スピリチュアル 思考の治療 日記

観念とは、何か?

更新日:

スピリチュアルな本などでは、
観念と言う言葉が、よく出てきたりします。

そもそも、この、観念と言うモノ、
どんな事でしょうか?
概念とも似ているとも言われますが、

概念とは、常識的な範疇にある事で、
他人と、ある程度、共通している認識であるような気がします。

一方で、観念とは、私の思考の世界。
自分でも、気づいていない部分を含めた、
凝り固まった思考が、固定観念。
だから、常識が通じないんです。
だから、常識外の現実が現れたりもします。
目の前に、常識外の人が現れたりもします。
でも、それも、自分の中の観念としてあるから出るんです。

人を裁く者は、自分も、裁かれると言うような、
仏教用語みたいなモノがありましたが、
人に対して求めている事などは、
自分に対しても、その観念が働くと言う事です。

裁く者は、裁かれるとか、
人を呪わば穴二つとか、
自分の観念がそうさせているのです。
裁いても、呪っても、恨んでも、
自分の人生に、また返ってきます。

何故、裁く者は、裁かれるのか?
それは、自分の観念によって、裁かれるからです。

他人に対して、こうしなければ、ダメ。
ああしなければ、ダメ。
そのように思っている事は、
自分自身にも、その観念が作動すると言う事です。

だから、人の不幸は蜜の味などでも、
自分の不幸も他人にとっての蜜の味なのです。
奪う者は、奪われると言うのも、そうです。

人を攻撃する者は、自分も攻撃されると言う事です。
人を蹴落として、一時的にスッキリしても、
自分にも、その観念が働くと言う事です。

他人に求めている事は、自分にも求められると言う事です。

勿論、自分の中に、そのような観念がなければ、
そうは、なららないですが、多くの人は、
そのような観念を持っていると思います。
(自分で気づいてるか、気づいてないかは、別です。)

私の現実は、すべて、私の観念によって、
創られていると言っても、過言ではないのです。
この世は、自分の固定観念で信じている事が、現実化しています。
だから、信じた事が、現実化すると言うのは、信実であります。

自分の現実に現れる事は、
すべて、自分が持っている、
観念と言う原因があります。

時代劇などで、観念しやがれ!ってセリフが、
出てきたりしますが、私の現実は、
私の観念の結果だ。観念しやがれ!って事になります。

だけど、この観念を変える方法があります。
それは、気づくと言う事です。
自分の中に、このような観念を持っていたから、
このような現実が現れたと言う事に気づく事です。
本当に気づいたら、その観念の消滅です。
そして、また、新たな観念が作られます。
だから、消滅させたい現実は、自分の観念に気づいて、
別の観念に作り変える作業が必要です。

観念は、感情とリンクしているそうです。
だから、観念が変わっていない限り、
いつも、同じような事で、悩んだり、怒ったり、
同じような過去を思い出したりと言った事が起きます。

人に人は、変えられない。
何故なら、人は、自分の観念の反映だから。
変えるべきは、自分の観念です。

他人などは、みんな、透明人間みたいなもので、
私の観念と言う色付けをして、反映しています。
だから、人を変えようと思うのであれば、
自分の観念を書き換えると言う事が一番重要です。

勿論、そうは、言っても、
現実的な事を一切せずに、
私の観念だけで、何とか出来るか?
と言えば、それが出来る人は、観念の書き換えを
思うがままに出来ている人だと思います。

中々、そこまでは、出来ない。
だから、現実的に、やるべき事は、やっていいし、
言ってもいいのですが、その後に、やるべき事は、
自分の観念の書き換えです。
書き換えるには、このような観念を持っていたと、
自分自身で気づかないといけません。

これについては、
ホ・オポノポノや川田薫さんのクリーニングなどの
本が参考になると思います。

※概念の話も、観念の話も、
私の解釈が、間違っている可能性もあるので、
気になる方は、調べてみてください。

観念とは、色んな解釈の仕方があると思いますが、
私なりの解釈は、観念とは、思考のすべて。
潜在意識を含む、すべての自分の現実を創り出すデータ。
要は、ゲームのカセットの中に、すべてが詰まっているのと同じ。

私の現実に登場する、登場人物。
私の現実に起きる諸々の出来事。
それらの、すべてが、私の観念。
私の観念の投影が現実です。

だから、私の死と共に、登場人物である、
私の現実に、生きている人達も消滅です。
地球も宇宙も消滅です。生きている人がいて、
死んで行く人がいますが、それらは、私が生きているからです。

私の観念の中の出来事なので、私の死と共に、すべて消滅です。
しかし、肉体の世界は、有限ですが、魂の世界は、無限です。
だから、死後の世界は、ある。むしろ、その世界の方が長い。

だから、人間の寿命は、長生きしても、
たかだか、100年程度と言う短いモノになっていると思う。
私達は、蝉の寿命を短いと思ったりしますが、
あの世から、見れば、私達も、蝉の寿命のようなモノだと思う。

この世と言う世界は、人の数だけ、地球があり、宇宙がある。
私が今いる所は、私の観念の中の地球であり、
宇宙であり、人類であります。

人生とは、私の観念を映し出して、見て体験するもの。
自分の中の観念を見て感じ学ぶ世界が、この世である。

私の観念の、すべてを映し出した結果が、
私の現実と言う事になると思います。

この世は、幻想世界とか、
思考や心を映し出しているとか、
人間関係は、鏡だとか言いますが、
すべて、自分の観念の投影なんですね。

死んだ人で、成仏できていない人の事を、
浮かばれないと言ったりします。

逆に言えば、成仏できた人は、
皆、浮かばれていると言う事です。

浮かばれるとは、軽くなると言う事です。

この世は、重りを背負ったような世界です。
心の外に、肉体と言う重い鎧を背負っている状態です。
だから、本来の大元の自分より低い波動でいます。

だから、自分の波動が軽くなれば、成る程、
本来の自分の姿に近づくと言う事です。

では、どうしたら、軽くなるか?と言う事ですが、
色んな執着を捨てれば、捨てるほど軽くなります。
だけど、望みを持ったらいけないわけじゃない。
望みは、叶えられるのですが、執着が重い時の、望みは、
叶わない事が多い。逆に、執着が薄かったり、軽かった時の、
望みは、叶う事が多い。

神社にも、おもかる石と言うモノがあります。
思いが軽い時の方が願いが叶うのです。

どうしてもとか、何がなんでもとか、
自分勝手なエゴの願いほど、叶う事は、ないと思います。

山や石段の上に神社などがあったりする事も多いです。
それは、現実世界の低い波動の影響を受けない為でもあるそうですが、
思いを軽くした方が、天に近づきますよとの教えかもしれません。

そして、観念とは、何かと言う事ですが、
この観念こそが、私の心の正体でもあるらしいです。

観念とは、私の心のすべてである。
だとしたら、私の心の状態が変われば、
やっぱり、現実も変わるのだと思います。

本当に、観念を一瞬で変える事が、
出来るようになれば、現実を一瞬で、
変える事も出来るらしいです。

スポンサーリンク



-スピリチュアル, 思考の治療, 日記

Copyright© 思考の治療院 , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.