調理師は、変り者が多い?料理人の世界は、厳しい?料理人だった私の叔父の話。

よく調理師は、変り者が多いと、
聞きますが、どうなのでしょう?

以前、自己愛性パーソナリティ障害の
叔父の話を記事にした事がありますが、
叔父は、調理師でした。

叔父は、変り者でしたが、
調理師は、変り者ばかりでもない。
まともな人も多い印象もあります。

でも、まず、私の叔父の話から、
したいと思います。

私の叔父は、
自己愛性パーソナリティ障害で、
自分に過剰なほどに甘い。
自分だけには、激甘です。

逆に人には、激厳しく、よく怒る。

そんな彼が、とても、
厳しい世界では、
やって行けるはずもなかった。

しかし、調理師として、
職場を転々としながらも、
それなりの仕事は、出来るようになった。

それなりの腕も身に付けた。

そこで、調子に乗らなければ、よかったのですが、

調子に乗って3回ぐらい自分の店を出して、
すぐに潰れました。でも、取り敢えず、
調理師としては、やって行けたのですね。

3回店を出したうちの一回は、
私も店を出す前の開店準備から、
手伝いましたがダメだこりゃの一言。

身内からの援助や協力を受けまくり、
助けてもらって当たり前。支えてくれて当たり前。

そのような考えなので、
少しつまずくような事があれば、
周囲に八つ当たり。

自分の腕は、一流だから、
店を出してしまえば、
必ず上手く行くと信じて疑わなかった。

兎に角、自分自身には、
強烈なぐらい甘い。甘過ぎる。

大口ばかり叩いて、すぐに泣き言を言う。

変なプライドだけ高い。

過去に職場を転々としていたのも、
甘い環境、甘い関係の職場では、
ある程度、続き、過酷な環境や、
厳しい職場では、
すぐに去っていたようです。

叔父が、どうしようもない人だった、
と言う事は、取り敢えず置いておいて、

調理師の業界は、
過酷な労働環境や厳しい職場は、
多いと思いますが、

私の叔父は、
ゆるやかな環境と言いますか、
自分を甘やかせてくれるような
職場でしか勤まらなかった。

だから、甘い環境の職場もある。
そう言った所は、全体の一部には、

なると思いますが、探せば、
それなりにあるようです。

調理師も離職率が、
高い職業と言われています。

それは、賃金の安さ、
労働環境の悪さ、人間関係の悪さなど。

これは、ある程度、リサーチで、
回避することも可能だと思います。

叔父は、職場を転々としながら、
そう言う職場に巡り合っていたようですが、

今は、ネットもあるし、
事前にリサーチをすれば、
良い環境の職場を見つけることも、
可能かもしれません。

正は、正の循環で、
負は、負の循環と言いますか、
一つが良い所は、他のことも、
良かったりします。

叔父は、物覚えも、
かなり悪い人でした。

何十年も同じ地域に住んでいながら、
その地域の土地勘がない。

100回ぐらい聞いた事でも、
覚えられない。そのような人が、
調理師として、仕事として、
色んな料理を作る事が出来た。

勿論、時間は、かかったでしょうけど、
厳しさを抜きにしたら、調理師としての
仕事は、それほどには、
難しくないのかな?
と言うようなことも思いました。

勿論、それは、
私の勘違いかもしれませんし、

調理師の経験もない私が言うのは、
調理師の仕事をしている人に対して、
失礼な考え方かもしれませんが、
身近に叔父を見ていて、
そう思ったのですね。

3ヶ月で寿司職人になれる?

以前、ホリエモンさんが3ヶ月で、
寿司職人になれると発言して、
問題になったことがありますが、
あれも、賛否両論の意見がありました。

私は、あれに関しては、
ホリエモンさんの言い方に、
問題があったと思ってます。

何十年も修行しなければ、
出せない味、人格、風格。

高級な寿司屋と、
回転寿司は、違う。

辛く長い修行をした人と、
3ヶ月で効率良く職人になった人では、 
立ち位置が違うのですから、

何十年もかけて寿司職人に、
なった人達を称えた上で、
そう言う事を言うのなら、
それほど問題にはならなかった、
ような気もします。

3ヶ月で寿司職人になるのは、
効率的で未経験の人には、魅力的。

それぞれのジャンルの
違いのようなモノだと思います。

ただ、ホリエモンさんも、
物事を経営者目線で見る所があるので、
儲かるか、儲からないかの判断。

一流の職人より、
一流の経営者の方が稼げる。

そのような考えから、
あの発言に繋がった気がします。

私の叔父は、何十年も、
調理師をやってましたが、
3ヶ月で職人になったタイプですね。

もっとも、3ヶ月で覚えられる所を
何年も、かかっていたとは、思いますが、
普通の人であれば、無駄を省いて、
効率化すれば、3ヶ月で、
寿司職人になることは、
可能だと思いますし、寿司でなくても、
可能性は、ありますよね?

かと言って、無駄に思えることこそ、
必要だったり、後々、活きることもある。

厳しい世界や長い期間の修行は、
そう言う体験をすることも多いと思います。

楽して簡単に職人になるのは、
どうか?と言う意見があるのも、
分かります。しかし、時代的には、
両方必要だし、両方需要があると思う。

いや、3ヶ月とは言え、

楽して簡単とは、違いますよね。

でも、何十年の修行をした職人さんと、
3ヶ月で職人になった人を比べるのが、
そもそもの間違い。まったくの別物。

厳しさの中で育った職人と、
甘さの中で育った職人なら、
前者の職人の方が職人としての
価値が高いのも当然のことです。

だけど、同じ何十年でも、
ダラダラやって一流に、
なったつもりの人もいる。

私の叔父がそうでした。

自分には、過剰に甘く、
人には、過剰に厳しく、
たいした腕もなく、
プライドだけ高く、
口だけは、一人前。

自分のミスさえ人のせいにします。

それは、何かの意図や策略があるのではなく、
本気で、そう思い込んでいるのですね。

そのような人が、
自分の上司だったら、
理不尽な事の連続です。

職場での理不尽なイジメや、
どうしようもないような事は、
飲食業界に限らずですが、
改善して行った方が効率も、
良くなるだろうと思います。

建設業界でも、
鳶、土方などの人は、
変り者と言いますか、
癖の強い人が多いです。
料理人の世界も、恐らくは、
そうなのでしょうね。

だから、辞める人が多い、
と言うのも、頷けます。

しかし、飲食店は、
たくさんありますので、
働く環境が良いお店を探すのも、
一つの手段だと思います。

変わり者が多いは、本当か?

結論的に、変わり者が多いとは、
よく聞くので、そうなのでしょうけど、
変わり者と言っても色々あります。

いい意味での変わり者の人もいます。

しかし、厳しさとイジメを
混同しては、いけない。

包丁を投げられたり、
フライパンで頭を叩かれたり、
昔の料理人の世界では、
そう言う事も、わりとあったと聞きます。

本当の一流の腕を持つ料理人の元でなら、
厳しさに耐える価値もあると思いますが、

私の叔父のように自分だけで一流だと思い込み、
他の誰一人として一流と認めていない人の元では、

無駄な苦労ばかりが増えると思います。

そもそも、師弟関係と言うのは、
弟子が師匠を尊敬しているからこそ、
成り立つモノだと思います。

だから、厳しくても理不尽な事があっても、
耐えられるものなのだと思う。

尊敬と言う概念があるか?ないか?
これも、結構、重要な所かもしれません。

調理師に限らずですが、
中途半端な腕で、
一流になったつもりの
職人さんは、多いそうなので、
本当なのかどうかを見たり、
周りの声も聞いた方がいいですね。

ある程度、自分で見極める目も必要。

本物の一流の人は、
言葉に動きにそれが滲み出る。

偽物の人も、それが滲み出る。

何十年もの積み重ねなら尚更。

自己愛性パーソナリティ障害の人は、
自分だけには、過剰に甘く、人には、
過剰に厳しくなるので分かりやすい。

犯罪心理学・凶悪犯には、不幸な生い立ちと言う共通項がある?毒親育ちの人も注意?

