鬼滅の刃 猗窩座(あかざ)と私の家族のこと。

私の家系に異常者が多かったことは、
他の記事に書いていますが、
私が20歳を過ぎたぐらいの時に、
久々に実家に帰って来て、
しばらく滞在していました。

その時、一番下の弟は、まだ小学生でしたが、
何かに憑依されているような感じでした。

小学生なのに皺くちゃの老婆か、
老人のような顔になることがありました。

声も、しわがれていて、
とても小学生の声ではなかった。

何百年も前の何者かが、
乗り移っているのではないか?と思いました。

私は、鬼滅の刃は、詳しくはないですが、
映画を観に行った時に、最後の方に、

猗窩座と言うキャラが出て来たのですが、
あの頃の弟の姿と、かぶるのですよね。

サンライズ SUNRISE Chibiぬいぐるみ 鬼滅の刃 猗窩座

posted with カエレバ

精神病院に連れて行く事もなく、
放置しておいた両親も両親ですが、

その症状は、弟が20歳を過ぎても、
治まることは、なかったようです。

それどころから、さらにエスカレートしていて、
刃物を持ち歩くような状態でした。だけど、
死んだ爺さんも、そんなような所がありましたし、

父の弟は、調理師でしたが、機嫌が悪くなると、
料理に使う包丁で人を刺そうとしたり、
仕事で使う道具や食材を投げたりしていました。
(それを続けた結果、今は、ろくな事になっていません。)

父も、小学生時代の私の顔が、
腫れ上がるまで殴る人でした。

ある霊能者は、弟の事に関しては、
強力な生霊の影響だと言い、

またある霊能者は、
憑依などないと言いました。

随分と時が経って、わりと最近のことですが、
(と言っても数年経ちますが。。)
私が宇宙語のセッションを受けた時に、
その時のことを聞いてみたら、
(その人は、不思議な能力の持ち主でした。)

私に、あなたが先祖を嫌っているからだと言われました。

私にとっては、爺さんや婆さんは、
嫌うしかない状態だったので、
仕方がないと思っていたのですが、
先祖のDNAが流れている。

先祖を嫌ったままだと逆流する
と言うような話だったように記憶しています。

こう言うことを踏まえても、
外側には、何も無い
と言うことも言われていました。

それでも、まだ完全には、腑に落ちてなくて、
そんなことで怒るような先祖なら、
どうしようもないなぁとも思いましたが、

先祖が怒っていた訳でもないのですよね?

それを受け入れないと、結局、自分が損をする。

だけど、許せない者を無理して、
許そうとするには、抵抗力が生じる。

Mamica『嫌いな人は嫌いで良し!』
https://t.co/iWWqV78hS0 #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) October 25, 2021

ちなみに、弟の、その症状は、
私が宇宙語のセッションを受ける何年も前に、
親の死と共に治ったような感じでした。

と言うことで、やっぱり、
憑依もあったのかなぁと思います。

まぁ、もっとも、我が家系は、
憑依されているような人が多かったのですが。。。

鬼滅の刃も鬼が人間を食べて鬼にしてしまう。

結構、憑依の関係に似ていると思います。

我が家系は、鬼と化していた人が多い。
運良く鬼にならなかった者達もいますが、

父や爺さんや父の弟は、鬼に食われていました。
そして、最後の砦が、一番下の弟に来ていました。

あれが、生霊と言うことであったなら、
私にも思い当たる節はあります。

それは、今世の原因こともあるのですが、

戦国時代のような武士の時代。
鎧兜をかぶった者達が斬った斬られたの
恨みのようなモノ。深い悲しみや怒り。

何故か、昭和時代なのに、家の中には、
戦国時代のような空気が蔓延していました。

外の世界とは、かなり時代遅れな所がありました。

家の中もそうなのですが、実家のすぐ後には、
泥棒を正業にしている人の家がありました。
目と鼻の先の距離の所にあったので、子供時代、
私は、それが当然の事として泥棒の日常を見ていました。

我が家系の異常者っぷりの話を聞くと、
怖いと感じる人もいるかもしれませんが、
やっている事は、確かにあれなのですが、

実際は、人間性の幼さ、器の小ささが露骨だった。

怒鳴り声と暴力が日常の家系。
多くの者が鬼と化していたのでしょう。

憑依されたような状態では、
自分都合でしか考えられなくなる。

我が家系では、暴言。暴力。悪口。それが伝染していた。

ささいなことで、すぐ怒り。
自分の思い通りにならないと、また怒り。
すぐ殴る。一日中イライラして、
さらには、悪口や文句ばかり言う。

このような環境にいては、
憑依されやすくもなるでしょう。

『自分軸と霊障は似合わないwww』
https://t.co/LzAjVJz8aG #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院666 (@3b48For6hcCrT4J) October 27, 2021

私も生まれて間もなくして、
父の声を聞いた第一声が、
すごい勢いで怒鳴りつけられたこと
だったと記憶しています。

憑依された者も、
鬼になった者も、
それぞれの事情がある。

環境の影響もある。

耐えられない重圧。
悲しみ。怒り。哀れみ。

何とも言えない部分を
考えさせられるのが鬼滅の刃。

非現実的であるように見えて、
知っている人は、知っている、
このような現実に近い所がある。

そして、とある霊能者に、
私や私の家系の事を視てもらった時に、
前世は、武士の家系だったと言われました。

それが事実かどうかは、別として、
それならと納得出来ることも多い。

精神障害が治った実例。

私の家系は、重度の精神病者が多かったのですが、
精神病が治ったと思える実例もあります。
それが私の弟の事です。

小学生の頃から重度の精神病か、
何らかの憑依だった可能性もありますが、
あり得ないほどの異常者でした。

何かあれば、すぐに殺してやる~。殺してやる~。
と言って暴れる状態でした。
暴れる犬を飼っているような状態でした。

そのせいで、父は、仕事を失いました。

だけど、弟の異常性に関しては、
父母も無知でしたし、
何せ、爺さんの代から、
暴力と怒鳴り声は、日常茶飯事でしたので、
それを問題だとも思っていなかったのでしょう。

しかし、その症状は、弟が20歳を過ぎても、
そのままで、さらにエスカレートしていました。

いつでも、刃物を握っている状態で、
些細な事や細かい物音が気になる状態。

暴れる犬のような状態で、
自由に出歩くので、
外でも家の中でも暴言と暴力の繰り返し。

それまで無知だった父と母も、
ようやく弟の異常性に気づきましたが、
気付いた時には、手遅れだったような状態です。

弟の異常性に気付いた3年後、
母は、癌で亡くなりました。

一日中、弟の暴言に付き合う状態だったようです。

その間に母が血を吐き倒れ、
救急車で運ばれた事が何度もあったようです。

それでも、父も気付かず、弟も自分が、
異常者だと気付かない状態でした。

母が最後に倒れ余命宣告された時に、
ようやく自分に問題があったと気づいたようです。

そして、母が死んだ時に大量の涙を流し、
それまで、一度も働きもせず家の中でゲームをやるか
暴れるかしかしなかった弟がアルバイトに行くようになりました。

今は、だいぶ穏やかになりました。

普通で考えれば、弟が母を殺したと思う人もいるでしょう。
しかし、死ぬ日は、自分で決めてきています。
どのような死に方をするのかも。だから、最後のお役目として、
自分の命と引き換えに弟の治療をしてくれたのだと思います。

母が死ななければ、
弟の異常性は、治らなかったでしょう。
人生の最期に自らの命と引き換えに
弟の異常性を治すと言う
大技をやって旅立ちました。

その前に怒りの大解放があった。

無理に許そうとしなくても、
一旦、怒りを出し切ったら、
自然と許せるようになることがある。
私の弟のことが良い例です。

普通の人や人格者も、
怒りを内在していることがある。

それを一旦、吐き出すことも、
時には、必要なことのような気がします。

その後、霊能者やスピリチュアルな専門家にも、
弟の状態を何人かに視て貰いましたが、
今は、大丈夫そうですね~と言われました。

本来であれば、小学生の時には、もう、
精神病院の閉鎖病棟に入れる事が妥当だったと思いますが、
精神科にさえ行った事がなかったです。でも、結果として、
家族は、大変でしたが、治ったと言う実例がある。

私が長い事、家に居なかったと言うのもありますが、
家族は、色々、無知だったので、そのような事に気づかず、
そのような機関を頼ると言う発想もない人達でした。

そもそも、父も、私が生まれて間もない頃から
怒鳴りつけ、歩けるようになったら暴力。
そんな人だったので、正常な思考回路ではなかったでしょうね。

弟を閉鎖病棟に放り込んでおいた方が家族は、
楽だったかもしれませんが、そうしていたら、
弟の精神病は、恐らく治る事は、なかったでしょう。

専門家を頼る事も時には、大事です。

大事だと思うのですが、
専門家の治療を一切受ける事なく、
完治したと思える実例が私の身近にあったので、
この話を紹介したいと思いました。

十数年、異常者のような状態でしたが治りました。

もしかしたら、専門家を頼っていたら、
一生、治らなかったかもしれません。

しかし、私の身内には、もう一人、
同じような症状の人がいました。
その人は、45歳を過ぎても、そのような状態で、
今は、どうしているかも分かりません。

だから、専門家を頼るか頼らないか、
一概に、どちらが良いとは、言えないですが、
事実として結果、頼らなくて良かった
と思える現実が私の目の前にあります。

さらに言えば、爺さんや父さんも、
刃物を振り回す事をしなければ、
似たり寄ったりの状態でした。

上から下へと流されるカルマ流し。

家族や家系の末端と言うのは、
その症状が出やすいのかもしれません。

逆に言えば、家族や家系のカルマの
すべてを自分一人で引き受けたからこそ、
そのような症状が露骨に出ていたのかもしれません。

もう一つ言えば、
ある能力者の方に会った時、
弟が、そのような状態だったのは、
あなた(私)が、先祖を嫌っているからだと、
お叱りを受けたことがあります。

私は、とにかく爺さんが大嫌いでした。
幼児期から爪で目を刺されたりしていました。
それ以外にも言い出したらキリがない、
あれこれがありました。嫌いすぎて、
私は爺さんの、お通夜も葬儀も、
四十九日にも行っていません。しかし、
外側には、何も無い。すべては、自己責任。

