波動は、声質で分かる?

波動が低い人の声にも、
波動が高い人の声にも、
共通項があります。

波動の高い人の声には、
透き通るような透明感があり、
そして緩やかでいて、穏やかです。

波動の低い人の声は、硬く、重苦しく、
執着の塊のような声がします。
声だけで血の香りがするような声質の人もいます。
地獄の響き声と言いますか、本人の波動が、
そのまま声に現れているのです。

この声質と言うのは、怒っているからとか、
そう言う事ではなくて、笑っている時にも、分かります。
とことん、波動が低い人の声質は、
笑っていても、血の香りの声を出しています。

単純に波動の高い人の声を聞くと、癒され、居心地が良くなり、
波動の低い人の声を聞くと、重々しく、気分が悪くなります。

勿論、普段、それほど、波動が低くない人でも、
一時的に、そのようになっている事もあるでしょう。

だけど、声質と人格と言うモノは、比例しているような気がします。
だから、日常の、その人が喋っている声で、
波動が高い人か、低い人か、大体、分かります。

人相は、顔に刻まれますが、
声にも刻まれているのでしょう。
しかも、人相より判別が簡単かもしれません。

ある一定レベルの声質があると思いますが、
マイナス100~プラス100まであるとしたら、
どちらも、100に近い人ほど、すぐに分かります。

声が大きいとか小さいとは、私は、それほど、関係ないと思います。
波動が低い人と思える人にも声が大きい人は、多いですし、
波動が高い人の中にも声が小さい人は、いると思うからです。

何故、波動が低い人の中にも、声が大きい人が多いかと言えば、
弱い犬ほどよく吼えるのように、自分の自信のなさや、
無価値などを声でごまかしている事がよくあるからです。

だから、声の大きさは、
私は、あまり、関係ないと思っています。
声質と声のボリュームは、別物です。

一生お客に困らない常連システムの作り方

CDを例えれば、分かりますよね。
ボリュームを上げた所で、声質は、変わりません。

高音か低音かと言う事も関係ないと思っていますが、
低い波動の人は、低音である事が多いようです。
しかし、低い声の人の中にも波動が高い人もいるようです。

周波数、波動、波長、と言うものが、声質に現れている。

何HZの音とかありますが、何HZの自分の声と言う事で、
日常的に喋っている声は、ある程度、周波数が同じ領域にあると思います。

声や音の中に「1/fゆらぎ」と言うものがあるそうですが、
この音には、人を癒す効果があるそうです。

歌手の中で、1/fゆらぎの声を出している
代表的な人は、故・美空ひばりさんだと言います。

目は、口ほどに物を言うと言いますが、
声質も、波動を正確に伝えるツールであるように思います。

だから、逆に言えば、声質を変える事で、
波動を上げる事も可能かもしれません。
あるいは、波動を上げる事で、
声質が変わる事もあるのかもしれません。

一部の所においては、既に、
このような波動と声の研究も始まっているそうです。

指紋と同じように声には、特徴があります。
色んな声の中で、この声は、あの人の声だと分かったりします。

だから、人の声には、その人特有の波動も出ているのでしょう。

非二元は、悟りの入口?

非二元。ノンデュアリティ。

非二元についての話なので、
これを知らない人には、
どうでもいい話になります。

現実は、自分で創っていると言いますが

創っていない説もあります。 非二元では、こう言います。

すべてが、全自動で勝手に起きている。 誰も何もしていない。

自分が、やったつもりになっている。 私も、いない。 ?