親から幼児虐待をされて育った人は、
犯罪こそ犯さなくても人格に、
かなりの影響を及ぼしている事があるので、
自分なりに気をつける必要がありそうです。

そもそも、毒親と言うのは、
家庭内犯罪者のようなモノで、
親も子供も治療が必要だったりします。

幼児虐待が日常だったりすると、
気づいていないだけで、
精神的にも肉体的にも、
破壊されている所があるかもしれません。

毒親家庭では、掛け算のように、
どうしようもない事が積み重なる。

あり得ない日常が普通になっている。

おかしな犯罪を犯した人の生い立ちを調べて行くと、
幼少期に置かれていた環境がよくないモノであった。

それは、犯罪心理学などの類では、
よく言われている事です。

健全な人格で育たないのは、
親や家庭環境に問題が、
あった可能性も大きい。

そんな所で日常を過せば、まともに、
育つ方が難しかったかもしれない。

ニュースなどで目にする、
どうしようもない事件。

その犯人達は、幼少期に、
どうしようもない環境で、
育っている事も多くある。

機能不全家族や毒親なども、
近年、話題になりますが、
この問題に向き合って、
変えて行く時期だからこそ、

それらの情報を見たり、
聞いたりする機会が、
増えているのかもしれない。

幼少期の環境が悪かった人、
みんなが犯罪者になるわけではないですが、

子供への無関心(放任)や過干渉。
罵声、暴力、否定批判、情緒的安定機能の欠如。
これらが家庭内の日常になっている事があります。

幼少期のトラウマなどが成長過程における、
人格に影響を与える事は、よくあるそうです。

毒親は、どれほど、
おかしくても、自分の事を
まともだと思い込んでいます。

だから、子供が生まれる前、
生まれた時、生まれた後、

親や家庭環境の定期的な調査が、
これからの時代は、必要な気がします。

むしろ、今まで、
そう言う制度がなかったから、
どうしようもない家庭環境で育つ子供達がいた。

人格異常者になった子供は、
思春期や成人を過ぎた頃に何かしらの問題を起こす。

問題を起こさずとも何らかの精神疾患になったり、
軽度知的障害になったりと言うこともある。

私が関わった何人かの軽度知的障害の人は、
聞いてみると、大概、毒親育ちの人が多かった。

障害者の「害」の字が、
差別だと「がい」と、
ひらがな表記されることが、
多くなりましたが、
障害者側は、そんな事は別に、
どうでもいいとの声も多い。

それよりも、私は、隠される言葉には、
それなりに意味があると思っています。

障害と傷害は、漢字は、
違っても読みが一緒。

家庭内で親から、 
傷害されていた人も多い。

それが、肉体的暴力だったとしても、
言葉の暴力だったとしても、
その両方だったとしても、

結果として障害者になった。

そう言う人も、かなりいると思う。

中には、触法精障害者など、
周囲に危害を加える障害者もいる。
それも、育ちの影響が大きい。 

境界性知能や反社などの人にも、
そのような生い立ちの人は多くいるそうです。 

貧困家庭で育った人が、
犯罪を犯す人になりやすい、
と言う話を聞きますが、 
貧困だけでは、ならないと思う。

しかし、毒親や、
機能不全家族には、
貧困状態の家庭も多い。

この両方が重なった時、
子供の人格に及ぼす影響が、
かなりあるのではないか?と思います。

必ずしも幼少期の境遇が、
悲惨であった人達が、
障害者になったり、
犯罪者になったり、
と言う事では、ないと思いますが、

幼き頃から親都合で、
諸々の事が行われているので、

まともな精神状態を
保つ事が難しいのだと思う。

おかしな事件を犯した人達の
共通項として、おかしな、
幼少期を過ごしているケースが多い。

小林正観さんの話の中に、
どのような人でも、17年間、 
理不尽な事に耐えていると、

堪忍袋の緒が切れると言う話が、
ありました。人間の構造として、
17年でそうなるらしい。

毒親と言うのは、
自覚がないだけで病気の親です。
そのような親元で過ごせば、
数多くの理不尽を体験する事になります。

と言うことは、青少年の犯罪も、
夫婦の離婚も、この事が、結構、
関係している事があるかもしれません。

自己愛性パーソナリティ障害の
自己愛憤怒なども、諸々の
ストレス等が溜まった結果ですからね。

幼少期におかしな家庭環境で、
育つ人を減らして行く事が出来れば、
未来の犯罪者を減らして行く事に繋がるかもしれない。

それ以前に、生まれたばかりの子供や、
三歳にも満たない子供が劣悪な環境で、
育つような事は、もう、時代的に、
あっては、ならない事だと思う。

どうしようもない親は、
指摘されようが、
その場は、合わせるだけで、
改善されないでしょうから、

調査の中で家庭環境が劣悪だと、
判断した場合は、その親に子育てをさせず、
子供を別の所で保護して育てる対策も必要。

家庭環境の問題は、その家系内で、
リレーのように受け継がれている事がある。
あると言いますか、むしろ、多いと思います。

それを終わらせる為に、
どうしようもない奴が、
その家系内に出現したりする。

あるいは、その家系の最後の人物に、
それが出やすかったりもする。

犯罪行為こそ犯さなくても、
毒親育ちの人は、親と自分は、
違うと思っていても、
何処か受け継いでいる所が、
あったりする事もあります。

自分は、まともなつもりであっても、
何処か、偏屈だったり、歪んでいたり、
おかしな価値観を持っている事が、
あったりもします。

そもそも毒親とは、 
本人の自覚がないだけで、
大概は何らかの精神疾患。

重症の精神疾患の事もあるでしょう。

そのような親元、
そのような家庭環境で、
子供時代を過ごしているのですから、
色んな価値観や思い込みの中に、
ズレているような事があるかもしれません。

それらの事に、
自分で気づいて修整を
かけれると良いですね。

スピリチュアル的には、見解が違う?

こう言うと語弊が、 
あるかもしれませんが、

不幸な生い立ちで育った人が、
犯罪行為を犯したのは、結果。
 
その人の人生の中の一部。 
生まれてから、それまでの
その人をずっと、
見ていたわけでは、ない。

もし、ずっと見ていたなら、
このような環境で育ち、
その人生の流れなら、
そうなるよね、
と言う事なのかもしれない。

育ちの影響が、
悪かったからと言って、
みんなが、そうなるわけでは、
ないでしょうけど、一定数、
そうなってしまう人がいる。

なので、そうなる前の発見、
対策、改善も必要でしょうね。

shandaraniさんのブログ記事~究極の話。毒親問題について。

shandaraniさんのブログ記事には、
一般的によく言われている、
毒親問題とは、違う視点のことが、
書かかれています。

shandaraniさん自身も、
結構な毒親育ちの方のようですが、
毒親と言う言い方は、しないと言われています。

私は、まだそこまでの域に達していないので、
相変わらず毒親と言い方をしますが、

shandaraniさんの記事によると、
苦しみの体験は、外からやって来るのではなく、
自分自身で作り出しているそうです。

自分に苦しみを与える人さえも、
自分自身で創り出したそうです。

自分自身で苦しみを作り出しているのだから、
自分自身の中にある自我やエゴを炙り出して、
昇華できた時には、苦しみもなくなるらしい。

しかし、毒親育ちと言うのは、
生まれた時期、幼少期から既に、
苦しい体験をしている事が多いと思うので、

わりと、前世的な事が、
関係しているのではないか?と思います。

shandaraniさんも、自分で蒔いた種を
自分で回収する為に致し方なく、
苦しみの体験をしていると言われています。

苦しみの種に自分で気づくことが重要。

だから、誰かや、何かが悪いと言うのは、
実は、違うのかもしれませんね。

そして、種は、根深い所にあるそうです。

そう簡単には、気づきずらいのかもしれません。

苦しみを与える人は、実は、私の中の
自我やエゴを炙り出して種を
昇華させる為の協力者であるらしい。

中々、そうは、思えなかったりもしますが、
本当にそう思えた時には、毒親さえも、
感謝の対象にしか、ならないのかもしれませんね。

でも、やっぱり、究極の話。

普通は、毒親と言ったら、
悪影響しかないと思ってしまいますから。

この話が本当の意味で腑に落ちるには、
それなりの段階まで進まないと無理があると思います。
私も、まだそこまでには、至っていません。

私の身内関係を見ても、
毒親の元にいれば同じように、
重症の精神疾患に、
なっているケースもあるので、
そうなると、いつまで経っても、
同じ事の繰り返し。時には、
毒親は、捨てるが勝ちの事も、
あるかと思います。

shandaraniさんが、
伝えられていることは、
難易度が高いと思いますので、
高い精神力と、それなりの判断力、
見極める力などが必要となると思います。

【コミュ障】コミュニケーション障害は、障がい者になる???