あなたが先祖を嫌っていると言われた。その時、
確かにそうだとは思いましたが、
まだ腑に落ちていなかった。
あんな爺さんなら、
嫌うしかないだろうと思っていました。

すべてが自己責任。外側には何も無い。

このことが、まだ、分かっていなかった。

100%自己責任。これを本当に
分かっているなら誰かや何かの
せいには、しないのですよね。

よく考えてみれば、弟の異常性は、
死んだ爺さんに似ていた。
そういうことだったのですよね。

だいぶ後になって、気づきましたが、
私は、爺さんの事を殺したいぐらい嫌いだった。

私は、十代の頃に爺さんや
父さんが嫌いすぎてと言うか、
重圧に耐え切れず家を飛び出しました。

もしも、私が、あのまま家にいたら、
私が弟のような状態に
なっていたかもしれなかったのですね。

家を出た事で、すっかり忘れていましたが、
弟が殺してやる~ばかり言っていたのは、
私自身が、爺さんに対して思っていた事なのですね。

だから、外側には、何も無い。
私の内側の反映だった。

幼少期~爺さんが亡くなるまで。
そして、亡くなった後にまで嫌い続けた。

私の中の、その気持ちを見事に現していた。

許す者は、許される。
私が、ゆるしていなかった。

私を叱った方も、外側には、何も無い
と言うことを強く言われていました。

すべての原因は、自分の中にある。

外側には、何も無い。
私が私を映し出している。

自分の世界のすべては、
自分の感情(周波数)であるらしい。

『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』
https://t.co/H41aOh6cux #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) April 11, 2021

別の能力者に視て貰った時は、
お爺さんも、お婆さんも、
お父さんも、お母さんも、
あまり良いエネルギー状態では、
なかったですねと言われました。

その方とは、直接会ったことはなく、
電話でしか喋っていないのですが、
死者の生きている時のエネルギー状態。
今、生きている人の今と過去のエネルギー状態。
それらが、かなり的確に分かる人でした。
(忙しい人なので名前は、教えることは、出来ません。)

爺さんも、父さんも、お婆さんも、お母さんも、
まともな、エネルギーの状態ではなかった。
そのような環境で育つ中で影響を受けた、
あれやこれやもあったと思います。

また別の人で、私は、
この方の本を読んだだけなのですが、
稲福薫さんと言う方が、
家系のカルマは、ダムのようなモノで
上流から下流に向かうと言われていました。
下へ流せる人は、まだいい。
一番最後の人は、流す所がないので、
家系内のカルマが露骨に出る事がある。

まさに、弟の症状は、この通りでありました。

怒鳴り声と暴力が蔓延した家系。
その、最後の砦が弟に来ていた。

弟は、超異常者でしたが、家系内のカルマを
一人で背負い込んだ故のことだったように思います。

私の家系は、爺さんも、父さんも、
父さんの弟も、本来であれば、
精神病院の閉鎖病棟に入院して、
生活しているのが妥当な状態でした。

家系内のカルマであれば、
仮に弟を精神病院に入院させておいたとしても、
結局、別の所で家庭内に問題が発生していた事でしょう。

このように家系のカルマと思えるモノは、
その家系の最後に打ち上げ花火のように、
ドカーンと上がる事があるのですが、
その花火が散ったら、ガラリと平和になります。

勿論、その事があったのは、
このブログをはじめる10年も前のこと。

今だったら知識や対処術も違いますし、
精神面での専門家を頼ったり、
見えない世界の専門家を
頼っていたりすると思います。

今は、時代的にも相談機関も増えています。
自分だけ、家族だけで何とかしようとせずに、
頼ることも大事だと思います。

毒親問題や心の分野の
専門家の人から聞いた意見ですが、

毒親に育てられて心の大火傷を負った人は、
育ての親と同じ状態になりやすい。

100%完全に親のような状態になる事もある。
その環境に耐えられないほど、そうなりやすい。

私の家系で言うと父が70%ぐらい。
父の弟が90%ぐらい。
私の弟は100%あったかもしれません。

思い返せば小学生の時には、もう、
爺さんの完全コピー状態になっていました。

私自身は、どうでしょう?
50%は、ないと自分では思っていますが、
それ以上あるかもしれません。

このような環境で育って0%ではないですよね。

3つ子の魂百まで。
生まれ育った環境の影響を、
その後の人生にも受けやすい。

普通の家庭のような土壌が培われていない。
どこかで、それを取り込むことも必要なようです。

カエルの子は、カエルと言いますが、
毒親に育てられた子供は、
何らかの精神病を持ちやすい。

毒親がやる事は、メチャクチャなので、
小さな子供が、それに耐え切れる
精神状態を持ち合わせていなかったりします。

そして、これが家系連鎖している。

親も家系も自分で選んでいる。
それがカルマだと言う話もありますが、
それでも、やっぱり、毒親と言うのは、
撲滅して行かなければ、ならない部分もあると思います。

子供時代だけで済むならいいのですが、
その後の人生も、ずーっと、
人格崩壊したまま生きる人もいます。

その人だけの問題なら、
まだいいのですが、
人格障害の人が、
出会う人、出会う人に、
危害を加えたりします。

カルマとして、その家を選んだとしても、
これでは、さらなるカルマを膨張させる。

この辺については、う~んと思います。

人格崩壊した人も、子供時代の、
壮絶な体験を持ったりした被害者のことが多い。

爺さんは、弱い者には、
とことん強いと言う人だったので、
私が家を出た後、一番の被害者になったのは、
恐らく、弟だったと思います。

私もそうでしたが、
四六時中、怒鳴り声と悪口ばかりを
聞いていれば、子供が家で息を抜けない。

結果として、幼き被害者が、
成長過程において、加害者になる。

この連鎖は、中々、終わらない。

昔、24時間戦えますか?
と言うCMがありましたが、
私の家系の人達は、24時間、
怒りっぱなしと言う表現が、
しっくり来るような感じでした。

この流れが最後の砦。弟に来ていた。

その前に終わらせる対策も、
何かあったような気がします。

でも、昔より色んなモノがオープンになっているので、
少なくとも昭和時代よりは、良くなっているでしょう。

そして、斉藤一人さんが提唱している
合わない人とは、会わない。

私の家系の場合は、
あからさまな殺人事件には、
なりませんでしたが、
そのような事件になった家庭も
ニュースなどでは、よくありますね。

身内同士の殺人事件。
身内同士の付き合いをしていなければ、
避けられたような事もある。

お互いが会わない。関わらない方が、
幸せな関係でいられることもある。

そして、もう一つの話として、
死後の世界は、大きく分けて、
元いた光りの世界へ
還るだけであると言う話と、
地獄や極楽が存在すると言う話があります。

↓のツイート先の記事を拝見すると、
地獄に落ちた霊が苦しくて血縁をたどって、
子孫に助けて欲しいとしばしば訴えてきます。

『地獄からの救済』
https://t.co/VbOAqKvaBV #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) June 4, 2021

それでその影響を受けて子孫が様々な
災難や病気になったりするとありますが、
因果関係からしてみると地獄に墜ちた爺さんが、
弟の症状として出ていた。そのようにも捉えられます。

まぁ、普通で考えたら、
地獄にしか行かないであろう
爺さんと婆さんでしたから、
それもあったのかもしれません。

無の精神療法(薬によらない統合失調症の治し方)

著者の方は、稲福薫さんと言い、沖縄で、
いなふくクリニックと言う医院を経営されています。

最初に、この方のHPを発見して、
本と幾つかのパンフレットを注文しました。

アマゾンでは、高額になっていますが、
HPから直接、注文されれば、定価で買えます。

心の苦しみの完全解消法

すべての悩み、苦しみは、
自我があるから出てくるそうです。

だから、自我がある間は、
悩み、苦しみは、なくならない。
なくなったように見えても、
また、しばらく経つと次の問題が出てきます。

思い当たる節は、数え切れないほどあります。

著者である、稲福さんは、この苦しみの根源、
カルマの根源の事を苦玉(くだま)と名づけられました。

あらゆる病気や、あらゆる家庭内不和の根源であるのが、
この、苦玉と言う事になるらしいです。

カルマと言うものは、父親系か母親系の、
どちらかと繋がっているそうです。
だから、自分自身が、どちらのカルマと繋がっているのかを知る事。

両方ではなくて、どちらかであるそうです。

私自身の事で言えば、恐らく父親系だと思います。
私の兄弟と、私のお父さんの兄弟。
その末っ子が、どちらとも、かなり問題がある人格障害でした。

末っ子と言う事は、一番下になるわけで、上から受け継ぎ、
流れて来たモノを最後に出すので、カルマの反映が、
どっと出るのかもしれません。上流から下流に流れるように、
一番、底にあった泥のような汚れや穢れ。
今世の、親子関係の苦玉の流れを、すべて受け継いだのが、
末っ子と言う事になるのかもしれません。

先祖代々から受け継がれ、みんなが蓋をしてきたモノの
蓋を開けるのが、末っ子の役目であったかもしれまん。

いや、末っ子だけではなく、私の父親も、
三歳にも満たない子供に本気で怒鳴り付けるような人でしたし、
お爺さんも、子供心に、まともじゃないなぁと思える人でした。

だから、私自身も、何らかの影響を受けていると思いますし、
苦玉も引き継いでいるのかもしれません。

今世で、私が知っている流れで言えば、
お爺さんの異常な部分を私の父親や、父の弟が受け継ぎ、
私の父親の異常な部分を私や私の兄弟が受け継いでいる要素も、
あるのかもしれません。末っ子には、それが露骨に現われていました。

また、心は、トンネルのように繋がっているので、
私のケースで言えば、自分自身の心の改善をする事で、
末っ子や両親や先祖の苦玉の治療になるのでしょう。

すべての人の心は、奥底で、皆、繋がっている。

誰もに、先祖や両親から引き継いだ苦玉がある。
これは、恐らく、遺伝子とか、
そのような事とも関係しているような気がします。

そして、私が思うに、この苦玉をまったく持っていなければ、
人間として生まれて来る必要も、
恐らく、ないのではないか?と思います。

故・船井幸雄さんが、この世は、
カルマを刈り取る、刈る間であると言う事を
言っていましたが、誰でも大なり小なり、
苦玉を持っているから、
人間として生まれて来るのかもしれません。

