ニュー愛のナンバーワン。伝説のホスト・零士さん。

カリスマホストの零士さんを知っていますか?
昔、よくTV出演をされていて、
メディアのパワーをバンバン使って、
自分の名前を売り込んだ方です。

このような言い方をすると、
ホストとしての実力が、
あまりにないようにも思えるかもしれませんが、
愛本店系列のニュー愛で、23歳でナンバーワンになり、
その後、12年もの間、ナンバーワンであり続けた人です。
愛本店に在籍していた時期もあるらしいです。
当時は、檀さんと言うナンバーワンホストの、
ヘルプであったらしい。

零士さんは、12年のナンバーワンの経験を得て、
独立され、ディオスと言うお店を歌舞伎町に出されました。
その後、六本木、ディオスも出されました。

零士さんがバンバン、メディアに出演するまでは、
ホストクラブと言う存在を知らない人も多く、
ホストと言う仕事がある事を世の中の多くの人は、
知らなかったような時代であります。

また、零士さんが、独立された頃も、
まだ、歌舞伎町にホストクラブの数は、
それほど、多くは、ありませんでした。

だから、零士さんは、ホストの革命児であり、
零士さんが、メディアに出演しだしてから、
ホストの認知度が高まり、
ホストと言う存在を知らしめたと思います。

また、昔は、今と違って、
10代や20代のホストっと言うのは、
少なかったそうで、社会人経験もないうちに、
ホストなんてやるものではないと言うような、
風潮もあったそうです。その流れを変えたのも、
零士さんなのかなぁと思います。

ホスト時代の初期、中期、後期と
分けるなら零士さんは、初期の終わり頃から
中期のはじめの方の人だと思います。

初期の段階だと若造が
ホストなどやるものではないと言われ、
中期の段階だとホストの寿命は短く、
23歳~25歳ぐらいで、
ホスト引退と言う流れのようなものもありました。

だけども、確かに、今は、30代から、
ホストやるなんて遅すぎるみたいな感じになっていますが、
それなりの社会人経験や人生経験を得てから、
ホストと言う道を歩む方が、もっともらしいのかもしれません。
その方が、人格的な部分では、しっかりした人が、
多くなるのではないか?とも思います。

だけども、どっちがいいかとは、言えませんし、
30歳を過ぎてからだと若さや体力を武器には使えなくなる。
しかし、昔は、30代から始めるホストもそれなりにいたわけで、
その流れと可能性は、やっぱり、残しておいた方が、
よかったのかもしれないとも思います。

今も、30代からホストを始める人もいますが、
そのような人は、少数だと思いますし、
30代以上で、未経験でホストを始めるのは、
今の時代には、敷居が高くなっていると思います。

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零士さんの話に戻りますが、
私も当時、よく零士さんの出演している
TV番組を拝見しましたが、めちゃくちゃ明るくて、
面白い人だなぁと思っていました。

何かのインタビューで語っていましたが、
当時、お店から貰っていた給料は、月に1000万円。
毎日のチップ総額は、それ以上であったらしい。
その当時と言うのは、まだ、シャンパンコールも、
ドンペリコールもない時代であったと思います。
ホストの認知度も、ホスト遊びをする人も、
今より、全然、少ない。
その時代に、それだけの給料を貰えると言うのは、
売上は、どれほどあったのか?想像を絶すると思います。

だけども、昔のホストの一つのメリットは、
バブリー時代を経験したと言う側面もあります。
しかし、昔は、今の厳しさの非ではないぐらい、
ホストの世界は、厳しい所であったと聞きます。

零士さんも、見た目や雰囲気では、
分かりづらいですが、
元、暴走族であったらしい。
だから、根性も、あったのでしょうし、
ヤンキー上がりが多い
ホストの世界に上手く、なじめたのでしょう。

昔、零士さんが、書いた本を読ませて頂きましたが、
中々、面白いものでありました。

しかし、本を読んで感じたのですが、
零士さんは、色恋営業をしていたのではないか?と思いました。
別に、ホストの世界では、
それが、当たり前であった部分もあるのかもしれませんが、
その世界に、携わった事がない人間から見ると、
少々、エグイかなぁと感じる部分もあります。

そして、カリスマホストが、
現役を引退して、ホストの世界にいても、
イマイチ、パッとしないホストも多い中で、
今でも、その名を知らしめている零士さんは、
やっぱり、さすがだと思います。
芸能界とのパイプが太い事でも、有名なホストです。

私は、零士さんには、
お会いした事はありませんが、
過去にナンバーワンホストだった人や、
ナンバーワンホステスだった人に、
お会いした際に感じたのは、
必ずしも、人格や人間性が、
素晴らしい人達ばかりではないと言う事です。

特に、昔の水商売は、
かなりエグイ要素もありました。
今の事は、分かりませんが、
ナンバーワンと言うのは、
一番売り上げが多い人がなる事は、
昔も今も、同じです。

