人格異常・精神異常・危険な引きこもりやニートの実態。

引きこもりやニートの、
世間一般的には、あまり、
知られていない事情があります。

多くの方のイメージでは、
引きこもりやニートの人達は、
性格が根暗だったり、おとなしかったり、
対人恐怖症であったりで、中々、
社会に溶け込めない人達だと思っていると思います。

確かに、それは、そうなのですが、
もっと、危険な一面を秘めている人達も一定数います。

どんな人かと言うと、社会に出すのは、
非常に危険な状態と言う人です。
いわゆる異常者であったり、
危険人物と言うような存在です。

本来であれば、精神病院に、
措置入院させておくのが妥当である人が、
そうならず、放置されたままと言う事もあります。
脅しでもなんでもなく、今、働かずに、
家に引きこもっている人達の中に、
一定数の割合で、そのような人達が存在しています。

家の中で刃物を振り回したりとか、
一日中、喚き散らかして、
地縛霊の憑依か、座敷童の憑依か、
分からないような状態の人もいます。

だから、一般社会に溶け込ませようとすれば、
いつ、突然、キレ出して、何をするかも分からない状態です。
関わってみれば、分かりますが、あまりにも異常です。
(だけど、関わらない方が、身の為であります。)

そのような人は、まず、治療が第一なのですが、
本人や、その家族が、異常者だと思っていなかったり、
過保護すぎて、精神病院に入院させるのは、
可愛そうだと思っていたりするケースもあります。

家族の問題なので、実際にまだ、何も起こしていない間に、
第三者が、どうこうする事も出来ない状態だったりもします。

だから、そのような人は、働かず、家の中で、
親と一緒にいた方が、周囲の人の為でもあり、
安全だと言う一面もあります。

だけど、これも、今の引きこもりや、
ニートの問題点の一つだと思います。
そのような精神状態のままで、
娑婆で生活させておく事は、色々と問題が生じると思います。
そして、本人は、ほっとけば、ますます、
おかしくなる可能性もあります。
そのような者が、やがて事件などを
起こす可能性もあるでしょう。

なので、親が気づかなくても、周囲の何らかの力で、
精神病院に入院させるなどの方法も必要だと思います。

そして、そのような者を放置させている親は、
悪く言えば鈍感であったりします。

だから、異常者だと気づかない。
あるいは、親の前だけで、いい子にしていると言う事もあります。
また、親の知識不足で、どこに相談したらいいかも分からない人もいます。
金銭面などの関係で、無理だと思っている人もいます。

だから、精神異常者と言うのは、早目に発見する事が大事です。
その為には、遅くとも、20歳前までに、
精神異常がないかの検査を徹底して行う必要があると思います。

勿論、それが、間違った判断であっては、ならないのですが、
世の中には、驚くほどに、異常と思われるような人達が、
治療をする事もなく、ニートや引きこもりとして、存在していたりします。
だから、心の問題だからと言って片付けない方がいいでしょう。

昔、悪さをして、後に更生する人もいますが、
本当の異常者と言うのは、そんなレベルではないです。
悪さをしていても、心がある程度、まともな人と、
心の状態が、本当に異常な人がいます。後者の場合は、
今すぐ、精神病院に入院させるのが正しい判断でしょう。

それをしなかったが故に事件になっている事も世の中には、
意外と多くあるのではないか?と私は、思います。

誰かに危害を加えてからでは、手遅れなので、
早い段階で発見できる検査方法が、必要だと思います。

そして、そのような人を預かって更生へと導いたのが、
あの、戸塚ヨットスクールだと思います。
あの学校のやり方が、正しかったか、間違っていたかは、
私には、分かりませんが、

それだけ危険な人達を預かっていたと言うのも、
また、事実であると思います。

すべての引きこもりの人に
当てはまるわけではないと思いますが、
引きこもった時から、時が止まっているような
ケースも多いそうです。20歳で20年引きこもりの場合、
本人は、20歳の感覚のままであるようです。

昔から、このような問題を抱えていた家庭は、
多かったと思いますが、ずーっと蓋をしてきたので、
今、中高年の引きこもり問題と騒がれていたりもします。

美化された悪人の世界。硬派や任侠など現実世界には、ほとんどない?