確かに、この世において、楽しむとか、
この世の色々な素晴らしさを味わいに来た要素もあると思いますが、
あの世の方が、この世よりも、遥かに眩しく輝いている、
楽しい世界だと言われています。

それが事実だとしたら、そんな夢のような世界から、
わざわざ、この世に生まれて来なくてもいいわけで、
この世に生まれて来るのは、苦玉の解消と言う役目も、
やっぱり、あるような気がします。

この本を読み進めていくうちに、
ルンルの植原紘治さんの話とも、
共通している事ではないか?と思いました。
ゆるんだ人から目覚めていく

自我意識からの超越

私が私であると言うのは、自我があるから、
私であると思っているのかもしれません。

私と言う存在が消えると、
私が宇宙とか世界そのものになるそうです。

自我が抜けると私が世界の中にいるのではなく、
世界が私の中に在ると言う感覚になるらしい。

要は、反転みたいな感じだと思います。
宇宙の中にいる小さな私と言う存在が、
大いなる宇宙そのものになる感じのようです。

私も、この感覚、過去に一度は、
味わった事があるような気がします。

一言で言えば、惜しい体験をしたと思っています。

しかし、その後、現実世界にどっぷり浸かって、
中々、あの時の感覚には、戻れないのが今の私であります。

もう一度、あの感覚を味わおう。
もう一度、あの時に戻ろうとしても、
中々、そうは、なれませんでした。

もう一度、あの感覚になってみたい。
そして、そうなれたら、
今度は、それを維持しようと思い、
この本を手にすると言う流れになったような気がします。

思考を止めないと、思考が邪魔して、
すべてが自分と言う状態には、なれないそうです。

私達は、中々、自分自身の思考を停止させる事は、ない。
例えるなら、水道の水を出しっぱなしにしているような状態なのでしょう。
蛇口の水を止めるだけなのに、次から次へと思考してしまって、
中々、止まらないという感じなのだと思います。

思考を止めるには、瞑想がいいそうですが、
姿勢やら呼吸法などは、どうでもよく、
個人意識、自我から抜け出す事が、
一番、大事な事であるし、それこそが、
瞑想をする意味であるそうです。

思考があるから、現実があるのですが、
私達は、現実と言うものに、
捉われ過ぎていて、本質的な事に、
中々、気づけないでいるようです。

真理とか、悟りとは、気づく事。
その気づきも一度限りのモノではない。

思考を止めるのは、理屈上は、難しくない。
しかし、それを難しくしているのも、
また、自分自身の思考であると言う事です。

思考を止め、
個人と言う意識から飛び出すから
宇宙意識と呼ばれるものに、
なれるのだと思います。

私達は、常に目覚まし時計が鳴りっぱなしのような状態で、
現実世界に、どっぷり浸かっているのかもしれません。
瞑想は、その目覚まし時計を止める為に、
行うようなものかもしれないですね。

だけども、この方が提唱している瞑想の仕方は、
確かに、素晴らしいモノであると思いますが、
これだけが、唯一絶対の方法ではないと思います。

この方法が、合う人もいれば、合わない人もいるでしょう。
今は、スピリチュアルな情報は、溢れているので、
自分に合った方法を選ぶのがいいと思います。

精神疾患の原因

精神病や発達障害の原因は、親からの、
不調和波動と言うモノを幼少期の間に、
受け継いでいるからだそうです。

しかし、子供が何人かいる場合、
みんなが、そうなるわけではなく、
特定の子供が、それを引き継ぐらしい。
(この事をカルマと呼んだりもするらしい。)

親は、自分の事を正常だと思っていますが、
カルマ関係にある親は、精神的に、
自分の子供を支配してしまう傾向があるそうです。

それが、精神病や発達障害の原因であるそうです。
親には、その親がいて、そのさらに親がいてと、
先祖代々、受け継がれて来たものでもあります。

これを繰り返しているから、この連鎖が断ち切れず、
いつまで経っても、根本の原因に気づかないらしい。

この、不調和波動と言うものは、
家庭内の事だけではなく、
家庭外の事にも影響を及ぼすそうです。

不調和波動が精神疾患の正体であるらしい。

では、どうやったら、根本の原因に気づくかという事ですが、
自分の意識そのものを瞑想などにより消してしまう事や、
両親に一点の曇りもなく、感謝する事であるそうです。
具体的な方法は、この方の本やHPに書かれてあります。

虐待なんかの問題もそうで、
親から子へ、その子供が親になり、また、親から子へと、
繰り返されているパターンは、多いと思います。

だから、一番下まで来た時は、
その人物は、一見、
とんでもない異常な人格を持った人に、
見える事もあるでしょう。だけども、
それは、みんなが自分の苦玉を
下へ下へと流して来た結果です。

異常に見えるのは、
その苦玉のすべてを幼少期の頃から、
受け止めているからかもしれず、
その人だけを責めるのは、大きな間違いであります。

親子なら、兄弟なら、家族なら、
その責任は、自分自身にもあると言う事です。

また、自分の思考が止まらないから、
人間関係のごちゃごちゃに巻き込まれたりもするらしいです。

自分の子供が統合失調症である場合は、
子供に原因があるのではなく、親である、
自分自身に原因があると気づくだけでも、
子供の症状が、かなり緩和される事があるそうです。

思考を止める

スピリチュアルな世界や引き寄せの法則などでは、
いい気分が大切とか、ポジティブな考えが大事だと
言われていますが、その前に、まずは、ぐるぐる回っている、
今の自分の思考を止めることが大切であるそうです。

ぐるぐる回っている今の思考の上に、
いい気分や、ポジティブな思考を乗せても、
土台にある、今、ぐるぐる回っているモノは、
そうではないわけで、だから、いい気分になったつもりにしか、
なっていないのだと思います。だから、いい事を中々、引き寄せられません。

苦しみと言う局のラジオを流せば、苦しみの音が聞こえ、
苦しみと言う局の番組を付ければ、苦しみの映像が流れる。
不調和波動と言うのは、こう言う事であります。

脳は、発信機であると同時に、
受信機でもあると言いますが、
心も、そうなのですね。

自らが、不調和波動を出しているから、
苦しみの現実が現われています。

だから、まずは、その不調和波動を
止める事が先決であるそうです。

私の父親も家庭内不和の原因を、
母親や母親の友達や、
子供や子供の友達のせいにしていましたが、
父親自身が一方的にワーワーワー騒ぎ立てるような人だったので、
一番の家庭内不和の原因は、
父親が発信源であったような気がします。

だから、それが止まるまでは、
家庭内不和も止まらない状態でありました。

世の中には、このような家庭環境で、
育った人も多いと思います。

幸いにして、私の場合は、
家から出るのが早かったので、
十代後半からは、その影響を受けずに済みましたが、
末っ子は、ずっと家にいたので、
その影響を受け続けていたと思います。

すべての統合失調症は、幼少期の頃から、
はじまっているとも言われています。

私は、医者に行っていないので分かりませんが、
医者に行っていたら統合失調症と診断されていたかもしれません。

トラウマセラピーなどでも、
幼少期の体験は、その後の人格形成に、
かなりの影響を与えると言われています。
人格上の問題を抱えている人も、
幼少期に父親、母親のどちらかが、
その役目を放棄していたからと言う説もあります。
トラウマを解消する方法

だけども、苦しむ体験も無駄では、ないのですね。
苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて、
そこから抜け出した経験が、また、
同じように苦しんでいる人の役に立つ事もあるからです。

法悦(ほうえつ)

法悦とは、無条件の喜び。
それは、思考が消えて、
無になった時に、感じる事が出来る喜び。

仏教の世界でも、スピリチュアルな世界でも、
本当の喜びと言うのは、この法悦の事を言っているのだと思います。

すべてが調和して、森羅万象の世界が輝いて見える。
自分が創造主であり、神である事を思い出す状態だとも思います。

地球上にいる人間以外の生命体は、
皆、調和の波動を出しているそうです。

残念ながら地球上において、人間だけが、
不調和の波動を出しているようです。

人間も調和の波動を出す事で、
地球や宇宙や森羅万象と共鳴して、
法悦の状態が味わえるのだと思います。

すべての現実は、心の波動の反映であるそうです。

幻覚・幻聴

統合失調症の人の症状に、幻覚、幻聴がありますが、
それは、思いの世界の真実であるそうです。

だから、幻覚、幻聴と言う表現が、
そもそも間違っているのかもしれません。

幻覚、幻聴は、思いの世界の事実であり、
決して、幻などではないと言う事です。

世の中では、街の至る所で、
色んな人の思いやら感情が電波のように、
飛び交っています。学校でも職場でも、
家庭でも、それは、飛び交っています。

幻覚、幻聴と言うのは、
それらのモノを拾っているのですね。

そもそも、精神科医が、
幻覚、幻聴をありもしない事だと捉えているから、
根本的な統合失調症の治療が出来ないでいるそうです。

だから、治療者は、幻覚、幻聴を、
事実として受け取るめる事が必要な要素であるそうです。
治療者が事実として受け止めるから、
患者の意識も変わっていくと言う事であるらしいです。


発達障害の治し方

幾つか注文したパンフレットの中の一つに、
「発達障害は簡単に治ります」と言うものがあります。
冒頭に、親の全面的な協力さえあれば、
発達障害は、簡単に治りますと書かれていました。

すべての原因は、親にある。

統合失調症と同じで、子供がそうなったのは、
親が不調和波動を流しているからだそうです。

だけど、親は、それを認めない事が多い。

残念ながら、親が認めないのだから、
発達障害の人も精神病の人も、
自分自身で治さなければならないと思います。

だけど、本来であれば、親子をセットで治療する事。
あるいは、親だけを治療する事が望ましいそうです。

だけど、既に成人を過ぎている場合は、
親と一緒に治療とか、親だけを治療と言う事は、
中々、難儀な事だと思います。しかし、
本人の治したいと言う強い意志さえあれば、
本人だけでも治療が出来るそうです。