元々は、コミュ障は、障害の
症状として使われる言葉だったようですが、

近年は、障害には、当てはまらないような状態でも、
コミュ障と言う言葉が普及して分かりずらくなっているようです。

だから、障害に当てはまる人もいれば、
障害に当てはまらない人もいる。(←今は、こちらの方が多いのかも?)

障害になるにしろ、ならないにしろ、
コミュ障の人は、自分でもそれを感じている事は、多いですよね。

参考までに私も、
ネットのコミュ障テストをやってみました。

↑う~ん。当たっていると思います。

コミュニケーション障害は、
さまざまな要因によって、
引き起こされる可能性があります。

一部の人は、遺伝的な要因や
脳の発達上の問題によって、
コミュニケーションスキルが、
制限されている場合があります。

また、トラウマや不安障害などの
精神的な要因によっても、
コミュニケーションに困難を抱えることがあります。

コミュ障の特徴としては、
以下のようなものが挙げられます。

  • 社交的な場面での緊張感や不安感が強い
  • 相手との目を合わせることが難しい
  • 自分の感情や意見をうまく表現できない
  • 適切なタイミングで発言できない
  • 非言語的なコミュニケーション(身振りや表情など)が苦手
  • ただし、コミュ障と診断されるためには、専門家による評価が必要です。

コミュニケーションは、大事だと言いますが、
私は、必ずしも、そうとも思っていません。

と言うのは、コミュニケーションがなくとも、
伝わる部分も結構あったりもするからです。

それも、非言語コミュニケーションで、
コミュニケーションの一つでは、ありますけど。

障害者の事業所に行くと、
そう言う人は、たくさんいます。

身体的な障害で喋れない人もいれば、
精神的な障害で喋れない人もいます。

でも、それでも、伝わる部分と言うのは、
いっぱいある。障害者の事業所だから、
と言うのも、ありますけどね。

普通の世界では、通じない所も多い。

しかし、今の時代は、コミュニケーションを
それほど必要としない仕事もそれなりには、ある。

コミュ障には、別の障害の絡みでなっている事も多い。

知的障害

発達障害

自閉スペクトラム症(ASD)

注意欠如・多動症(ADHD)

学習障害(LD)

この他にも何らかの障害の
影響でそうなっている事もあるそうです。

家庭環境、幼少期の体験、トラウマなどが影響している事もある。

精神科医の中でも知っている人は、知っているけど、
知らない人は、知らない事ですが、毒親育ちの後遺症と言う事もある。

非言語コミュニケーションによって、
通じ合える所もありますが、
誰が相手でもと言うふうには、ならない所もある。

言語を使ったコミュニケーション不足によって、
誤解や勘違いなど、問題が生じる事もある。

だから、よく、コミュニケーションは、
大事と言われる所ですよね。

コミュ障の治療方法は、主に、
心理療法やカウンセリングになるようですが、
症状に個人差がありますので治療方法も異なるようです。

しかし、この症状だからと言って、
必ずしも、治療を受けなれば、ならないわけではないですし、
実際問題として、治療を受けていない人も多い。

でも、本人は、困っていなくて、
周りが困惑していたり、

本人が困惑していて、
周りは、何とも思っていなかったり、
ケースバイケースだったりします。

幼児虐待をされて育った子供は、大人になっても後遺症が残る事がある?

これは、私もそうなのですが、
恐らくは、虐待されて育った多くの人が、
そうなのではないか?と思っています。

幼児虐待されて育つと後遺症のようなモノが残ったり、
幼少期に親や祖父などからされた暴力や暴言などが、
フラッシュバックする事があったりします。

他所の家庭事情までは、分かりませんが、
家族の中に一人、幼児虐待する人がいれば、
身内の中に何人か同じような事をする人がいたりします。

そのような家庭では、虐待以外にも、
地獄の蓋を開けたような出来事が、
次から次へと起きていたりもします。

幼児虐待をする親は、
それを日常的にしています。

と言った所で、世の中の
家庭内問題故に起きる事件と言うのは、
氷山の一角であるような気もしています。

子供の頃は、違和感を感じつつも、
他所の家庭事情を知らないから、
親から言われた事を鵜呑みにしている事もある。

幼児虐待によって精神疾患や発達障害。
知的障害になる事もあるそうです。

知的障害かどうかの検査の際に、
脳に異常がないか調べたり、
小さな時に頭を強く打ったなどの事は、
なかったのか?などの
聞き取り調査があると聞きます。

幼児虐待が日常的にあれば、
親の暴力によって、脳に、
異常が出る事もあるでしょう。
ショックにもなるでしょう。

家系内で、親から子へ、また親から子へと、
繰り返されて来ているケースも多いようです。

いずれにしても、力の叶わない幼少期に、
大人から虐待を受けると言うのは、
衝撃やショックやストレスなどを受ける。

そして、虐待されて育った子供も、
思考や人格が歪んだ状態で大人になっている事がある。

女性にDVをする男も世の中には、
結構、いるようですが、彼等も、
幼児虐待されて育った結果として、
そのような思考や行動パターンが、
染み付いている可能性もあるかもしれないですよね。

自分は、それはしないつもりであっても、

無意識に染み込んだモノがあるような気がします。

心理学的にも、人格の軸となる部分は、
15歳ぐらいまでに形成されていると言います。

幼少期に必要なのは、
人から愛されていると言う実感。
人から必要とされていると言う実感。

これが結構、重要なようですが、
機能不全家族などでは、これとは、逆。

親からの愛情を感じれずに育っている。

虐待のストレスによって、
認知機能の発達が阻害され、
知的障害・学習障害のような様相を示していくことがありますし、
記憶や情動を適切に制御する力が損なわれ、
落ち着きのなさや多動傾向・衝動的な 傾向を示したり、
フラッシュバックや夜驚、ぼんやりしたり記憶が
欠落するといったような解離症状を示すこともあります。

ネグレクトなどにより、
栄養や感覚刺激の不足・日常的な世話の欠如による、
生活年令にそぐわない極端な発育障害や認知能力の
遅れが生じることがあります。 虐待された体験が
ふいにわきあがるフラッシュバックや夜驚、
ぼんやりし たり記憶が欠落するといった解離状態、
情緒不安定などの精神症状を呈することがあります。

毒親育ち、虐待育ちの結果として、
障害者になった人は、それなりにいると思う。

しかし、昔の時代であれば、
障害者認定されなかった人も、

今の時代は、精神疾患や発達障害、
軽度知的障害と発見されるので、
運が良いと言える側面もある。

一説によると、鬱病やパニック障害、
アルコール依存、過食症、
それらも、幼児虐待されて、
育った結果としてなる事もあるようです。

毒親は、人格異常者ですが、
毒親本人は、自分は、まともで、
自分こそが正義。自分の考えと違うと許せない。

毒親が子供に暴力を振るったり、
幼児虐待をするのは、彼等の正義。

だけど、正義だと思いつつも、
何処かで子供に泣かれたり、
騒がれる事を恐れている。

なので近所などに知られないように、
それをやっている事も多いと思う。

今は、児童虐待通報189もあります。

児童相談所虐待対応ダイヤル「189」について

  1. 虐待かもと思った時などに、
  2. すぐに児童相談所に通告・相談ができる全国共通の電話番号です。
  3. 「児童相談所虐待対応ダイヤル「189」」に
  4. かけるとお近くの児童相談所につながります。
  5. 通告・相談は、匿名で行うこともでき、
  6. 通告・相談をした人、その内容に関する秘密は 守られます。

児相に保護されたらどうなる?

