スピリチュアルな話の中には、
人生がすべて決まっていると言う話があります。
スピリチュアルを語る人の中でも、
100%決まっていると言う人もいれば、
そうではないと言う人もいます。
しかし、矛盾しているようですが、
どちらも、正しい事だと思います。
まず、100%決まっているから、
変更が不可能かと言えば、そうでは、ない。
100%決まっている事を受け入れるから、
変更が可能になるのだと思います。
シナリオの変更は、今までの完璧な台本があったと知る事。
受け入れきれてないと、今のままの台本が続きます。
受け入れきれてないと、シナリオの変更が難しいと思います。
あんな毒親だった。家庭内のゴタゴタばかりだった。
ろくな奴が寄って来なかった。辛く苦しい事ばかりだった。
それも、すべてシナリオ通りでありました。
だから、文句を言う相手は、どこにも、いません。
自分自身が、そのシナリオを作り、台本通りに展開してきました。
だけど、それを受け入れる事が、台本を作り変える方法だと思います。
人生のシナリオの話を最初に提唱したのは、
恐らく、小林正観さんだったと思います。
それ以前にもいたかもしれませんが、
この話を有名にされたのが小林正観さんだと思います。
その小林正観さんも、こうおっしゃってました。
人生は、100%決まっていて、
神の承諾を受けた事しか起きない。
しかし、100%決まっている事を受け入れた時に、
100%自由になると言う
不思議な宇宙構造になっている。
この事が、シナリオと言う台本からの脱却であると思います。
ああじゃない、こうじゃない、そんなはずがない。
そんなバカな話があるか。どう思っていてもいいのですが、
100%決まっている事を受けいれた方が、人生が楽になり、
スムーズに流れるような気がします。
美空ひばりさんの名曲「川の流れのように」は、
大ヒット曲で、今も色んな所で耳にして、
誰もが知っている曲になっていますが、
これは、恐らく、魂の歌で、
みんなが、魂では、この事を知っているから、
この歌とメロディーに共感するのだと思います。
テレサテンさんの「時の流れに身をまかせ」
もそうかもしれません。
私達の魂は、川の流れに乗って流れている。
それに、抵抗しなければスムーズに流れる。
抵抗すればするほど、川の中で、もがき苦しみ、
バタバタしている状態なのかもしれない。
自分が書いた人生のシナリオがある。
誰か別の人が書いて演じているわけではない。
自分の魂が書いて自分で体験している。
だから、100%決まっている事を受け入れる事も、
否定する事も、自分の魂が決めてきているかもしれません。
いつどこで、何が起きて、どうなるか。
そのすべてが、決まっていたと言う事です。
だけども、このシナリオは、変更も可能だと言う事です。
そして、今日までの人生のすべてを、
自分が書いた台本通りに歩んできた事を受け入れれば、
誰かを憎んだり恨んだりする事は、出来ないはずです。
何故なら、自分自身が、すべてを決めて来たからです。
(最後のこの部分を書いている時に、
どこからともなく、正観さんの声が聴こえてきました。)
私の魂は、必ず、その道を通ってくるようになっていた。
そうでなければ、私自身が、気づいたり、学んだりできなかった。
一歩でも違う道を歩んでいたら、私は、気づけないし学ばなかった。
私は、どうも、そのような気がしています。
しかし、小林正観さんの話の中で、
ふと疑問に思った事もあります。
正観さんは、人の人相が見れたので、
死ぬ日が決まっている事が分かったそうですが、
誕生日と死ぬ日が決まっていても、
その中身までが、決まっていたかどうかは、
分からないのではないか?と言う事です。
それでも、やっぱり決まっているのかもしれませんが、
決まっていないと思っていた方が、
自由な気持ちで生きられるかもしれません。
だから、すべて決まっていたとしても、
こんな話は、もしかしたら知らない方がいいのかもしれない。
すべての寿命は、
決まっている・・・
どうやら、この世に生きる、
あらゆる生き物、あらゆる人々。
それらの寿命は、決まっているようです。
寿命だけが決まっていたのか、
寿命までもが決まっていたのか、
それは、分かりませんが、寿命だけは、
決まっていたとしか思えないのです。
私達には、誕生日がありますが、
これは、変える事は、出来ません。
あの世に帰る日も、誕生日とセットです。
誕生日が変えられない宿命だとしたら、
あの世に旅立つ旅立ちの日も宿命であります。
寿命が延びたとか、非業の死を遂げたとか、
延命をしたとか、色々な話がありますが、
この世に来る日と、あの世に帰る日は、
自分自身が、あの世で決めて来ているようです。
寿命が近づいて来た頃には、
魂は、既に帰りたくて仕方がないのかもしれません。
それ故に、時間を逆算すると最後の方に、
現実的な事で病気であったり、その他の事で、
肉体的な終わりを遂げる事があるのでしょう。
では、自殺は、どうなる?と思うかもしれませんが、
周りに何かを伝えると言うお役目で、
そのような事さえも、決められている部分があるかもしれません。
そして、残された者達は、そこから何かを学ぶ。
勿論、色んな解釈があると思いますし、
これは、私が思う、一つの情報でしかありません。
これが、正しいと言うつもりもありません。
勿論、私も、人を殺めてはいけない。
自分と言う人も殺めてはいけないと思います。
私達は、地球の体験旅行に来ています。
二泊三日の旅行のように60年であったり70年であったりと、
短い滞在の人もいれば、長い滞在の人もいます。
だから、帰る日の事ばかりを考えないで、
過ぎた日の事ばかりを考えないで、
今、体験旅行中なのだから、今を精一杯、生きたり、
今を精一杯、楽しむ為に存在していると思います。
私も、人生の中で命の危機があった事は、
何度もありましたが、その度に、
不思議な力によって助けられて来ました。
紙一重は、神一重。
ギリギリの所で神の力が働いていた。
何故、何度も命の危機があっても
死ななかったのか?寿命でなかったからです。
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