スピリチュアル 読書 非二元

ルパート・スパイラさんの本。「プレゼンス」を読んでみました。

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ルパート・スパイラさん。
この方も非二元の世界で有名な方であるようです。

今回は、この本を読んでみました。

この本の監修は、溝口あゆかさんになっていました。
この本は金森将さんの本に比べると難解です。
しかし、非二元をより深く知れる内容になっていると思います。

金森将さんの本は、バタ足でしたが、
ルパート・スパイラさんの本は、
平泳ぎやクロールのような感じかもしれません。

非二元の本質は、シンプルなモノだと思うのですが、
伝える角度が多岐に渡るので難しく感じる人もいれば、
その角度から、スーッと入る人もいるかもしれません。

非二元・溝口あゆかさん。

気づき

まず、この本のタイトルである、
「プレゼンス」は、今と言う意味であるそうです。
「現存」と言う意味でもあるようですが、
これは、この本を何度か読み返さないと、
理解が難しいような気もします。

体や心は、本当の私では、ない。
体や心の存在に気づいているのが本当の私。

「苦しみ」も現象の一つに過ぎない。
それに捉われて、何とかしようと思うから、
ますます苦しくなる。「苦しみ」は、抵抗することから
出来ているので、それと戦えば抜けられない。

苦悩を取り除こうとすればするほど苦悩が増える。

この苦悩の元は、何で出来ている?と心と体で探求する。

苦しみを取り除きたい。何とかしたいは、逆効果。

苦悩の根っこには、幻想がある。そこには何も無い。

その「何も無い」ことを直視すること。

それがハッキリ見えた時、苦しみも消えて行く。

苦悩が存続するには、分離した自己の幻想がいる。

苦悩は、分離した自己の周りを回転する。

それが存在しないことを見抜かれると、
苦悩は、存続が出来ないようになる。

まず、分離した自分に気付く。

全体の中の一部に自分がいる。

また、言い換えれば、
私の意識の中にすべてが在る。

この世にあるモノすべて。
この世にいる人のすべて。
自分の目に映るモノすべて。

それは、あなた自身で出来ている。

すべてが自分の中に在る現れ。

自分の体も気づきの中の現れの一つ。

すべては、自分の中で起きているのですが、
私の意識は、私の体の中に入ったことは、ない。

本当の自分は、スクリーンそのモノ。

だから、何もしていない。行為者もいない。

思考によって、スクリーンの中の自分が、
自分だと思い込んでいる。ここに入り込むと、
自分が行為者であると思い込む。

本当の自分は、スクリーンで、
中の映像を観賞しているだけ。

思考を介さなければ、
生まれ、成長し、歳をとり、
死ぬと言う知識がないことが解る。

生まれ成長し歳をとるのは、心と体です。

それに気づいているのが本当の自分。

気づいている存在が本当の自分。

肉体の自分は、本当の自分では、無い。
肉体を自分だと思い込むのは、自我。

思考は、肉体と同一化している。

思考がなければ、私達は、
時間を知ることさえ出来ない。

私達が自分だと思い込んでいるモノは、
思考と感情が生み落としたモノで、
本来の本当の自己とは、違う。

例えるなら自己とは、
部屋の中の空間のような存在。
部屋の外に出ても空間である。

部屋の中で何が起きようが、
空間事体には、何も問題がない。

思考は、体験を私と私以外に分けますが、
体験する側と体験される側に分かれていない。

ただ、その体験が起きていると言うだけです。

思考は、私と私以外に分けてしまう。

私の個人的な解釈を挟みますが、
私が空であるなら、思考や感情は、雲。

空に浮かんでいる雲を掴まえては、
ああじゃない。こうじゃないとやっている。

自己を体にのみ縛り付けて考えるのが分離の始まり。

しかし、体には、思考が既に忘れてしまった、
あらゆる傷、拒絶、失敗、怖れ、怒りなどが、
収められている倉庫のようなモノで、それが、
体の中で地層のように折り重なっている。

この辺に関しては、簡潔に説明できないので、
本を読んで頂くしかないと思いますが、次に、
心の話。心には、限界があるので、
物事の本質を知ることは、出来ないそうです。

体験は、心によって制限されている。

心が知ることが出来るのは、
思考、感覚、知覚。

心が心の限界を悟った時、
心よりも大きなモノに属する。

心は、素晴らしいモノではありますが、
見かけ上の二元性を創り出しているのも、
また、心であります。心が自ら作りあげた
体系を自ら崩壊させると言うことが起きる。

心があるから対象物が、
見えていたと言う側面もある。

対象物が見えなくなると、
すべてが一体化している。

一つの繋ぎ目のない全体が在る。

それは、常に動き、変化しますが、
いつも同じでココに在る。
いつでもソレ自体である。

外側にも内側にも自己は、存在しない。

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しかし、内側から入って行った方が、
そのことに気づきやすいそうです。

この世には、私の意識しか存在していない。

すべては、自分の意識の中の出来事。
意識の中での体験。意識の内側で起きている。

さらに言えば、内側や外側も無い。

すべてのすべてが私自身の中で起きている。

心は、自己を体だと主張する。

本来の自己は、心が関与していない。

心が関与していない所には、
時間は、存在しない。
時間があるように体感している。

何者も誕生したこともなければ、
消滅したことも、ない。すべては、
見せかけ上の物質。

誕生も死もなく、
実態も、ない。

現存にとっては、
目覚めも覚醒も、ない。

現存は、既に、いつでも、
それ自身の中で目覚めている。

内側も、外側も、ない。
しかし、世界が、外側にあると思っている人には、
自分は、内側にあると伝えた方が理解がしやすい。

でも、分かれてなど、いない。
分かれて存在しているモノなど、
どこにも、ない。思考が、これと、あれ。
この人と、あの人と言うように分けている。

分割されたモノは、何も、ない。
すべてに、つなぎ目は、ない。

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