技術よりも人柄?
技術よりも人柄の方が大事と言うと
道徳論のようにも思えますし
道徳論でもあると思いますが
これこそが売上にも直結している。
技術があってもお客が
来ないと言うことはありますが
人柄が良ければ、誰かしら
その人のことを好きな人が来るのでしょう。
ちょっと、あの人の顔を見に行こうとか、
あの人と話しにこうと言うような具合に。。
その人のことを好きな人が一人になり、
二人になり、三人になり、やがて、
100人や千人になりというふうに増えて行く。
設備などが悪くてもいい。
味もそこそこでもいい。
場所が悪くても来る人はいるでしょう。
勿論、そこにお店があると言うことを
知ってもらわないと行けないので宣伝は、
必要かもしれません。その宣伝方法も、
その辺で出会った人と立ち話をするでもいい。
趣味や遊びの関係で出会った人に話をするでもいい。
人柄が気に入って貰えれば、
じゃあ、今度行ってみようと
なるかもしれない。
来てくれ来てくれは、
逆効果だと思いますけど。
お店と関係ない話をしていても、
人柄が良ければ誰かしら来てくれるでしょう。
一人が友達を連れて来ることもあるので、
一人は、一人ではない。一人の後に何人もの人がいる。
一人一人を大切にしているか?そうでないか。
運も実力のうちと言いますが、
一人一人を味方に付けた実力。
一番は、従業員の人柄。さらには、
お店にいなくても、その上の立場の人の人柄。
それが、お客様に一番、影響を与え、
売上と関係しているようです。
飲食店でなくても、
客商売でなくても、
この仕組は、同じようです。
営業マンがサボって公園などで、
誰かと話をしていたら、
それが契約に結びついたと言う話は、
昔は、よく聞きました。
まぁ、今は、時代が違うと言う事情はありますが、
それでも、その人の人柄に興味を持たれたと言うのは、
昔も今も変わらない不変の法則だと思います。
私も人のことを言えたあれではないですが、
私の家系は、自己愛性パーソナリティ障害の家系。
父方の方は、私より上の者は、みんなそうでした。
(と言うことは、私も引き継いでいる
可能性はあるのですが。。。)
この症状は、人様に嫌われるのが常です。
怒る。怒鳴る。威張る。殴る。
愚痴不平不満。悪口。泣き言。文句。
見下す。バカにする。
幼少期の頃から父方の身内と関わると、
いつも、この状態でした。
父さんは、ワーワーワーワーと怒鳴ってばかり。
爺さんは、さらに酷い状態でした。
私が生後間もなくして父に、
容赦なく怒鳴りつけられた。
それが、はじめて父の声を聞いた時でした。
もう少し成長して、
小学生に上がるようになれば、
容赦なく暴力。小学一年生の子供を殴り倒して
勝ち誇ったように「立って来い」
と言っているような人でした。
私は、幼心にバカばかりじゃないか?
と思っていました。
怒鳴り声も相変わらずのことでした。
劣化の如く怒る。走って来て殴りかかる。
小さな子供相手に日常的にそれをやる大人達。
爺さんは、アルコール依存でもあったので、
あちこちで飲み歩いていましたが、
あちこちで出入り禁止にさせられていました。
その結果、人は、誰もが離れて行きました。
父さんの弟は、飲食店での仕事を
何十年とやりながら、この状態でした。
客前では、笑顔を振りまいていました。
しかし、客以外の身近な人達には、怒鳴りまくり、
店がはじまる前には悪口や文句を言いまくりでした。
それは、本人やお店の波動として存在し、
お客様は、それを感じ取っていたのでしょう。
その結果、客からも身内一同からも離れられました。
私は、正観さんの教えとは、
正反対の生き方の人達をよく知っている。
そして、私自身も、どちらかと言うと、
その要素を引き継いでいる部分もあると思う。
だからこそ、正反対の教えである正観さんの教えには、
とにかく惹かれた。私が実践できているか?と言えば、
そうでもないのですが、行きつ戻りつと言う感じですね。
父も爺さんも父さんの弟も、
小林正観さんの教えには、
性格や人格的に触れることさえ、ない。
一応、実家に正観さんの本は、
何冊か置いて来ましたが、
まず、読むことは、ないでしょう。
読書をしない人達ですから。
そのような家系に生まれ育ち、
正観さんの教えに触れることが出来た私は、
もしかしたら、滅茶苦茶に、
運が良いのかも?と思いました。
小林正観さんの三大話
小林正観さんが発見した、
宇宙の法則は、たくさんあるようですが、
もっとも有名なのは、トイレ掃除の話。
ありがとうの奇跡の話。人生のシナリオの話。
この三つになると思います。
ありがとうの奇跡も、
トイレ掃除も、やろうと思えば、
今すぐに、はじめることが出来ます。
恨まない、憎まない。呪わない。
掃除。笑い。感謝。
嬉しい。楽しい。幸せ。
ニコニコと楽しそうに仕事する』(小林 正観)第2525号|TOMAコンサルタンツグループ https://t.co/2WRMDloQuPニコニコと楽しそうに仕事する』(小林-正観)第2/
>一般的には、技術を磨くと
お客さんが来ると思われていますが、
技術があっても人柄が荒(あら)いと
人はやってきません— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) June 9, 2021
これらも行きつ戻りつは、
するかもしれませんが、
やろうと思えば、すぐにでも、
取りかかれることだと思います。
では、人生のシナリオの話は、どうでしょう?