映画やドラマ、漫画などの世界では、
ヤンキーや不良、ヤクザの世界などが結構、
美化されて描かれている事も多い。

リアルな世界の悪人は、

少し離れた距離や、
遠くから見ると、
カッコ良く見えても、

身近にいると、
カッコ悪い事だらけ。
それが多くの悪人の正体。

硬派と呼ばれるような、
カッコイイ悪人は、ほとんど、
いないのが実情であります。

卑怯で卑劣で怠け者だったり、
甘ったれだったり、見た目だけ、
格好だけ、口ばっかり。

大概が、そんなのばっかりのようです。

ヤンキー、不良、半グレ、ヤクザと、
呼ばれる人種の過半数以上が、
怠け者の甘ったれであります。

テレビや映画などで美化された、
カッコイイ悪人は、非常に、少数である。

メディアの影響で、悪人は、
カッコイイなどのイメージを
抱く人達も多いかと思います。

確かに、実際にカッコイイ悪人もいる。
男が男に惚れる任侠の世界。

それも、また事実でありますが、
みんながみんな、カッコイイ生き方を
してきたわけじゃない。
ずーっと相変わらず、どうしようもないような、
生き方を繰り返している人も多い。

十中八九までは、見た目だけ、恰好だけ。
実際は、心が弱く臆病で、根性もなく、
楽な方に流され、自分に甘いだけ。

そして、自分より弱者に強いだけ。
こんなのが、やたら多いのが、
実際の悪人の世界であります。

ピンチになれば、真っ先に逃げ出す輩も、
やたら多いのが、実際の悪人の世界。

カッコイイ悪人が1割と、
カッコ悪い悪人が9割で、
成り立っているような世界。

同じ事をやっているように見えても、
いかにもと言う見た目に見えても、
硬派な悪人とダメ悪人は、
心や精神力が全然違う。

悪人の事を知らない人ほど、
悪人へ対する勝手な先入観で見ている人が多い。

本物の悪人は、本物の優しさを持っていますが、
偽物の悪人は、偽物の優しさで近づいて来る。

テレビや映画などで美化された悪人は、
実際にいると思いますが、悪人の世界でも、
あのような人達は、少数しか存在していなのが実情です。

昔、カメレオンと言う漫画がありましたが、
あの主人公に、矢沢栄作と言うキャラが出てきます。
ヤンキーとか、暴走族とか、実際に、
殆どの人は、あんな感じであったと思います。

やたら、過去の武勇伝を語る人も、
そんな感じだった人が多いと思う。
ハッタリだけが凄い。そんな輩が多い。

だからこそ、本物の悪人は、カッコ良く、
テレビや映画などにしても、人気が出るのでしょう。

しかし、悪人が、みんなそうだと思うのは、大間違いであります。
大多数の悪人は、どうしようもないダメ人間が多いです。

強きをくじき弱きを助けるどころか、

弱い者には、強く、やたら威張る。

後者の方が圧倒的に多い世界。

何処まで行っても、
弱肉強食の世界。

刑事の方などは、悪人の事をよく知っている。
悪人の弱さを知っている事が多い。
悪人の世界にいた人も、知っている。

しかし、一般人の多くは、知らない人が多い。

学校の先生などでは、まず、分からない人の方が多い。

テレビや漫画などで、
美化して描いた悪人の世界は、
ある意味、洗脳かもしれない。

悪人がダメとは、言いませんが、
本当の本当に心が弱い人が多い。

見た目が、いくら強そうに見えようが、
怖そうに見えようが、喧嘩が強かろうが、
メンタルの部分。心が打たれ弱い。
滅茶苦茶に心が弱い。だから楽な方に流される。
性根が腐って、どうしようもない奴もいる。