親が不調和波動を流しているのだから、
まず、親から離れて自立した生活をする事も、
問題解決の一つであるそうです。

一家族に一人は、そのような、
犠牲になる子供が出てくるそうです。

しかし、犠牲と言いましても、因果の法則として、
そうなっているのかもしれないと私は、思います。

そして、不調和波動を受け取った子供の
最初の初期症状は、不登校などとして現れるようです。

イジメなどの問題も周囲の子供が、
不調和波動を直感的に受け取っているからだそうです。

不調和波動を出し続けていると対人面で、
何処に行っても拒絶されたり否定されたりで、
ついには、引きこもってしまう事があります。

著者の方は、引きこもりの正体は、
親が流している不調和波動だと言います。
父親、母親、どちらかが、それを流している。

この流れがカルマとなって代々、受け継がれて来たのでしょう。
だから、今こそ、それを断ち切るべき時であるような気がします。

近年、発達障害や精神疾患の人が増え、目立つ傾向がありますが、
それは、とうとう、この世において、カルマの連鎖を断ち切る事が出来る、
いい流れの予兆なのかもしれないですね。

今、はじまった事ではなく、先祖代々から、
流れてきた不調和波動が今、発達障害や精神病として、
本人や家族や周囲の人が意識する事として現れるようになった。

まだ、多くの医者が根本的な治し方を知らないので、
増えるばかりで減らないと言うような事も言われていますが、
今後は、いよいよ、本格的な治療が普及するのではないか?と思います。

精神疾患と末っ子・・・

私の身内の事ではありますが、
私のお父さんの兄弟。
私の兄弟。どちらも、
末っ子が自己愛性人格障害でした。

知ってか知らずか、みんなその要素は、
あったのかもしれませんが、どちらの兄弟も、
4人兄弟でしたが、末っ子には、
露骨に、その症状が現れていたので、
末っ子や一人っ子の子供に、
精神疾患が、なりやすい傾向にあるのかなぁと、
漠然と疑問に思っていました。

その私の疑問は、ある程度は、
当たっていたようです。

稲福薫さんの本を注文した時に、
色んな小冊子なども、取り寄せました。
その中に「ユタと先祖供養と精神病」と言う小冊子があります。

その中に、以下のような事が書かれてありました。

精神疾患と言うのは、不調和波動が、
先祖から親へ、親から子へと移されて来たものであるらしいのですが、
上流のダムの水を下流に流す事に似ているそうです。

最下流のダムが、その水をすべて受けてしまい決壊する。

その下に、まだ、流す人がいれば、助かるそうですが、
流せる人がいないと、最後の人が、すべて受ける。

その家系の最後の人と言うのは、
先祖代々の上から下へ流れて来た不調和波動を
すべて受け止める事になるのですから、
物凄い事が噴出する事もあるのかもしれません。

だから、私の身内でも、末っ子が、
一番、おかしな症状になったのだと思います。

ただでさえ、父や爺さんや父の弟も
精神異常と思える人達だったので、
それはそれは、凄いモノが溜まっていたのでしょう。

下に流す人がいないから、
余計に苦しくなるらしい。

末っ子と言うのは、
先祖代々からの不調和波動を一番最後に、
受け止める受け皿の役割をしているので、
人格的にも、かなり、おかしくなる事も
あるのかもしれません。

私の身内も、末っ子が一番、
自己愛性人格障害の症状が、
強く出ていたと思いますが、
お父さんにもお爺さんにも、
その要素は、あったので、
さらに、その先祖と言うものを
辿っていけば、色々、
おかしな人がいたと思います。

だから、私の身内の事で言えば、
私を含め、みんな自分の不調和波動を
下へ、下へと、流して来たのですね。

これも、親が生きている間は、
親を治す事で治す事が可能であるそうです。

稲福薫さんは、精神疾患は、100%親の責任と言っていますが、
同時に、親に頼らずとも、精神的に自立している子供であれば、
自分自身で治すと言う強い意思があれば、親を治さず、
子供だけでも、治す事が出来ると言われています。

最後に

この本に書かれている事や、この方が言っている事が、
すべて正しいか?と言えば、そうではないかもしれませんが、
結構、本質的な事を捉えているのではないか?と私は、思いました。

だけども、本人に甘え心や、
何かを頼りたいと言う強い依存心がある場合は、
統合失調症などは、中々、治せないそうです。
この状態の人が多いと言うのが現状であるそうです。
本人に治る気がなければ、医者であっても治せないと言う事です。

精神疾患に限らず、人格障害に限らず、
人間的に問題があるとされている多くの方は、
親や他人への強烈なぐらいまでの
依存心を抱えていると思います。
その依存心の克服が治療には、
大前提になってくるような気がします。

だから、今、統合失調症の方で、
少しでも治したいと言う意思のある方は、
本気で治したいと言う強い意志を持ち続けて欲しいと思います。

ぽっかり穴。両親には、先祖がいて、
その先祖には、さらに、その先祖がいる。
そうやって、その光の穴を辿っていくと神に繋がる。
ぽっかり穴に入り、私が、ぽっかり穴そのものになると、
私が神であり、私がすべての根源である気づきが得られる。

例え、親の顔さえ知らずとも、
両親がいて、自分が生まれた。
その先祖をず~っと辿って行けば、
神にまで辿り着く。

不調和波動と言うものは、先祖から親へ、
親から子へと移して来られた余計なモノだと思います。
長きに渡り、この繰り返しだったと思います。

この流れを止めれるのは、
このような情報を知り、それを真摯に受け止めた、
あなた自身であると思います。

特に、子供が未成年である場合は、
親の方を治療した方がいいでしょうね。
親は、子供に問題があると思っていますが、
親に問題があるから、子に、その症状が出ています。

だけど、それが難しい場合は、
自分の力で治すと言う事ですね。
その時も、親や先祖に責任をなすりつけない事です。

親から子へ、また、親から子へと
苦玉流しが繰り返されているのであれば、
義務教育などの現場に苦玉を解消する方法を
カリキュラムとして取り入れるような動きが出来れば、
世の中の精神病、あるいは、おかしな事件と思われるモノ。
対人関係のトラブルなど。それらのモノが、だいぶ改善されたり、
なくなったりするような事が起きるのではないか?と私は、思いました。

しかし、今現在、家庭内において、
人格異常者のような人がいて、
もう既に、どうにも、こうにもならない。
手遅れと思えるような状態になっている事もあるでしょう。
その時は、早急に措置入院などの処置を行うような
流れにした方がいいかもしれません。

私の親もそうでしたが、
子供の症状が重症であればあるほど、
その親と言うのは、金銭面や、その他の理由を付けて
中々、専門機関を頼ったり相談したりしない。
だから、家族以外の介入で調べる制度も必要だと思います。

押川剛さんの「なんで隠すの?」を読んでみました。

また、この方の話ではないですが、
ろうそくを見つめる瞑想と言うものもあるようですね。
蝋燭の炎を見つめるので、一点を凝視する事は、
この本に書かれている方法と似ているかもしれません。

自分以外の人に、ああせい、こうせいと、
やたらと言っている人達は、
自分の苦玉を誰かに流していると言えます。

それを受け取った人も、
また、誰かに流している事もあります。

これを、今こそ、一点瞑想で、消滅させましょう。

と言う事が著者の方が一番、伝えたいことだと思います。

確かに素晴らしい話だと思いました。

しかし、一点瞑想だけが、その方法ではないでしょう。
この方法が合う人もいれば、合わない人もいると思います。
続けられる人もいれば、続けられない人もいるでしょう。

だから、この話は、素晴らしいのですが、
これ以外に方法がないわけでもないと思います。

親から見て子供が、おかしいと思えるのは、
自分が、おかしいからです。まず、自分を治しなさい。
自分自身が持っている苦玉を子に流し続けて来たのです。

ある日、突然に、おかしくなる事はない。
家庭内が不調和波動で蔓延していなかったか?
振り返ってみてください。まともな親なら、
何らかの事に気づけると思います。

親子関係は、巨大鏡です。
自分の中にある何かを見せられています。

イジメなどの問題も、
イジメる側、イジメられる側の、
親の不調和波動が子に流れた結果、
そのような事になっていると言う
因果関係もあるようです。

しかし、問題がある親であればあるほど、
こんな事には、耳を傾けないので、
本当に義務教育などの現場に、このような事を
取り入れる必要があるのではないか?と思います。

また、本当に精神病院に入れなければならないような
状態の人ほど、放置されていると言う現状もあります。

親は、子がおかしいと思う前に、
まず、自分が、おかしいと言う事に、
気づかなければなりません。

気づかないから、子供の症状が、
大きくなるまで放置されてしまうのです。

だから、理想論でしかありませんが、
全国の親にも、苦玉を解消できる仕組みが必要でしょう。

カルマメイト。

カロリーメイトと言うお菓子のような
食べ物がありますが(栄養満点らしいですね)
カルマメイトと言う人間関係があります。

カルマメイトは、嫌な役目をしたり
されたりと言う関係にあるようです。

カルマ解消の為に起きている事なので、
それは、ある意味、当然の事とも言えます。

私達は、今世だけでなく、色んな
過去世を持って生まれて来ています。

私達、人間は、過去世の事など
殆ど忘れていますが、
魂は、色んな事を覚えているようです。

カルマゼロで生まれて来る人など殆ど存在せず、
大概の人は、大なり小なりのカルマを
背負って生まれて来ているようです。

とは言っても、最近の若い人は、
カルマゼロに近い状態で生まれて来ている人も
結構、存在しているらしいです。

逆に言えば、昭和生まれや
平成前期までの人であれば、
それなりに大きなカルマを
持って生まれてきてる人も多い。

そのカルマを昇華する為の相手が
カルマメイトと呼ばれる人達です。

この関係を因縁と呼んだりもします。

過去世で自分がした事と同じ事をされる。
あるいは、違う事をされる。
どちらにしても苦しい体験です。

苦しく辛い体験ですが、
過去世で自分がした事を
逆の立場で体験しています。

魂レベルでは、生まれ出る前に、
それを体験する事を自らの意思で
志願して来た事もあるようです。

親子関係。
夫婦関係。
兄弟姉妹関係。
親戚関係。

離れる事が難しい関係ほど、
カルマも深いと言う事が、
よくあるようです。

カルマを昇華する為の相手なので
あり得ないほどの嫌な事を
やったり言ったりします。

仮に、この世で殺されたとしても
肉体を卒業なのですから、
宇宙視点で見れば、おめでとうございます
と言う事でもあると思うのですが、
人間的視点で見れば、
とてもそんな風には思えません。

