度の年齢になったら、
すべては、自己責任なのでしょう。

子供の問題に頭を抱えている
親御さんも多いかもしれませんが、
家庭内環境に問題がなかったのか、
振り返りの意味も込めて、
そのような問題が起きている事も
あるような気がします。

私のおじいさんも、時代背景のせいもあったと思いますが、
おじいさんになるまで、あのような問題のある人が放置されていた。

だけど、おじいさんにも、その父なる人がいたでしょうから、
その父も、恐らく、問題のある人であったのでしょう。

そうやって、受け継がれて来てしまったのですね。

私は、専門家ではないので詳しい事は、分かりませんが、
子供時代に深く傷つけられたトラウマになっている事は、
自分も無意識の間に同じ事をするように
なっているのではないか?と思います。

その分野の専門家の人の話では、
人格形成は、かなり若い時期。
6歳ぐらいまでに基盤が作られ、
15歳ぐらいまでに大体、
決まるというような事を言われていたと思います。

だから、時を越えて、同じ事が繰り返される、
家系のカルマのようなモノになっているような気がします。

今、自己愛性人格障害だと言われている人は、その末裔。
本人が気づいているにしろ、しないにしろ、その人で、
その流れを終わりにするべき時が来ているような気がします。

小学生ぐらいの間に既に症状が出ている事は、多いと思いますので、
周りの目と言うのも大切になるでしょう。治療が遅れれば遅れるほど、
人格の歪みも大きくなっていくような気がします。

自己愛性人格障害が嫌いだと言うのは、簡単です。
しかし、それまで、それを見過ごしてきた。気づかなかった。
何ら対策をしてこなかった。放置してきた。
そのような、多くの人の責任と言うものも、あると思います。

おかしな思考の、おじいさん。
それより少し、まともになった父。
だけども、父も、生まれたばかりの私を怒鳴りつける人でした。
しかし、あのじいさんに育てられれば、そうなるでしょうね。

みんな女や子供や立場の弱い者には、高圧的。
だけど、本来やるべき事からは、逃げている。
稼ぐ力も、みんな、なかった。

サイコパスなどの人も、
脳に異常があるから、
そうなっていると言われています。

だから、必ずしも環境や親だけの
問題ではないかもしれませんが、
親だけに任せていたら、気づかれぬまま放置され
歳を重ねてしまう事も多いと思います。

義務教育や健康診断などの制度があるのですから
どこかで精神病などの検査を取り入れ、
あまりにも人格や精神に異常を抱えている人は、
そのような場で発見する事も必要だと思います。

だけど、スピリチュアル的な話をした場合、
敢えて憎まれ役とか悪役を買って出ていた魂もいるそうです。
その悪役を演じるには、かなり上級の人でないと演じられない。
そのような人達は、この時期に、目覚める人となるそうです。
既に他界している人で、悪役を演じていた人は、
浮遊霊などではなく、光に還っている事でしょう。

私のお爺さんも、悪役の方であったと信じたいですね。

そうではなかったとしても、すべては、
自分が選んで生まれて来た人生だと言います。
私にとって必要な学びがあったから、
あの爺さんと共に過ごした。

一つだけ運が良かったと思うのは、
あの爺さんの直接の子供ではなかった。
しょっ中、家に来ていましたが、
一緒に住んでいなかった事も運が良かったでしょう。

父も厳しかったですが、あの爺さんから、
よく、このまともな人が育ったと思える人だったと思います。
まぁ、そう思えるようになったのは、最近ですが。。。

私の家系。男系には、
人格異常者が多かったのですが、
あの爺さんと、まともに関われば、
正常の精神状態で育つ方が
不思議なぐらいだったかもしれません。
私も大なり小なり、その影響は受けているでしょう。

みんなの嫌われ者みたいな爺さんでしたが、
その爺さんがいなければ、
父も私も、今、こうして、この世に、
肉体を持って生まれる事が出来ませんでした。

だけど、ネガティブ感情を紙に書いて
吐き出した時には、あんな、爺さんと婆さんなら、、
はじめから、居ない方がよかったと言う言葉が出てきて、
その言葉が出て来た時にスッキリした気がしました。
あれが、吐き出し効果でもあり、私の本心であったと思います。

爺さんは、自分自身に人格上の問題を抱えていました。
かなりの人格異常者でした。しかし、自分ではなく、
何でもかんでも人のせいにして、悪口を言い続けたり、
思い通りにならないと瞬間湯沸かし器のように怒り狂っていました。

私は、子供心に、この人は、自分自身に問題があるのに、
何故、外側ばかりのせいにしているのだろうか?と思っていました。

これは、今、スピリチュアルな話でよく言われている話です。

私は、随分、幼い頃に、反面教師として、
この事を教えられていたのですね。

そして、今、子育てをしている親御さんに
伝えたい事は、子供は、
子供の人格を持って生まれて来ています。
ああだ、こうだと言い過ぎず、尊重してあげる事も大切です。

それこそ船井幸雄さんの長所伸展法。
経営にも人材育成にも、使える技。
勿論、子育てにも使える技だと思います。

そして子供の人格に問題があると
思えるような事があったなら
身内に迷惑爺さんのような存在が
いなかったかどうかを振り返ってみてください。

上流の爺さんと、
下流の弟が、一家の中で、
一番、人格異常だったので、
稲福薫さんの本を読んだ時に
カルマ流しは、上流から下流に向かって行くと
書かれてあって、その通りだと思いました。

