捨てる神あれば、拾う神ありと言いますが、
親に捨てられた子供もいれば、親を捨てた子供もいます。
今回は、親を捨てた子供について話たいと思います。
私は、基本的に、毒親であれば、
捨ててもいいと思っています。
むしろ、どうにもならない毒親なら
捨てた方がいいとさえ思っています。
(私もどちらかと言うと、こちら寄りの
環境だったのでそう思うのかもしれません。)
親を捨てた事で、ようやく自分の人生を歩みはじめ、
幸せになったと言う人達の話もたくさん聞きました。
私の爺さんも、毒親(毒爺)で、自分の子供や
孫にやたらと干渉し過ぎる迷惑爺さんでした。
みんなからエネルギーを奪い続ける
エナジーバンパイアでもありました。
死の直前まで、皆に多大な迷惑をかけ続けた人でした。
多くの方々に嫌われ続けた人でありました。
あの爺さんを切り離したり精神病院に入れたり、
爺さんとは、遠く離れた場所に住んだりしていれば、
父や母や私達も悪影響をそれほどには、受けずに済んだと思います。
恐らくは、爺さんの悪影響で
精神異常者とも言える状態の者が
何人も出来上がっていました。
距離が近すぎるが故にゴタゴタが起きる事もあります。
父の父は、爺さん。その先祖を辿って行けば、
大元の神にまで辿り着く。だから、どんなに
出来の悪い爺さんでも感謝した方がいいのかもしれませんが、
感謝の仕様がない時は、無理に感謝しなくてもいいと思います。
私も未だに爺さんには、感謝の気持ちが沸きません。
ゴミかゴキブリかぐらいにしか思えません。
親や環境は、自分が選んで生まれて来たと言います。
しかし、毒親とずっと関わり続ける事までは、
選んでいないかもしれません。
だから、自分の環境を整える事も大切です。
いつまでも毒親の支配下にいたら、
圧倒的に悪影響の方が多くなります。
私も身近で見て来たから、よく分かるつもりです。
基本的に毒親は、過干渉である事が多い。
それでは、いつまで経っても
自分の人生を生きる事が出来ません。
完全に断ち切るのか。距離を置くのかは、
個人の状況や考え方などによって違うでしょうけれど、
成人して自分の力で稼いでいるのなら、
毒親からは、離れた方がいい。
(私は未成年の時に離れました。)
その距離も遠ければ遠いほどいい。
だけど、毒親であればあるほど、
子供が自分の傍から離れる事に大反対します。
過干渉なので関わり過ぎるのもありますが、
深層心理的には、自分が困るからです。
自分の思い通りにコントールしたいと言う
強烈な思いがあるからです。
(毒親本人は、その事に気づいていません。)
本物の毒親だと思っているなら、
もう二度と会わないつもりで、
もう二度と家には、帰らない覚悟を決めて
出られるのもありだと思います。
毒親を断ち切った人達は、
それぐらいの覚悟を決められています。
そして、世の中には、
血は繋がっていなくても、
実の親子より縁が深い人達との
出会いが待っている事もあります。
血の繋がりだけが唯一絶対のモノでは、ない。
それなりに良い環境。良い両親の元で生まれ育った人は、
親を捨てるなど、あり得ない。親不孝者。ろくでなし。
そのように思うかもしれません。確かに、そうかもしれませんが、
毒親の支配下に置かれている状態では、人生を棒に振ります。
親の人生を生きるのか?
自分の人生を生きるのか?