一時保護の期間が過ぎると、

子どもは保護者の元に戻されるケースが多いです。 
しかし、家庭の状況によっては施設への入所、
里親への委託といった措置がとられる可能性もあります。

毒親育ちと言うのは、
ある意味、幸せになれない症候群。

マインド的な部分で、
そのような家庭環境で育った自分は、
幸せには、なれない。なっては、いけない。

意識的か、無意識的か、
自分で自分にブレーキを
かけている事もある。

毒親は、子供を暴力、暴言で支配する。
やたら過干渉で、子供のやる事に手を出し口を出す。

鎖に繋がれた犬状態。いや、今の時代、
犬の方が良い暮らしをしていたりします。

毒親にとって、自分の子供は、
自分の思い通りになる奴隷のようなモノで、
何とか自分の思い通りにしようとする傾向があります。

かと言って、親の思い通りになって育ったら、
完全に親の奴隷として一生を棒に振るような人生もある。

毒親の元にいる事で病気になったり、
その他の問題が生じる事もあります。

だから、親や家庭環境によっては、
親を捨てるのもありだし、それはしなくても、
それなりに距離を取ったり何らかの対策が必要な事もある。

虐待する親がいれば、
その家系内に人格上の問題を
抱えた人達が何人もいたりもしますので、
逃げるが勝ちと言う事もあります。

幼児虐待をされて育った人は、
私も含め親からの愛を受けて育っていない。
それ故の後遺症は、背負って生きる事になる。

それは、悪影響かもしれませんが、
同じような境遇で育った人の事が、
よく分かったりで、プラスに思えたり、
プラスに転じる事が出来る側面もある。

だから、終わってみれば、
必ずしも不幸な体験だったとも限らない。

自分が親から大事にされなかった分、
人を大事にすると言う事も出来る。
(言葉にするのは、簡単だけど難しい。)

毒親も、育ての親から大事にされずに、
育ったから毒親になった傾向もある。

弱い犬ほど、よく吠えると言いますが、
毒親は、精神状態が非常に弱く、
すぐに暴力や暴言で訴える。

毒親育ちは、精神、脳、神経、 
などを破壊されて来た部分は、
大なり小なりある。

そう言う人達の治療と、
そう言う親元で育つ子供達の保護は、
何らかの形で必要だと思います。

人間は、怒られたり、怒鳴られ続けると、どうなるのか???

この影響について、
chatGPTに聞いてみました。

人間は怒鳴られ続けられると、
さまざまな身体的および心理的な影響を
受ける可能性があります。

以下に一般的な影響をいくつか挙げますが、
個人によって異なる場合もあります。

ストレスと不安: 怒鳴り声や攻撃的な態度に
晒されることは、人々に大きなストレスを
引き起こす可能性があります。怒鳴られ続けることにより、
不安感や恐怖感が増大し、常に緊張した状態になることがあります。

自尊心の低下: 怒鳴られ続けることは、
被害者の自尊心に深刻なダメージを与えることがあります。

攻撃的な言葉や行動によって、
自己価値感が低下し、
自信を喪失することがあります。

パフォーマンスの低下: 怒鳴り声や威圧的な態度が続く環境では、
集中力や創造力が低下し、仕事や学業のパフォーマンスに
悪影響を及ぼすことがあります。ストレスの増加によって、
注意力が散漫になったり、ミスを起こしやすくなったりすることがあります。

対人関係の悪化: 怒鳴られ続けることは、家族や友人、
同僚との関係にも悪影響を及ぼす可能性があります。
被害者は、他の人々との信頼やコミュニケーションに対する
壁を感じることがあります。また、攻撃的な行動を
模倣するリスクもあります。

心身の健康問題: 長期間にわたって
怒鳴られ続けることは、心身の健康にも
悪影響を及ぼす可能性があります。
慢性的なストレスは、高血圧、心臓病、睡眠障害、
うつ病などの健康問題を引き起こすリスクを増加させることがあります。

怒鳴られ続ける状況にある場合、
できる限り早く安全な環境に避難し、
サポートを求めることが重要です。

 

他の記事でも書いた通り、私の親や祖父などは、
自己愛性パーソナリティ障害の症状があったので、
そのような親元、家庭環境で育つと、
ほぼ、すべてが当てはまりますね。

境界知能とは?「ケーキの切れない非行少年たち」を読んでみました。

まず、境界性知能の話ですが、
境界性知能を簡単に言うならば、

健常者の中で、いわゆる頭が悪い。
要領が悪い。呑み込みが悪い。
覚えが悪い。仕事が出来ない。

そのように思われている人達に、
当てはまる傾向があります。

それで、努力が足りない。
忍耐が足りない。もっとヤル気を出せ。
などと怒られてばかりで本人が、
参ってしまうケースもある。

障害者と健常者の境界線の知能。

だから、障害者ではなく、
健常者として生きなければならない。
そのような境遇に置かれている人達。

https://sikoutiryou.com/?p=2243

ヤンキー少年にも、
頭が良い奴もいれば、
悪い奴もいる。

今だと差別用語になると思いますが、
昔は、落ちこぼれと言ったりもした。

学校生活や勉強から落ちこぼれ、
自分の居場所がなく辿り着いたのが、
ヤンキーの世界だったと言う事もある。

実際、ヤンキー、ヤクザ、アウトロー。
それらの人種の中には、IQが低い人が、
それなりに混ざっている。普通の世界で、
生きられず、悪さをするしか道がなかった。
そのような人達が一定数いる。