そして、自分自身にも甘い。
口と態度だけは、凄い。
そんな人が非常に多いのが悪人の世界。

だけど、私は、悪人がダメだと言っているわけではない。
そこで、見たり体験したりして、学ぶ事も多いと思います。

美化して描く悪人の世界があるなら、
カメレオンの漫画みたいに、ダメ悪人の世界を、
もっと、メディアで取り上げてもいいと思う。

美化して描いた悪人の世界も真実かもしれませんが、
弱い悪人が多いというのも真実です。

悪人の中には、頭の中身が幼稚な人も多い。

実際に境界知能や軽度知的の人も、
それなりにいると思います。
悪の誘惑へ流されたとも言えます。

腕っぷしの強さなども、噂だけが一人歩きして、
話が大きくなっている事もあります。
武勇伝の8割と、悪人の8割は、偽物です。

よくケンカで負けた事がない。
そう言う台詞も聞きますが、
大抵の人は、自分より強い奴と、
会っていないだけ。あるいは、
そう言う相手を選んでいただけ。

必ず勝てる相手ばかりを選び、
強いと噂になる奴までいる。

街のヤンキーの大半は、
こんなのばっかりです。
昔の悪さ自慢を語る奴もそう。

身長二メートル。体重120キロ。
ほとんどの喧嘩自慢は、
この体格を前にしたら戦意喪失する。

だから、大概は、
お山の大将や井の中の蛙で、
その中で俺は、強いとか、
喧嘩負けなしと言っているに過ぎない。

悪人の世界は、知れば知るほど、
どうしようもない事が、多いです。
だから、基本的に悪の道は、
邪道であると思っていた方がいいでしょう。

でも、家庭事情等、
仕方がない部分もあった人もいる。

悪人の世界は、どうしようもない奴と、
そうでない人が同じような、
扱いをされている所がある。

昔、悪かった振る男。
これもよくいます。

大概は、中途半端だったり、
実際は、真面目だったり、
あるいは、優等生だったり。

優等生だったなら、
それに自信を持てば、
いいと思うのですが。。。

ヤンキー。ヤクザ。半グレ。
これらの人種の中にも、

境界知能。軽度知的障害。
統合失調症。鬱病。
自己愛性パーソナリティ障害。
反社会性パーソナリティ障害。

これらの人がいるようです。
いや、そう言う人が、
集りやすいのかもしれない。

でも、それは、必ずしも、
悪いわけではなくて、
そこで本物の愛を知ったとか。
そこで本物の家族だと思ったとか。

その世界の住人しか分からない、
良さがあったりもするようです。

昔の時代であれば、
弱気を助け強気を挫くような、
本当の任侠道。本物の極道がいた。
面倒見の良い人達がいたようです。

まぁ、突き詰めると、
毒親育ちが多いと言う、
結論に至るのかもしれません。

自己愛性パーソナリティ障害の迷惑爺さん。

このブログでも、部分的には、
ちょくちょく触れていた事もありましたが、
私の、もう亡くなっていますが、
父方のお父さん。私にとってのおじいちゃん。

その、おじいちゃんが、どんな人だったかを
今一度、思い出しながら紹介したいと思います。

酒飲みで、気が狂い、怒り狂い、
奇人変人であったお爺さん。

昔の時代とは言え、50代で
既に皺くちゃの顔をしていました。

実家とは、離れた県外の
アパートに住んでいたのですが、
私が生まれた時、言葉も喋れない時期から、
関わっていた事は、覚えています。

私が、2歳ぐらいだったかと思いますが、
おじいさんが烈火の如く怒り、
私の目を爪で刺していた事がありました。
その後、蹴られたかどうか分かりませんが、
私は、翌日の昼ぐらいまで、
目を覚まさなかったと思います。

翌日も体が重くて、子供心に、
何か不思議な思いをしていました。

その時から、おじいさんは、
まともな人ではないと思っていましたが、
私の両親は、しょっちゅう、
この、おじいさんの所に私を預けました。

預けたと言うか、流れとしては、おじいさんが、
来させよと言っていたような気がします。

小学生に上がる頃になっても、
決して近くとは、言えない所に住んでいるのに、
電車とバスに乗って、しょっちゅう家に来ていました。
来ない時は、来ない時で、しょっちゅう電話をしてきていました。
まともな話が出来る爺さんなら良かったのですが、
相変わらずの迷惑電話。

結局、おじいさんになるまで、
誰も関わってくれなかったか、
みんな離れていったかで、
子供と関わるしか、なかったのでしょう。
他にやる事があれば、あんなに子供に
干渉している暇など、なかったと思います。

家の方も父の借金で、
私が子供の頃から、
電話が鳴り止まない毎日。
それだけでも子供心に痛かったのに、
おまけに病気のような、おじいさん。

小学生の私に自分の自慢話ばかりをして、
私の否定、批判をしていました。
おじいさんのアパートに泊まりに行くと、
毎度、母の悪口を延々と言っていました。
しかも、毎度、毎度、同じ話。今思えば、
認知症だったのかもしれません。

同じ事ばかり言っているので、
大きな体をした猿のように見えていました。

小学生の時、私は、何故、私の父は、
あの、おじいさんが家に来る事を
許可しているんだ?と思っていました。

しかし、考えてみれば、当たり前の話で、
私にとっての、おじいさんは、父にとっての父。

今の時代でこそ、問題のある父親であれば、
捨てる事も仕方がないような理解もありますが、
昔の時代であれば、どんな親でも親は、親。
父親が、厳しいのは、当たり前。

どんな親にしても、子供を育ててくれた
絶対権威のような所がありました。

だけど、まともな親で厳しいのと、
異常者の親で厳しいのは、違います。
そのような所が見過ごされてきたような気がします。

後に分かった事ですが、
爺さんは私の父に金をせびりに、
毎週のように来ていた。

そのお金で酒を飲みに行く。
父が事業に失敗して借金して大変な時期も、
おかまいなしに毎週来て金をせびっていたようです。

私の父も相当、苦労された人だと思いますが、
その苦労の多くの元になったのは、自分の父であり、
私にとっての、お爺さんである人を
切り離さなかった事にあったと思います。