長いこと、毒親の元にいると気づかない間に、
自分自身がおかしくなっていたり、
感覚が麻痺していたりで、毒親の元にいながら、
毒親だとも気づかなくなっている事もあります。
私の父も他界した迷惑爺さんと同じぐらいの歳になりましたが、
私から見て、決して良い人生を歩んで来たとは、思えない。
自分の家庭を持った後も長いこと、爺さんの支配下。
爺さんが死ぬ直前まで爺さんの監視下の元にいた感じで、
母や私達も、多大なる迷惑ばかりをかけられていました。
その影響で、あり得ないほどの人格異常者が育ち、
結果的に爺さんの死後も、その悪影響がありました。
自分の子供である人格異常者のせいで、
父も高収入の仕事を失ったりで苦しむ事になった。
自分の子供である人格異常者に母も苦しめられ、
父よりも先に、この世を去る事になりました。
これも私の家庭の氷山の一角の出来事です。
しかし、爺さんは、明らかな異常者でしたが、
父がフェイクと言うか父も重度の
精神病だったのではないか?とも思います。
父の弟も明らかな異常者でした。
そのような家庭を間近で見て来たので、
私は、毒親の元を離れる事をお薦めします。
毒親の元を離れた時からが人生の折り返し地点。
人生立て直しの再スタートであると思います。
冨士金弥生さんは、毒親問題は、
霊障の事もあると言われていたと思います。
私の家系も低級霊に
憑依されたような人が多かった感じなので、
やっぱり、霊障だったのかなぁとも思います。
そもそも家系そのものが重症とも言える
精神異常者の家系でした。
だから、霊障と言う家系のカルマもあったのでしょう。
良い親を捨てた人達
世の中には、毒親とは真逆の
良い両親を持ちながら、
それぞれの理由で、親を捨てざるを
得ない状態になった人もいます。
アウトロー的な生き方を続けた結果、
そうなった人もいます。
良い親なら片親であれ、両親であれ、子供がいつ何処で
何をしていても心配されている事だと思うので、
どんな形であれ、連絡したり
顔を出したりはして欲しいと思います。
良い親を捨てた人は、必ずではないですが、
自分自身も、また何処かで誰かに
捨てられるような体験をされている事もあるようです。
それは、信頼していた人や大切に思っていた人に
裏切られると言う形だったりもするようです。
親を捨てた代償や因果応報で
そうなったのかは分かりませんが、
人間の心には、良心があります。
良い親を持った人ほど、親を捨てた時に、
自分の良心が痛むのでしょう。
その良心が自分自身を裁き、
自分に罪や罰を与えて
解消させているのかもしれません。
良心は、イコールで両親。そんな気がしています。
ひらがなにしてもカタカナにしても同じです。
良心=両親。「りょうしん」「リョウシン」。
良い両親を裏切ったから自分も裏切られる。
単純で簡潔な見方になりますが、
毒親を捨てた人は、幸せになり、
良親を捨てた人は、不幸になる。
このような傾向になりやすいようです。
だからこそ、良親を捨てた人は、両親への
深い反省と感謝の心が大切になると思います。
(これは、毒親を捨てた人にも言える事だと思います。)
例えば、勘当されていたにせよ、
電話なり手紙など出したりして、
反省や感謝の思いを送るのでもいいと思います。
可能であれば、やっぱり会いに
行かれるのが一番いいと思います。
両親を大事にしない人は、
どこかで自分が大事にされない事になります。
電話も手紙も会いに行くのも無理。
そうだとしても感謝や反省の気持ち。
その心は、見られていることでしょう。
良い親を捨てるしか選択の道がなかった。
連絡の取りようもない。既に他界している。
だとしたら、良い親を捨てた分、
色んな人達を大切にする事が、
その人の生きる道だと思います。
宇宙的には、善もなければ、悪もないと言います。
しかし、私達の心は、善悪を判断しているのでしょう。
だから、罪悪感などを感じたりします。
神も仏も罰や罰を与えない。
与えるとしたら自分の良心が与えている。
外側には、何も無い。すべては、
自分の内側の反映としての現実世界です。
私の心が、その周波数を持っていたから、
その現実を映し出したようです。
すべての現実は、
100%自分自身で創り出している。
だから、自分の目の前に、
どれほど心が醜いと思える人が現れたとしても、
その周波数を私の心が持っていたと言う事になります。
私の事で言えば、迷惑爺さんも、
私の心の周波数で
映し出していた人であったと言う事です。
私がその周波数を持ち続けていれば、
人を変え、場所を変え、
似たり寄ったりの人が私の前に現れる。
私の人生を振り返った時に、
精神異常者や自己愛性人格障害の人と出会う事が
やたら多かったなぁと思います。
私自身が精神異常者や自己愛性人格障害と言う
周波数を持って生まれて来たのでしょう。
私が生まれて間もなく既に、
そのような地獄絵図だったので
その周波数はカルマと言えるかもしれません。
死んだら地獄に堕ちると言ったりしますが、
むしろ、転生後に強制的か自主的かは、
分かりませんが地獄のような環境を