その中で上手く、
やって行ける人もいれば、
その中でも、いいように、
利用されるだけの人もいる。

昔の時代であれば、
体力的な強さと、無謀さと、
卑怯さ、卑劣さ、などがあれば、
その業界でやって行けた事情もある。

もっと綺麗事を言えば、
努力、根性、忍耐、任侠、
かもしれませんが、少ない。

私の爺さんが元ヤクザでしたから、
その関係者は、子供の頃から見てました。

そもそも爺さんが、
あれだったので、
類は、友を呼ぶと言う、
感じだったのかもしれません。

私は、子供心に頭の悪い、
お猿さんの集まりかと思ってました。

今でこそ分かりますが、爺さんは、
自己愛性パーソナリティ障害でしたが、
知的障害のB1ぐらいの
知能の人だったと思います。

実際、自己愛性パーソナリティ障害と、
軽度知的障害の合併症は、結構ある。

そう言う人達を何人も見て関わって、
直感的に、あぁ、私の爺さんも、
この症状だったんだと思った。

古い時代だから、何の支援も受けられず、
気づかれず、惨めな自分を隠す為に、
威張って怒っての繰り返し。

しかし、結婚して、4人の子供を作った。
老後は、タクシー運転手や警備員の仕事を
やっていた時期もあった。

今の時代で、B1の知的障害の人が、
福祉の支援など何も受けず、
障害者年金も貰わず、父親として、
子供を4人育てた人は、中々、
いないのではないか?と思う。

私も当時は、兎に角、
爺さんを嫌うばかりでしたが、
自分の直接の子供だけでなく、
孫である私達にも積極的に、
関わろうとしていた。

その孫に嫌われるばかりだから、
爺さんも面白くは、なかったでしょうね。

そして、知能が低いから、
怒りっぽく、すぐに暴力と、
言う傾向がありました。

これは、私の爺さんに限らず、
自己愛性パーソナリティ障害に、
ありがちな傾向ですね。

でも、知的障害を伴わない、
自己愛性パーソナリティ障害の人は、
仕事の能力が高くて人格上の問題を
抱えていると言う事もあります。

知的障害や境界性知能であっても、
見た目的に強面でガタイが良かったり、
あるいは、喧嘩の強さなどで、
ある程度、裏の世界では、
生きられる時代があった。

それで余計に福祉的な支援から、
遠ざかっていた事情もあると思います。

でも、知能の低さで行き詰まったり、
失敗したりと言う事も、
あったかもしれません。

ホームレスが集まるドヤ街でも、
昔、悪さをしていた人は、多くいる。

中高年になって、自分が、
境界性知能や知的障害だったと、
やっと分かる人もいる。
分からないままの人もいると思います。

今の時代であれば、
はじめから障害者認定される人や、
養護学校に通っている知能の人と、
同じような人が健常者として生きていた。

その受け皿は、水商売だったり、
風俗だったり、建設業だったり、
運転手だったり、裏稼業だったり。

その中で、やっていける人もいれば、
やって行けない人や、
やって行けなくなる人も多くいる。

境界性知能と言うのは、
その名残なのかもしれない。

前振りが長くなりましたが、
ケーキの切れない非行少年たち。

近日、ドラマ放送もされるそうです。

アマゾンで本を買う時に、
レビューも参考にしました。
多くは、絶賛の意見でしたが、
☆一つや、☆二つのレビューも、
結構、貴重なモノがありました。

境界性知能だから、必ずしも、
こうだとは、決めつけられない。
それに、若いうちは、まだ伸び代も、
考慮しないとならない。

実際、底辺校で成績が、
1番下の方の人が一発逆転。
一流大学に合格と言うことも、
少数ながらある。勉強以外で、
どうか?までは、分かりませんが。。

非行少年には、
元々の知能が低くくて、
そうなる人と、その他の理由で、
そうなる人の二種類がいると思う。

知能の低さを努力で、
カバーする人もいるから、
検査しないと分からない事もある。

知能が高くて非行に走る人もいる。
関東連合と言う元暴走族のリーダーが、
事件を起こして国際指名手配されてますが、
彼は、少年院でIQの検査をした際、
非常に高い数値が出ていたそうです。

だから、短絡的に知能が低いから、
非行に走るとは、言えない。
知能が低くくても、
そうならない人もいる。

さらに言えば、
少年院に入ったから、
知能が高いとか問題があるとか、
分かりましたが、そうでない人は、
気づかれぬままかもしれません。

また、IQが低いことが、
必ずしも問題か?と言う疑問も、
残ります。IQが低くても、
知恵があれば、何とかなることも、
あると思いますし、知恵が知識に、
勝ることもあると思います。

しかし、現実問題として、
知能が低くくて、非行に、
走った人も多くいる。

ケーキの切れない非行少年たちは、
そのような人が題材となっています。

著者の宮口さんは、精神科医であり、
過去には、医療少年院などの勤務経験のある方です。

医療少年院は、発達障害、知的障害を伴った
非行少年が収容される施設で殺人や殺人未遂を
行った非行少年などもいたそうです。

なので、世間一般的に言われているような、
非行少年よりも、かなり凶悪犯罪を
起こした人達になると思います。

一般の少年院に収容される人は、
自分が罪を犯した自覚がある事が多いですが、
医療少年院に収容された人は、
その自覚さえない人も多い。

最初の方に認知行動療法について書かれてあります。

犯罪者やそれに類する人は、
考え方、捉え方が、
歪んでいると言う事がある。

思考の歪みを治せば、それによる感情も伴わない。
その結果として、問題行動を起こさなくなる。

認知行動療法は、簡単に言えば、
認知の歪みをなくして行く心理的アプローチ。

宮口さんは、医療少年院で関わった、
一人の少年と接した時に、
認知のすべてが歪んでいる。
世の中のすべての見方が歪んでいる。
見る力が弱ければ、聞く力も弱い。

そのような事を感じ取ったそうです。

しかし、認知行動療法は、
認知機能と言う能力に問題がない事。

それが前提の治療方法になるようで、
認知機能に問題がある少年に、
どうするべきか?と思い悩んだ。

私も、これを読みながら、
自己愛性パーソナリティ障害も、
かなり認知や見方が歪んでたなぁと思いました。

自分に自信がないと、
自我が脆くて傷つきやすい。
他者に対して攻撃性を剝き出しにする。

自己愛性パーソナリティ障害の人と、
関わった事がある人なら分かると思いますが、
ささいな一言に過剰反応して怒り出します。

それを自己愛憤怒と言ったりもしますが、
育ちの環境の中で長年、抑え込まれて来た、
恨み辛みが溜まっていて噴火しているような感じです。

これを繰り返して人様からは、
どんどん嫌われて離れて行かれます。

https://sikoutiryou.com/?p=1615

非行少年には、
毒親問題や貧困問題も、
関係していると思いました。

ケーキが切れないこと事態は、
私は、それほど問題ではないと思った。

と言うのは、非行少年が、
ケーキを3等分や5等分する切り口の図を見て、
こう言う発想もあるんだなぁと感心さえしました。

でも、それが非行に走る事と関連するなら問題なのでしょう。

彼等が、それまでの間に生き辛さを感じ、
その事に気づかれず、諸々の事が、
溜まりに溜まった経過などもある。

そもそも何故、認知が歪んでいるのか?
生まれつきのモノなのか?
幼児虐待などによる結果なのか?

諸々の要素もある。

感情の統制が上手く行かないと、
認知機能が正しく働かないそうです。

これは、一般の人でもカッとなると、
制御が効かなくなる人もいますよね。

善悪の問題を正しく認識出来ない人であれば、
尚更、その傾向が強くなるのでしょう。

車に例えれば、ブレーキがないようなモノで、
ブレーキのない車で走り続けて事故を起こす。

轢かれた方にとっては、えらい迷惑な話です。

幼女を襲う人は、学生時代に、
イジメられていたり、親から虐待をされていた、
経験を持つ人も多いそうです。

自分より弱い立場の人を攻撃するのは、
それを当たり前のようにされていたから。

かと言って自分も同じ事をしていいのか?
と言えば、違うのですが障害を持つ彼等は、
その事が理解出来ていなかったりするようです。

著者の宮口さんは、IQは、
高いのに要領が悪かったり、
非行を繰り返す人もいて、
ある時、BADS(遂行機能障害)の
検査を取り入れる事にした。

思考の硬さ。被害者意識が強い。
融通の利かなさなど。それらが、
少年院に入所している人達に、
多くみられたそうです。

一概に、こうだから、こうとは、
決め付けられないのですが、ある程度の
共通項のようなモノは、あったようです。

小さな女の子に性非行を行っていた、
加害者に共通するのは、イジメの被害者だった。

罪を犯した彼等には、
適切な処置がされますが、

そうなる前に、彼等を発見して、
治療を行うことが、
世の中の課題でもあると思います。

結構、早いうちに症状が出ている事も多いので、
学校や家庭で気づく事が必要です。

しかしながら、毒親では、
気づく事は、無理でしょうね。

育ちの環境でのストレスが溜まって、
犯罪を犯している人も結構いる。

著者の方の経験則から、
SOSのサインは、小中学校の頃から出ている。
小学2年生ぐらいから出ている傾向があるそうです。

中学生以降になると中々、
対応が難しくなるので、
なるべく早く気づくことが求められます。

教師や教育現場にいる人の誰もが、
この辺の事は、学んで欲しいと思います。

健康診断などと同様に、
これらの事を発見する検査も、
取り入れる事が望ましいと思う。

世の中で色んな、おかしな事件が起きています。
それは、私達と決して無関係ではなく、
そのような人達に気づかず放置した結果として、
起きた事件も結構な割合であると思います。

本来は、保護や支援が必要であるべき障がい者が、
それらがない為に犯罪を犯してしまう。

あまり、知られていないだけで、
こう言う事が、よくある。

現状、多くの少年院でも検査方法や、
障害があると思われる人に間違った対応を
されている事もあるそうなので、
悪循環が悪循環を呼び起こしている、
と言うような事情もあるようです。

