知っている人は、知っている有名な話ですが、
元女子プロレスラーのキューティー鈴木さんは、
当時、歌舞伎町で一世風靡した
カリスマホストの鉄平さんと結婚されました。
鉄平さんは、カリスマホストとして活躍した後は、
歌舞伎町にお店を出されていました。
だけど、ホストとしては、一流。
ホストクラブの経営者としては、三流と言われていました。
と言うのは、お店を持たれた時に、
他店でクビになるようなホストを
クビにせずに雇っていたと言う理由があったそうです。
だけど、鉄平さんは、心がピュアな子を雇いたい、
育てたいと言う思いがあったようです。
しかし、それが、お客様の苦情の元にもなったようです。
私は、鉄平さんの事をよく知らないので分かりませんが、
私の勘で恐らく、お店の若い子に厳しくする事が
苦手な人だったような気がします。
昔、ホスホスだったか、何の雑誌だったか覚えていませんが、
ホスト関連の雑誌で、鉄平さんが霊能者の女性と対談されていて、
死ぬ時は、北斗の拳のラオウのように我が生涯に一片の悔いなし
と言って死んで行きたいですねと語っていました。
その時も、霊能者の方は、30代で、
こんなに落ち着いている人は、見た事がないと鉄平さんに感心しながらも、
お店の若い子には、もっと・・・と言う事を言われていたように思います。
それはさておき、鉄平さんは、格闘技にも精通されていたようで、
格闘技のジムを経営された事もあったようです。
ホスト時代も、当時、話題を呼んだ、
「ホストボンバイエ」と言うホストの
格闘技イベントの主催もされていたそうです。
色んな経緯を経た鉄平さんは、現在は、病院の事務長をされているそうです。
キューティー鈴木さんとは、格闘技と言う共通項があったのですね。
キューティー鈴木さんも飲食店を経営されていた事もあるようで、
そちらの共通項もあるのですね。
勿論、鉄平さんのホスト時代にお店にも行かれた事は、あるようですが、
ホストクラブで豪遊するようなお金は、持っておらず、
1時間の来店で切り上げると言う事を5年ぐらい続けていたそうです。
キューティー鈴木さんは、現在、二児の母。
キューティー鈴木の名付け親は、秋元康さんであったようです。
アップル鈴木やキウイ鈴木なども候補に挙がっていたそうです。
キューティー鈴木さんの名前は、女子プロ時代からも、
よく聞いていましたが、女子プロレスラーとしての強さなどは、
私は、知りません。なので、今回、少し調べてみましたが、
デビュー当初は、弱かった。
その後、徐々に力を付けていきましたが、
どちらかと言うと顔とスタイルで人気になった
アイドルレスラーの色が濃い人だったようですね。
勿論、顔とスタイルだけで人気になれるほど、
女子プロレスの世界も甘くは、ないでしょう。
昭和の女子プロレスは、悪役系で強い女性と、
強さを備えながらもルックスにも恵まれた女性が、
結構、多くいたように思います。
それが女子プロレスを盛り上げた理由だったかもしれませんね。