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非二元・溝口あゆかさん。

更新日:

今、非二元を伝えている人も
増えているように思いますが、

少し前にヴェロニカ麻由さんの
記事を書いた時に、
非二元を伝えられている方は、
皆、同じことを伝えているのか?

あるいは、非二元を伝える人の
個人差のようなモノがあるのか?

非二元と言う言葉だけが一緒で
バラバラのことを伝えているのか?

そのような疑問があり、今回は、
溝口あゆかさんの非二元の
話を聞いてみました。

溝口あゆかさんは、
心理学も学んでいるので、
非二元の観点と現実的な観点の
両方を見ながらセラピーなどを行っているようです。
とは言っても非二元は、真理を知るモノで、
非二元を使ってセラピーは、出来ない
と言うようなことも言われていました。

溝口あゆかさんのnoteブログ

溝口あゆかさんのユーチューブ

溝口あゆかさんが出演された動画

まず、私の個人的な解釈ですが、
非二元とは、色即是空の「色」と「空」が、
同時に融合した状態のような気がしています。

それを頭で分かるのではなく、
体感として解ることが非二元。

(私が思っていることなので、
これは、違うかもしれません。)

非二元は、素晴らしいと言う人もいれば、
非二元は、危険だと言う人もいます。

そのことを判断するには、
もっと非二元を知る必要もあると思いました。

ここからが、溝口あゆかさんの話です。

非二元とは、非が付けられているので、
二つでは、ない。次元でも、ない。
二極と言うモノでも、ない。
ネガティブでも、ポジティブでも、ない。

ワンネスと同じなのか?
違うのか?それは、私には、分からない。

非二元は、主体と客体。
そこを捉える感覚が違う。

主体と客体が融合しているような状態。二つで一つ。

溝口あゆかさんは、自分の思考や感情を
客観的に観察することが出来るそうです。

自我は、すぐにストーリーに入って行ってしまう。
自我は、ストーリーの中でしか生きていない。

色と空と言う二つの存在を認めながらも、
どちからか一つでも、ない。
かと言って二つでも、ない。

自我に分離の感覚がある。
自我が苦しみを生み出している。

自我は、私がいると思っている。

個としての私がいると思っていることが分離。

自分と言う存在に主体は、まったく、ない。
自分と言う存在は自由意志も持っていない。

確か、大和田菜穂さんも、自分は、ストーリの中の
キャラクターと言うようなことを言われていました。

ヴェロニカ麻由さんは、
もう一人の自分の存在に気づくこと
と言われていたような気がします。

自分は、自由意志を持っていないので、
何もコントロールすることが出来ない。

自我でなければ、真我なのか?とも思うのですが、
自我でもなければ、真我でもないと言うのが、
非二元と言うことになるのでしょうか?

悲しみや恐れなどの感情も、私の感情では、ない。
思考が恐れや悲しみと言うレッテルを貼っているだけ。

だけど、感情は、非二元に気づくと、
よりダイレクトに感じるようになる。

非二元に気づくには、まず、
私が、いないと言うことを見抜く。

私の意識や思考や感情は、
私に、くっついているのではなく、
私とは、別にあると言うことに気づく。

非二元は、癒しの道具には、ならない。
目の前の現実の何かを解決する方法とは違う。

非二元は、真実を知ることであって、
癒しとか、悩みの解決が目的であれば、
非二元は、後にして、それをやった方がいい。

現実的なことを、
どうこうするのは、
非二元では、無理がある。

無理があるとは言っても、
これが役立つ場合もある。

役立つ場合もあるのですが、
現実をいじれないのが非二元ですから、
現実をどうこうしたいと言う思いがあるなら、
非二元以外のことを先にやった方がいい。

ストリーやビリーフや感情と
同化しないのが非二元。

非二元に目醒めるには、
普段から思考の観察をすること。
自我=思考。そこから離れること。

静寂の中、自分を観察している自分がいる。
その自分は、ただ、ただ、気づいているだけ。
その自分は、何かをどうこうしようとは思わない。
その自分は、思いさえも、持っていない。

非二元は、分離をしているわけではないので、
ストリーの中の自分だと解っていながらも、
ストリーの中の自分としてやるべきことは、やる。

非二元とストーリーが、
ごっちゃになっている人もいる。

人は、自我に引っ張られやすいので、
学ぶ時、知ろうとする時は、
徹底的に非二元を腑に落とした方がいい。

結果として非二元が解って
現実的なことが良くなることは、
あるかもしれませんが、非二元に、
副産物的なメリットを求めるのであれば、
非二元以外のことをやった方がいいかもしれない。

非二元は、元々そこにあったモノ。
そこに気づくことが非二元の入口。

溝口あゆかさんは、非二元をベースにした
心理学などでセラピーをされていますが、
非二元そのものだけでは、
セラピーは出来ないと言います。

自分が自分だと思っていたモノが、
自分では、なかった。自分が自分だと
思い込んでいるから自我が、
芽生えるのかもしれないですね。

非二元では、経験しかない。
非二元では、観ているだけ。

非二元での究極的なことを言えば、
すべての出来事は、勝手に起きている。

木の葉が、自然に散って行くようなこと。

すべてが勝手に起きているなら、
人生のすべてが決まっているのか?
とも思うのですが、溝口あゆかさんは、
ご自身のブログの中で、非二元は、
その問いを越えた先に
あるモノだと言われています。