この手の問題に関して、
学校の先生も少年院の
法務教官や刑務所の刑務官も、
知識や経験が浅い事もあるので、
著者の方のような人を交えて関わる、
外部との連携も必要であると思われます。

少年達の自己評価の向上の話で、
少年達は、人から頼りにされたい。
     人から認められたい。
     人に教えてみたい。

このような思いを多くの
少年達が強く持っていたそうです。

これって、吉田松陰さんが、
松下村塾で行っていた事ですよね。

それを、そのまま取り入れる難しさは、
あるそうですが、少年達の気持ちを知る上では、
役に立つことだと思います。

一口に境界知能と言いましても、
軽度の知的障害の中で優秀な人より、
劣るような人もいれば、一般社会に、
それなりに溶け込める故に苦しんでいる人もいる。

それは、一般的な健常者の人の
苦しみとは、また、質が違うので、
本人の苦しみが中々、
理解されなかったりもする。

反社会性パーソナリティ障害(サイコパス)と自己愛性パーソナリティ障害の違いは?

反社会性パーソナリティ障害の症状を見ると、
私の身内に結構、当てはまるので、

今まで私の身内は、
自己愛性パーソナリティ障害だと思っていましたが、
反社会性パーソナリティ障害だったのか?と疑問を持ちました。

しかし、サイコパスの人は、
IQが高い傾向があり、
自己愛性パーソナリティ障害は、
IQが低い傾向があるので、
やっぱり、自己愛性パーソナリティ障害に
当てはまると思います。

IQが高い自己愛性パーソナリティ障害も
いるにはいるようですが、露骨に分かりやすい
自己愛性パーソナリティ障害の人は、
IQが低い傾向があるように思います。

反社会性パーソナリティ障害は、
自己愛性パーソナリティ障害と何が違うのか?

反社会性パーソナリティ障害(ASPD)は、
しばしば「サイコパス」と呼ばれる事があり、
法律や社会規範を破る行動、他人を欺くこと、
冷酷な振る舞い、責任感の欠如などが見られます。

彼等は、自分勝手で、自己中心的であり、
他人の感情や利益を無視します。
ASPDの人々は、犯罪者や社会不適合者として、
認識される事があります。

反社会性パーソナリティ障害は、
社会の規範を破り、他人を欺いたり
権利を侵害したりする事に
罪悪感を持たない障害です。

精神病質、社会病質、
あるいは非社会性パーソナリティ障害とも呼ばれます。
他人を傷つけてもそれを正当化するといった特徴を持つ。

診断するには、少なくとも18歳以上で、
15歳以前にいくつかの素行症の症状が
出現していることなどが要件になります。

う~ん。爺さんや叔父さんに、
ほぼ、すべてが当てはまる。

自分さえよければ、
他の人の事など、
どうでもいいと言う人でしたから。

でも、15歳以前の事は、
私は、何も知らないですからね。

年齢が低い時の素行症が大きく関係しているそうです。

反社会性パーソナリティ障害を発症している人は、
全人口のうち、数%程度と、
言われているそうなので、さすがに、その枠には、
入らないだろうとは、思います。

反社会性パーソナリティ障害は、
私が想像しているよりも、
遥かにヤバい状態なのかもしれません。爺さんや叔父さんよりも、
さらに症状が露骨なのかもしれません。でも、症状的な事などに、
色々と目を通してみると、やっぱり、当てはまるのですよね。

仮にそうだったとしても、
爺さんは、他界しているし、
叔父さんも、高齢なので、
今更、調べる必要もないでしょう。

反社会性パーソナリティ障害にしても、
自己愛性パーソナリティ障害にしても、
生まれ育った環境の影響は、大きいそうなので、

子育てが、いかに重要かと言う事ですね。

そのような人格で育てば、
本人だけではなく、
関わる人も迷惑するわけですから。

でも、諸々の家庭事情や背景がありますので、
親も精一杯の子育てだったのかもしれません。

専門機関の心理検査でも、
ある程度の事は、分かるそうなので、
自己愛性パーソナリティ障害や、
反社会性パーソナリティ障害の
疑いがあると思われた場合は、
なるべく早目に連れて行かれるといいでしょう。

とは、言いましても、
パーソナリティ障害の診断は、
18歳以上からでないと出来ないと言われています。

(18歳未満は、まだ人格形成がされていない為)

全国のパーソナリティ障害専門外来のある病院・クリニック一覧

しかし、連れて行くのも、
子供のうちなら手がかからないと思いますが、
大人になってからだと難しいケースも多いと思うので、
そこから専門家に相談と言う事になると思います。

反社会的パーソナリティ障害の症状

  • 反社会性パーソナリティ障害は、人に危害を加える可能性が高い。
  • 自分が加害者であるのに被害者であるような事を言う。
  • 何が起きても相手が悪いとする。相手のせいにする。
  • 薬物依存、アルコール依存、窃盗、詐欺、虚偽、暴力、これらを繰り返す人もいる。幼児虐待。動物虐待。それらも平気でやる。
  • 他人を支配したい。支配出来ないと苛立つ。
  • 平然と嘘をつき他人を操る。他人を利用する。
  • 他者批判を繰り返す。
  • 良心の呵責がない。
  • 自分の自慢話ばかりをする。
  • 騙し。脅し。無関心。無計画。攻撃性。無謀。
  • 道徳心が欠落している。
  • 過去に逮捕歴がある人も多い。
  • 自分の思い通りにならないと、すぐにキレる。
  • 衝動的な行動を取る。後先を考えない。考えれない。
  • 他人に興味がない。だけど、口達者。
  • 仕事が続かない。転職を繰り返す。

自己愛性パーソナリティ障害の症状

自己愛性パーソナリティ障害は、
他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう
失敗に敏感であり、これらを気にしています。

怒りや軽蔑をもって反応したり、
荒々しく反撃したりすることがあります。

または、自尊心を守るために、
引きこもったり、表向きは、
その状況を受け入れたりすることもあります。

自己愛性と反社会性の違いは何ですか?
反社会性パーソナリティ障害患者は,
物質的な利益のために他者を利用するが,
自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心を
維持するために利用する。

反社会性パーソナリティ障害には、
承認欲求がないとも聞きます。

爺さんや叔父に関しては、承認欲求の
塊のような人でしたので、
反社会性パーソナリティ障害では、
なかったのかなと思います。

過敏型自己愛性パーソナリティ障害(HPD)とは???

自己愛性パーソナリティ障害(NDP)は、
私の家系に多かったような自己中心的な症状を持つ人達だけでなく、

分かりずらい要素を持つ、
自己愛性パーソナリティ障害(HPD)もいるようです。

こちらを分かりやすく例えるなら、
隠れ自己愛性パーソナリティ障害や、
潜在的、自己愛性パーソナリティ障害、
と言う事になるのかもしれません。

過敏型自己愛性パーソナリティ障害の人は、
誇大型とも言われるそうです。誇大広告などで、
使われている、あの誇大ですね。等身大の自分ではなく、
自分を大きく見せようとする。

裏付けるモノが何もないのに、
自分を大きく見せたがる。

無自覚型の人もそうですけどね。

自分を過大評価して、
他者を過小評価します。

過敏型の人は、一見、大人しく見える人が多いそうです。

対人過敏だから過敏型。

内気で恥ずかしがり屋で、
自分の意見や感情を
あまり表に出さなかったり、
と言う傾向もあるようです。

根底に抱えているモノは、無自覚(無関心)型の
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の人と、
同じであるそうです。↑の動画では、
無自覚型と過敏型に分けているようですが、

過敏型の人は、自分で、
自己愛性パーソナリティ障害との
自覚があるのでしょうか?