その目的を達成する為に、
手段を選ばない人がいると言うのも、
ある意味、仕方がない事かもしれません。

むしろ、水商売の世界でナンバーワンである人より、
その辺にいる、普通の人達の方が、
人格やら人間性が素晴らしいと思える人は、
たくさんいました。

勿論、水商売の世界で、
ナンバーワンになると言う事は、
過酷な中で競争すると言う、
それは、大変な事だと思います。
それだけに、綺麗な心を持ったまま、
ナンバーワンになったり、あり続けると言う事の、
難しさもあるのかもしれません。

だけど、昔より、今の時代の方が、
心が綺麗なままで売上を上げている、
ホストさんや、ホステスさんが、
増えているような気もします。

まぁ、気がするだけで、
実際の所は、分かりません。

ホストとして凄くても、
引退して会社をやったりして順調に見えても、
10年後、20年後を見た時に、
残念な結果になっている元ホストも多い。
そんな中で、10年後も20年後も
成功者であり続ける零士さんは、
やっぱり、さすがと言うべきホストだと思います。

また、零士さんは、独立が、ご法度の時代に、
独立したと語っていましたが、
あの当時、既に何店舗も歌舞伎町には、
ホストクラブがありました。

だから、ある一定のルートを通してなら、
独立が可能だったと思いますが、
そのルートの許可と言うのは、
中々、降りなかった事だと思います。

ホストクラブが少ない時代は、
お店を増やされては、
自分の店の客が他店に奪われるなどの事情も
今より大きかった部分もあると思いますし、
零士さんが、ご法度だったと言うのは、
その辺の問題があったような気がします。

昔のホストクラブは、
ナンバーワンになった後に、
今みたいに独立と言う流れは、
やりずらかったのだと思います。

とくに愛系列のホストの独立には、
厳しかったものがあるのかもしれません。

零士さんが独立した時は、
30歳を過ぎていたと思うのですが、
零士さんが全盛期の頃は、
若いホストが当たり前の時代になっていたので、
独立するしないは、別として、
25歳ぐらいで引退を考えるホストが多かったそうです。

また、零士さんの話の中で、
この人、まともだなぁと思ったのは、
同じ一円を稼ぐにも、夜の仕事で稼いだ一円は、
昼の仕事で稼ぐ一円よりも遥かに簡単に稼げる一円。
その事を分からず昼の仕事をやっても上手く行かない。
そんなような話をされていました。

歌舞伎町で多数のカリスマホストを生み出した。トップダンディーと言うホストクラブ。

トップダンディーと言うお店があります。
TVなどにも、度々、登場したりします。
一つのお店ではなく、グループ系列のお店が、
歌舞伎町には、いくつもあります。

過去には、カリスマホストの流星さんや、
頼朝さん、真樹京介さんや、鶴見一沙さん、
信虎さん、吾郎さん、天海丸さんなど、数々の、
有名ホストが在籍していました。
現在も、トップダンディーグループで、
活躍しているホストの方もいます。

トップダンディーアイオスと言うお店がありますが、
そこは、ホストの年齢層が高めであるそうです。

シャンパンタワーやドンペリコールの、
発祥のお店とも言われているトップダンディー。
これで、売上を上げれるようになった側面もありますが、
昔のホストから言わせると、これが、
ホストのサービスの低下の始まりであったとの声もあります。

昔の歌舞伎町、昔のホストは、
アウトロー色が濃かった要素もある。

双方の言い分も分かりますが、
やっぱり、時代は、変化しているので、
今の時代には、今の時代のホストが必要だし、
今の時代に合わせたサービスが必要であると思う。

だけど、古き良き部分も残し伝えていく事も大事だと思います。
トップダンディーに行った事がある女性の話だと、
昔は、満席で入れない事も、よくあったとの事です。

元愛本店のナンバーワンであった、あの愛沢光さんも、
トップダンディーグループの系列店で活躍されているそうです。
DOLCE1 (ドルチェワン)と言うお店の経営者と言う事になるのでしょうか?

そう言えば、昔、ジゴロって言うホストの漫画が、
何かの雑誌に連載されていて、私は、床屋に行く度に、
その漫画を読んでいて、のめり込んだのを覚えています。
今でも、単行本として、発売されているそうです。

しかも、この漫画の主人公は、上杉と言う人なのですが、
この、モデルとなったのが、昔、愛本店に長年在籍して、
近年まで、お爺ちゃんホストとして活躍されていた、
千葉哲也さんであるらしい。
愛田社長と同じぐらいの年代の方だったと思います。
千葉さんも昔は、カリスマホストとして有名であったらしいです。

今は、トップダンディーの他にも、AIRグループなど、
色んなホストのチェーン店があるようですが、
今でも、老舗的なグループチェーンで最も有名で力も大きいのは、
やっぱり、トップダンディーではないか?と思います。

トップダンディーは、あれだけのグループの規模の大きさを持ちながら、
現在も、ホスト業界に君臨されていると言う事は、
経営的な側面で言っても、非常に、
学ぶ事が多いのではないか?と思います。