そして、間の人は、下に不調和波動を
流せるから、まだいいのですが、
最下流の者は、下へ流す事が出来ないから、
その家系のカルマが噴出する事がある。

爺さんも弟も重度の精神病だったと思いますが、
精神科にさえ行った事がありません。本来であれば、
精神病院に強制入院させなければ、
ならないような状態でした。
(恐らくは、閉鎖病棟に入院している人の中でも、
かなり重症の部類になったと思います。)

本当に、いつ事件を犯してもおかしくない状態でした。
本当に一歩間違えば、世の中を賑わすような事件を
起こしていても不思議ではない状態でした。

誰がいつ殺人者になっていても
おかしくなかったし、
誰がいつ殺されていても
おかしくなかった。

幸いにして、そのような事にはなりませんでしたが、
紙一重の状態の事は、たくさんありました。

本来であれば閉鎖病棟に入院させておく事が
妥当な状態だったと思う人が身内には何人もいました。
そして、そうしなかった故に色々な方々に多大なる
迷惑をかけ続けていたので、そのような知識もなく
娑婆で自由奔放な暮らしをさせておいた
身内一同の罪もあると思います。

世の中を騒がしたような事件を犯した人の中にも、
家庭内に重度の精神異常者を放置しておいたか、
気づかなかった故に起きた事もあるかもしれません。
その場合、本来であれば被害者であるはずの人が、
加害者になっているようなケースもあると思います。
私の両親も弟の異常性に気づくのは遅すぎました。

だから、家族だけの問題にせずに、
行政など信頼出来る機関を頼る事も必要だと思います。

精神障害者移送サービスなどもあります。
中には、悪徳な所もあるようなので、
信頼出来る所に任せる事が必要だと思います。

スピリチュアル的には、毒親の元に生まれるのも、
カルマの法則でお互いの承諾あっての事
と言われたりしますが、
確かに、そうであるのかもしれませんが、
現状、目の前に苦しい課題があるのなら、
逃げようが捨てようが解決する何かが必要でしょう。
専門家を頼らなかった故に
事件などになる事もあると思います。

家の中は、波動装置

子供時代は、結構な時間を
家の中で過ごす事も多いと思います。

それだけに、家の中の波動の影響を知らず知らずの間に
受け取っている事も多い。

私の子供時代は、迷惑爺さんの事もそうですが、
父親も雷親父のような存在で怒鳴ってばかりいました。

借金取りからの電話も収まらず家の中は、
波動を下げる要素が満載でした。

父も爺さんも怒り満載の人でした。

引き寄せの法則で言えば、
それは、次から次へと
ネガティブな事を引き寄せるでしょう。

このシンプルな仕組みを反面教師として
教える為に、私は、あのような環境の元で
生まれ育ったのかなぁとも思います。

そして、私の波動も、かなり下がっているのが
当たり前の状態になっていたと思います。

世の中には、色んな家庭環境があります。

貧しくても愛情を注いでもらった人と、
そうでなかった人。

お金持ちであっても、親や育ての親からの
愛情を感じれなかった人もいるでしょう。

家庭環境は、みんなバラバラ。

かなり波動が下がっている家庭の子供を
どこかで波動調整する事も、
これからの世の中では、
必要になってくるかもしれません。

私の父も爺ちゃんも、父の弟も私の弟も、
家庭内を監視する何らかの仕組みがあったら、
みんな逮捕されていたと思います。

それだけ家庭内の事は、世の中には、知られていません。
事件としてニュースになっている事も氷山の一角でしょう。

この記事を書きながら、ふと思い出した事がありました。

大昔に斉藤一人さんのお弟子さんの一人と言われていた
故・芦川政夫さんのイベントに行った事があるのですが、
会場には、たくさんの人が来ている中、芦川政夫さんは、
私にも声をかけてくださりました。その時に、私の顔を見て、
あなたは小さい頃から「ダメだ。ダメだ。ダメだ。
と言われて育てられて来たのではないか?」と言われて、
その時は、私も全然、その意味が分かっていなかったのですが、
だいぶ経ってから、あぁ、やっぱり、
あの人は、分かっていたんだなぁと思いました。
私は爺さんと父に否定、批判されて育ちました。
とくに爺さんは、その要素が満載でした。