どうやら、自覚してないケースの方が多いようですね。

無自覚型の方が露骨に分かりやすい。
過敏型の方が分かりずらい。

どちらにしても、遺伝的な要因や、
子供時代のトラウマなどが関係しているそうです。

幼少期に親からの愛情を
もらえない環境にあって愛が枯渇している。
健全な人格が形成されなかった。

そもそも、何故、自己愛性の障害と呼ばれているのか?
と言えば、自己愛が未熟なままであるからだそうです。

本当の自分に自信が持てず、
本当の自分を受け入れられない。

ネットの情報では、以下のようなモノがありました。

周囲を過剰に気にする「過敏型」タイプ。
このタイプは身の丈に合わない理想化した、
自分自身を掲げますが、現実の自分との
間にあるギャップに悩みます。
他者からの評価に過敏ですぐに傷つきますが、
自分には本当は才能があるという思いを持ち続けています。
それゆえに自分自身を責めて落ち込んでいくサイクルが続きます。

過敏型の自己愛性パーソナリティ障害について、
調べてみましたが、深く関わっていないだけで、
私もそれらの人に会っていたような気がします。

しかし、深く関わらないと、
分からない事もあるでしょうから、
私は、過敏型の人については、
詳しくは、ないです。

日本人には、過敏型の自己愛性パーソナリティ障害の方が多いらしい。

私が勝手に思っている事ですが、
無自覚型の人は、男性に多く、
過敏型の人は、女性に多い。
そのような気がしました。

そして、どちらも、非常に傷付きやすい。

過敏型の人は、目立たないけど、
人間関係の問題を多く引き起こしやすい。
と言った所で無自覚型の人と結果は、同じ。

周りに自分がどう思われているかを
非常に気にするようです。

だけど、目立たず、おとなしい。
だから、分かずらい。気づきずらい。

問題を自己責任だと捉える事が出来る人は、
改善が見られるのですが、誰かや何かのせいに、
し続けていれば、一向に改善せず、ますます、
エスカレートすると言う傾向があります。

無自覚型の人も第一印象は、
良かったりもしますが、
すぐにボロを出します。

過敏型の人は、このボロを
中々、出さないと言う事もある。

穏やかで、真面目で、好印象。
だけど、急に掌を返したりしたりもする。

周囲にどう思われているかを
気にするあまり、登校拒否や、
引きこもりになる人もいるそうです。

結論的に過敏型と無自覚型の
分かりやすい違いは、何か?
と言う事ですが、

無自覚型は、激しい。
露骨に分かりやすい。

無自覚型の人の主張が激しいに対して、
過敏型の人は、主張は、あまりしない。
溜めて溜めて、溜めて、ここぞと言う時に出す。

トラウマケア専門こころのえ相談室さんのブログ記事

自己愛性人格障害の過敏型・無関心型

過敏型と無関心型のどちらかに、
当てはまると言う事でもなくて、
この両方を行き来しているパターンも多いそうです。

心理オフィスKさんのブログ記事

共通項は、どちらも、
自分だけに、とことん甘い。

これが、以下のような感じだったら、
理解してくれる人もいると思いますが、

自分に甘く人にも甘く。
自分に厳しく人にも厳しく。

自分に甘くて人には、厳しい。
それでいて、人に依存したり、利用したり、
と言った事を繰り返していれば、やっぱり、
人は、離れて行きますよね。

危険な障害者?触法障害者(しょくほうしょうがいしゃ)とは、何ですか???グループホームの入居などの支援が重要?

触法障害者とは、
罪を犯した障害者、
再犯を繰り返す障害者。

障害者の世界の一部の
話ではありますが、
薬物中毒者や過去に傷害等での
逮捕歴がある方もいます。

そう言う人も触法障害者に、
当てはまるかもしれませんが、

一般的に触法障害者と言う認識を持つ場合は、
もっと、障害の症状が悪化している人を
指しているケースが多いような気がします。

随分前に読んだ本に、
「累犯障害者」と言う本がありますが、
著者の方は、中にいる知的障害者の
受刑者が多くて驚いたそうです。

刑務所の中で「そんな事したら、
刑務所に入れられちやうよ」と、
知的障害者同士の会話があったとか。

彼等は、今、既に、
刑務所に入れられているとの、
自覚がない人もいるようです。

でも、服役すると言う事は、
一応、責任能力は、あったのかな?

責任能力があると判断される場合と、
責任能力がないと判断される場合があるようです。

凶悪犯罪等を犯しても、
責任能力が問われない。
そのような障害者もいます。

責任能力が問われないのですから、
罪を犯しても無罪。刑務所には、
入らず精神病院に入院されます。
(必ずでは、ないようです。)

医療観察法と言う法律に基づいて、
適切な処置がされるそうです。

医療観察法は、刑罰的な目的ではなく、
犯罪防止の為に罪を犯した人に、
適切な治療を提供する事が目的であるそうです。

医療観察法による観察期間は、
3年~40年の間で判決によって決定される。

観察期間中は、病院や施設などで、
治療やケアを受ける事が求められる。

治療が終了した場合、裁判所の決定によって、
被観察者は社会復帰する事も出来る。

私も過去に何人か、
そのような人達と関わりがありました。

当時は、私も無知だったので、 
精神病院に20年も入院していたと聞けば、
人権問題ではないか?と思ってましたが、

それ相応の理由もあったし、
それ相応の事をやった人達だったようです。

でも、あの時は、無知な事が、
功を奏したと言いますか、余計な、
先入観がない分、普通に接することが、
出来たと思います。それに、20年も、
精神病院に入院していた人達ですから、
問題を起こさないようにと本人が、
気を付けていたようにも思います。

昔の時代だと、
冤罪のような事も、
あったかもしれませんし、

家族の一方的な意見で、
例えば、親に問題があるのに、
子供が悪いなどとされて、
そう言う事があったかもしれません。

私の爺さんも叔父さんも、
本来であれば、一生、
精神病院に入院していても、
おかしくない人だったと思うので、

そのような人と関わる際の
ある程度の免疫もあったと思います。

精神病院に20年入院していた人も、
同じ事ばかりを繰り返し言うとか、
自己愛性パーソナリティ障害の
要素は、ありました。その辺で、
多少なりとも、そう言う人に、
慣れていたのですね。

しかし、20年も入院していると、
ボケたような感じにもなってしまいます。

いや、しかし、叔父さんや、爺さんは、
娑婆にいながらボケていたので、
それが原因では、なかったのかもしれない。

若年認知などもあるようですが、
叔父さんにおいては、30歳の時に、
既にそう言う症状でした。その前は、
どうだったかは、不明です。

本人にとって、
精神病院の20年、娑婆の20年。
どちらが良いのでしょうか?

経験出来る事は、娑婆の方が多い。
治療は、精神病院の方がいいのかな?

叔父さんも爺さんも、
兎に角、関わる人、関わる人から、
メチャクチャに嫌われていました。

そう言った意味で、
周囲の人にとっては、
本人がいない方が良い。

同じ罪でも刑務所に入った方が、
期間は、短い。罪を償わない分、
自由な時間を長く、
奪われたのかもしれない。

医療観察法も一部において、
無意味だとの議論も、
されているそうです。

私も前々から思っていた事ですが、
何か事件を起こした人が精神鑑定の結果で、
どうたらこうたら。いや、事件起こす前に、
精神鑑定しろよと思います。

だけど、今の日本の法律では、
事件を起こした後に精神鑑定。

稀に事件を起こす前に、
精神鑑定が行われる場合もあるそうですが、
本人の同意が必要になる。

事件後であれば、
事件との関係性を調べる為に必要なので、
すべてではないですが、
裁判所から強制出来るそうです。

まぁ、事件を犯していれば、
強制にしろ、任意にしろ、
本人も同意せざるを得ないでしょうけど、
事件前だと本人が拒む事が出来ると言う事ですね。

そして、今は、人権問題などの観点から、
精神病院に長期入院と言う事が、
難しくなって来ているようなので、
一昔前であれば、10年、20年と、
入院されていたであろう人が、すぐに退院する。
それは、逆に周囲の人にとって、よくないのでは?