これは、受け入れられない人も多いような気がします。
何せ、あの小林正観さんでさえ、
最後の最後まで抵抗し続けたモノであったようです。
運命は、自分の力で、
いくらでも切り開いていける。
ある時期までは、正観さんも、
そう思っていたようです。
人生のシナリオの話は、
小林正観さんの話の中でも究極奥義。
だから、受け入れられる人だけが、
受け入れればいいのだと思います。
私も、一応は、受け入れているつもりですが、
心の底から受け入れているかどうかは、怪しい所です。
だけど、例えば、人々の
人生が決まっていなくて、
自由自在であるならば、
寿命まで生きられない人の方が
多くなるような気がする。
過去に戻って過去をいじくれたとしたら、
今の自分が消滅してしまうような気がする。
やっぱり、すべてが決まっていたことを
受け入れた方が流れがスムーズになる。
過去に杭があると流れが悪くなる。
過去もそうなるようになっていた。
あの時、ああしておけばよかった。
こうしておけば、よかった。
と言うことは、一切ない。
そこしか選択の道は、なかった。
魂の全自動選択機。
私の魂がシナリオライター。
魂がそうなるように仕向け、
私が、そのように行動した。
思考では、とても理解できない方へと
導くこともある。だけど、魂にとっては、
それが最善のルート。決められたルートだった。
一人一人が役者。
私達が現実だと思っている舞台の役者。
自分も相手も、
魂のシナリオ通りに演じたに過ぎない。
あれやこれやと、
色んな思いや感情は、
あったかもしれません。
ですが、それがシナリオ通り。
最善の道であった。
すべてがシナリオとして、
決まっているのですが、
私達には、自由意志があるので、
楽しむ時には、楽しみ。
苦しむ時には、苦しむ。
魂は、時に理解不能な方へと、
連れて行くこともある。
必ず体験しなくては、ならないことには、
必ず導かれるようになっている。
電車やバスの運転手さんは、
停車駅でない所には、止まりません。
決まった停車駅で止まります。
大阪行きの新幹線が、
今日は、そんな気分じゃないからと、
まったく別の所へ行ってしまわない。
ハワイ行きの飛行機が、
気が変わったと言って、
沖縄に行ったりしない。
私達は、自分が運転手の
つもりでいたりしますが、
実は、乗客で、魂が運転手。
人生の運転手ではなく乗客だったようです。
人生の運転手である魂は、
その人にとっての
最善のルートを進んでいる。
運転手である魂は、
私の体の中にいて運んでいる。
魂が停車駅として、
地獄の一丁目を用意していることもある。
だけど、その人にとって、
その停車駅が必ず必要だから用意している。
ジェットコースターのように、
急上昇もあれば、急下降もある。
ゆったりした川の流れのこともある。
魂ルートに、たまたまは、ない。
魂は、自動運転のタクシー。
自動なので変更は、不可能。
と思っていた方がスムーズに
流れるかなぁ?と思います。
私は、魂の乗客なのだから、
次は、こう来たかと、
受け入れて行くだけなのですね。
正観さんではなかったと思いますが、
1分1秒の狂いもなく、すべてが、
正確に決まっていると言っていた人もいました。
私も、人生の中で、2度、3度と、
そのような証拠と思えるような、
体験をしたこともあります。
自分の人生と言う長編映画。
自分の魂は、その映画を誰よりも観ることを望んだ。
自分の魂は、体験する前に、すべてを知っている。
知らないのは、人間である私だけです。
魂から言わせれば、何かあって、
ああじゃない。こうじゃないと、
バタバタしている人間を見て、
そうなるようにしか、なっていないのに、
何を騒いでいるんだ?と言うことでしょう。
一人一人の人生が完璧に、
すべて決まっているのなら、
いつ何処で、誰が、何をしていてもいい。
そして、自分の人生に何が起きてもいい。
どう思ってもいいのですが、
一人一人の人生が100%決まっている。
私も、あなたも、その通りに行動したにすぎない。
この話を受け入れたつもりでも、
まだ、人生の中で思考や感情がブレることもある。
(最近、スピ業界の中で流行の統合ワークは、
このブレをなくすモノでもあるそうです。)
シナリオの話は、受け入れたくない人も、
過去は、シナリオ通りであったと思うと
悔いが残らないと思います。
まったく残らないかと言えば、
そうでもないのですが。。。
しかし、そうなるようにしかなっていなかった。
生まれてから死ぬまでの
シナリオを全部、書いてるの。自分で。