しかし、父は、お爺さんの事を
まともだと思っていたので、
私は、子供心に、あんな爺さんの事を
まともだと思っているのか?と何とも言えない思いでした。
私達、子供と母は、長い間、お爺さんに苦しめられていました。

幼少期や小学生時代の私が、
何だコイツと思うような
身内の大人達が私の爺さんであり、
父であり、父の弟でありました。

それでも私は、お爺さんは、
問題がある人だと思っていましたが、
大人になってから随分、時が経つまで、
父が毒親とは、思っていませんでした。

しかし、色んな毒親の元で育った人の話を
見たり聞いたりした時に、そんなの私の親は、
普通にやっていた事やんと思いました。

お爺さんが迷惑な存在過ぎて、
父が緩く見えていたのかもしれません。

私が生まれて言葉も喋れない時期から
怒鳴り付けるような人でした。

父は、お爺さんの子なので、
やっぱり、その血は、継いでいたのでしょう。

怒鳴る。怒る。殴る。これらは、当たり前。
そして、自分の価値観に当てはまらないと、また怒鳴り付ける。
力で、子供を支配してコントロールしようとする。

子供相手に、ワーワーワーワーと怒鳴ってばかりいました。

自分の気持ちが第一優先で子供の事を解ろうとしない。

小さな子供の相手は、面倒臭い。

私の幼少期を振り返ると、
そのような寂しい思いがいっぱい出てきました。

小さな子供相手に怒鳴ってばかりいるのは、
やっぱり、父も爺さんも自覚がないだけで、
精神病だったのではないか?と思います。

自分達が原因で家の中の
ゴタゴタが起きている事に気づかない。

そして、また誰かや
何かのせいにして
怒鳴ってばかりいる。

お爺さんも、父も怒りの塊のような所がありました。
だけど、怒りの塊は、裏を返せば、劣等感の塊です。

いつだかに、おじいさんが住む、
アパートの近所にある喫茶店に行こうとしました。
珍しく、おじいさんの機嫌が良いなと感じる日でもありました。

しかし、店に着くと、出入り禁止だと言われ、
マスターと口喧嘩がはじまりました。
そして、おじいさんの「二度とこんぞ!」と言う捨て台詞は、
覚えていますが、私は、子供心に、その方が、
マスターも嬉しいやろうなぁと思いました。

その後、喫茶店には、行きませんでしたし、
まっすぐ家に帰ったのかどうかも、
私は、覚えていません。

店員に文句を言うのは、爺さんの常識でした。
色んな所で暴言を吐いて威張り散らかしていたので、
兎に角、色んな所で、色んな人に嫌われていました。

私は、子供心にバカな爺さんだ
と思うような事が、いっぱいありました。

自己愛性パーソナリティ障害は、
人を下げる事でしか、
自分の承認欲求を満たせない。

爺さんは、典型的なこのタイプでした。

何があったかは、覚えていませんが、
市役所の人にも嫌われていました。

歩く嫌われ者と言いますか、
会う人、会う人に嫌われていました。

爺さんも婆さんも自分自身に
問題がある人でしたが、
外側のせいばかりにしていました。

お爺さんは、四六時中イライラの
電気みたいなモノが走っていて、
ささいな事で烈火の如く怒り出す事は、しょっちゅうでした。

人の事は、否定をし、自分の自慢話ばかりを話ていました。

本来であれば、一生、精神病院の中で過ごしていても、
おかしくなかった人ですが、一生、娑婆で生きた人でした。

ありのままになるのか、大袈裟になるのか分かりませんが、
十中八九の人から嫌われていた爺さんでした。

爺さんと婆さんは、私の幼少期~思春期まで、
やたら干渉して来ていましたが、
二人とも絵に描いたような怠け者で、
お爺さんは、自己愛性人格障害なので、
私は、幼心から仕方なく相手をしてやっている
みたいな思いを持ち続けていました。

出来る事なら関わりたくないのが本音でしたが、
幼い子供の時は、結局、関わるしか
選択肢がなかったように思います。

私は、幼少期の子供心に、この二人は、
どうしようもないなぁと思っていました。

おじいさんの直接の子供は、
私の父と、その弟、娘と、3人だったと思いますが、
父の弟にも、子供の時から、よく会っていました。

父の弟は、私にとっての、叔父さんになりますが、
その人も、子供心にバカな人だなぁと思っていました。

やっぱり、おじいさんに似ている所がありました。
そんなのだったので、私が小学何年生だったか覚えていませんが、
高学年では、なかったと思います。
その時に、私と殴り合いの喧嘩になりました。
叔父さんは、30歳を過ぎていたと思います。
結果的に、騒ぎに気づいた私の父が止めに入りました。