選ぶ事もあるのかもしれないなと思います。
私の今回の生まれた育った環境は、
どちらかと言えば地獄のような家系だったので、
私自身が前世などの罪穢れによって、親や家系を
選んで生まれて来たと言えるかもしれません。
DVなどの被害に遭われる女性も、
何度もそのような男に引っ掛かると
聞いた事がありますが、自分の心に
そのような周波数を持っているからでしょう。
だから、一番の解決策は、自分の心を替えること。
人の振り見て我が振り直せと言いますが、
自分の心の中に、その周波数を持っているのに、
人を責めたり、人のせいばかりにしていれば、
一向に、その事に気づけません。
周波数は、意識プラスエネルギーだと言います。
周波数=意識+エネルギー
しかし、毒親の元にいながら心を替える事は、
簡単ではないと思いますので、やっぱり、
毒親の元からは離れて立て直す事を私は、お薦めします。
毒親の元を離れた後も一度は、
スピリチュアル的な信頼できる方に
波動やオーラの修復などを
して貰うのもいいかもしれません。
と言うのは、毒親の元で育った人は、
自分で気づいてない部分でも色々、
傷ついていたり問題を抱えてる事もあると思うからです。
毒親の子は、毒親になると
言ったような事を繰り返さない為にも
人生の何処かで、そのような機会を
設けた方がいいような気がします。
幼少期のトラウマとなっている
ケースも結構あるようです。
毒親と精神病
私の憶測でもありますが、無の精神療法の著者である、
稲福薫さんの苦玉説とも共通していることでもあります。
毒親の元で生まれ育った人は、結構な確率で精神病になっている。
と言うのも、毒親の元で育っていると
子供として当たり前の生き方が出来なかったりする事も多い。
毒親であればあるほど一方的なので、
子供が精神病になっている事にも気づきません。
気づいた時には、既に手遅れとも
思えるような状態になっていたりします。
そして、毒親は、毒親の親が
重症とも言える精神病だったりもします。
環境的か遺伝的かで受け継がれてしまったのでしょうね。
だけど、本人達は、それも気づきません。
自分が絶対正義で、他が間違っていると決めつけます。
毒親と言うのは、自分が原因とは、
決して認めず気づかない傾向にあります。
子供のせいや母親のせい。他人のせい。
自分以外の誰かのせいにし続けます。
だけど、一番の問題であるのが自分自身です。
この悪循環で子供の症状は、どんどん悪化します。
毒親に限った事ではないですが、特に毒親は、
子供をコントロールしたいと言う節があります。
毒親が発信源となり家庭内の
ゴタゴタが起きている事もあります。
私の場合は、父と爺さんのWパンチでしたが、
爺さんが迷惑過ぎて、ある時期まで、
父がまともだと思っていましたが、
父も、私が生後間もなくして、まだ言葉も喋れない時期から
怒鳴りつけてばかりいて、小学生に上がるようになれば、
すぐに暴力が当たり前。爺さんは、私が幼稚園になるかならないか
ぐらいの頃から暴力を振るっていた人でした。
昔、渡る世間は鬼ばかり
と言うTVドラマがありましたが、
私の家系は、気がついたら、
精神病者ばかりになっていました。
DVD)渡る世間は鬼ばかり パート1 BOX III〈4枚組〉 (STDS-5023S)
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親が重度の精神病だとしても、
親を治すのが先か
自分を治すのが先かとなり、
毒親の治療をするよりも
自分の治療をする方が簡単だとも思います。
本来であれば、毒親からは、
一刻も早く切り離し治療を受けた方が
いいと思うのですが、今までの多く方の無知により
このような事が放置されていたとも思います。
結局、早い話は、毒親の傍からは、
離れましょうと言う事になります。
ある程度、物心がついて誰かに相談した場合も、
親は、子供の事が心配で言っているだけだよと
促される事も多いかもしれませんが、その人達は、
家庭内の事を細かく観察している訳でもないでしょう?
だから、ある程度の年齢になったら、自分が毒親だと
信じて疑わないのなら、そう思った時が吉日。
毒親からは、離れましょうと私は、言いたい。
家庭の状況や個人の考え方にもよりますが、
必ずしも捨てる必要はないと思います。
離れて暮らすだけでも緩和されたり
解決する事もあると思います。
その際、なるべく距離が遠ければ
遠いほどいいと思います。
近くだと県外であっても、
私の迷惑爺さんのように
毎週のように来たりするからです。
本当の毒親は、
子供の人生に介入し過ぎるので、
やっぱり、どうしようもない
毒親だと思った時には、
捨てる覚悟も必要かもしれません。
悩みに悩んだ末に決断したなら、
親を捨てた後は、振り返らないこと。
新天地で今だけに生きること。
そして気休めかもしれませんが、
毒親の元で育ったのは、
厄払いの前払いのようなもので、
その後の色んな災いから身を守る為に
敢えて、そのような環境に身を置いていた。
そのような事もあるのかもしれません。