だから、評価、評論しなくていいの。
シナリオには、良い悪いがない。
(あくまで、魂目線です。)
人間目線では、大いに苦しんだりする事もあります。
目の前に楽しいことが起きて、
楽しいと言うのは、人生の達人からすると初級。
誰もが喜ばないことに感謝できる人は、中級者。
病気だとか事故だとか人間関係のトラブルだとか、
艱難辛苦だとか言うことに、嬉しい、楽しい、幸せ、
さらに、そこに、両手を合わせて感謝できる人を
人生の達人の上級者と言うそうです。
すべてシナリオ通りだとしても、
その時、どう思うか?どう感じるか?は、
自分で選べるモノだと思います。
すべては、決まっているのですが、
遊びの部分として自由意志があります。
自由意志があると言うことは、
すべてのすべてが自由と言うことです。
すべてのすべてが自由でありながら、
すべてのすべてが決まっている。
色んなスピリチュアルな情報がありますが、
自由意志の話の方が多いかもしれません。
身も蓋もない話ですが、
どのパラレルワールドに
行くのかも決まっている。
選択肢が無数にあるように思える一本道。
それだと夢がないと思う人も多いので、
パラレルワールドは、自分で選べる
と言うことにしておいた方が
楽しいかもしれません。
正観さんも、自由意志の話も、
結構、されています。
されていますが、
すべて決まっている上での自由意志。
そう思う心があっただけです。
あれも決まっていて、
これも決まっていてと、
そんな話ばかりをしていたら、
とてもつまらない人になると思いますが、
自由意志の話も結構されているから面白い。
人生は、すべて決まっている話。
私は、結構、好きなのですが、
これを言い訳に使っていることも多い。
自由意志の方も大切です。
むしろ、何でもかんでも、
シナリオのせいにする私には、
自由意志の方が
大事かもしれないと思いました。
いつ何処で何をして、
どうなるかまで、
完璧に決まっている。
それは、事実かもしれませんが、
そんな話ばかりをしていたら、
聞く方も嫌になってしまうと思います。
正観さんは、シナリオの話もよくされていましたが
自由意志の話も、よくされていました。
だから、正観さんの元には、人が集りました。
人生は過去も未来も最初から全て決められているのか?|ヨーペイ@落ちこぼれ卒🌈毎日note 427日目🌈 @yopeimiyagawa #note #自己紹介 https://t.co/YV6s2Ip169— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) May 12, 2021
過去に投げかけたモノが返って来る。
返って来る時には、倍返し。
自分一人で自己完結。
幸福と言う現象もなければ、
不幸と言う現象もない。
だけど、幸福と言う現象は、ある。
願いや望みを叶えるコツは、
そうならなくてもいいけどと一旦、
本当にそうならなくてもいいと思うこと。
そうならくてもいいけど、
そうなったら嬉しい。楽しい。幸せ。
でも、そうならなくてもいいけどね。
私達は、ついつい願いや望みに対して、
そうなって欲しいと力んでしまうのですが、
そうならなくてもいいと、
力を抜かないと超能力が使えない。
力んでいる間は、水に浮かべない。
そうなって欲しい。
そうならなければ嫌だ。
絶対に、そうなれ。
これらは、執着。
この執着が逆に、
願いや望みを遠ざけているようです。
今と言うのは、過去の集積である。
運とは、人が運んでいる。
運んでいる人は、運んでいますよ
とは、言わない。一人一人を本当に、
大切にしている人は、
必ず良い運命を手にすることが出来る。
逆に言えば、運の悪い人は、
目の前に現れた人を見過ごしていたり、
大切に思っていなかったりします。
一人一人を大切にしない人に好運は、来ない。
過去を追うな。過去は、過ぎ去ったモノ。
昨日の人も明日の人も抱きしめることは、出来ない。
今、目の前にいる人しか抱きしめることは、出来ない。
明日と言う日は、永久に来ない。
今日寝て起きたら、今日なんです。
今と言う時の中に過去も未来もある。
だから、今に生きると言うことが一番いいのですね。
私は、過去を追いかけたことがあります。
しかし、過去は、幻影。過去は、蜃気楼でした。
追えば追うほど、時の流れを感じます。
過去は、過ぎ去ったモノで、
今ココには、存在しません。
しかし、思えば、私が追いかけた、
その人こそ、正観さんの教えに、