勝手に起きていると同時に、
ストーリーの中の自分は、
現実を何とかしようとする。

そして、実際に何とかなることがある。

だから、すべてが勝手に起きている
と言うことだけに捉われない。

そして、さらに
突き詰めたことを言えば、
自我さえも本当は、ない。
思考に実態は、ない。

非二元の視点から見れば、
アセンションなども
ストーリーの中の出来事。

自我は、肉体に執着している。
自我を離れると、全体が、ただ在る。
ストーリーの中は、すべてが幻想。

今回、溝口あゆかさんの話を聞いて、
非二元と言うモノが、何となくですが、
どんなモノかは、分かったような気がします。

普通の現実と非二元は、
視点や捉え方が、まったくの別物。

多くのスピリチュアルで、
語られていることでさえ、
ストーリーの中での出来事。

悟りと呼ばれるモノさえ、
ストーリーの中の出来事。

だけど、それが悪いわけでは、ない。

ストリーの中は、
ストリーの中の
経験として楽しむ。

それにプラスして、
非二元の視点もあると、
人生や世の中のことが、
さらに面白く観れるかもしれません。

注意点としては、
体感していないのに、
解ったつもりになる危険もある。

だから、非二元を知るには、
何よりも体感することが大事なようです。

非二元。

誰も何もしていない。

何も起きていない。

何も起きていないけど、
起こるべきことが起きている。

何も起きていないし、
何も存在していない。~空~。
何も変わらない。

すべてが同時に動いている。

この世には、何もない。
何もないけど、現れている。~色~。
すべては、幻想。夢の中。

すべてが勝手に起きている。
会話も。行動も。何もかも。

すべては、自動で動いている。
睡眠中に見る夢と何も変わらない。

何もコントロールできないのに
コントールできると思っているのが人間。

思考も感情もコントロールできない。
最初から、それも存在していない。

ただ、全体が、そこに在る。
誰も何もしていない。

非二元は、それを体感で知ること。
だから、現実的なことは、何も変わらない。
相変わらず起きるべきことが起きるだけ。

思考も行動も感情も、
自分で何かをしているように見えて、
実は、自動的に起きている。

意識せずに呼吸をしているように、
現実のすべても勝手に起きている。

自分さえも、存在していない。

すべては、完璧な中で起きている。

最後に私から一言。
この話は、素晴らしい。

素晴らしいですが、私達は、
ストーリーの中を生きています。

ストーリーをやる為に地球に生まれ、
人間をやっているので、非二元だけを
体感しても、恐らくは、何の役にも立たない。

何の役にも立たないは、
言い過ぎかもしれませんが、

溝口あゆかさんが言っていた、
非二元だけでセッションは、
出来ないと言っていた意味が分かりました。

夢と現実

私なりに解釈したことですが、
非二元は、夢と現実を
まったく区分けせずに、
同じこととして扱っている
モノのような気がします。

睡眠中に夢を見ている時、
私は、勝手に動いているし、
出来事も勝手に起きている。

夢の中で夢だと気づく事は、
あるものの、登場人物なども、
勝手に出てくるモノです。

その中で会話をしたり、
走ったり、空を飛んだり、
色んなことがあります。

だけど、基本的に、
すべて勝手に起きている。

夢の中の私は、この肉体の
私ではないと分かっている。

睡眠中の夢の中で私は、何もしていない。
横になって寝ているだけです。

だけど、登場人物が出て来たり、
話したり動いたりしています。

非二元で言う所の、
誰も何もしていない。何も起きていない。
と言うのは、現実は、睡眠中の夢と
同じことだと伝えているような気がします。

バシャールも、そんなようなことを伝えていました。

よく言われる外側には、何も無いと言うのも、
同じようなことかもしれません。

なのに現実になると、
この自分が自分だと思い、
自分で何かをやっているように
思い込んでいる。

寝て見る夢の中のことは、
すぐに忘れたり、
いつまでも気にしないのに、

現実だと思っていることに対しては、
いつまでも気にしたり、
あの時、ああしておけばと思ったりする。

現実と言う夢の中で、
あれこれしようとしたり、
したつもりになっているのが、私達。

ストーリーの中に入り込んでいるとは、
言い方を変えれば、現実と言う夢の中で、
夢だと気づいていない状態になるのかもしれない。

非二元と言う言葉で伝えられていますが、
例えば、私が以前、サイババさん関連の
本を読んだ時に、サイババさんが、
「死後、あ~なんだ夢だったのか」
と言ったとされる一文がありました。

だから、非二元やノンデュアリティと言う
言葉を使っていないだけで、過去の偉人が、
あらゆる形で、そのメッセージを
残しているかもしれない。

鬼滅の刃の映画でも、
そんなようなシーンがありました。

夢の中で夢だと気づくか気づかないかの違い。

現実と睡眠中に見る夢は、イコール。
だから、非二元を伝える人達は、
現実は、コントロール出来ないと言うのですね。

明晰夢と言うモノもありますが、
夢をコントール出来たと
思い込んでいるだけかもしれない。

現実と言う夢の中で、
夢じゃない。夢じゃない。
現実だとやっているのが私達。

しかし、寝ても覚めても夢の中。
それだと面白味がないと言う人も多いでしょう。

だから、体感が出来ないのであれば、
非二元は、知らない方が、
身の為である人も多いような気もする。

知識だけで知ろうとしても振り回されてしまう。

非二元感覚を持ちながら、
ストーリーの中を楽しむ。
これが体感できたら最高だと思いますが、
体感できないと何とか体感したいと
エゴが頑張ってしまう。

私も体感は、していないので、
何とも言えない部分はあるのですが、
そんな気がしました。

そして、非二元を語る人は、
そちらの世界に偏りすぎて
こちらの世界の人と話が、
噛み合わなくなっている人も
多いような気もしますが、

こちら側を完全に抜いてしまったら、
こちら側の世界の人からは、
理解されない人になる。

だから、全体と個。
どちらも、大事。

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