父も子供時代の私に、怒鳴りまくる人でしたが、
お爺さんと、叔父さんと比べたら、かなり、まともな人でした。

私の子供時代は、怒りと暴力が蔓延した家庭環境の中で育ちました。

その根源は、おじいさんと、
おばあさんであったと思います。

人様からも散々、嫌われた人でありました。
私を含め、お爺さんの身内である子供達からも嫌われていました。

でも、本人達は、嫌われている自覚がない。

あんな爺さんと婆さんでも、
一つぐらい良い所なかったかなと
思いを馳せてみましたが、
とにかく見つからない。
私が頑固なのかもしれませんが、
とにかく本当に一つも良い所が見つからず、
ただ、ひたすらに迷惑な存在であった。

爺さんが亡くなる少し前に病院に見舞いに行った時、
私が生まれる前の事は知りませんが、
私の知っているお爺さんの印象は、
人様から嫌われ続け、人の悪口を言い続け、
この爺さんは、一体、何の為の
人生だったのだろうか?と思いました。

この人は、誰かの役に立った事が
一度でもあるのかなぁ?
と何とも言えない気持ちになりました。

どれだけ人様に嫌われれば気が済むんだ?
と言うぐらい嫌われ続けた人でした。
それだけに生きている間も、死んだ後も、
私達、子孫に何らかの影響を及ぼしていることでしょう。

地獄に堕ちた先祖の話などを聞く事もありますが、
爺さんも婆さんも地獄にしか堕ちない生き方を
してきた人だったと思います。

おじいさんが死んで、
ようやく平和になったかと思ったのは、
大きな間違いでありました。

お爺さんは、自分の息子達もそうですが、
私の父の息子達にも影響を与えていました。

それは、自己愛性人格障害を作り上げると言う
根源としての役割になっていたと思います。

私の弟、末っ子もおじいさんの影響で、小学生の頃に、
手の付けられない自己愛性人格障害者になっていました。

その時、おじいさんは、既に他界していましたから、
最後の人格障害者を育て上げていたとも言えます。

江原啓之さんの話では、浮かばれない先祖が、
子孫に憑依するような事もあると言われていたと思います。
死後、まっすぐ天に還るような爺さんでは、なかったと思うで、
憑依もあったかもしれないなぁと思います。

地縛霊になった爺さんが
家系の子孫に憑依した。
残念ですが、これが事実のような気がします。

冷静になって考えてみれば、
小学生にしては異常すぎた。
そして爺さんと似たような所があった。
あの爺さんは、死後、十年以上も憑依と言う形で、
私達に迷惑をかけ続けていたのかもしれません。

憑依がなかったとしても、一人の人格障害者がいれば、
そこから何人かの人格障害者を作り上げてしまう。

上手くスルーできればいいのですが、
幼少期~思春期の間に、上手くスルーする事を求めるには、
無理があるでしょうし、何も分からない分、
それを素直に受け止めてしまったりで、
歪んだ人格を生み出す事もあると思います。

さらに自己愛性人格障害の人は、
やたら干渉すると言う特徴もあります。

子育てについては、各親に完全に任されていますが、
まともな親ばかりではない。問題のある親もいる。
問題のある親が問題のある子供を作り出してしまう。

そんな中でも、まともに育つ人もいると思いますが、
何も分からない子供に、それを求めるのは、酷な事だと思います。

だけども、最悪と思える親子関係、
環境の中で、まともに育つ人もいれば、
良い両親の元に生まれても、
どうしようもない人格に育つ事もある。

ある程度の年齢になったら、
すべては、自己責任なのでしょう。

子供の問題に頭を抱えている
親御さんも多いかもしれませんが、
家庭内環境に問題がなかったのか、
振り返りの意味も込めて、
そのような問題が起きている事も
あるような気がします。

私のおじいさんも、時代背景のせいもあったと思いますが、
おじいさんになるまで、あのような問題のある人が放置されていた。

だけど、おじいさんにも、その父なる人がいたでしょうから、
その父も、恐らく、問題のある人であったのでしょう。

そうやって、受け継がれて来てしまったのですね。

私は、専門家ではないので詳しい事は、分かりませんが、
子供時代に深く傷つけられたトラウマになっている事は、
自分も無意識の間に同じ事をするように
なっているのではないか?と思います。

その分野の専門家の人の話では、
人格形成は、かなり若い時期。
6歳ぐらいまでに基盤が作られ、
15歳ぐらいまでに大体、
決まるというような事を言われていたと思います。

だから、時を越えて、同じ事が繰り返される、
家系のカルマのようなモノになっているような気がします。

今、自己愛性人格障害だと言われている人は、その末裔。
本人が気づいているにしろ、しないにしろ、その人で、
その流れを終わりにするべき時が来ているような気がします。