導いてくれた人のような気がします。
かなりの人格者でした。
『理不尽度100%の出来事。人格の試験。』
⇒ https://t.co/BJIS6vdXEE #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) May 6, 2021
そして、過去の人を追わなくても、
ちゃんと自分の心の中には、
今も居るじゃないかと思いました。
そう思った時に、
会いたいと思っていたのは、
私の一方的な思いで、相手の立場や、
気持ちを考えていなかった気がしました。
相手が、そう思っていなければ、
迷惑行為にもなるのですよね。
しかし、今日までの私の人生の中で、
私が一番落ち込んでいた時も、
その人が私の前に突如と現れた。
その後の数年間の記憶が、
私には、殆どないのですが、
あれがなければ、私は、
立ち直ることさえなかったと思う。
あの力強い目に助けられました。
私は、その人に、
とても酷い事をしてしまった事があるのに、
助けようとしてくれた。
絶望の淵にいる時に目の前に現れたり、
不思議なご縁があったような気がします。
その前にも、私が21歳の頃、
すぐに辞めた電話営業の仕事をした時も、
会社のリストでかけるのですが、
最初の練習段階で一発目だったと思うのですが、
偶然的にかけた相手がその人でした。
声に特徴があったので分かりました。
私は、マニュアル通り話しただけですが、
相変わらず優しいなと思いました。
(営業電話の相手が私だとは、
気づいては、いなかったと思いますが。。)
これも知っているかどうかは分かりませんが、
もう一つの繋がりのような事もありました。
私にとっては、都合の悪いような繋がりでしたけど。。
歌舞伎町の事と言えば分かるでしょうか?
あの人が歌舞伎町時代のGさんなら、
私の予想通りと言うことになります。
そして、シナリオ通りであったことが分かります。
こっちでも繋がっていたのか
と思いましたが、あそこから、
普通の生活を手に入れられたことは、
凄いなと思いました。
そう考えると知り合ってはいけない
関係性だったのかもしれません。
でも何だか、また会うような気がするので、
この辺の話も、また会う機会があれば、
したいと思います。いや、もう知ってるのかな?
もし、知らなければ、意外な繋がりがあったことが、
分かると思います。
この因果関係の話も面白い。
当事者にしか分からない話なので、
いつか話したいですけどね。私の勘違いか、
そうでないかの確認もしてみたい。
でも、この先、会う機会がなくて、
ここを見る機会があったら気になると思うので、
書いておきます。私の予想が間違っていなければ、
私を含め、あの時の関係者が
私がいた町と隣町で、
3人集った時期がありました。
私が、あそこを辞める時期と、
あの人が現れた時期が、
同時期ぐらいだったと思います。
いずれにしても、
私には都合の悪いような関係でした。
でも、二人は、関係者と思える風貌でしたが
私は、どう見ても違いましたよね。だけど、
あの時期に、近辺に三人集り、3人とも、
パチンコ屋の店員をやると言うのは、
魂同士では、打ち合わせ済みの事だったかもしれませんね。
決定盤 恋するドラマ主題歌 TRUE LOVE/CD/PCCK-20172
posted with カエレバ
そして、話を戻します。時期が変わりますが、
これも、私の勘違いや気のせいかもしれませんが、
私が、28歳か29歳頃。
非通知で二回電話して来ましたか?正観さん関係の所に
私の番号を載せた時期がありました。
無言で黙っていましたが優しいエネルギーを感じたので、
イタズラ電話ではないなと思いました。
でも、時が経ち過ぎたので、
お互い別人にしか見えなくなっているかもですね。
そうしたら、はじめましてで話て、
ようやく分かる感じかもです。
さらに思い返してみれば、
私が絶望の淵に陥る半年ほど前に、
まったく別の場所で、
その人と後姿がソックリな人と出会っていた。
背中を見る度に似てる~と思っていた。
私は、自分のわがままで、
その人を置き去りにして来た。
私が目の前から去る事を告げたら、
とても寂しそうな顔をしていた。
行かないでと言う心の叫び声を
必死で抑えていることが分かった。
それなのに私は、
おかまいなしに飛び出した。
その半年後、私は、人生最大の絶望を体験した。
追わなくてもソックリな人が私の目の前にいた。
私は、その人を大事にしなかった。
大切に思っていなかった。結局、私は、
