スピリチュアル 日記

この世には私の意識しか存在しない???

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私の意識が、すべてを映し出している。

だから、私が死んだ時、同時に、
すべての人やモノも消える。だから幻想。

現実のすべては、私の意識の投影。

般若心経の色即是空。

この世は、実態がないモノであるとは、
そのようなことを伝えているようです。

すべては、幻。

あの人も、この人も、
私の意識の投影である表現者。

自分一人で生まれて自分一人で死んで行く。

スピリチュアルな話でも、
よく、こう言います。
外側では、何も起きていない。すべては、
自分の中で起きているだけだ。

宇宙に・・・・私一人・・・

非二元の話では、よく言われていることですが、
私自身も幻想。私が私だと思い込んでいるキャラクター。

私自身もいない。存在していない。

私自身も、私の意識が映し出している投影。

だけど、何も映し出さなかったら、
生まれて来る意味がないし虚しいだけです。

だから、私の意識で色々と映し出している。

どんなに凄いと思える人も、
どんなにダメだと思える人も。
私の意識が映し出している。

誰かのせいと言う事が無く、
現実のすべてが自己責任と言うのは、
自分の意識の投影と言うことなのですね。

この世は、自作自演の世界。

私の意識しか存在していないのだから、
この世の主人公は、自分。

他は、ぜ~んぶ、自分の意識が映し出している。

私の意識が映し出している鏡の世界。

たとえ、どんなに醜いモノが映ろうとも、
それは、自分の意識の投影です。

東映と言う映画の会社がありますが、
私の意識が現実映画の投影株式会社です。

自分一人の世界なのですから、
たとえば、因果応報と呼ばれる事は、
自分が自分にやっている事なのです。

それが時間差で返って来る。

思い、言葉、行為。

人にやっていることは、
自分が自分にやっていること。

心の中で思っているだけでも。。

人を責めれば責めるほどに自分を責めている。

自業自得と言う言葉もありますが、
自分一人の世界ですから、
自業自得が当たり前の世界です。

自業自得には、得と言う文字も使われています。
私は、この得は徳だったのではないか?と思っています。

奇跡と呼ばれることも、徳があるから体験できる。
徳の多い人は、あり得ない奇跡の連続かもしれない。

意識は、とても巨大なモノであるらしい。

巨大なミラーボールのようなモノでしょうか?

普段、自分で意識している意識は、
自我意識や顕在意識と呼ばれるもので、
広大な自分の意識の中の、ごく一部。

現実は、映し出した結果。
結果は、既に過去のモノ。

既に映し出して上映されている映画。

現実創造のツールは、
思い。感情。波動。

バタバタしない。
ジタバタしない。

別に現実を創りだそうと思わなくても、
私の意識は、次の映画を創り出し上映している。

私の意識は、とても優秀な投影映画製作会社ですね。

生まれ出る前の記憶を持つ
子供達も今は、多いみたいですが、

生まれ出る前から意識は、存在した。

私自身のことで言えば、生まれて間もない頃から、
地獄絵図のような現実でしたが、
それは、カルマとして、
持ち込んだモノだったように思います。

そもそもカルマが、まったくないと軽すぎて、
地球に生まれて来れないとも聞きます。

最近は、地球の波動も軽くなったので、
以前の地球では、生まれて来れなかったような人が、
たくさん生まれて来ているかもしれません。

意識は、どこにある?と言えば、
一つは、心。もう一つは、お腹。

胸と腹の奥に意識があると思います。

あると言うか、
それぞれの奥から意識に、
繋がっているような気がします。

心とお腹は、入口が違うだけで、
辿り着く奥の院は、
同じ場所かもしれません。

しかし、現実は、心で創っていると言いますが、
腹で創っているとは、言わないし聞かないので、
この解釈は、少し違うかもしれません。

私は、潜在意識には、お腹の方が、
繋がりやすいような気がしています。

感情は、ハートの方が感じやすいと思います。

エネルギーが現実を創る。
ハートは、創る方で、
お腹は、深く入って行く方。

何となく、そんな気がしています。

この世の実態は、何も無い世界。

何も存在していない。

私の意識のみが存在している。

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