どうでもいいこと 人間観察 心理学

嫌な事や人は、自分の中にあるから出ている

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自分の中にある嫌な部分は、
他人を通じて出てきます。

自分で気づいていないからこそ、
現実と言う鏡に映し出し心や魂の修正をさせようとする
役目があるような気がします。

ちょっとや、そっとの事では、
気づかないので、とんでもなく、
嫌な人や事として出てきます。

だから、嫌な人との出会いは、
心のゴミ出しでもあると思います。
私の心は、万華鏡のようなもので、
すべては、自分の心の反映。

その心のゴミを捨て去ったり、
手放したり、気づかしたり、
心や魂の余分な部分を削ぎ落したりの事が、
必要だからこそ起きていると思います。

だけど、そこから逃げたらいけないわけではない。
逃げる事が学びの時もあると思います。

ズルズルと関わったり、
ズルズルと引きずったりしたら、
いつまで経っても、その波動の延長です。
だから、一時的に怒りを解放してでも手放してください。
(人様に危害を加えると言う意味ではありません。)

ネガティブな感情を持つこと事態が悪い事では、ない。
ネガティブ感情は、間違った方向に進んでいると、
自分自身に警告を与える為の感情です。
だから、ズルズルと引きずりさえしなければ、
ネガティブ感情を持つ事も問題無いのです。

だけど、ネガティブ感情を持つ事は、問題ないですが、
持ち続ける事は、問題であります。だから、
手放す、捨て去ると言う事が必要であります。

魔が差す

何か悪い事をした時などに、
魔が差したなどと言いますが、
魔とは、間の事でもあります。
暇と言う魔もあると言います。

今回は、間について話したいと思います。
会話の合間の、仕草や行動に、
その人の無意識が現れると言います。

だから、魔が差すと言うのも、
その人の本性が現れると言う事です。

お酒を飲んだら人が変わるとか、
車の運転をしたら人が変わるとか、
大金を手にしたら人が変わるとか、
その人の本性の現われであります。

魔とは、悪魔の魔でありますが、
自分の心の隙間に、入り込まれる要素があったから、
入り込まれたと思います。憑依なども同じです。

車の運転と同じで、自分の心は、
自分の意思と意識で運転しています。

だけど、魔と間は、同じようでいて、同じではない。
間の方は、いい意味としての間もあります。
間が物語っている事もある。
間を取るとか、間を開けると言いますが、
その間の中に、普段、気づかない色んな事が、
見え隠れしている事もあります。
沈黙の間が物語る時もある。

だから、人間観察においても、
会話の間、行動の間、などを観察していると、
その人の本音、本性が、見えやすくなったりします。

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