小学生ぐらいの間に既に症状が出ている事は、多いと思いますので、
周りの目と言うのも大切になるでしょう。治療が遅れれば遅れるほど、
人格の歪みも大きくなっていくような気がします。

自己愛性人格障害が嫌いだと言うのは、簡単です。
しかし、それまで、それを見過ごしてきた。気づかなかった。
何ら対策をしてこなかった。放置してきた。
そのような、多くの人の責任と言うものも、あると思います。

おかしな思考の、おじいさん。
それより少し、まともになった父。
だけども、父も、生まれたばかりの私を怒鳴りつける人でした。
しかし、あのじいさんに育てられれば、そうなるでしょうね。

みんな女や子供や立場の弱い者には、高圧的。
だけど、本来やるべき事からは、逃げている。
稼ぐ力も、みんな、なかった。

サイコパスなどの人も、
脳に異常があるから、
そうなっていると言われています。

だから、必ずしも環境や親だけの
問題ではないかもしれませんが、
親だけに任せていたら、気づかれぬまま放置され
歳を重ねてしまう事も多いと思います。

義務教育や健康診断などの制度があるのですから
どこかで精神病などの検査を取り入れ、
あまりにも人格や精神に異常を抱えている人は、
そのような場で発見する事も必要だと思います。

だけど、スピリチュアル的な話をした場合、
敢えて憎まれ役とか悪役を買って出ていた魂もいるそうです。
その悪役を演じるには、かなり上級の人でないと演じられない。
そのような人達は、この時期に、目覚める人となるそうです。
既に他界している人で、悪役を演じていた人は、
浮遊霊などではなく、光に還っている事でしょう。

私のお爺さんも、悪役の方であったと信じたいですね。

そうではなかったとしても、すべては、
自分が選んで生まれて来た人生だと言います。
私にとって必要な学びがあったから、
あの爺さんと共に過ごした。

一つだけ運が良かったと思うのは、
あの爺さんの直接の子供ではなかった。
しょっ中、家に来ていましたが、
一緒に住んでいなかった事も運が良かったでしょう。

父も厳しかったですが、あの爺さんから、
よく、このまともな人が育ったと思える人だったと思います。
まぁ、そう思えるようになったのは、最近ですが。。。

私の家系。男系には、
人格異常者が多かったのですが、
あの爺さんと、まともに関われば、
正常の精神状態で育つ方が
不思議なぐらいだったかもしれません。
私も大なり小なり、その影響は受けているでしょう。

みんなの嫌われ者みたいな爺さんでしたが、
その爺さんがいなければ、
父も私も、今、こうして、この世に、
肉体を持って生まれる事が出来ませんでした。

だけど、ネガティブ感情を紙に書いて
吐き出した時には、あんな、爺さんと婆さんなら、、
はじめから、居ない方がよかったと言う言葉が出てきて、
その言葉が出て来た時にスッキリした気がしました。
あれが、吐き出し効果でもあり、私の本心であったと思います。

爺さんは、自分自身に人格上の問題を抱えていました。
かなりの人格異常者でした。しかし、自分ではなく、
何でもかんでも人のせいにして、悪口を言い続けたり、
思い通りにならないと瞬間湯沸かし器のように怒り狂っていました。

私は、子供心に、この人は、自分自身に問題があるのに、
何故、外側ばかりのせいにしているのだろうか?と思っていました。

これは、今、スピリチュアルな話でよく言われている話です。

私は、随分、幼い頃に、反面教師として、
この事を教えられていたのですね。

そして、今、子育てをしている親御さんに
伝えたい事は、子供は、
子供の人格を持って生まれて来ています。
ああだ、こうだと言い過ぎず、尊重してあげる事も大切です。

それこそ船井幸雄さんの長所伸展法。
経営にも人材育成にも、使える技。
勿論、子育てにも使える技だと思います。

そして子供の人格に問題があると
思えるような事があったなら
身内に迷惑爺さんのような存在が
いなかったかどうかを振り返ってみてください。

上流の爺さんと、
下流の弟が、一家の中で、
一番、人格異常だったので、
稲福薫さんの本を読んだ時に
カルマ流しは、上流から下流に向かって行くと
書かれてあって、その通りだと思いました。

そして、間の人は、下に不調和波動を
流せるから、まだいいのですが、
最下流の者は、下へ流す事が出来ないから、
その家系のカルマが噴出する事がある。

爺さんも弟も重度の精神病だったと思いますが、
精神科にさえ行った事がありません。本来であれば、
精神病院に強制入院させなければ、
ならないような状態でした。
(恐らくは、閉鎖病棟に入院している人の中でも、
かなり重症の部類になったと思います。)