だけども、魂同士では承諾済みのこと
だったりもするようです。

残された者は、許せないとか、
恨み悔やみ悲しみなど色んな感情が出ると思います。
人間ですから、それも当然のことです。

恨む者と恨まれる者。
憎む者と憎まれる者。
騙す者と騙される者。
殴る者と殴られる者。
殺す者と殺される者。
裏切る者と裏切られる者。
悪口や暴言を言う者と聞かされる者。

難易度が高い嫌な出来事ほど
大きなカルマの昇華だったりもするようです。

個人のカルマもあれば、
家系のカルマもあります。

そのカルマを断ち切り終わらせる為には、
深い気づきが必要だったりします。

縁起の法則と言われるモノもあります。
これは、良い意味で使われる事の方が多いと思いますが
殴り殴られも、殺す殺されも縁起の中で起きている。
そのようなご縁がなければ、そうならない。

だけども、カルマメイトだからと言って
必ずしも、それに立ち向かわなければ、
ならないわけでもない。必ずしも、
それに耐えなければ、ならないわけでも、ない。

その相手から、離れたり、
逃げたりしては、
いけないわけでは、ない。

現実問題、身内であっても、
もう、離れた方がいい相手もいる事でしょう。

その関係を卒業する時期が来たら、
自分の中の深い部分では、何らかの
合図が来ている事があるものです。

その合図に気づかない人も多いようですが。。。

また、嫌な事をする相手、
すべてがカルマメイトではないと思いますが、
簡単には、離れられない関係ほど
カルマメイトである可能性は、高いようです。

高いですが、自分一人では、
昇華できないから相手がいる。
その相手も本来は、感謝すべき相手です。
(これは、難易度が高いと思います。)

喧嘩の真っ最中に相手に感謝できたら
完全なる悟り人です。なので、それは、
時が経ってから、気づければ、
良いことだと思います。

今、真っ最中の人も、必ずしも、
耐えなければ、ならないわけでは、ない。
逃げては、いけないわけでも、ない。

離れても逃げてもいいのですが、
その体験を通して自分自身が
何かに気づかなければ、
状況や人が変わるだけで、
しばらく経ったら、
また似たり寄ったりの人と出会って、
また似たり寄ったりの事を繰り返します。

そのカルマを昇華していなければ、
そのカルマを持って歩いているようなモノで、
それは、ある意味、必然的な事だと言えます。

過去世ではなく、今世の因果応報で、
そうなっている事もあると思いますが、
来世に持ち越さず、今世で返って来ているのは、
ある意味、幸せな事だと思います。

聖書の中に、
奪う者は、奪われる。
許す者は、許される。
与える者は、与えられる。
と言う一文があるようですが、
これは、今世の事でもあり、
過去世の事を含めての事でもあるのですね。

何が原因で起きているのか?
分からない事も多いと思います。
そんな時は、ホ・オポノポノがお薦めです。
(勿論、他の方法でも構いません。)

許せない相手を許せた時に消滅するカルマもある。

冨士金弥生さんは、
歌うように、踊るように、唱えるように、
ホ・オポノポノの「ごめんなさい」を
繰り返し言う事でクリアリング
出来るモノは、多いと言います。

現実は、結果の世界ですから、
現実を何とかしようとすればするほど、
ズレが生じる事もあるでしょう。

色んな事は、意識が、記憶が、現実と言う名の
スクリーンに投影しているだけのようです。

原因の世界は、目には、見えない世界に在ります。

現実が動き出す前に見えない世界の
エネルギーが動いています。

近年のサイキッカーな人達は、
それすらも見える人が結構いるようです。

時には、そのような人を
頼るのも一つの手では、あると思います。

まさか?嘘?本当?世の中のほとんどの人は、地獄に墜ちる?

あくまでも、一説の話です。

細木数子さんの名台詞。
地獄へ墜ちるわよ!ぐらいに、
軽く読み流して頂けたらと思います。

世の中の多くの人は、地獄のような場所から来て、
カルマ解消の為に生まれて人間をやっているのですが、
カルマ解消どころか、カルマの上積みをして、
また地獄へと戻って行くと言う話があります。

カルマの上積みをしてしまう理由も、
カルマがあるからこそ、そのカルマが邪魔をして、
中々、カルマ解消の道に進めない。

だから、カルマが膨れ上がってしまう事も、
仕方がない部分はあるのですが、
これだと永久に悪循環でもあります。

逆に、カルマが良い人は、
一時、悪い道へ進んだかに見えても、
その後、カルマ解消の道へ転じやすい。

良い方へ転ぶか、悪い方へ転ぶか、
それも、元々、持って生まれた、
カルマの為せる業かもしれません。

プラスのカルマとマイナスのカルマ。
プラスのカルマは、天や宇宙への貯金や貯徳。
マイナスのカルマは、借金のようなモノ。

プラスのカルマを積んで行くことで、
災い転じて福と為すようなことが起きる。

船井幸雄さんは、この世は、
カルマを刈り取る為の
刈る間だと言いました。

やっぱり普通に生きているだけでは、
中々、カルマは、刈り取れないのかもしれない。

最近は、死後の世界に興味を持つ人も増えていますが、
地獄など存在しないと言う話も多くあります。
(それが真実か偽かは、私には、分かりません。)

その一方で昔から言い伝えられている、
地獄や極楽が存在すると言う話もあります。

死後の世界の世界観が、
二極化している感じでしょうか?

しかし、例えば、幽霊などの話も、
この世の一部に存在している霊の世界と、
本当の死後の世界に存在している霊の世界があると聞きます。

肉体をなくした後、私達は、
エネルギー体として存在するようですが、
私自身、何となく生まれ出る前に、
低いエネルギー状態の中で、
ずっと漂っていたと言うか、
留まっていたような気がしています。

それは、地獄と言うよりは、
同じエネルギー状態で、身動きさえ出来ずに、
ずっと、長い間、そこに留まっていたような感じです。

それは、私の勘違いや、
気のせいと言う事もあると思いますが、
実際、私は、そのような家庭の元へと生まれました。

それは、私のエネルギーと
家系や親のエネルギーが、
引き合ったと言うことでもあるようです。

生まれて間もない言葉も喋れない時期から、
父親から容赦なく怒鳴りつけられるなど。

それが、人生のスタートで幼少期から、
数々の地獄のようなことがありました。

だから、肉体を持っての無間地獄を
繰り返している状態だったのかもしれない。

近年のスピリチュアルな世界で言われている、

死後は、光りの元へ還るだけ。
素晴らしい世界しか存在しない。

と言う話も、一つの真実では、あるのでしょうけど、
私の体験を踏まえても、そうではない世界も、
幾つか存在しているような気がします。

だけど、死後の世界は、
ポジティブしか存在しないと言う話も、
私は、その世界も面白そうだし、
その類の話も好きです。

本当にそうだったら、それはそれで、
素晴らしいことだと思います。

しかし、もしも、そうでなかったら。。。

と言うこともあるので、
やっぱり、両方知っておいた方が、
いいのかもしれないと思う。

仮に死後の世界がポジティブしか存在しなくても、
また肉体を持って生まれる時には、やっぱり、
前世のカルマなどは、影響していると私は、思います。

死後、地獄で苦しむか。
死後、転生して人間として苦しむか。

いずれにしても、どんな形であれ、
自分の撒いた種は、刈り取らなければ、
ならない時が来ると思います。

他にも人生は、役者のようなモノで、
それぞれの人が、その人生の中で、
その役を演じ切って、
死んで行くだけだと言う話もあります。

あの世には、善悪の概念が、
存在しないと言う話もありますが、
この世には、善悪と言う概念が存在しています。

この世は、仮想現実。仮の世で、
ゲームの中の世界とも言われています。

覚者のような人は、
私達は、そもそも生まれてもいないし、
死ぬこともないと言います。

そうした側面もあるのでしょうけど、
肉体視点で見れば、この世を去る時に善も悪も、
すべてが、リセットされてチャラになる
と言うようなことは、ほとんどの場合は、
ないような気がします。

そして、この世にも、あの世にも、
万人に共通の真実もあれば、
人それぞれの真実もあると思います。

しかし、私が、ふと思ったのは、
ほぼ、誰もが、一時的に行く世界。

そこへ行った後に、地獄や極楽と言う、
それぞれの段階の世界へと
分かれて行くのかもしれないと思いました。

あるいは、死後、一切苦しむことがなくても、
次の転生で大いに苦しむということがある。

自殺者について

自殺者や事故に遭った人は、
肉体の死を受け入れられずに、
この世に留まっている事があると言われています。

また、この世への未練や執着が強い人も、
幽霊となって、この世に留まる事がある。

だから、そのような人達にこそ、
残された者達が、あの世へ還れるように導く、
お役目があるのかもしれません。

しかし、非二元(ノンデュアリティ)で有名な
大和田菜穂さんは、自殺者について、
こう言われていました。

自殺は、今から逃れたいエネルギー。
それは、次へと向かうエネルギーでもある。

生死を越えた視点から見えれば、
誰も生まれていないし死んでいない。

この世の視点で見るほど、
深刻な問題ではないと言われています。

その視点で見れば、
自殺さえも起きていない。

すべてのことに良いも悪いもなく、
すべてのことが完璧な流れの中で起きている。

すべては、同時に起きているし、
すべては、同時に起きていない。

近年のスピリチュアルで有名な方達は、
このような捉え方をされている人も多いですね。

大きな視点では、すべては、全自動で動いている。
と言うことも、色んな人が伝えられています。

すべては、幻想。私も、幻想。

しかし、そうではないと言う話もありますので、
そのまんま鵜呑みにするのも違うかもしれません。

地獄も極楽も存在しない? 「あの世の社会見学」を読んでみました。

最近のスピリチュアルな死後の世界は、
こちらの世界観の話が多いような気がします。

それが事実か否かは、分かりませんが、
一つの真実としては、面白い内容だったと思います。

漫画なので読みやすくもあります。

あの世の社会科見学/安斎かなえ

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bookfan PayPayモール店

著者  安斎かなえ
協力者 流光七奈(りゅうこうなな)

流光七奈さんは、霊能者で、
この漫画の主人公のようです。

流光七奈さんのHP

流光七奈さんは、
旦那様を亡くされているのですが、
亡くなった旦那様とテレパシー?で、
時折、通信されているそうです。

流行七奈さんは、あの世には、
地獄も、極楽も、ないと言います。

亡くなった旦那様の話だと、
この世と似たりよったりの生活が、
あの世でもあると言うことです。

だけど、その世界は、
あくまで、転生する前の
控室のような感じらしいです。
(転生が終わっている人は、また別世界。)

転生前の、その世界には、
この世と似たような作りの街が存在し、
家や飲食店なども存在するようですが、

この世と違うのは、棲み分けが、
しっかりされていて、
同じ波長同士の人としか会わない。

そして、あの世では、
パッと思い浮かべたモノが出現する。

しかし、まず、ご自分の
死を受け入れた人しか、
あの世には、旅立てない。

自分の死を受け入れられない人は、
幽霊となって、この世に留まる事になる。
この世への未練や執着。
この世への思いが重いと旅立てない。

そのような霊が、この世には、
いっぱいいるそうです。

また、幽霊同士も波長が合わないと、
すぐ近くに幽霊がいても、お互いが見えない。

流光七奈さんは、あの世が視えるそうですが、
あの世のすべてが視えるわけでは、ないそうです。

流光七奈さんも、
亡くなった旦那様がいる、あの世の世界は、
あの世の一部の話と言われていました。

だから、あの世の一部の世界では、
地獄も極楽も存在しない
と言う解釈もできるかもしれません。。

精神病は、家系のカルマである事も多い?

