仏教 家庭内問題 日記

唯識(ゆいしき)って何ですか?

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私は、基本的に仏教書は、殆ど読まないのですが
一念帰命の関係の人が近所に住んでいるので
その方から、この本を読めと手渡される事があります。

一念帰命の行

お経の類の本を読んでも、
私には、その意味は、分かりませんし
イチイチそれを翻訳しようとするような
探究心もありません。

だけど、せっかく手渡された本なので
意味が分からずとも読んだりします。

その中に気になる箇所がある事もあります。
今回、気になった箇所と言うか言葉は、唯識。

これまでも見たり聞いたりした事はあったと思いますが
その意味も分からず流して来たような気がします。

仏教の世界では、当たり前のように使われ
誰もが知っている事かもしれませんが

この唯識(ゆいしき)とは、
八つの識から成り立っていると言われています。

八つの識とは、眼識、耳識、鼻識、
舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識。

一説では、この世のあらゆる事柄。
あらゆる人間関係。あるいは、事件。
善悪のすべては、唯識によって起こるとされています。

唯識の中で分かりずらいのは、
最後の二つの識。
末那識と阿頼耶識だと思います。

この二つの識は、無意識の領域。

末那識が個人的無意識としたら
阿頼耶識は、全体的無意識とも言えるそうです。

末那識(まなしき)

現実のすべては、自分で
創り出していると言いますが、
末那識には、エゴや自我や欲望がある。

執着の心とも言われていて、
ネガティブ的な要素のモノが
溜まっている領域とされているようです。

私の個人的解釈ですが、
ここには、カルマなども
含まれているのではないか?と思います。

カルマメイト

前世の業が深いと言ったりもしますが、
その業が、ここにあるのかもしれません。

阿頼耶識(あらやしき)

神社には、奥の院がありますが、
私達の一番奥底の意識。一番奥底の心。

阿頼耶識の阿頼耶は、蔵と言う意味。

この蔵に本当の真理などがある。

本当の私と言ったりしますが、
本当の私は、ここに在る。
本当の私は、生命の源流。

すべてのすべてがここに在る。

私は、ここは、綺麗なモノしか
存在しない領域かと思っていましたが、
一説では、すべての善悪の大元も、
この阿頼耶識の中にあると言います。

だけど、善悪など私達が生きる上で
あれは、善だの悪だのと決め付けているだけで、
宇宙的には、善悪も存在しないと言う
観点から見れば、そうなのかなと思います。

釈迦がこの世は、苦界であると言いましたが
釈迦には、苦しみのない世界も観えていた。
だからこそ、この世は、苦界であると言った。

楽あれば苦ありと言う諺がありますが、
苦と言うモノを見て体験して知っているから
楽が分かる。白だけの世界にいたら黒が分からない。

苦がない世界にいたら楽も分からない。

極楽は、苦界を体験したからこそ味わえる。
極楽に、ずっと居座っていたら、それが当たり前。

それが、あまりにも当たり前すぎて、
幸せを噛み締める事も出来ないのかもしれない。

おいしいモノと不味いモノ。
小さいモノと大きいモノ。
熱いモノと冷たいモノ。
明るいモノと暗いモノ。

不幸が分かるから幸せが分かる。
最悪が分かるから最高が分かる。

善と言うモノが分かるから悪と言うモノが分かる。

私達には、比べる対象があるから分かる事がある。

どうやら私達は、この世と言う苦界で、
自分自身でも気づいてない深い部分では、
苦しみも悲しみも、いっぱい体験したくて体験して来たようです。

魂的には、それ好きでやって来たのでしょ?
と言う事かもしれません。だけど、
時代背景的にも、これからは、
それらの事は、あまり体験しなくても
良くなって行くのかもしれないですね。

宇宙的には、
善悪など存在しないと言っても
この世において、例えば、悪行の上に悪行を
重ねた人が苦しんでいる姿を見れば、
因果応報だと思ったりします。

しかし、善悪が存在しないのなら
どれだけの悪行を積み重ねても
苦しまないのではないか?とも思いますが
その人は、深い部分、唯識では、
人の苦しみを自分の苦しみと
同じように分かっている。

あの人に与えた苦しみを
私にも与えてくださいと、
自作自演で苦しんでいるとも言えます。

そして、自作自演と言えば、
この世の、すべての人や
出来事も自作自演と言えるかもしれません。

この世のすべての人は、役者。
私一人で生まれて私一人で死んで行く世界。

話が脱線したような気もしますが、
阿頼耶識と末那識は、潜在意識の事と
解釈されている事も多いようです。

阿頼耶識は、個人だけではなく、
集合的無意識でもあり、すべての人と繋がる
領域とも言われているようです。

だから、アカシックレコードなどに繋がる事もできる。

阿頼耶識は、永遠の命。

私を生かしている大元の命。

だから自分と言う肉体が亡くなった後も、
この命は、残っている。

あの世に行く時に三途の川を渡ると言いますが
阿頼耶識は、三世の命とも言われていて、
過去世、現在世、未来世を繋いでいる命でもある。

永遠の命だから三世でなくなると言う事でもないのでしょう。

大元の命と言う事は、すべての命。
すべての命を繋いでいる一つの命かもしれません。

仏教の歴史も長いですから、
色んな人が、もっと分かりやすく
本質的な事を話されていると思いますが、
見えない世界のことは、頭や言葉で
分かったつもりになる事は、
簡単ですが本当に解ると言う所の難しさがあります。

また誰かは、こう言いました。

釈迦や宇宙が睡眠中に見ている夢。
それが私達一人一人の現実です。

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