本当に、いつ事件を犯してもおかしくない状態でした。
本当に一歩間違えば、世の中を賑わすような事件を
起こしていても不思議ではない状態でした。

誰がいつ殺人者になっていても
おかしくなかったし、
誰がいつ殺されていても
おかしくなかった。

幸いにして、そのような事にはなりませんでしたが、
紙一重の状態の事は、たくさんありました。

本来であれば閉鎖病棟に入院させておく事が
妥当な状態だったと思う人が身内には何人もいました。
そして、そうしなかった故に色々な方々に多大なる
迷惑をかけ続けていたので、そのような知識もなく
娑婆で自由奔放な暮らしをさせておいた
身内一同の罪もあると思います。

世の中を騒がしたような事件を犯した人の中にも、
家庭内に重度の精神異常者を放置しておいたか、
気づかなかった故に起きた事もあるかもしれません。
その場合、本来であれば被害者であるはずの人が、
加害者になっているようなケースもあると思います。
私の両親も弟の異常性に気づくのは遅すぎました。

だから、家族だけの問題にせずに、
行政など信頼出来る機関を頼る事も必要だと思います。

精神障害者移送サービスなどもあります。
中には、悪徳な所もあるようなので、
信頼出来る所に任せる事が必要だと思います。

スピリチュアル的には、毒親の元に生まれるのも、
カルマの法則でお互いの承諾あっての事
と言われたりしますが、
確かに、そうであるのかもしれませんが、
現状、目の前に苦しい課題があるのなら、
逃げようが捨てようが解決する何かが必要でしょう。
専門家を頼らなかった故に
事件などになる事もあると思います。

家の中は、波動装置

子供時代は、結構な時間を
家の中で過ごす事も多いと思います。

それだけに、家の中の波動の影響を知らず知らずの間に
受け取っている事も多い。

私の子供時代は、迷惑爺さんの事もそうですが、
父親も雷親父のような存在で怒鳴ってばかりいました。

借金取りからの電話も収まらず家の中は、
波動を下げる要素が満載でした。

父も爺さんも怒り満載の人でした。

引き寄せの法則で言えば、
それは、次から次へと
ネガティブな事を引き寄せるでしょう。

このシンプルな仕組みを反面教師として
教える為に、私は、あのような環境の元で
生まれ育ったのかなぁとも思います。

そして、私の波動も、かなり下がっているのが
当たり前の状態になっていたと思います。

世の中には、色んな家庭環境があります。

貧しくても愛情を注いでもらった人と、
そうでなかった人。

お金持ちであっても、親や育ての親からの
愛情を感じれなかった人もいるでしょう。

家庭環境は、みんなバラバラ。

かなり波動が下がっている家庭の子供を
どこかで波動調整する事も、
これからの世の中では、
必要になってくるかもしれません。

私の父も爺ちゃんも、父の弟も私の弟も、
家庭内を監視する何らかの仕組みがあったら、
みんな逮捕されていたと思います。

それだけ家庭内の事は、世の中には、知られていません。
事件としてニュースになっている事も氷山の一角でしょう。

この記事を書きながら、ふと思い出した事がありました。

大昔に斉藤一人さんのお弟子さんの一人と言われていた
故・芦川政夫さんのイベントに行った事があるのですが、
会場には、たくさんの人が来ている中、芦川政夫さんは、
私にも声をかけてくださりました。その時に、私の顔を見て、
あなたは小さい頃から「ダメだ。ダメだ。ダメだ。
と言われて育てられて来たのではないか?」と言われて、
その時は、私も全然、その意味が分かっていなかったのですが、
だいぶ経ってから、あぁ、やっぱり、
あの人は、分かっていたんだなぁと思いました。
私は爺さんと父に否定、批判されて育ちました。
とくに爺さんは、その要素が満載でした。