カリスマホストが独立して、お店を出しても、
あっと言う間に潰れてしまう事も多い歌舞伎町。
そこで、あれだけの巨大勢力を抱えて、
今日まで続いていると言う現実。

グループの規模や歴史と言う背景を合わせて言えば、
トップダンディーは、ホストの頂点のグループであるかもしれません。

しかし、しかし、規模が大きすぎて、
サービスの質が下の方まで行き届かないと言うような、
デメリットもあるのかもしれません。

カリスマホストをたくさん生み出しているのも、
トップダンディーの特徴と言えるかもしれません。

その昔、トップダンディーでも、かなり力のあった
流星さんや頼朝さんは、一時は、独立され、
歌舞伎町に、フェイズ(流星さんの店)と
竜宮城(頼朝さんの店)がありましたが、
どちらとも既に閉店されています。

だから、プレイヤーとして凄くても、
経営能力は、別物と言えるかもしれません。

日向吾郎×流星[THE対談 Vol.02]https://t.co/3UWdjaPdjJ— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) October 26, 2021

トップダンディーに限らず、
ホストとして年間何千万と稼いでいた人が、
独立してお店を出しても、一年持たなかったと言う類の話は、
結構、ザラにあると聞いた事もあります。

高見翔さん

トップダンディーの経営者は、
高見翔さんと言う方のようで高見会長と呼ばれています。

トップダンディーだけではなく、
グループダンディーと呼ばれるように、

多数のホストクラブの経営に成功されているようです。

業界の老舗と呼ばれた愛本店も経営に行き詰まり、
今は、グループダンディーの管轄のようになっているそうですし、
歌舞伎町のホストクラブの経営者としては、長きに渡って、
一番成功している人と言っても過言では、ないかもしれません。

カリスマホスト鉄平さんとキューティー鈴木さん。

知っている人は、知っている有名な話ですが、
元女子プロレスラーのキューティー鈴木さんは、
当時、歌舞伎町で一世風靡した
カリスマホストの鉄平さんと結婚されました。

鉄平さんは、カリスマホストとして活躍した後は、
歌舞伎町にお店を出されていました。

だけど、ホストとしては、一流。
ホストクラブの経営者としては、三流と言われていました。

と言うのは、お店を持たれた時に、
他店でクビになるようなホストを
クビにせずに雇っていたと言う理由があったそうです。

だけど、鉄平さんは、心がピュアな子を雇いたい、
育てたいと言う思いがあったようです。

しかし、それが、お客様の苦情の元にもなったようです。

私は、鉄平さんの事をよく知らないので分かりませんが、
私の勘で恐らく、お店の若い子に厳しくする事が
苦手な人だったような気がします。

昔、ホスホスだったか、何の雑誌だったか覚えていませんが、
ホスト関連の雑誌で、鉄平さんが霊能者の女性と対談されていて、
死ぬ時は、北斗の拳のラオウのように我が生涯に一片の悔いなし
と言って死んで行きたいですねと語っていました。

その時も、霊能者の方は、30代で、
こんなに落ち着いている人は、見た事がないと鉄平さんに感心しながらも、
お店の若い子には、もっと・・・と言う事を言われていたように思います。

それはさておき、鉄平さんは、格闘技にも精通されていたようで、
格闘技のジムを経営された事もあったようです。
ホスト時代も、当時、話題を呼んだ、
「ホストボンバイエ」と言うホストの
格闘技イベントの主催もされていたそうです。

色んな経緯を経た鉄平さんは、現在は、病院の事務長をされているそうです。

キューティー鈴木さんとは、格闘技と言う共通項があったのですね。
キューティー鈴木さんも飲食店を経営されていた事もあるようで、
そちらの共通項もあるのですね。

勿論、鉄平さんのホスト時代にお店にも行かれた事は、あるようですが、
ホストクラブで豪遊するようなお金は、持っておらず、
1時間の来店で切り上げると言う事を5年ぐらい続けていたそうです。

キューティー鈴木さんは、現在、二児の母。
キューティー鈴木の名付け親は、秋元康さんであったようです。
アップル鈴木やキウイ鈴木なども候補に挙がっていたそうです。

キューティー鈴木さんの名前は、女子プロ時代からも、
よく聞いていましたが、女子プロレスラーとしての強さなどは、
私は、知りません。なので、今回、少し調べてみましたが、
デビュー当初は、弱かった。
その後、徐々に力を付けていきましたが、
どちらかと言うと顔とスタイルで人気になった
アイドルレスラーの色が濃い人だったようですね。

勿論、顔とスタイルだけで人気になれるほど、
女子プロレスの世界も甘くは、ないでしょう。

昭和の女子プロレスは、悪役系で強い女性と、
強さを備えながらもルックスにも恵まれた女性が、
結構、多くいたように思います。
それが女子プロレスを盛り上げた理由だったかもしれませんね。

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