ろくなことをやっていなかった。
身を持って体験しないと分からないから、
思い知れと言う体験をすることになった。
体験せずとも分かる人、気付く人は、
このようなことを体験せずに済むでしょう。
諺は、よく出来ていますね。身から出た錆。
さらに思い返してみれば、
私は、多くの人が体験しないであろう
喜ばしい奇跡的なことを小林正観さんを
知る前から、かなり体験して来たように思うのですが、
それを喜ばしいことや奇跡だと捉えていなかった。
よくあることだと流していた。
そこに全然、気づいていなかった。
小林正観さんを知る5年ぐらい前に、
私にも、人格の試験は、来ていました。
私の体験だと、
理不尽度が高いようなことが、
立て続けに起きて最後にドカーンと
来る感じだと思います。
その時は、頼まれ事だとは、知りませんでしたが、
ちょうど、頼まれごとが来ていた。
それは、最悪とも言えるような頼まれごとだった。
理不尽度100%と思えるようなことがあった。
それから、数ヶ月したら奇跡体験がはじまった。
その時は、乗り越えたつもりでいて、
後から思い出して時間差で、私は、バーっと、
よからぬモノが出ていたので、
理不尽度100%の試験には、
失敗しました。
その乗り越えたつもりの後の
数ヶ月間は、あり得ないほどの
奇跡が連発して起きていた。
だから惜しかったのですが、
本来の私のネガティブなモノが
出て来たので、一時的な体験として
元通りになりました。いや、
元より墜ちたと思います。その時は。。
人格の試験
五戒を言っている人に、
理不尽なことは、起きない。
五戒を言わなくなった人に、
理不尽なことが、起きる。
最後は、理不尽度100%の試験。
それを笑顔で乗り越えられるか試されている。
これに合格すると、
どうなるか?と言うことを私は、
一時的な体験として知っている。
スーパーマリオがスターで
光っている感じと言えば、
分かりやすいでしょうか?
そこで調子乗ったり、
五戒を言ったりして、
元に戻らないことも、
その後のお試しだと思います。
それにしても、
23、24歳の頃の一年間は、
凝縮されたと言うか、
その後の20年の人生より一年の間で、
色んなことが起きすぎたり、
色んなことを確認出来た年だった気がします。
話は戻りますが、
私が小林正観さんの教えに出会ったのは、
28歳になった頃に、池袋のジュンク堂に立ち寄り、
立ち読みしたのが、
正観さんの本との最初の出会いでした。
(厳密に言うと座り読み出来る椅子が
設置してあったので座り読みでした。)
何となくそうしたとか、
たまたま、そこに入ったとか、
たまたま、そこを通った。
たまたま、その本を手にした。
たまたま、そこに座った。これらも、
守護霊さんの導きのことが多いらしいです。
何かが起きる前。誰かと出会う前。
気づきの合図が来ていることもありますね。
(その時は、合図だと気付かないことが多いですが。。)
半年前。数ヶ月前、あるいは、前日に、
何らかの合図が来ていることが、よくあります。
それは、意外なことだったりもします。
一つの私の体験例ですが、
私が23歳ぐらいの時、ぶらりと一人で、
池袋のキャバクラに、はじめて行きました。
はじめて行った店で、最初に席に着いた子は、
見覚えのある顔でした。
何処か別の店で会ったとか、
そう言うことではなくて、
夜の仕事や繁華街とは無関係の
別の場所で会っていた人でした。
その時は、何とも思っていなかったのですが、
私が池袋のキャバクラに行ったのは、はじめて。
はじめて行った店で、最初に席に付いたのが知っている顔。
しかも、それは、4年ぶりぐらいの再会で、
4年前の一時期は、毎日、会っていました。
会ってると言っても、
喋ったのは、その時が、
はじめてです。4年前は、
同じ空間で顔を合わせていた日々。
私は、パチンコ屋の店員で、
彼女は、お客さんで来ていたのですね。
多少の気まずさがあったのか、
私に気づき、彼女が席に付く前、
直立不動のまま立ち止まり、
後を振り向いていました。
でも、プロですね。
はじめまして~と席に着きました。
彼女は、その日、たまたま、
系列の店から応援で来ていたらしい。
私は、外の呼び込みキャッチに声をかけられた。
(これも危険な店もあるので
気を付けないと行けませんが。。。)
時間的、日にち的、色んな要素が絡み合わないと、
このような偶然が重なり合うことは、起きなかった。
お店での彼女とは、
メッチャ気が合った気がしました。
彼女が席に着いて1分経つか経たないかのうちに、