あの爺さんと父の元へ生まれて来たのにも
何らかの意味があったのかもしれません。

迷惑爺さんの直接の子供は、
私の父を含め皆、ろくな事になっていません。
爺さんの直接の子供は、皆、精神病になっていたと思います。

父も爺さんも小さな子供相手に容赦がない。
本気で怒鳴りつけ殴りつける人でした。

それは、厳しいのではなく、
ただ単に重度の精神病だったからでしょう。

迷惑爺さんは、自分の子供だけではなく、
孫だけではなく、生きている間は、
多くの方々に多大な迷惑をかけ続けた人でもありました。

その迷惑爺さんを精神病院に入れなかった罪は、
残された者達にもあったのかもしれません。

お爺さんは、知能指数が低すぎたのでしょう。
それだけに周りをバカにし続け、
自分の自慢ばかりしていたのでしょう。

本当の意味では、誰からも認められなかった。
だから、深い部分では、自分の頭の悪さを
必死で隠し通そうとしていたのかもしれません。

父も爺さんも精神的に弱く
恐れや不安を抱え続けていたから
ワーワーワーワーと怒鳴ってばかりいたのでしょう。

下へ下へと流すから、どんどん、おかしくなる。
一番の人格異常だった爺さんを何とかすれば、
未然に防げた事は、たくさんあったような気がします。

爺さんが入院

私の爺さんが入院してると聞いた時、
だから、何?と思った。
あんなモンが生きようが死のうが関係ない。
本気で、そう思っていました。

私は、10代でしたが、既に実家は、
出ていたので見舞いに行くのも、
面倒だと思っていた。

長い事、入院していたのですが、
どうでもいいから、ほっといた。

身内があまりにもしつこいから
仕方なく、一回、見舞いに行った。

管だらけでしたが
そのような状態でも、
ゾンビのような感じで、
嫌悪感が生じました。
来るんじゃなかったと思った。
それほどまでに異常な人でした。

大嫌いな爺さんだったので私は葬儀にも行かなければ、
四十九日などの法要にさえ行っていません。
罰当たりと言えば罰当たりかもしれませんが、
私は、それでよかったと思っています。

しかし、ご先祖様の中には、
怒り心頭の人もいたかもしれませんね。

そして、爺さんは、
いつ死んだとか知っていましたが、
爺さんの後、1人になった婆さんは、
いつ死んだのかさえ誰も知らない。

私の父や母や身内も知らない。
(私に教えてないだけかもしれませんが。。。)

私が知る限りでは、爺さんの死後、
しばらくして誰も会っていない。

だから私達は、葬儀さえもしていないし、
最後、病気であったなら見舞いすらしていません。

この事を私も私の家族も長い事、誰も気にしなかった。
そう言えば、どうしたんやろ?みたいな感じでした。

婆さんも迷惑と言えば迷惑でしたが、爺さんほどではない。

それなのに、誰も気にしなかったと言うのは、
それだけ変わった家庭だったのではないか?と思います。

爺さんを筆頭に低級霊に
憑依された人が多かった家系でもあると思うので、
家系の霊障と言えるかもしれません。

『親孝行は人柄による件』
https://t.co/THIIvWCAo9 #アメブロ @ameba_officialより

私の爺さんも、こんな感じでしたね。
私は、葬儀には、行っていませんが、
葬式の日に酔っ払いが
乱入する大乱闘だったそうです。
酒飲んで暴れる爺さんには、
ふさわしい最期と言えば最期でした。— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) June 19, 2021

爺さんも父も父の弟も私の弟も精神病。
精神病×精神病×精神病=精神病。
爺さんは、かなり重度の精神病でしたが、
一番最後の弟も、重度の精神病でした。

何故、そのような家系に生まれて来たのか?
それも、私の人生の一つの課題なのでしょうね。

私の爺さんが生まれ変わって、
最悪な人生を歩んでいるとしたら、
しょうがないよ。あなたの前世は、 
あんなんだったのだからと、
知ってる人は、思うでしょう。

私達、一人一人もそうで、
何処かに撒いた種があるから、
それを体験しているとも言えます。

私の人生も最初から、
地獄絵図みたいな状態だったので、
何処かに蒔いた種があったのかもしれません。

『またまたコスモボーさんのインスタ~』
https://t.co/df3nPyNbH5 #アメブロ @ameba_officialより

大嫌いな人は、大好きな人?— 毛🦀@スピリチュアルブロガー思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) July 5, 2022

↑のコスモボーイさんの話も、とても好きです。

また、少し話は、
変わりますが、毒親育ちでも、
それぞれの親や環境は、違う。

一概には、言えませんが、
親を捨てる事が今世の一つの
課題として設定して生まれて来ている
こともあるようです。

とても、そうは思えないなら、
その人にとっては、違うのでしょう。

私の家系で言えば、
父は、爺さんが亡くなるまで、
爺さんの奴隷。叔父も、父も、
人格障害になっていた。

身内関係の多くの人も
迷惑をしていた。

毒親を捨てる事は、
家系の負の連鎖を
断ち切る事でもあると思う。

毒親と何十年と関わっても、
結局、ろくな事は、ない。
ぐだぐだ言ってる暇があったら、
黙って捨てるか逃げるかしよう。

しかし、毒親と言っても、
皆、共通では、ないので、
それぞれの家庭事情、家系事情に、
よる所は、あります。

一説では、毒親=パーソナリティ障害。
と言う話もあって、毒親育ちの人の多くも、
自己愛性パーソナリティ障害の家系で育っているそうです。

error: Content is protected !!
モバイルバージョンを終了