すべてが全自動で起きている。

起きるべきことが起きている。

誰も何もしていない。私は、いない。

確かに、それは、事実なのかもしれません。

事実かもしれませんが、
私達は、今ここに居ると言う前提で、
現実の中に生きています。

それを解った上で自分に戻ってくる。

非二元に、どっぷりな状態は、
自分から離れたままになって、
自分に戻って来ていない。

非二元は、道半ば。
あたかも、非二元が悟りの、
最終到達地点だと解釈するのは、
どうやら違うようですね。
非二元は、悟りの入口。

それぐらい初歩の初歩なことのようです。

非二元。ノンデュアリティと言う夢の中。
夢から覚めてからが、悟りへの道の続き。

勿論、非二元がダメなわけでは、ない。

道半ばや入口と言うことは、
この道を経過して、
進んで行くと言うことですね。

だけど、非二元が最終地点だと、
思い込むのは、大きな間違いであるようです。

悟りと言う山があるとしたら、
山の入口にあるのが非二元。

それを8合目や頂上に来たと言うような
勘違いが、スピリチュアル業界の中でも、
結構、起きているような気がします。

私も非二元の話を夢中で聞いたり、
読んだりしたこともありますが、
ここが最終地点だと思い込んでしまうような
罠があったかなぁと今なら思います。

このことに気づくことは、
結構、重要な気がしました。

実際に、ノンデュアリティと言う迷宮に
迷い込んでいる人は、たくさんいるようです。

非二元を否定しているのでは、ない。

非二元は、非二元で素晴らしい。

素晴らしいのですが、そこが到達点では、ない。

また、一説では、非二元は、
行き着く所まで行った人が、
解れば、いいことで、本来は、
知る必要もなかったと言う話もあります。

非二元、ノンデュアリティ、人生のシナリオ。
これらは、スピリチュアルの学びの中で、
こう言うモノがあると知って、最終的には、
こう言うことだったのかと知るようなこと。

あれは、何?岐阜公園の近くの山の上に見える白い塔。

岐阜県岐阜市の金華山付近にある、
山の上の方にある白い塔。
でも、なぜか、目立っているような気もする。
あれは、一体、なんだろうか?

ホワイトスラムと呼ばれたり、
仏舎利塔や平和の塔とも、
呼ばれたりしているようです。

現在は、立ち入り禁止区域ではありますが、
動画やら、ブログやらでは、
心霊スポットや、B級スポットとして、
紹介されたりしています。
しかも、一時は、県外から、
潜入に来る人も多かったそうです。

一応、あの、白い塔の中には、
金色に輝く仏像があるようで、
写真で見る限りは、全然、劣化をしていない。

だから、何か不思議な導きと言いますか、
不思議な力を持っていると言いますか、
今でも、あの周辺に、何か、
パワーを与えてくれているのかもしれません。

あの近辺の人が無事に暮らせるのも、
あの金色の仏さまのお力かもしれない。

何故、立入禁止になったのかは、知りませんが、
それにも、何か不思議な意味があるのかもしれない。

謎が多すぎて、不思議と言う言葉で片づけてしまっていますが、
一説では、その昔、宴会場や、パチンコ店、
色んなモニュメントが置いてある、ちょっとした、
遊園地のような場所でもあったらしい。

宴会場の面影は、潜入された方のブログや動画などで、
拝見できますが、壁に見事な龍の絵が描いてありました。
経営者の方が、自ら筆を取って描いたものであるらしい。

経営難になって、閉鎖になったのかは、分かりませんが、
とある宗教団体に売却された説があります。
噂によると、白光真宏会と言う団体に
売却したとの話があるようです。

だから、あの、金色の仏像は、
宗教団体のものであったのかもしれません。

しかし、私の推測ですが、宴会場の壁に、
自分で龍の絵を描くような人だから、
売却する前から、金色の仏像も、
あったような気はします。

あの施設を経営されていた方は、
こんな方であったそうです。

柴田光治郎 しばた-みつじろう 1899-1983 昭和時代の実業家。 明治32年6月2日生まれ。 昭和9年柴田興行社をつくり, 岐阜県下で劇場,映画館を経営。

昭和22年柴田観光興業を創立。 昭和24年県会議員。 昭和58年6月1日死去。 83歳。岐阜県出身。

あそこも、ちゃんと、また設備すれば、
岐阜公園のような観光地になる気がするんですけどね。

柴田光治郎さんが、亡くなった後の情報は、
ほとんど出て来ません。なので、誰の所有地なのかも、
分からないですし、誰も所有していないのであれば、

何故、仏像があのままの状態で、残っているのだろうか?
宴会場なども、解体は、されていないようですし、
パチンコ屋は、跡形もなく、なくなっているようですが、
今も、色んな意味で謎めいてる場所であります。

私も、あの近辺に住んでいる人や、
高齢の方など、結構、色々な人に、
聞いてみましたが、
白い塔がある事は、知っている。
だけど、それ以上の事は、
何も知らないと言う回答しか得られませんでした。

一部の情報では、岐阜県の山の上にある、
仏舎利塔に似たものが、
静岡県の熱海にもあるそうです。
だから、見に行くなら、
こちらの方がお薦めかもしれません。

最新情報

創業者の柴田さんの甥だかお孫さんだか分かりませんが、
この一体を修繕して復興するとの噂もあるようです。

あくまで噂かなと思いましたが
2019年に所有者さん公認イベントがあり、
龍の絵が書かれた襖などの撤去作業があったそうです。

私は、てっきり持ち主の手を離れ
放置されていたと思っていたので
まだ創業者の方と繋がりがある方が
存在し、その方達に所有権がある。
復興は、本当かもしれません。

どのような形になるかは、
分かりませんが楽しみですね。

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