私は、誰にも話したことがないようなことを
普通に話していました。それは、
相手がプロだからかもしれませんが、
その時の私には、指名と言う発想がなかったのですね。
それはさておき、数ヵ月後ぐらいに、
偶然にしては、出来すぎ
だったんじゃないか?と思いました。
(ここで気付くのも遅すぎますが。。。)
(あの子とそこで会う数ヶ月ぐらい前にも、
それと分かる合図がありあました。
この合図にも、だいぶ経ってから気づきましたが。。)
その後、4年前の記憶が、
バーっと甦ってきたのですね。
それまでは、すっかり忘れていました。
さらに記憶が甦り、この女性とは、
遠い昔に一度、電車の中で会っていました。
山手線の新宿駅。それも一瞬の出来事だったので、
相手の方は、記憶にもないことだと思う。
それがあったのは、キャバクラよりも、
さらに前。私が、あのパチンコ屋で
働き出すよりも前の出来事。思い返してみれば、
彼女からは、何度も合図を受けていたようです。
人は、出会うべくして出会っている。
そして、会う予定の人も決まっている。
人生の次の展開として、
このような合図が来ています。
小さな合図なら、たくさん来ていると思いますが、
私達は、気付かずに見過ごしていることも、
多いような気がします。私は、大きな合図が、
たくさん来ていても見過ごしていました。
記憶を呼び覚ますのには、
何かしらの、きっかけのある合図があります。
人生の次の展開にも、前もって、
ちゃんと合図が来ていたりします。
私達は、それを見過ごしている。
私は、時間差で記憶が甦ることがあるのですが、
その数ヶ月前だったり、半年前だったりに、
必ずと言っていいほど、その記憶を呼び覚ます為の
合図が来ていたことが多い。
その時は、気付かないのですが。。。
明日、初対面で出会う人を、
その前日に見かけていることも多い。
これは、私だけでなく、誰もに、
そのような合図が来ていると思います。
気付かずに通り過ぎている人も多いでしょう。
私が23歳の頃の一年は、
良い意味でも悪い意味でも、
ここ20年間より濃い一年。
20年分の色んな思いや体験を100とすれば、
23歳~24歳の一年で、
100に匹敵するか越えている。
だから、私達と言うか、魂達は、
どこかで大変なことを求めている。
平凡な人生では、つまらないから、
何か大きな体験をしたいと思う。
その大きな体験とは、人間的には、
とても辛かったり悲しかったり、
肉体的にはハードなことかもしれません。
今は、あれから20年後の43歳。
また、何かが動き出す予感。
何も起きないで欲しいと言う思いと、
面白いこと起きてくれと言う思い。
平凡な20年に少し退屈している所もあるので、
久々に大嵐が吹いてくれてもいいですけどね。
今の所、前触れとなる合図は、
何も来ていない気がしますが、
気づいていないだけかもしれません。
「起きたら20年後なんですけど!
~悪役令嬢のその後のその後~」と言う
漫画があるらしいですが、
(私は、読んだことはないです。)
私も、目が覚めたら20年後と言う感覚かもしれません。
20年何やっとたんや?と言う話です。
少し話がズレましたが、シナリオの話以外でも、
実践を続けることは、難しい部分もあると思います。
だからこそ、自分が得をする
損得勘定があった方がいいと正観さんは、言いました。
実践を続けることは、損得の得にもなり、人徳の徳にもなる。
大変な時こそ、ありがとうの言葉を言ったりの、
実践を続けた方が緩和したり、
好転したりと言うことがあるのですが、
大変な時期には、中々、言えなかったりすることもある。
正観さんの教えも、実践を続けるか、
辞めてしまうかは、運命の別れ道。
小林正観さんの教えに触れることは、
まだ、はじまりに過ぎない。
それでも、何らかの形で、
正観さんの教えに触れることが出来た人は、
中々、運が良い方だと思います。
正観さんは、有名な人ですが、
世の中の半数以上の人は、
恐らく、小林正観と言う
名前さえ知らないと思う。
私も28歳になるまで知らなかった。
それもシナリオなのですが、
シナリオの話は、受け入れられる人だけが、
受け入れればいいことだと思う。
誰かに分からせる必要など、ない。
自分の価値観を押し付けたり、
その価値観の中に、
引きずり込まなくてもいい。
それに、このようなことを
何にも知らなくても、凄い人格者とか、
何十年経ってもブレずに変わらない人が、
自分の周りにもいたりするのではないでしょうか?