近年、おかしな事件が増えているのは、
このような事が無関係でもない気がします。

触法障害者は、元犯罪者と言う事で、
福祉関係の受け入れ先から拒まれる事もある。

それも当然と言えば、当然で、
周りの障害者の方への影響を考えた時に、
悪影響が及ぶ可能性もある。しかし、
彼等を放置しておけば、また、犯罪に、
手を染めるかもしれず、グループホームへの
入居などの支援が重要となってくるようです。

自己愛性パーソナリティ障害に長年、寄り添う妻は、発達障害の可能性がある???洗脳???

これは、私の身内の話なので、
世の中の他の家系の事までは、
分かりませんが、

自己愛性パーソナリティ障害がいる、
家庭では、似たり寄ったりの事も、
あると思います。

私の爺さん、叔父、父。
皆、この症状でした。

言葉は、通じないし、何か言えば、
すぐにキレて怒り出す。爺さんの子供である、
父や叔父も、結局そうなっていたので、
環境的な遺伝は、ありましたよね。

爺さんの妻は、早い時期に、 
亡くなり、次の妻は、
私が知っている婆さんになります。

爺さんが亡くなるまで、
一緒に暮らしていました。

叔父は、女性遍歴が多く、
私が知っている最後の
内縁の妻は、長年、
寄り添っていました。

私の母も亡くなるまで、
父に寄り添っていました。

それぞれ不満を言いながらも、
長く、一緒に暮らしていた。

それは、それで凄い事だし、
大変な事も多かったと思いますが、
私が、それぞれの妻を見て関わって、
知能指数が低いかな?
と思われるような事も、
多々ありました。

皆、自覚がないだけで、
発達障害や軽度の知的障害や、
境界知能だったのかもしれません。

まともな知能指数の人であれば、
自己愛性パーソナリティ障害が、
異常者である事に気づく。
 
それでも、一緒にいる、
と言う人もいるとは、
思いますが、大概の人は、
離れて行くと思う。

発達障害や、
軽度知的障害がある為に、
相手の諸々の異常性に、
気づかない事も、
多かったのかもしれない。

自己愛性パーソナリティ障害の人と
長年連れ添っていながら相手が、
その症状だと気づかない。

自己愛性パーソナリティ障害。

一見、まともそうに、
見えたりで、最初こそ、
分かりずらい要素もありますが、
ある程度の正常な知能があれば、
気づく人が大多数だと思う。

自己愛性パーソナリティ障害の
症状について知らなくても、
異常な人格である事には、
気づくと思います。

自己愛性パーソナリティ障害に、
ランクと言うものは、付けられて、
ないようですが、敢えて、
軽度、中度、重度、
とランク付するなら、
私の爺さんと、叔父は、
重度だったと思います。

基本的に何処へ行っても嫌われ者でした。

最重度とも言える状態でした。

傍から見たら、何故、
別れない?何故、
一緒にいる?

と言う感じだったと思う。

重度だと自分以外の人は、
ゴミや奴隷のように扱う。

怒りと愚痴不平不満と、
悪口文句が止まらない。
自慢話も止まらない。

上手く行かないと、
泣き事を言うか、
人のせいにして怒り出す。

自分でやらかした事さえも、
人のせいにするので、
会う人、会う人から嫌われる。

認知症のように1日の間、
1時間の間に、同じ事ばかりを
繰り返し言う癖がある。

女性や子供など、
自分より立場の
弱い者に対しては、
とことん威張る。
 
自己愛性パーソナリティ障害の人は、
潜在的に弱者を発見して、
すがる、頼る、甘える、依存する。
コントロールする。
そのような傾向もあります。

自己愛性パーソナリティ障害の
被害に遭う人は、優しい人が多い。

だけど、相手は、
自分の事しか、
考えていません。

この症状の人に、
いいように利用されるだけ、
と言う事がよくあります。

本人が歩く恥晒し、
みたいな感じですが、
プライドだけは、高い。
結果、恥をとても嫌う。

勿論、悪い事ばかりではないから、
一緒にいるのだと思いますが、
基本的に長く一緒にいた所で、
ろくな事には、ならない。

本人も晩年は、ろくでもない、
結果になる事も、多いようですが、
傍で支えた妻達も心労が多かったと思う。

爺さんの最初の妻も、
若い時期に亡くなってるようですし、
私の母も60歳で死んでます。
叔父の妻は、皆、逃げた。

逃げるが正解だったと思う。
私が知っている最後の内縁の妻は、
かなり、長い年月、一緒にいたので、
若い時期を無駄に過ごしたかもしれない。

その人も知能指数的に、
う〜んと思うような所は、
ありました。それまで、
彼と関わった女性達は、 
すぐに離れて行った事を
思うと、長く連れ添ったのは、 
それが理由だったのかな?
と思う所は、あります。

自己愛性パーソナリティ障害の人と、
関わると不幸の連鎖反応のように、
次から次へと色んな事がやって来ます。

関わった事がある人なら、
分かると思いますが、

基本的には、関わらない、逃げる、
離れる、これが無難てす。

自己愛性パーソナリティ障害の人は、
障害者ではなく、健常者として、
生きている事も多いです。

1を10ぐらいにして、
大きく言う所は、
ありますが、私の父は、 
最後、倒産しましたが、
長年、会社経営をしていました。

叔父も3回とも店を潰しましたが、
調理師として独立する腕は、
一応は、持ち合わせていました。

爺さんも重度の精神病
だったと思いますが、
死ぬまで健常者として、
生きていました。

なので、精神医療に、
繋がらない事も多い。

繋がっていたら、
即、入院かもしれない状態で、
日常を生きていたりします。

この症状の人が職場だったり、
学校だったり、身近な所に、
いる可能性があります。

簡単な判断材料としては、 
自慢話が多い。怒りっぽい。
自分に甘く人に厳しい。

これだけで決めつけてしまうのも、
違うと思いますので、この症状の
専門サイトなどがありますので、
それらを見て総合的に判断してください。

関わると、ろくな事は、
ないので、皆、離れて行くのてすが、
気づかない人ほど、長く一緒にいる、
と言う事は、あると思います。

いや、気づいていながらも、
一緒にいる事もあると思うので、
一概には、言えません。

基本的に関われば、
違和感を感じる事は、多いはずです。

違和感を感じないのであれば、
それはそれで問題あるのかもしれません。

違和感を感じながらズルズル行っても、
結果、路頭に迷ってしまう事もあると思います。

本人は、異常者ですが、
正常なつもりでいるので、
相手をどうこうは、
難しいと思いますよ。

この症状の人は、関わらないようにしても、
やたら干渉してきたりもしますので、

その辺も上手くかわせる対処術も必要だったり、
あるいは、この症状に詳しい専門家を
頼った方がいい事もあると思います。

結局、自己愛性パーソナリティ障害の
家庭で育った人は、それが日常なので、
そこに疑問を持たないと環境遺伝する。

そうなると余計な苦労が、
重くのしかかります。
お子さんがいれば、
お子さんにものしかかります。

そして、また、
環境遺伝して行く可能性がある。

私の爺さんも叔父も、威張って、怒って、
悪口、文句ばかりを言って終わる人生でした。
自分の子供の一生をそうさせたいですか?

結論的に、自己愛性パーソナリティ障害の人と、
一緒にいれば、数々の異常な事があると思います。
相手が異常者である事に気づくはずです。

気づいていて一緒にいるなら良いのかもしれませんが、
そこに気づかないようなら一緒に寄り添う方にも、
やっぱり、どこか問題があるのかもしれません。

問題と言うのは、知能的な部分、
と言う要素もあると思います。

洗脳?

自己愛性パーソナリティ障害の人達は、
意図的ではないですが、
洗脳教育をしていたりします。

他所の家庭とは、かなりズレがあります。
自分の所は、まともで、
他所が間違っていると言いますが、

むしろ、全然、逆の事の方が多いと思います。

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