あの爺さんと父の元へ生まれて来たのにも
何らかの意味があったのかもしれません。

迷惑爺さんの直接の子供は、
私の父を含め皆、ろくな事になっていません。
爺さんの直接の子供は、皆、精神病になっていたと思います。

父も爺さんも小さな子供相手に容赦がない。
本気で怒鳴りつけ殴りつける人でした。

それは、厳しいのではなく、
ただ単に重度の精神病だったからでしょう。

迷惑爺さんは、自分の子供だけではなく、
孫だけではなく、生きている間は、
多くの方々に多大な迷惑をかけ続けた人でもありました。

その迷惑爺さんを精神病院に入れなかった罪は、
残された者達にもあったのかもしれません。

お爺さんは、知能指数が低すぎたのでしょう。
それだけに周りをバカにし続け、
自分の自慢ばかりしていたのでしょう。

本当の意味では、誰からも認められなかった。
だから、深い部分では、自分の頭の悪さを
必死で隠し通そうとしていたのかもしれません。

父も爺さんも精神的に弱く
恐れや不安を抱え続けていたから
ワーワーワーワーと怒鳴ってばかりいたのでしょう。

下へ下へと流すから、どんどん、おかしくなる。
一番の人格異常だった爺さんを何とかすれば、
未然に防げた事は、たくさんあったような気がします。

爺さんが入院

私の爺さんが入院してると聞いた時、
だから、何?と思った。
あんなモンが生きようが死のうが関係ない。
本気で、そう思っていました。

私は、10代でしたが、既に実家は、
出ていたので見舞いに行くのも、
面倒だと思っていた。

長い事、入院していたのですが、
どうでもいいから、ほっといた。

身内があまりにもしつこいから
仕方なく、一回、見舞いに行った。

管だらけでしたが
そのような状態でも、
ゾンビのような感じで、
嫌悪感が生じました。
来るんじゃなかったと思った。
それほどまでに異常な人でした。

大嫌いな爺さんだったので私は葬儀にも行かなければ、
四十九日などの法要にさえ行っていません。
罰当たりと言えば罰当たりかもしれませんが、
私は、それでよかったと思っています。

しかし、ご先祖様の中には、
怒り心頭の人もいたかもしれませんね。

そして、爺さんは、
いつ死んだとか知っていましたが、
爺さんの後、1人になった婆さんは、
いつ死んだのかさえ誰も知らない。

私の父や母や身内も知らない。
(私に教えてないだけかもしれませんが。。。)

私が知る限りでは、爺さんの死後、
しばらくして誰も会っていない。

だから私達は、葬儀さえもしていないし、
最後、病気であったなら見舞いすらしていません。

この事を私も私の家族も長い事、誰も気にしなかった。
そう言えば、どうしたんやろ?みたいな感じでした。

婆さんも迷惑と言えば迷惑でしたが、爺さんほどではない。

それなのに、誰も気にしなかったと言うのは、
それだけ変わった家庭だったのではないか?と思います。

爺さんを筆頭に低級霊に
憑依された人が多かった家系でもあると思うので、
家系の霊障と言えるかもしれません。

『親孝行は人柄による件』
https://t.co/THIIvWCAo9 #アメブロ @ameba_officialより

私の爺さんも、こんな感じでしたね。
私は、葬儀には、行っていませんが、
葬式の日に酔っ払いが
乱入する大乱闘だったそうです。
酒飲んで暴れる爺さんには、
ふさわしい最期と言えば最期でした。— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) June 19, 2021

爺さんも父も父の弟も私の弟も精神病。
精神病×精神病×精神病=精神病。
爺さんは、かなり重度の精神病でしたが、
一番最後の弟も、重度の精神病でした。

何故、そのような家系に生まれて来たのか?
それも、私の人生の一つの課題なのでしょうね。

私の爺さんが生まれ変わって、
最悪な人生を歩んでいるとしたら、
しょうがないよ。あなたの前世は、 
あんなんだったのだからと、
知ってる人は、思うでしょう。

私達、一人一人もそうで、
何処かに撒いた種があるから、
それを体験しているとも言えます。

私の人生も最初から、
地獄絵図みたいな状態だったので、
何処かに蒔いた種があったのかもしれません。

『またまたコスモボーさんのインスタ~』
https://t.co/df3nPyNbH5 #アメブロ @ameba_officialより

大嫌いな人は、大好きな人?— 毛🦀@スピリチュアルブロガー思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) July 5, 2022

↑のコスモボーイさんの話も、とても好きです。

また、少し話は、
変わりますが、毒親育ちでも、
それぞれの親や環境は、違う。

一概には、言えませんが、
親を捨てる事が今世の一つの
課題として設定して生まれて来ている
こともあるようです。

とても、そうは思えないなら、
その人にとっては、違うのでしょう。

私の家系で言えば、
父は、爺さんが亡くなるまで、
爺さんの奴隷。叔父も、父も、
人格障害になっていた。

身内関係の多くの人も
迷惑をしていた。

毒親を捨てる事は、
家系の負の連鎖を
断ち切る事でもあると思う。

毒親と何十年と関わっても、
結局、ろくな事は、ない。
ぐだぐだ言ってる暇があったら、
黙って捨てるか逃げるかしよう。

しかし、毒親と言っても、
皆、共通では、ないので、
それぞれの家庭事情、家系事情に、
よる所は、あります。

一説では、毒親=パーソナリティ障害。
と言う話もあって、毒親育ちの人の多くも、
自己愛性パーソナリティ障害の家系で育っているそうです。

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