これも、あくまで一説の話ではありますが、
精神病は、家系のカルマである事も
多いと言う話があります。

まず、私の家系の事ですが、
父親系の方は、どうも、
精神病のカルマが流れていたと思います。

私のお爺ちゃんは、自分の自慢話をよくし、
自分以外の人の事は、常に否定したり批判したり、
馬鹿にしたりする傾向がありました。

私は、子供時代、このお爺さんは、
なんで、こうも、おかしいのだろうか?
と思っていました。

そして、それから十数年経ち、
お父さんの弟。私にとっての
叔父さんになるわけですが、
その叔父さんと、しばらく関わった時も、
やっぱり、なんで、この人は、
こうも、おかしいのだろうか?と思いました。

それから、また数年後。
今度は、私の弟ですが、
その時、弟は、まだ小学生だったのですが、
なんで、こうも、おかしいのだろうか?と
思うような言動や行動を繰り返していました。

父親は、おめでたい事に、
父の高収入の仕事を奪ったのも、
母親が過去に何度も倒れ、
救急車で病院に運ばれたのも、母親を結果的に、
死に至らしめたのも、弟が、
その張本人であった事に気づいていません。
小学生の頃に、既に手遅れだと思えるぐらいの
症状を抱えていたのですが、両親の鈍感力と言いますか、
小学生の間に精神病院に預けておく事が出来れば、
一家の被害も少なくて済んだような気がします。

ダイレクトに関わった時には、
露骨に分かったのですが、
時折、関わる程度の時でも、
う~んと思えるような事が結構、ありました。

お爺さん、お婆さん、
親族と言う事に関しても、
父親系の方は、どうも、
異常があったとしか思えませんでした。

一方で、母親系の方は、
結構、まともで、良い人が多かったです。

しかし、毒父や毒爺と長年、
生活を共に出来るのは、
分かりずらい毒親だったかもしれません。

私と縁が濃かったのは、父親系の方でした。
お爺さんが、やたら干渉してくると言う事情もありました。

まぁ、毒親は過干渉と言う事もあります。

今、思えば、あれがカルマ流しだったのかもしれません。

私は、遺伝にも、細胞遺伝と、
環境遺伝の両方があると思っていますが、
最近の研究では、RBM12遺伝子と言うモノに、
短縮型変異と言うモノがある事を発見できたそうです。

その遺伝子を持っていても、
発病しない人もいるようですが、
何らかの、きっかけで発病すると、
精神病となるようです。

先程、例に上げた私の身内は、
3人とも、腫れ物に触るような感じの
異常者だったと思います。

本来であれば、措置入院が妥当であったと思います。
しかし、周囲の認識不足や知識不足など諸々の事情もあって、
そうはならず、家庭内でも、家庭外でも、
諸々の問題を起こしていました。

だけども、私を含め、他の者達にも、
大なり小なり、そのような遺伝は、
流れているのかもしれません。

だから、今後の課題としては、薬などの開発により、
この遺伝子の消滅をどうするか?と言う事になるようです。

環境だけでなく、体の中に
眠っている遺伝子として、
精神病になる事もある。

どれほど、良い環境の中にいても、
どれほどの愛情を持って育てていても、
時には、遺伝子によって、
異常者のようになってしまうこともあると言う事です。

勿論、それを誘発する外部要因もあったとは、思いますが、
それは、非常にささいな事が原因になったりもするようです。

しかし、今、このような事が分かってきたので、
薬になるのか、どのような治療になるのかは、
まだ分かりませんが、
このような遺伝子を除去する事が出来る流れが、
今後、始まっていくのかもしれません。

だけども、それが家系のカルマとして
遺伝子情報に仕組まれていた事だったとしたら、
それを除去するのは、どうだろうか?と言う疑問も残ります。

そして、今、悩みの種になる人が家の中にいる場合、
そのような事を経験した私からのアドバイスですが、
テープレコーダーなどに録音するなどして、とにかく証拠を
なるべく、たくさん残しておく事が必要だと思います。

環境的遺伝

精神疾患の親などに育てられた結果として、
精神疾患になると言う事もあります。

一説では、細胞遺伝よりも、
こちらの環境遺伝の方が多いと言う話も聞きます。

私も、子供時代、他の家と、こうも違うかと思い、
色々とショックを受けた事もありました。

怒鳴り声と暴力が蔓延した家庭で、
借金取りからの電話も鳴り止まない。

似たような境遇で過ごした人もいると思いますが、
やっぱり、子供なりに苦しかったのを覚えていますし、
思い出そうにも思い出せない事も多いです。

親が気づかぬ間に、子供を病気にしている事があります。
精神疾患になりやすい環境と言うものもあるようです。

小さな子供相手に怒鳴りまくり、
暴力を振るっていたら、やっぱり、
悪影響は、受けていると思います。

子供が既に病気になっていると気づかずに、
責めて攻撃して、どんどん症状を
悪化させている傾向があります。
自分が絶対正義で間違っていない。
その癖、自分の原因や問題には気付かない。

勿論、同じような境遇の中で、
そうなる人とならない人がいますが、
子供時代に家庭で息抜く場がなかったり、
苦しい状況が続いたりと、
その影響をモロに受けてしまった中で、
精神病になる事もあると思います。

体も小さく幼き時のショックは、
本人が気づいているか、
気づいていないかは、別として、
大人になってからも、
引きずっている事が多いそうです。

そして、環境によって、
精神病になっているのなら、
成人を過ぎている人であれば、
環境を変えると言うのも一つの方法です。
(だけど、精神病の状態にもよるでしょうから
医師とも相談してください。)

あるいは、一時的な事であれば、
旅をしたりでリフレッシュする事も一つの方法です。

家庭因縁

この話は、私には、事実かどうかは、
分かりませんが、一応、このような話もあります。

家庭因縁とは、私の先祖に苦しめられた者達の
怨念などの恨みによって、その子孫である私達に、
諸々の病や災いなどで報いると言う事であるそうです。

それが、人やお金のトラブル。
精神病や霊障となって
現れると言う話も聞いた事があります。

私の父母も、ある程度の歳になってから、
あまりにも家の中のゴタゴタが多いから、
この家は、呪われているのではないか?と言っていました。

それも、私を含め、恨みを持たれる家系に生れると言う
カルマを持って生まれたと言う要素もあると思います。

私のお爺さんだけの事を思っても、
かなり人様から恨みを買った人だったと思うので、
やっぱり、その先祖と言えば、
結構、恨まれて来た要素があるのかもしれないです。

怨念と言う言葉がありますが、
私達の先祖に苦しめられた人達の思いが
念として残っているのかもしれません。

カルマと言うのは、家系内で、
繰り返しやすい要素もある。

自己愛性パーソナリティ障害は、
私の家系に多かったのですが、

一生、その症状だと気づかずに、
死んで行く事もあると思います。

そのような過去世が自分にあって、
今世で、そう言う人が多い家系に生まれる。
あるいは、そう言う人と出会う機会が多い。

そう言う事もあるような気がします。

話は、変わりますが、
随分前に一度だけお会いした、
霊が見えると言ってた男性(霊能者ではない。)の話では、
御魂には、筋肉と言う意味もあるので、
健康な人であれば、運動したり、筋力を付ける事で弱い霊は、
跳ね飛ばせると言うような事を言っていました。

それが、事実かどうかは、別として、
確かに、体を鍛える事で、
多少なりとも精神力もアップすると思いますし、
体も丈夫になる事だと思います。
運は、動より生ずるとも言います。
だから、体を動かす事で運が開ける事もあるのでしょう。

土地の影響

大なり小なり土地の影響と言うのもあるようです。
イヤシロチやケガレチと言ったりもします。

埋炭などの方法によって、
ケガレチをイヤシロチに変える事も可能のようです。

イヤシロチとは・・・

パワースポットと呼ばれる場所の多くは、
恐らく、イヤシロチであるでしょう。

心霊スポットと呼ばれるような場所は、
どうですかね?本当に呪われたような場所であれば、
ケガレチである可能性が高いのかもしれません。

金銭的な余裕があるのであれば、
あまりにも、おかしな事ばかりが続出している家であれば、
引越しも検討してみるのも一つの方法だと思います。

合気道の藤平光一。王貞治の一本足打法開発の裏には、この男がいた。

合気道と言えば、塩田剛三さん。植芝盛平さん。
お二人が有名ですが、藤平光一さんと言う方も有名だったのですね。

藤平光一さんは、植芝盛平さんの所で合気道を学び、
大学卒業後は、陸軍に入り中国へ派遣される。
帰国後は、中村天風さんの所で心や気について学んだそうです。
その事が功を奏したのか、合気道でも10段になられました。