どれだけ嫌ってもいいですが、
DNAや遺伝子と言う部分では、
両親や先祖からのモノを受け継いでいるので、
嫌えば嫌うほど自分の人生に
影響を及ぼすのもまた事実です。
私が宇宙語のセッションを
受けた時の話ですが、私の家庭内の問題は、
あなたが先祖を嫌っているからだと言われました。
(その人は、不思議な能力の持ち主でした。)
私は、爺さんが嫌いでした。
爺さんは、随分前に、
あの世に旅立っているので、
もう関係ないと思っていました。
しかし、遺伝子の部分では、
今も影響していた。爺さん以外の家族に、
その影響がモロに出ていました。
両親は、良心とも言われるように、
どれほど嫌いであっても、
親に捨てられたとしても、
心の何処かで繋がっている部分もある。
親子関係と、その他の人間関係も、
まったく無関係に見えますが、
何処か繋がっている部分もあるのでしょう。
捨ててもいいのですが、
捨てた後も遺伝子やDNAレベルで、
何処かで繋がっている。先祖は、
嫌わない方が身の為です。
親を嫌っても先祖を嫌わず。
親も祖父母も先祖かもしれませんが
近い関係の人が嫌いでしょうがない場合は、
その上の直接的には、関わりがなかった
ご先祖様に感謝しましょう。
また、父親がどうしようもない人で、
母親が良い人である場合などもあると思います。
その際は、連絡だけは、たまに入れるとか、
何か出来る事があると思います。
だから、毒親問題は、かなり難しい
テーマかもしれないと思います。
捨てる捨てないで悩んで、
最終的に捨てると言う決断をした場合、
その後、どうやって生きるかが問題だと思います。
親を捨てた後、どうしようもない生き方をしていれば、
遅かれ早かれ、どうしようもない結果となるでしょう。
親を捨てた後、誠実で周りの人を大切に生きていれば、
それも、そのような結果が待っていると思います。
毒親の度合いにもよりますが、
毒親は、ゴミ親です。
ゴミは、捨ててもいいんです。
そこに罪悪感を持つ必要もないです。
捨てる神あれば、拾う神あり。
大切に扱ったものが残る。
親に大切にされて来なかった。
愛されて来なかったと感じるなら、
捨てられるのは、親の因果応報です。
親が子供を大切にして来なかった結果です。
自分の人生を生きてください。
捨てるのも、捨てないのも自由。
毒親の方が捨てやすいとは、思います。
魂レベルでは、その為に、
毒親をやってくれていたのかもしれない。
良い親を捨てようか迷っている人も、
あの、お釈迦様だって何もかも捨てて出家された。
すべてを捨てる。
捨て身になると言うのは、
人生の局面と言うか崖っぷちでは、
必要な時もあるかもしれませんね。
親が迷惑でしかないなら捨てればいい。
だけど、親を捨てるのは、捨て去るのは、
悪い事だと思う概念や罪悪感も、
一緒に捨て去らないと、
後々、苦しく思う事もあるかもしれません。
私も親を捨てる決断に迫られた事が、
過去に何度かあったのですが、色んな経緯があって、
結果として、捨てなかった。
そして、あの時、
何で捨てなかったのだろうと、
思った事も何度もあります。
まぁ、捨てていたら捨てていたで、
何で捨てたのだろうと思ったかもしれません。
捨てるか、捨てないかは、一大決心。
両親身内、すべてが毒なら捨てやすいでしょうけど、
母親が良い親で父親が毒親とか。色んなパターンがある。
結果、捨てた方が良かった。
捨てなかった方が良かった。
後から、そう思う事もあるかもしれない。
歳が若いうちは、分からないし気付かない事も多い。
私の親は、どう考えても異常者だった。
親を捨てた人生も面白かったかもなと思っています。
毒親でも、良い所もあったでしょう。
しかし、捨てると言う決断の時には、
それが仇となる。心を鬼にした決断。
迷いを吹っ切る。すべて捨て去る。
ゴミのような親は、ゴミ箱に。
そうした時に、新たな出会い、
新たな仲間が出来たりすることもある。
そして、捨てれないと言うのは、
結局、自分の事を考えている。
何かあった時に帰れる家があるとか、
どうしようもなくなった時に頼れるとか。
何か自分にとってのメリットを考えている。
絶対ではないですが、それもある。
捨てるなら、それも捨てないと、捨て切れない。
毒親も捨てやすくする為に嫌われ役を
演じてくれたのかもしれないとも思う。
捨てる捨てないは、別として、
毒親の元からは、離れた方が、
気づく事や分かる事が多い。
可能であれば、居場所も連絡先も、
教えない方がいい。毒親と言うのは、
それほど危険な存在です。
過干渉な事も多いので子供の人生に、
介入し過ぎる所があります。
そして、離れて、ようやく、
いかに、自分の親が異常だったか、
気づかされる事も多い。
親元にいる時は、それが、
あまりにも当たり前過ぎて、
気づかない事もある。
思考停止している所もある。
肉体的、身体的に破壊された部分もあるでしょう。
だから、毒親の傍から離れる事は、治癒でもある。
そして、親も、
捨てられたりした時に、
ようやく気づく人もいるでしょう。
気づかない人の方が、
多いかもしれませんが。。