このようなことを学んだが故に傲慢になったり、
知ったつもりになったりと言うことも、
一つの罠だったりします。何も知らなくても、
実践者である人が身近な所にいたりします。
だけど、何か大変な事や辛い事があった時は、
これも自分で書いたシナリオだ。これでいいのだ。
そう思えたらいいですよね。
人生も行動も台詞も決まっている。
過去に投げかけたモノが返って来る。
返って来る時は、倍返しなのですが、
それも含めて、すべて決まっている。
とてもそうは、思えないようになっている。
だから、受け入れるには、難易度が高い。
人生は最初から決まっている!その理由をお話しします https://t.co/FigVyqNDh1— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) May 12, 2021
シンプルだけど奥が深い小林正観さんの教え。
私は、まだまだ分かっていなかったと
思わされることも多い。
正観さんの情報でも、
私の人間観察の結果でも、
人に喜ばれる人は、神がほっとかない。
また、声帯を震わせての、ありがとうは、
環境や時間的に難しい人もいると思うので、
私は、個人的に、ホ・オポノポノも良いと思っています。
過去のすべてが決まっていたとしても、
そこに罪悪感だったり、あるいは、恨みだったり、
イライラだったり、悲しみだったりを感じるなら、
それをクリーニングで消去する。
以前、別記事に書いた、
「さとりのホ・オポノポノ」と言う本には、
現実に起きている事は、
祖先の記憶が再生されていることもあるので、
いくら理由探し、原因探しをしても、
分からないこともあると伝えられていました。
『外側には、何も無い』
⇒ https://t.co/hVRiKWiQ38 #アメブロ @ameba_officialより— 思考の治療院 (@3b48For6hcCrT4J) May 12, 2021
ホ・オポノポノの大前提。外側には、何も無い。
ひたすら自分の記憶をクリーニング。
過去、現在、未来もクリーニングできる。
人類皆兄弟。心の奥底では、皆、繋がっている。
私一人をクリーニングする事は、
私以外の問題解決になったりもするのですね。
ホ・オポノポノと言えば、インナーチャイルドや
ウニヒピリと言う言葉も、よく聞きますが、
これは、自分の中にいる小さな子供と言う
意味合いだったと思います。
ある人に聞きましたら、それとは別になるのか、
一緒なのか、よく分かりませんが、子供時代の自分。
子供時代の自分に話かけることも効果的であるらしい。
子供時代の自分に、優しく語りかける。
子供時代の自分に何て声をかけますか?
ありがとう。ごめんね。ゆるしてね。あいしてるよ。
これ以外の言葉もかけてあげましょう。
辛かったね。苦しかったね。大変だったね。
よく頑張ったね。よく耐えたね。ありがとう。
君がいたから、今の私がいるんだよ。ありがとうね。
子供時代の自分に優しく、
一生懸命、話しかけてあげてください。
この記事の内容とは関係ないですが、
上の正観さんの話も面白かったですね。
声帯を震わせての、ありがとうは、
常識を逸脱するぐらいの回数が必要だと思います。
それをやることで、宇宙とのリズムが合って、
不思議なシンクロをしたりで、
その効果としか思えないことが起きます。
だけど、時間がかかりすぎるので、
私も今は、やっていません。
五戒と「い・ど・お」
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句。
これらの五戒を言わないことと、
威張らない。怒鳴らない。怒らないこと。
恨まない。憎まない。呪わない。
私は、これとは、真逆の
オールパーフェクトの
家系を選んで生まれて来ました。
私も、潜在的に影響を受けている部分は、
あると思いますが、人間観察として、五戒を言い続け、
威張って、怒鳴って、殴ってを日常的にやっている
大人達の日常を幼い頃から、じ~っと見て来たのですね。
結果、家庭内は、いつも、ろくな事がない。
争いだらけ。トラブルだらけ。中々、平和な時がない。
そんな時が、ずーっと繰り返されていました。
言った言葉と行為が現象を作る。
私が生れてから家を出るまでの十数年。
怒鳴り声を聞かなかった日は、恐らく、
一度も、なかったような気がします。
爺さんや婆さんは、四六時中、
人の悪口を念仏のように
ずーっと言っているような人でした。
私は、この分野のプロではないので、
あくまで個人的な憶測でしかないのですが、
自閉症や場面緘黙症は、親や家庭環境の影響で、
子供が頑なに心を閉ざしてしまうようなことが、
あったからではないか?と言う気がしています。
一概に、これが正しいとは、言えませんが、
そのような要素もあると思います。
怒鳴り声と暴力と五戒が蔓延した家系。
何処かで辞めない限り同じ事の繰り返し。
私も似ている部分は、
あるかもしれませんが、
少なくとも育ての親や、
育ての祖父のようには、
なっていない。これだけでも、
良かったと思います。
正観さんのお父さんも、
かなり厳しかったそうですが、
そう言う要素も、やっぱり、
必要だったのかもしれませんね。
私は、作家ではないですが、
こうしてブログ記事を書いています。
これも共通項になるかもしれません。
そして、私の人間観察の結果として、
問題を抱えている家庭ほど、
問題を抱えている個人ほど、
それを第三者などの外には、
中々、相談しないと言う事があります。
外の世界には、その問題を
簡単に解決へと導いてくれる人がいたり、
自分達よりも波動が高い領域にいる人がいるので、
どこに原因があるか、すぐに分かったりします。
相談相手や相談機関などを
見極める必要はありますが、
自分だけ。自分達だけの狭い世界で、
モノを考えるより、広い視点や、
高い視点で物事を見れる人達が居る。
もっとも、私の家系も一部を除いて、
今は、だいぶ平和になりました。
これは、何かをしたから、
平和になったのではなく、
ただ、時の流れが解決しました。
ちなみに一部と言うのは、
どこでどうされているか分からない身内もいるので。
その人達も、今は、平和になっているかもしれません。
で、何が問題なのですか?