心身統一合氣道会

プロ野球の王貞治さんや長嶋茂雄さんも、
藤平光一さんから、氣の使い方について
指導を受けた事があるそうです。

二人共、プロ野球の世界で、
気の使い方を活かす為であり、
本格的に合気道を学んだわけではない。

王貞治さんについては、改善すべき所が、色々あったようですが、
長嶋茂雄さんは、既に、非常に良い氣の使い方をされていたようで、
指導すべき事は、何もなかったと藤平光一さんは、言っていたそうです。
長島さんは、最初から自然体であった。

合気道の達人に、そう言わせたのだから、
長島茂雄さんも、さすがですね。

王貞治さんも、荒川博さんと言う、
その業界では、かなり凄いと呼ばれるコーチのもとで
指導を受けていたのですが、その荒川さんが、
藤平光一さんの道場に連れて行ったと言います。

王貞治さんは、右足に力が入りすぎるので、
藤平光一さんは、荒川コーチに、
何故、直してあげないのか?と、
問いかけた所、王の癖なのでどうしようもない、
と答えられたそうですが、その後、
右足を上げて打つと言う指導になった。

普通は、片足を上げて打つなど、
遊びの野球ならよいかもしれませんが、
プロ野球のピッチャーの球を片足で打つなど
バランスも崩れるだろうし、
かなり難易度が高かったと思いますが、

それをこなせるようになった王さんもさすがです。

氣は、すべての原点である。

だから、あらゆるスポーツにも応用する事が出来る。

私は、色んな武道がある中で、
極めたら合気道が最強なのではないか?と思っています。
(極められた人は、非常に少数かもしれませんが・・・。)

と言うのは、空手にしても、柔道にしても、
ボクシングにしても、他の格闘技にしても、
結構、体重差、身長差、筋肉量などが影響していると思うからです。

それに対して、本物の合気道は、気の力、宇宙と調和した力を使うからです。

怒りや憎しみで立ち向かって行く者は、
合気道の達人の前では、手も足も出ないと思います。

相手の力を利用して、相手を倒す。
だから、どれほど、自分より腕力が強い者が襲ってきても大丈夫なそうです。
何故なら、その力自慢の方の相手は、己自身の力。そこへ合気道の達人が、
ちょいと力を加えると倒れる。このような事が出来たのが、
合気道の開祖である、植芝盛平さんや塩田剛三さんであったそうです。

しかし、その後、彼等のような人物が現れたと言う話を聞かないので、
合気道を極めると言うのも、想像を絶するほど大変な事なのかもしれません。

また、合気道の流れは、大東流柔術と言うモノにあったと聞きます。
大東流柔術を分かりやすく体系化したものが合気道になるそうです。

今回は、藤平光一さんの「氣の呼吸法」
と言う本を読ませて頂きました。

氣の呼吸法 全身に酸素を送り治癒力を高める 幻冬舎文庫/藤平光一【著】

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合氣道とは、心と身体を、一つに合一すべきもの。

呼吸は、人間、誰もがしている。

呼吸を変えれば、人生を変える事が出来る。

色んな呼吸法がありますが、
何秒で吸って、何秒止めて、何秒で吐くとか、
お腹をふくらませたり、へこませたりと言った、
難しい事は、一切、必要がないと藤平さんは、言います。

息を吐き出せば、また、自然に入ってくる。
自然にまかせた呼吸をする。

自然にまかせた呼吸の方が長続きする。

この本では、その自然の呼吸法について書かれてあります。

その為に重要となるのが、
臍下丹田(広い意味での下腹部)になるそうです。

合気道の開祖で達人・植芝盛平(うえしばもりへい)さん。

私は、合気道の達人と言えば、
塩田剛三さんだと思っていましたが、
合気道の開祖と言われる、
植芝盛平(うえしばもりへい)と言う方の方が、
塩田剛三さんより、遥かに凄いと言う話を
合気道をやっている方から聞きました。

植芝盛平さんと塩田剛三さんは、
10歳ほど歳が離れていました。
植芝さんが70歳の頃、
塩田さんは60歳。
植芝さんは、塩田さんの師匠でもあったので、
塩田さんも植芝さんの指導を受けていたそうです。

植芝盛平さんが、どれほど、凄い人だったかは、
まず、塩田剛三さんの話からした方が、
分かりやすいと思います。

塩田剛三

塩田剛三さんは、
身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体型で、
あんな小さな人が、あんなに強いとは、
信じられないと当時、ケネディ大統領の、
ボディーガードをやっていた身長190で、
体重は、100キロを超えると言う屈強な男が、
塩田剛三さんの力を試してみたら、
あっけなく屈強なボディーガードが、
塩田さんの力でねじ伏せられてしまったと言う話は有名です。

私も、塩田さんの演武の動画などを見た事があります。
あれは、ヤラセだと思われても仕方がないと思いますが、
色んな逸話が、あれは、ヤラセではなく真実であった事を物語っています。

そして、あの強さの秘訣は、何だ?と言う事になった時に、
自然と一体の為せる技と言う結論で、まとめられたりもしています。

塩田剛三さんの名言。
命令してはいけない。威張ってもいけない。
しかし、妥協しても、いけない。
調和すればいい。

殺気だって立ち向かう人は、
宇宙と調和している人には、
勝てないと思います。

そして、こんな逸話もあります。
塩田さんの弟子が、塩田さんに、
合気道で一番、強い技は、何ですか?と質問した。
そしたら、塩田さんは、こう答えた。
「それは、自分を殺しに来た相手と友達になる事だ」と。

だから、やっぱり、強さの秘訣と言うのは、
技もそうですが、心技体と言われるように、
心の器の広さ、強さが、塩田さんをあのような強さにまで
導いたのではないか?と私は、思います。

事実かどうかは、私は、知りませんが、
あの極真空手の大山倍達さんも、
塩田剛三さんには、一目置いていたそうです。

植芝盛平

それでは、本題の植芝盛平さんについてです。
植芝盛平さんは、合気道の開祖の人であります。

塩田さんが、身長154cmで小柄であったと言われていますが、
植芝さんも、身長156㎝と背丈は、低かったそうです。

植芝さんの逸話は、6人、同時に、
25メートルと言う至近距離から、
ピストルの弾を撃ってもらい、
一瞬にして、瞬間移動のような事をして、
ピストルを撃とうした人の後ろに立ち、
ピストルを取り上げたと言う話があります。
その光景を塩田剛三さんも、目の前で見ていたそうです。
塩田さんが、植芝先生に、どうやったのか?と聞いたら、
ピストルの弾も人の動きも、見えると言う事であったそうです。
ピストルの弾は、スローモーションのように見えたらしい。

しかし、人を撃とうと言う気持ちが、まったくなく、
ただ、ただ、当てようする人の弾なら当たるとも言っていたそうです。
だから、植芝先生は、人の心を読む達人でもあったと思います。

それだけに、自分の弟子達には、
「合気道をやる者は、遠くアメリカの心までわからねばならぬ」
と言われたそうです。

晩年、病弱になってからも、
弟子達を軽く投げ飛ばすぐらいの事は、出来たらしい。

植芝先生と言えば、ピストルの弾が当たらなかった事ばかりが、
有名になっていますが、雨にも当たらなかったらしい。
大雨で、演武の舞台が外にある時、先生が、演武を始めたら、
その舞台だけが晴れて、雨に当たらなかったそうです。

雨に濡れない話は、旅行作家の小林正観さんもそうでしたので、
私は、特に驚きませんが、それも、
普通で考えたら、あり得ない事でしょう。
だけど、普段から、宇宙と調和した生き方をしている人には、
そのような現象が日常的に起きるようです。

どの武術でもそうだと思うのですが、
相手は、人であります。だから、人の心がよく分からないと、
本当の意味での、強さは、得られないとも思います。

心技体。心が重要。今の武道は、それを忘れている人が多い気もする。
心技体の達人が、植芝盛平さんや塩田剛三さんであったのでしょう。
だから、今でも、お二人の逸話は、色んな所で語り継がれています。

お二人共、合気道の魅力について、
相手を被害者にも、
加害者にもしない事だと言っています。

それは、心技体の「心」の技。

一番、重要な技だから、
心技体の最初に「心」が、
あるのかもしれません。

しかし、それが出来るのは、お二人のような達人にならないと、
中々、難しい事でもあると思います。

仏教を語る仏教系ユーチューバー?菊谷隆太(きくたにりゅうた)さん。

ユーチューブで、
仏教に学ぶ幸福論チャンネルを
運営されている菊谷隆太さんと言う方がいます。

仏教に学ぶ幸福論チャンネル

私は、ユーチューブで仏教を語っても、
それほど見る人は、いないだろうな
と思っていたのですが、菊谷隆太さんの
ユーチューブチャンネルは、登録者数が
3万人以上いられるようです。

いくつかの動画を拝見させて頂きましたが、
簡潔に分かりやすい説明をされています。

仏教系の解説は、
素人が見たり聞いたりしても、
分かりずらいモノも多いのですが、
これは、素人にも分かりやすい。

菊谷隆太さん自身は、
かなり専門的な知識を持ちながらも、
伝える時は、難しくならないように
伝えられている。分野こそ違いますが、
伝え方や分かりやすさと言う点で、
中田敦彦さんのユーチューブにも
似ていると思いました。

