スピリチュアル 仏教 読書

「信心根本義」と言う本を読んでみました。

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ある方から、この本を頂いたので読んでみました。

この本の初版は、大正3年に書かれていて、
その時、著者である後藤善因さんの、お歳は、
83歳であったようです。

今、流行のスピリチュアルのあれやこれやもいいですが、
古くから伝わっている、このような話に耳を傾けるのも、
時には、大切であるような気がします。

しかし、善知識の方が書かれた本なので、
一念帰命を受けていない人が読んでも、
何のことか分からないかもしれません。

善智識の方は、帰命せとよ言います。

何故、帰命せよと言うかと言えば、
そう言うお役目だからと言うことになるようです。

また、それは、何故か?と言えば、
一つは、古き時代からの流れとして、
救済的な意味合いがあるようです。

帰命する前と後では、
本人が気付くにしろ、気付かないにしろ、
肉体が、霊体が、魂が、全然違うものになるらしい。

三位一体。霊魂と肉体。それらの浄化や、
カルマの解放と言う意味合いもあるような気がします。

一念帰命と言えば、南無阿弥陀仏。

帰命を受けた人の念仏と、受けていない人の念仏は、
全然、違うモノになる。だからこそ帰命せよと言う。

しかし、帰命せよとは、言いますが、
それが、強制であってもいけない。

また、ただ、受けただけでは、
あまり意味がないとの声もあります。

この本には、一念帰命を受けた人の
念仏の功徳について書かれてあります。

帰命を受けた人の念仏は、煩悩を消去する。

著者の後藤善因さんは、不思議な能力もあったようで、
目の見えない人の目を見えるようにしたり、一回の治療で、
歩けない人を歩けるようにされたりもしていたようです。

人相を観ることも出来て、
人の未来や、病気、
死期なども分かったそうです。

一念帰命と言えば、親鸞さんや法然さんの名前が出て来ます。

親鸞聖人は、39歳になるまで、
善信と言う名前だったようですが、
天親菩薩と、雲鸞大師(どんらんたいし)の
名前から一文字ずつ取って親鸞とされたそうです。

南無とは、帰命なり。阿弥陀仏に帰命すると言うこと。
帰命とは、秘伝の礼拝を行ずることなり。

一念帰命の行

著者の善因さんは、南無と言う行いの時、
阿弥陀仏の光りを授かると言われています。

南無は、口業。
帰命は、身業。
念仏は、意業。

これを身口意三業と言う。

声に出して唱える念仏を称名念仏。
声に出さず唱える念仏を信心決定の念仏。

この二つを分別して心得るべし。

諸行無常。すべては、流れ行く。
人間世界は、夢幻の一時の楽しみ。

幽界が消滅する???

近年のスピリチュアルでは、
幽界の消滅と言う話もありますが、
人間の心には、良心、仏性があります。

地獄も極楽も、自分が創り出し映し出している。

外側には、何も無い。

内側に、それがあるから外側の世界に反映している。

カルマと言うのも、自分の内側に抱え込んでいる。

だから、古い言い方をすれば、
相変わらず地獄に堕ちる人は、いると思う。

地獄に堕ちて反省した方がいい人もいる。
本人の良心、仏性が、
それを望んでいることもあるようです。

だけど、解脱と言う言葉がありますが、
解脱とは、私なりの解釈だと私さえも存在しない。
そのことに気付くことのような気がします。

生前と言う言葉は、生きる前とも読めるし、
生まれる前とも読める。

肉体と言うのも幻なのですが、
幻を現実として生きている。

分かりやすい例えとしては、
私達が睡眠中に見る夢。

夢の中で歩いたり走ったり
誰かと喋ったり、横になって
寝ているだけなのに色々と動いてますよね。

現実も、実は、そんな感じだし、
死後の世界も、そんな感じ。だから幻。

幻なのですが、わりと死後の世界の方が、
本当の人生と言いますか、本当の世界。

肉体を持っている期間は、短い。
多くの人は、長生きしても、
たかだか100年程度。

この世は、仮初の世界とも言いますが、
いわば、控室のようなモノ。この現実と言う控室は、
一瞬の時のことですが、その中で何をやるか。何を為すか。

この世は、ある意味、役者の舞台のような所もあって
この世で、憎しみ合っていても、あの世では、
仲良しと言うこともあるようです。

肉体は、便利ですが制限のある世界でもある。

この世のすべては、自作自演とも言います。

孫悟空が釈迦の掌の上で遊んでいた話がありますが、
意識の世界の話をすると、この世には、私1人しか存在しない。

スピリチュアルでは、ワンネスと言ったりしますが、
指人形と言う遊びがありますよね。掌が私で、指は、
バラバラのようでいて、繋がっている。
指を人々に置き換えると、すべてが私。

私が神であり、私が仏である。

大仏。仏像。観音様。お地蔵さん。

それぞれが見ている夢の世界。幻想。

しかし、外側の誰かや何かに依存するのではなく、
内側の仏性を目覚めさせる。そのような気がします。

そして、肉体が幻だとしても、
肉体があるからこそ出来ることや、
感じられることがある。

念仏の功徳と言っても、多くの人には、
何のことか分からないと思います。

ある程度、スピリチュアルを学んでいる人であれば、
ホ・オポノポノに似ていると思えばいいかもしれません。

念仏行者の人は、そんなのと
一緒にするなと言うかもしれませんが、
例えとしては、ホ・オポノポノを知っている人には、
これに近いと伝えた方が分かりやすいと思います。

ホ・オポノポノは、ひたすらクリーニングを続ける。

さとりのホ・オポノポノを読んでみました。

念仏は、ひたすら念仏を唱える。

帰命を受けていない人の念仏を空念仏と言うので、
念仏を唱えるなら帰命を受けておいた方がいい。

南無阿弥陀仏の功徳云々の前に、
一念帰命は、まず、罪を消滅すると言います。

そして、命が娑婆にある限り罪は尽きない。

念仏で、その罪を消すと言うのも、
ホ・オポノポノの考え方と共通する所であります。

以前、小出遥子さんがユーチューブで、
ホ・オポノポノを唱えていたら、
言おうとも思っていなかったのに、
突然、南無阿弥陀仏
と言う言葉が出て来たと話されていました。

丹田道?TANDEN-DOの小出遥子(こいでようこ)さん

小出遥子さんは、仏教のことも、
かなり学ばれた方であるので、
帰命を受けているかどうかは分かりませんが、
そう言うこともあるのでしょうね。

善智識の方は、なるべく早くに、
帰命を受けた方が良いと言うと思いますが、

私個人としては、そうは思っていなくて、
色んな回り道も必要な所もあるので、
一見、遠回りに思える、
その道こそが必要だったりすることもある。

だから、機が熟した時に受ければいいと思いますし、
また、機が熟さなければ、受けることもないと思います。

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