別の視点の見方としては、
すべては、魂の演技。
この世は、魂の演劇。
『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』
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一人一人が、その役を演じている。
だから、悪役の方が、
魂レベルが上級のこともあるようです。
我が家族
私の生まれ育った家庭と言うか家系は、
小林正観さんの教えとは、真逆の小林反観でした。
その結果どうなるかを私は、よく知っている。
だからこそ、正観さんの教えに惹かれた。
もしも、普通の家庭で生まれ育ったなら、
正観さんの教えに触れても、
何も思わなかったかもしれない。
だから、そのような家系で、
生まれると言うことを
選んだのかもしれないですね。
私の心に響いた正観さんの言葉を紹介します。
過去にどのような選択をしたとしても、 最善のベストの選択であった。皆さん方には、 受け入れ難い事実かもしれませんけどね。 どんな家に生まれ、どんな環境で育ち、 どんな人生を歩み、どうやって死んでいくか…。 自分のシナリオ通りに人生が存在しているなら、 過去にどんな判断をしたかについても、 何ひとつ悔やむ必要はありません。
過去に投げかけたモノが返って来る。
これをもう少し細かく言うと、
相手に言った言葉は、
そのまま自分に返ってくる。
相手にやったことも、
そのまま自分に返って来る。
相手がいない場合は、
やる事は、出来ないと思いますが、
何かを言う事は出来ますよね。
陰口などを言っていれば、
自然に人は、遠ざかるでしょう。
出した感情も自分に返って来る。
だけど、抑え付けているだけなら、
上記のことに捉われず解放、吐き出しをした方がいい。
それは、相手がいる時は、ダメですよ。
(これは、正観さんの教えとは、違います。)
また、よっぽど迷惑を
かけられた相手なら話は、別です。
どんなことがあっても怒らないと言う
正観さんの教えとは、違いますが、
それで調子に乗る相手もいます。
年に数回程度なら、ここぞと言う時に、
怒ってもいいと私は、思う。
損得勘定としては、損かもしれませんが、
たまには、損をしてもいいじゃないですか。
怒らずに済むなら、
それに越したことはないですが、
それで、どうしようもない関係が、
ズルズル続くのであれば、その時に、
怒る事しか解決方法がなければ、
最終手段にはなりますが怒ってもいいと思う。
どんな事があっても怒らない。
これは、言葉の言い回しや対処術が、
それなりにないと難しいとも思います。
私の家系に多かった、
自己愛性パーソナリティ障害の人もいます。
普通の人が関われば、百害あって一利なし。
被害ばかりを受ける事になります。
関わった事でノイローゼになる人もいます。
そのような人と関わらない。断ち切る。
その為には、武器として怒る事も必要。
感情を抑え込んでいるだけであれば、
それは、波動が重い状態だと思う。
正観さんは、かなりの人格者。
どんなことがあっても気にならない。
だから、どんなことがあっても、
怒らなかったのでしょう。
人格者でない人が真似しようとしても
逆効果の場合もあると思います。
それもシナリオ通り。
そして、このようなことがあった時に、
自分と相手を離して考えられるようになるといいらしい。
『相手の言動に一喜一憂しない』
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電車の連結を切り離すようなことでしょうか?
自分が関わっていると思うから
痛みや苦しみや悩みが生じる。
相手だけの問題だと思うと、
また違ってきますよね。
そして、やっぱり、
自分に良い影響を与えない人からは、
離れる方がいいですし、
人間的に問題がある人ほど、
依存症だったりしますので、
強制的に切り離さないと、
離れないこともあります。
正観さんの話に戻りますが、
修羅場は、輪廻の数と比例するそうです。
生まれ変わりの回数が多いほど、
修羅場の数も増えるらしい。
逆に生まれ変わりの回数が少ない人ほど、
五戒を言い続けて死んで行く。
だから、生まれ変わりの回数が多い人は、
宇宙から試されていることも、
多いのかもしれませんね。