歎異抄の謎

歎異抄は、親鸞さんの弟子の
唯円さんが親鸞さんが語られた教えを
書き残した書だと言われています。

この歎異抄は、今は、
普通に世に出回っていますが、

菊谷隆太さんの話によると、歎異抄は、
120年位前までは、世に出ることもなく、
封印されていたと言われます。

何故、封印されていたかと言えば、
蓮如上人と言う方が仏縁の浅い人には、
披見させては、ならない。

誰も彼もに見せたり読ませたりするのは、
色々と誤解を招いたり危険なことになる
恐れを察知して、封印させたそうです。

親鸞さんの教えを、
よく分かっている人だけが、
読めるようにと配慮したそうです。

今は、歎異抄は、誰もが手に出来、
誰もが読めるようになっていますが、
残念ながら蓮如上人が恐れていたように、
誤解を生んでいることも多いそうです。

悪人正機

仏教的視点では、
心・口・身・
この中で心を
もっとも重視する。

心の中で思ったこと。
これが、もっとも重要。

親鸞聖人は、心の中を徹底的に観れば、
どんな人も悪人だと言われたそうです。

すべての人間は、悪に汚れ穢れている。

心の隅々まで見れば、どんな人でも、
ビックリするほど、汚れている。

そのことに気づくこと。

心の中で思った、
ささいなことから大きなことまで。

相手の考えていることも、
自分の考えていることも、
すべて筒抜けで分かったら、

グチャグチャでドロドロの世になる。

表から見たら素晴らしい心の持ち主。
人格者と思える人もたくさんいる。

だけど、その人の心のすべてを見たら、
恐らくは、どんな人も悪人である。

そして、自分の心の中も汚れている。

親鸞聖人は、すべての人は、
悪人であると言われた。

善人と言うのは、
自分の心が綺麗で清らかだと、
うぬぼれている人。

心の中に塵一つ、
埃一つない人など存在しない。

正信偈

正信偈は、親鸞聖人が書かれたそうです。
菊谷隆太さんは、正信偈は、
お経ではないと言います。

親鸞聖人の教えのすべてが詰まっているのは、
教行信証ですが、この教行信証の中に、
正信偈があるそうです。

教行信証の内容を凝縮して、
短い詩にされたモノが、
正信偈になるそうです。

膨大なモノを凝縮し短くしたモノ。

正信偈の正信は、読んで字の如く、
正しい信心のこと。
正しい信心の詩。

信心が重要。

だけど、いつか崩れる信心では、
結果として自分が苦しむことになる。
だからこそ、正しい信心が大事。

他力

世間一般的に他力本願と言うと
悪い意味で捉えられていることが多いですが、
元々は、他力と言うのは、仏教の言葉であったそうです。

他力と言うのは、そもそも人の力では、ない。

他力と言うのは、如来の本願力。

如来の本願力とは、阿弥陀如来、阿弥陀仏の本願の力。

だから、人の力の及ばぬ所の力になると思います。

人知を超えた阿弥陀仏の力。

阿弥陀仏の力とは無明の闇を破る力。
だから、他力のことを光明とも言う。

そして、絶対の幸福にする力。

そのような他力によって救われる。

龍樹菩薩

1900年ほど前に
インドの南の方で仏教を伝えられた方に
龍樹(りゅうじゅ)さんと言う方がおられたそうです。

インドでは、小釈迦とも呼ばれているそうです。

お釈迦様は、ゴータマ・シッダールタ
小釈迦様は、ナーガルジュナ

ここでは、龍樹さんと呼ばせて頂きますが、
龍樹さんは、大乗無上法。阿弥陀仏の本願を
広く伝えられた方であるそうです。

スピリチュアル的解釈

私は、仏教よりは、
今流行のスピリチュアルの方が詳しいのですが、
仏教も、スピリチュアルも、最終的結論は、
一緒なのかもしれないとも思います。

それぞれの歩む過程や時期、
時間は、違うのですが、
川に流れる水が海に辿り着くように、
最終的には、一つの場所へ辿り着く。

例えば、チャネリングなどでも、
外側の宇宙と繋がっているように見えて、
実際は、自分の内面宇宙と繋がってチャネリングする。

仏教で言われている釈迦如来も阿弥陀仏も、
外側にいる、その存在達のように思えますが、
自分の心の奥底に存在している
釈迦如来、阿弥陀仏に繋がって、
その他力の力に救われる。

そんなような気がしました。

スピリチュアルな話では、
地球の次元上昇に伴い
霊界、幽界と言うモノは、
消滅しつつあると言います。

しかし、地獄、極楽は、自分の中にある。
死後、自分の良心が裁くことになると言います。

内側の反映が外側と言いますが、
外側に見える宇宙と同じモノが、
私達の体の中にも存在しているそうです。
外側の宇宙を大宇宙とするなら、
内側の宇宙を小宇宙として例えられています。

仏教で言われる所の覚者の人達は、
確かに凄いと思います。しかし、人は、誰もが皆、
そのような悟りの境地を得られると伝えていたと思う。

仏教でも、スピリチュアルでも、
伝え方の差こそあれ、覚者が
伝えていること、伝えたいことは、
最終的には、同じ一つの真実のような気がします。

だけども、あくまでも最終的。
道半ばには、真実ではない偽者。紛いもの。
これらが、たくさんあるのも、
見えない世界の危険な所だと思います。

劇的に運が良くなるお経 般若心経・延命十句観音経篇を読んでみました。

劇的に運が良くなるお経 般若心経・延命十句観音経篇 古本 アウトレット

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BLANCOL

この本の著者は、立花大敬さん。
名前だけは、知っていましたが、
この方の本を読むのは、はじめてです。

この本も、ある人から薦められて読んでみました。

私は、立花大敬さんのことを今まで、
お坊さんだと思っていましたが、
禅の修業を50年以上しながら、
高校の物理学の教師をされていた方だったのですね。

高校物理教師は、3年ほどで辞めたらしいですが、
その後、中高一貫の教師を長く続けられていたそうです。

お経は、下手でも、
つっかえてでも唱えると功徳を頂ける。
お坊さんでもない一般人に、
上手い下手は、関係がない。

お経は、ただ、繰り返し唱えればいい。

意味を知らないよりは、
意味を知って唱えた方がいいですが、
意味を知らなくても効果は、ある。

般若心経の意味を知るには、
この本だけでも十分だと思います。

むしろ、難しい解釈だと、
頭が混乱してしまうと思うので、
この本のようなシンプルなモノの方が
分かりやすいと思います。

逆に、お経やら仏教的なことを
結構、勉強されている方にとっては、
少し物足りなく感じる内容かもしれません。

私的には、これほど分かりやすく
解説された本は、
他にないだろうなと思いました。

大敬さんは、
できれば、坐禅か正座をして、
お経を唱えた方が良いと言います。

私は、知らなかったのですが、
般若心経と言う有名なお経は、
目標達成の為に効力がある
お経として知られているそうですね。

大敬さんの解釈では、
般若心経は、逆境を跳ね返し、
目標を達成する偉大なるお経。

般若心経の解説が書かれてあるのですが、
これが、また素晴らしい解説だと思いました。

何より分かりやすいし、量子論や、
スピリチュアルな話とも共通する部分が多い。

スピリチュアルな話では、
結構、有名になった話に、
自分の現実は、360度、
自分の周波数で映し出している映像だ。

この世は、幻想世界だ。

この世には、私一人しか存在していない。
(自作自演の世界)

と言う話がありますが、
これは、随分前から、般若心経で、
伝えていたことだったのですね。

五感で感じ、
心で映し出す。

心の周波数が
自分の現実を
創り出し映し出している。

外側には、何も無い。

あるように見えている、この世界。— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) December 23, 2020

そして、大敬さんは、空海さんの著書である、
「般若心経秘鍵」を読まれたこともあるそうで、
空海さんが、般若心経を、どう捉えていたか?
と言うことについても、少し触れられています。

それを大敬さんなりに、
解釈されたことだと思うので、
空海さんが思っていたことと多少の違いは、
あるのかもしれませんが、それでも、
かなり素晴らしい解説だと思いました。

細かいことは、
本を読んで頂ければ分かりますが、
簡潔に説明すると、

私達の心は、グチャグチャ、ドロドロの
ゴミ屋敷状態になっている事も多い。

それが現実に反映している。

似たような現実が、
繰り返し現れるのは、
心に、そのような癖があるから。

心を綺麗にして、
無にする方法が、
お経を繰り返し唱えること。

心を無にする近道は、
お経を繰り返し唱えること。

完全なる無にならなくてもいい。
無に近づけるだけでいい。

無に近くなった心に、
目標や願望を刻むと、
それに向かって進んで行く。

お経そのモノの波動は、高い。
しかし、唱える者の波動は、
それより低い場合が多い。

だから、繰り返し唱えることで、
お経の本来持っている波動に近づいて行く。

最初は、中々、お経の波動と共鳴せず、
重くて濁った響きであるそうです。

しかし、粘り強く続けていると
重い心が、軽い心になり、
やがて、お経の波動の響きと
一致するようになるそうです。

今日明日に結果が出るモノでは、ない。
まずは、継続は、力なりと言うことなのでしょう。

結局、シンプルに、お経とは、
波動を高めるモノであったようです。

般若心経の解説を読み終えて、
改めて凄いなと思いました。

今、スピリチュアルで語られている、
ほぼ、すべてのことが、この短い
お経の中に集約されている。

延命十句観音経

こちらも有名なお経です。

この本を読む前の数日前に、
家の中を整理していたら、
昔、願成寺と言うお寺でもらった、
「延命十句観音経のすすめ」と言う
小冊子が出てきました。

著者は、梶田正明さん。

お寺の住職でしょうか?

それは、さておき、内容は、良かったですね。

この小冊子を読んだ後に、
先程の本の続きを読むことで、
理解も深まったような気がします。

一念三千と言う言葉があるように、
一つの願いを叶える為に唱える回数は、
三千回とも言われているそうです。

そんな時に、この短いお経は、役立つのでしょうね。

そもそも、仏具の数珠は、お経の数を
数える為に用いられていたモノでもあったそうです。

おわり

現代人は、私も含め、
お経離れと言いますか、
日常的にお経を唱える人は、
少なくなって来ているように思います。

お坊さんであっても、義務で唱えているだけの人も
多くなったような気もします。しかし、意味もなく、
今日まで伝えられるはずがないわけで、お経の功徳を
実感されて来た人も、世の中には、多くいるのでしょう。

この本は、今一度、お経の凄さを
世に伝える為に現れた本だと思いました。

ちなみに、この本には、坐禅をするには、
右足首を左足の太ももの上に乗せ、
左足首は右足の太ももの上に乗せると
書いてありますが、これは、結跏趺坐と言う
座り方で、誰でも簡単に出来るモノでは、ないらしい。

本の中では、いかにも簡単そうに書いてあったので、
誰でも出来るモノだと思って私も何度かチャレンジ
してみましたが、どうしても出来ない。

何故、出来ないんだ?と悪戦苦闘していましたが、
ネットで少し調べてみたら、初心者は、
出来なくて当たり前のことなのだそうです。
それを知って、一安心しました。

しかし、坐禅の姿勢は、
骨盤の上に背骨がまっすぐ立つので、
アンテナとして見事な役割を果たす。
理に適った座り方であるようです。

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